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本稿は、米韓同盟が形成された時期の主役であった李承晩大統領に対する再評価の流れ のなか、依然として独裁、腐敗政権のイメージは強く残っているものの、彼の外交及び安 全保障分野への貢献についても冷静かつ的確な評価が求められるとの認識に共感しながら、

米韓同盟の形成過程を米韓相互防衛条約の「締結」と「発効」に至る二つの過程を中心に 分析を行ったものである。

まず、米韓相互防衛条約の「締結」過程においては、この過程がまさに朝鮮戦争の収束 に向けた休戦協定の調印をめぐる過程そのものであったとの認識に基づいて、米韓相互防 衛条約、韓国軍の増強及び経済支援、政治会議のあり方、また、いわゆる「反共捕虜」の 送還問題といった韓国の休戦協力に関連した要素に分析の焦点をあてた。朝鮮戦争の休戦 と米韓相互防衛条約との関係に関する従来の研究が一貫して指摘しているのは、李承晩が、

米国と同条約を結ぶために、休戦への反対と強硬な発言を繰り返していたということであ る。

だが、当初から彼が米国との相互防衛条約の締結を目的に休戦に反対する意図があった のかに関しては、議論の余地があると思われる。というのも、李承晩が相互防衛条約の締 結を米国に要求したのは、休戦との関連からというより、韓国の安全保障確保の観点から であったためである。つまり、休戦に対する李承晩の反対姿勢は、中国軍の撤退、反共捕 虜の送還、そして休戦後、朝鮮問題の政治的解決のために開かれるであろう政治会議をめ ぐる米韓間の意見の隔たりから起因するものであって、彼が相互防衛条約をどこまで意識 して休戦に反対したのかについては不明である。

一方、休戦協力の条件と並行して相互防衛条約の締結を要求する韓国に対して、米国は、

韓国が同条約の締結に必死であると判断し、休戦協定の成立のために同条約の締結を利用 しようとした。すなわち、米国は、条約締結の条件として休戦への協力を韓国側に要求し たのである。休戦と米韓相互防衛条約を関連付けたのは米国の方であったと考えるべきで あり、李承晩が休戦反対を主張し続けた結果、米韓相互防衛条約の締結という成果を挙げ たと評価するのは、事後的な評価であると言わざるを得ない1

実際、李承晩としては、米国との相互防衛条約の締結だけでなく、他の休戦協力への条

1 米韓相互防衛条約の「代償」的性格は、米国が他の国々と締結した相互防衛条約においても見られ

る特徴である。朝鮮戦争勃発を背景に、日本との早期講和を推進しようとした米国は、「対日講和7 原則」に日本の再軍備を制限する項目が含まれなかったことに強い反発を惹起するオーストラリア に対し、対日講和への同意を条件として米国の公式のコミットメントを提案した。これが安全保障 取り決めの構成国を調整する協議過程を経て、アンザス条約と米比相互防衛条約の締結に繋がった。

菊池努「講和の『代償』―オーストラリアと ANZUS 条約の締結」『中部大学国際関係学部紀要』6 号、1990年。一方、米韓相互防衛条約が発効した直後の1954年12月2日に締結された米華相互防 衛条約についても同じことが言える。同年9月、中国軍による沿岸諸島への砲撃が始まると、国連 による台湾海峡停戦を模索した米国は、停戦案の国連への提出を承服させることを目的に、国府と の相互防衛条約の締結に向けた交渉を開始したのであった。松島和美「米華相互防衛条約の締結と 終焉」『鵬友』36巻2号、2010年。

件も譲れないものであって、韓国側の休戦受け入れを条件に米韓相互防衛条約の交渉開始 の提案を盛り込んだアイゼンハワー(Dwight D. Eisenhower)大統領の親書が送られた1953 年6月7日以降も、休戦反対の姿勢を一向に軟化させようとしなかった。

条約の締結に向けた米韓交渉の開始の見通しが立たないまま、板門店においては、李承 晩からの強い反対にもかかわらず、大詰めの協議が行われていた。休戦会談の進展ぶりに 危機感を覚えた李承晩は、1953年6月18日の未明、およそ25,000人の北朝鮮軍の反共捕 虜の釈放に踏み切った。この反共捕虜の釈放をめぐっては、「李承晩が、自らの実行力を見 せ付けることによって、韓国側の主張と要求事項の受け入れを米国に迫る狙いがあった」

との分析もある。確かにこの李承晩の単独行動は米国政府に大きな衝撃を与えた。とくに、

共産側からだけではなく、同盟国からの非難を予想していたアイゼンハワーは、この事態 で休戦の可能性がなくなるのではないかと懸念するほどであった。ただし、李承晩による 捕虜釈放の可能性については、遅くともその1カ月前の1953年5月中旬ごろから予測され ていて、クラーク(Mark W. Clark)国連軍司令官は、同事態が発生した場合における武器 使用の行動方針まで立てていた。

一方、反共捕虜の釈放の直後、追加的な捕虜脱出が取り沙汰されるなか、李承晩は、結 局第二の捕虜釈放に踏み切ることなく、自らの単独行動によって悪化した状況の沈静化を 図った。休戦協力のための条件をより具体化しながら、「休戦に関わることなく休戦を支援 できる」と米国側に伝え、韓国の休戦協力への可能性を初めて表明したのである。こう考 えると、李承晩による反共捕虜の釈放は、従来の休戦反対の姿勢から本格的な米国との交 渉に応じる姿勢への転換を予告するものであったと言えよう。「名誉ある休戦」に向けて米 国の取るべき措置は、韓国政府の要求する休戦条件を整えることによって、休戦協力への 約束を韓国から取り付けることとなり、これ以降、休戦協力への条件をめぐる米韓間の協 議が本格化するのである。

1953年6月26日から7月11日まで、ほぼ毎日のように行われた李承晩とロバートソン

(Walter S. Robertson)極東担当国務次官補の会談においては、①反共捕虜の送還問題、

②政治会議の開催期限と、同会議が失敗に終わった場合における米国の取るべき行動、③ 米韓相互防衛条約の条項とその締結時期、④適切な対韓経済及び軍事支援の規模といった 休戦協力のための条件をめぐる議論が争点となっていた。この長い協議を通じて、米韓両国 が最終的に合意に至った点は殆どなく、これから解決に向けて米韓両国が取り組むべき問 題を浮き彫りにさせた点に、その意義があるように思われる。

もちろん、米国にとって今回の会談の最も大きな収穫とは、李承晩から「休戦を妨げな い」との保証を確実な形で取り付けたことであった。休戦合意に向けて緊急性を要してい た反共捕虜の送還問題について、李承晩は当初、北朝鮮軍の反共捕虜の全員を直ちに釈放 すべきだとした要求を撤回し、彼らを「非武装地帯に移送させて 3 カ月間の説得期間を設 けるにあたり、国連軍司令部に協力する」とした。また、休戦調印後 3 カ月以内に開催さ れるだろう政治会議についても、韓国側は「開催期限が経過しても決着が付かなかった場

合、直ちに米韓共同の軍事行動を再開すべき」と主張しながらも、その開催期限を、会議 の開始から90日間とすることに同意し、その後、国連軍側と共産軍側は1953年7月27日、

休戦協定に調印した。

1953年8月4日からダレス(John F. Dulles)国務長官一行が韓国を訪問し、米韓協議 の成果として発表された 8 月8 日の共同声明と、これと同時に仮調印された米韓相互防衛 条約の条項は、どちらかと言えば米国側の主張と立場に沿う内容であった。韓国政府は当 初、条約の適用範囲として、北方の鴨緑江と豆満江にまで及ぶ朝鮮半島の全域を想定し、

また、いずれかの締約国に対する武力攻撃が行われた場合の行動として、「自国の憲法上の 手続きに従って共通の危険に対処する」のではなく、自動的な軍事行動に関する条項の挿 入を最後まで求めたものの、これらの条項が盛り込まれることはなかった。米国政府側は、

米上院による同条約への批准を強く意識した李承晩の執着ぶりをうまく利用して、自らの 提示した草案の主な事項を同条約に盛り込むことに成功したのである。

同様に、共同声明において、同条約が発効するまで、韓国軍が国連軍の指揮下に置かれ ることが明記され、また、「仮に政治会議の開催から 90 日間が経ってもその成果を見込め ない場合、米韓両国の代表団は同会議から撤退し、その後、米韓両国は、統一された自由 独立の韓国を成立するための方策を協議する」と政治会議の失敗に伴う戦闘行為の再開を 主張する韓国側の要求がひとまず抑えられたことも、韓国の単独行動を心配していた米国 からすれば、大きな収穫であったことに間違いないだろう。

一方、米韓相互防衛条約の中に、ダレスとの協議過程において李承晩が主張し続けた米 国の自動的な介入を規定する条項が盛り込まれることはなかったものの、共同声明に「共 産側による韓国への武力攻撃があった場合、国連軍司令部は迅速かつ自動的に反撃する」

とされ、米国による事実上の防衛コミットメントが表明された。しかも共同声明には、「米 上院が、来年 1 月に会期が始まると米韓相互防衛条約への批准に向けて積極的かつ賛同的 に動く」とされ、米議会からの同条約への支持も盛り込まれており、李承晩からすれば、

この共同声明の成立とともに、仮調印とはいえ米韓相互防衛条約の締結に漕ぎ着けたこと は、韓国の安全保障にとって少なからぬ成果であったと評価できよう。

同条約の条項をめぐる米韓協議において、李承晩が「日本」というファクターを常に意 識していたことは注目に値する。彼は、米韓相互防衛条約が、共産側からの侵略だけでな く、日本からの侵略に対しても適用されるべきだと主張し、日本からの侵略に対する警戒 心を明確にした。また、米軍の駐留を規定した日米安全保障条約にも触れ、李承晩は、在 韓米軍の駐留に関する条項を米韓相互防衛条約に設けるよう要請した。これを米国側が受 け入れ、第 4 条には「アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を、相互の合意により定める ところに従って、大韓民国の領域内及びその附近に配備する権利を、大韓民国は許与し、

アメリカ合衆国は、これを受諾する」とされ、日米安全保障条約の第 1 条の中の米軍配備 に関する文言がそのまま盛り込まれた。さらに、条約の有効期限について李承晩は、米国 の主張する「いずれかの一方による通告から一年後に終了する」のではなく、日米安全保

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