第一節 米韓相互防衛条約の批准書交換の延期
一 共産側の敵対行為の再開への対応
1953年10月1日、正式に調印された米韓相互防衛条約に対して、翌年の1954年1月に は米韓それぞれの議会において批准が行われた。同条約が発効されるには、批准書の交換 という手続きだけが残されていたのだが、同年3月と5月、2回にわたってこの手続きを完 了させる機会があったにもかかわらず、最終的に同条約が発効されるのは11月のことであ る。米韓相互防衛条約の発効が遅れた背景には、休戦をめぐる交渉が始まって以来、米韓 両国の間で引きずられてきた様々な問題をめぐるそれぞれの食い違った思惑があったので ある。
本章では、米韓相互防衛条約の発効に至る過程において、前章で言及した政治会議の開 催を含む休戦協力への条件をめぐる議論がどのような展開を見せ、最後はどのような形で 収斂していくのかを追うことにする。この際注目に値するのは、ジュネーヴ政治会議の開 催と失敗に関連した米韓それぞれの動きである。結論からすれば、政治会議の開催に向け た試みが活発になるにつれ、韓国政府の反発は激しくなり、それが米韓相互防衛条約の批 准書交換の延期に大きく影響していた。一方、同政治会議の失敗を、米韓関係を再定義す る絶好のタイミングとして捉えた米国政府は、両国が抱えている懸案を一気に解決しよう と試みることになり、この過程で韓国に提示されたのが「米韓合意議事録」であった。議 事録への同意と同時に米韓相互防衛条約の批准書の交換も行われることになるが、ここで は両者の関係を再考する。
ところで、休戦後の対韓政策の全般に関する検討作業の過程で策定された NSC 170/1 の なかに、共産側による敵対行為が発生した場合に取るべき軍事及び外交手段が盛り込まれ ていなかったのは前述のとおりである。その後統合参謀本部は、共産側による戦争再開に 伴って米国が取るべき軍事的手段を再検討し、その結果をほぼ 1 カ月かけて練り上げた。
共産側が朝鮮半島で敵対行為を再開した場合、統合参謀本部は、①原子力兵器を利用して 中国、満州、朝鮮半島のそれぞれの標的に対して大規模の航空作戦を遂行し、また、朝鮮 半島の敵を滅ぼすために、陸・海・空軍の間の共同作戦を通じて得られた戦果を拡大させ るとともに、②その後、発生しかねない朝鮮半島とその周辺における緊急事態に対応する ため、どの程度の軍事増強が必要なのかについて議論することを、直ちに取るべき最善の 行動方針として提示した。
さらに、このような「軍事的措置」は、①韓国の努力に応じて共産側の実働部隊を滅ぼ す、②敵が朝鮮半島と極東に対してこれ以上侵略することができないように、その能力を 封じる、③増強された韓国軍が韓国の防衛に対して全ての責任を果たせるような状況を作
る、④西側の国々と連携し、独立した統一韓国を樹立するための状況を作る、といった「軍 事目的」に資するべきと主張した1。
この統合参謀本部の検討結果は、国家安全保障会議での議論に先立って予め検討できる よう、1953年11月27日、国務省に送られた。国務省が、統合参謀本部の提示した米国に よる軍事行動の対象と手段に対する政治的含意を評価する際、最も憂慮したのは、ソ連の 軍事介入の可能性であった。統合参謀本部の草案を検討したボーウィ(Robert R. Bowie)
政策企画室長は、統合参謀本部案の最も重要な問題点として、統合参謀本部が攻撃を意図 している地域とターゲットの一般的性格が明確でないことを指摘した上で、「統合参謀本部 の提示した行動方針は様々な形態の攻撃手段を使うことが想定されており、そのため日本 と沖縄にある米軍基地に対してソ連が攻撃を行うリスクがある」と危惧した2。つまり、ボ ーウィは、統合参謀本部の勧告した行動方針が攻撃対象と攻撃手段を限定していないため、
ソ連の介入をもたらし、全面戦争へエスカレートする可能性が濃厚であると指摘したので ある。
さらに、統合参謀本部の提示した「軍事目的」についても、ボーウィは「米国の一般目 標として直ちに採択すべきだと勧告しているのか、それとも共産側が敵対行為を再開した 場合だけに該当する目標として提示しているのかが曖昧である」と主張した。あたかも、
米国が朝鮮半島において敵対行為を再開してまで、この「軍事目的」を追求すべきだと解 釈される余地があると考えたボーウィは、以上の事項を統合参謀本部に質すようダレス
(John F. Dulles)国務長官に報告した3。
1953年12月3日の第173回国家安全保障会議においてダレスは、統合参謀本部の勧告案 の政治的不利益を指摘して辛辣な批判を加えた。会議の冒頭、「米国の軍事目的と行動方針」
に関するラドフォード(Arthur W. Radford)統合参謀議長の口頭報告が行われた後、ダレ スは「統合参謀本部の計画は中国、延いてはソ連との全面戦争を想定している」と指摘し た上で、ソ連との全面戦争に参戦することを望んでいない同盟国や西側の国々から米国が 孤立してしまう恐れがあることを理由に、さらなる検討が必要であると主張した。その一 方でダレスは、「国連軍と米軍は、ソ連の介入の可能性を最大限低下させる方向で行動する ことができるはず」とも強調し、ソ連の介入の危険性を恐れずに行うことができる行動と して、①中国沿岸に対する封鎖、②中国沿岸周辺の島嶼のうち、海南島を優先的に奪取す
1 Memorandum by the JCS to Wilson,“U.S. Course of Action in Korea,”November 27, 1953, FRUS, 1952-1954, vol. 15, pt. 2, pp. 1626-1629.
2 具体的にボーウィは、攻撃対象ごとにソ連の介入を引き起こす可能性を以下のように分析した。
米国の攻撃対象 ソ連による反撃の範囲
空軍基地、兵站線、北朝鮮に移動する中国軍 在韓米軍基地に限定
中国の主要都市 日本と沖縄の米軍基地にも及ぶ可能性
旅順港と大連 日本と沖縄にある米軍基地
ウラジヴォストークとソ連の極東地域 第三次世界大戦へ拡大
3 Memorandum by Bowie to Dulles,“JCS Memorandum: U.S. Course of Action in Korea,”December 3, 1953, FRUS, 1952-1954, vol. 15, pt. 2, pp. 1634-1636.
ることを、新たに提示した。
これに対してラドフォードは、「そもそも戦争が再開された時の我々の立場を予想するこ とは不可能であり、そのため共産側の攻撃に対応するための長期にわたる軍事計画を立て ることは容易ではない」と応え、統合参謀本部の計画があくまでも開戦初期の中国からの 攻撃に即刻対応するためのものであることを強調した。一方、米国が追求すべき目的に関 してラドフォードは、「統合参謀本部がいくつかの仮定を設定したことは本筋から脱線して いる」とした上で、「開戦初期には全ての力量を動員して共産側の攻撃に対応しなければな らないが、それ以降の目的に関する輪郭を描くのは軍部の役割ではない」と述べ、軍事目 的を開戦初期のものとして限定する必要性を認めた。
ところが、同盟国らに米国の見解を共有してもらうための時間的余裕が必要であるとの 観点から、「共産側からの攻撃を受けて自動的に全面的な軍事行動で対抗する権限を軍に与 えるのは危険である」と主張するダレス、「部隊の安全を確保する義務を背負っている野戦 の指揮官たちを多くの制約で縛るのは危険である」と反発するラドフォードとの間で統一 見解がまとまる気配は見られなかった。そこで、アイゼンハワー(Dwight D. Eisenhower)
大統領は、「ダレスとラドフォードのそれぞれの立場の間に根本的な違いは存在しない」と 議論をまとめながら、「国務省と統合参謀本部が共同でさらなる検討を行った上でその結果 を反映する」ことを提案した。結局この会議では、今後、国務省と統合参謀本部が上記の 議論を踏まえて検討を行い、共産側が朝鮮半島で敵対行為を再開した場合における軍事目 的と主な行動方針に関する修正報告を、1954年1月1日まで作成することが決定された4。
この会議での決定に基づき、統合参謀本部は 11 月 27日の草案に修正を加えた案をまと めた5。「共産側が敵対行為を再開した場合、米国がとるべき初期軍事目的(initial military objectives)と主な行動方針」と題したこの修正案では、まず、文書名からも分かるよう に、「軍事目的」に対する国務省からの指摘が反映された。つまり、統合参謀本部が勧告す る米国の軍事目的は、今すぐ採択すべき一般目的ではなく、あくまでも共産側が敵対行為 を再開した場合における「初期」のものとされ、当初草案に盛り込まれていた「西側の国々 と連携し、独立した統一韓国を樹立するための状況を作る」との内容が削除された。
ところが、このような初期軍事目的を達成するために統合参謀本部が提示した「行動方 針」の中では、積極的な軍事行動の色彩がより鮮明に打ち出された。というのも統合参謀 本部は、草案の内容をそのまま踏襲した上で、中国側の戦争遂行能力を低下させるための 追加措置として、ダレスが提示した中国の沿岸部に対する封鎖と、海南島の優先的な奪取 に加えて、「中国沖合いの島嶼の奪取」と「国民党の軍による中国本土への侵入」が新たに 盛り込まれたのである。
統合参謀本部は、「共産側の韓国侵略の再開に対する積極的な対応によって、第3次世界
4 Memorandum of Discussion at the 173rd Meeting of the National Security Council, Thursday, December 3, 1953, FRUS, 1952-1954, vol. 15, pt. 2, pp. 1636-1645.
5 Memorandum by the JCS to Wilson,“Analysis of Possible Courses of Action in Korea,”December 23, 1953, FRUS, 1952-1954, vol. 15, pt. 2, pp. 1673-1675.