戦前の対タイ文化事業の主要アクターである稲垣満次郎と矢田部保吉は、駐タイ公使と してタイ在任期間が長く、稲垣は絶対王政の王室から、また、矢田部は立憲革命政府から と時代は異なるが、それぞれ時の政権から信頼され、文化事業面でも一定の功績を残して いる。
稲垣満次郎は、「日暹修好通商航海条約」の締結・調印を無事完了し、一時帰国して関 係先に報告を行ったが、伊藤博文首相から、日本・タイ両国間の接近は、フランスの反感 を招く恐れがあると苦言を呈せられた。稲垣満次郎は、日タイの親交関係を維持するため に、日本の世論を喚起する方策として文化事業に活路を見出そうと したと考えられる。稲 垣満次郎が発想した文化事業の主要なものとして、「仏骨奉迎事業」と「タイ皇后派遣学生 の日本留学」について、それぞれ第3章および第4章において分析・検討を行った。
「仏骨奉迎事業」については、稲垣公使は、インドで発掘されタイ国王に寄贈された仏 骨の一部を日本にも分与してほしいと国王に懇願した結果、下賜されることになったので、
日本仏教界に奉迎使節を派遣するよう勧告した。1900年6月に国王から日本仏教界に対し て仏骨が頒与された。紆余曲折を経て、仏骨は名古屋の日暹寺に奉安された。仏骨奉迎事 業は、①日本の対タイ文化事業として最初のものであった、 ②仏骨奉迎使節は、国王から 国賓並みの歓待を受けた、③仏骨を奉安するための日本で唯一の超宗派寺院である日暹寺
(現、日泰寺)を誕生させた、などの特質があ り、日泰寺が文字通り日本とタイ(泰)を
結ぶ日タイ友好の象徴としての役割を果たしていることに大きな意義がある と考えられる。
「タイ皇后派遣学生の日本留学」(留学事業)については、タイのサオワパーポーンシー 皇后の要請に基づき、日本側はタイ人学生男女各4名を受入れ、十分に対応した。稲垣公 使が、1902年 11 月 17 日の国王陛下即位記念祭の時に、皇后に上奏したことが留学事業 の起点であった。稲垣公使は、留学事業に関与していることから、一時帰国中に、菊池文 部大臣をはじめ教育関係者に協力を要請するなど、留学事業の成功に尽力した。また、稲 垣公使は、タイ文部省幹部の日本教育実情調査に協力するなど、教育面での協力を 行った。
これらは、文化協力として意義のある事業であったと言うことができる。
以上 2件の文化事業は、いずれも稲垣公使が、タイ(=現地)で発想したものである。
次に、矢田部保吉は、1928年 7月に特命全権公使としてタイに着任した。1932 年の立 憲革命と翌 33 年 6月のパポン、ピブーンによるクーデターを現地で経験した。矢田部公 使は、国民国家として発展を期す新生タイに対して、同じアジアの独立国として日本こそ 温かいヘルピングハンドを差し延べるべきであり、しかも日本のタイに対する協力が植民 地支配的な支援ではなく、タイの主体的発展のための支援でなければならないと考えた。
タイの現状は、未だ教育も十分に普及せず、民度も低い状態であるから、矢田部公使は、
教育面での協力が重要であると考え、タイの青年を日本に留学させることを発想した 。タ イ(=現地)に駐在していたからこそ、「招致留学生奨学資金制度」(奨学事業)を発想で きたと言える。
「招致留学生奨学資金制度」については、矢田部公使が発想し、名古屋の伊藤次郎左衛 門が実現させたもので、運営母体として、1935 年 6 月に名古屋日暹協会が設立された。
タイ文部省における学術試験で選抜された者が、在タイ日本公使館で、人物考査および身
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体検査を行い、保護者の意向を確認した上で留学生が選抜された。1936年2月に3名が、
37年 4月に 2名がそれぞれ来日し、1939年 12月には、8名が名古屋で留学生活を送って いた。
本奨学事業の特質として、①第1次から第3次にわたる留学生の選考・招致は、計画に 示された手順どおりに公正に手続きが行われており、その過程の透明性は高い、 ②優秀な 学生が来日し、概ね良好な学業成績を残した、 ③奨学事業の運営責任者であり留学生宿泊 寮の寮長でもある三上孝基の存在が重要で、奨学事業成功の大きな要因となった、の3点 が挙げられる。本奨学事業は、タイの文化水準向上を願った文化協力・教育協力であると いう面で意義があると言うことができる。
「仏骨奉迎事業」は宗教面で、「タイ皇后派遣学生の日本留学」、および「招致留学生奨 学資金制度」は教育面で、それぞれ日本・タイ両国間の友好関係を構築し、維持する重要 な文化事業であったと言うことができる。これらの文化事業は、いずれも、その主要アク ターである稲垣満次郎と矢田部保吉がそれぞれタイ(=現地)で発想したものである。当 時の日本外務省(=中央)の意識が欧米重視であったことを考えると、これらの文化事業 を発想し、実現に導いた主要アクターの功績は大なるものがあると評価 し得る。また、「タ イ皇后派遣学生の日本留学」と「招致留学生奨学資金制度」は、タイの文化向上を企図し た文化協力・教育協力という特性を有していた。1930年代半ば以降に実施されたタイにお ける日本語教育事業やその他の文化事業は、日本(=中央)で発想され、日本語の普及ま たは日本文化の宣揚を主たる目的としていたことから、本稿の対象である文化事業は、そ れらとは異質であることが理解できる。文化事業の発想の起点と文化事業の特性との関連 性、――現地で発想された文化事業には、文化協力・教育協力という特性を有していたと いう関連性――について、当該文化事業の分析・検討から検証することができたと考える。
次に、上述の対タイ文化事業を基点として、国際的視座から文化事業を検討し、そのフ ァクター抽出を試みた。その結果、国際文化事業にとって重要なファクターとして、計画 段階での「事業成功の強い意思」および「事業計画案の具体性・現実性」、また、事業推進 組織における「リーダーシップ」、「広範な支援体制」および「事業の選択と集中」、さらに、
実施段階での「プロセスの透明性」、「有能な運営責任者の存在」、「理念の継承」および「見 返りを求めない人助けの精神」等を抽出することができた。これらのファクターは、企業 経営等の事業にとっても重要なファクターであると考えら れるが、とくに「見返りを求め ない人助けの精神」は、国際文化事業にとって重要なファクターであると考えられる。 こ れらのファクターは、社会の変遷や実態を踏まえて分析・検討し、これからの国際文化事 業のあり方を考究するための主要な参考材料になると考えられる。 この点にファクター抽 出の意義があると考える。
活動した時代は異なるが、稲垣満次郎も矢田部保吉も、タイに居住し、タイの発展を望 み、タイのためになるように行動した証左が上述の文化事業である。稲垣も矢田部もタイ に一種の魅力を感じていたと考えられる。その魅力の具現化した ものが文化事業であった と言うことができる。その魅力は、両国間の友好関係の源泉になっていたと 言えよう。
ハーバード大学ケネディスクールのジョセフ・S・ナイ(Joseph S. Nye, Jr.)教授は、
その著書(2004)『ソフト・パワ──21世紀国際政治を制する見えざる力』で、「ソフト・
パワ─とは、自国が望む結果を他国も望むようにする力であり、他国を無理やり従わせる
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のではなく、味方につける力である。375」と述べている。また、
ソフト・パワーは他人を引きつける魅力でもあり、魅力があれば、他人は黙って従 おうとすることが少なくない。単純化するなら、ソフト・パワーとは、行動という 面でみれば、魅力の力である。力の源泉という面でみれば、ソフト・パワーの源泉 はそうした魅力を生み出すものである。376
と述べ、さらに、
国のソフト・パワーは主に三つの源泉によるものである。第一が文化であり、他国 がその国の文化に魅力を感じることが条件になる。第二が政治的な価値観であり、
国内と国外でその価値観に恥じない行動をとっていることが条件になる。第三が外 交政策であり、正当で敬意を払われるべきものとみられていることが条件になる。
377
と述べている。
本稿が対象とした文化事業は、稲垣満次郎、矢田部保吉という二人のタイ駐劄公使が、
それぞれ現地で発想し、実現に結びつけたものである。また、彼らがタイに駐在し、タイ の発展に貢献しようとした活動の一部である。同時に日本への関心や好意をタイ国民に持 ってもらいたいという意図があったと考えられる。ジョセフ・S・ナイ教授によれば、ソ フト・パワーは他人を引きつける魅力であり、味方につける力であるということであるが、
本研究の文化事業は、この「ソフト・パワー」に通ずるものがあると考えられ、その点に 意義を見出せると言うことができる。
今後の課題として以下のことが考えられる。
第 1に、戦前における日本の対タイ文化事業の対象を広げ、発想の起点と文化事業の特 性との関連性を考究し、本研究の有効性を検証することである。とくに、1930年代半ば以 降、日本は国際文化事業を本格的に展開したが、その目的は、海外に対する日本文化の宣 揚であった。その状況下で、「現地発想=文化協力・教育協力」という文化事業を検出する ことができるかが主要な課題である。
第 2に、本研究において抽出された「国際文化事業にとって重要なファクター」の普遍 性を検証することである。本研究では、「招致留学生奨学資金制度」を分析・検討する過程 で、諸ファクターを検出したが、他の対タイ文化事業でも有効であるか検証する必要があ る。その意味では、本研究は、その課題研究の「起点」であると言うことができる。
375 ナイ,ジョセフ・S、(山岡洋一訳)『ソフト・パワー――21世紀国際政治を制する見え ざる力』日本経済新聞出版社、2004年9月 13日、26頁。
376 同上書、27頁。
377 同上書、34頁。