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招致留学生奨学資金制度

ドキュメント内 戦前期日本の対タイ文化事業 (ページ 91-115)

本章では、「招致留学生奨学資金制度」(奨学事業)がどのようにして成立したのかその 過程を解明する。奨学事業は、時間的には 1934年から 1945年までわたり、空間的にはタ イと日本を結ぶ壮大なプロジェクトである。外務省外交史料館には、奨学事業に関する豊 富な史料が残されている。本章では、それ らの史料及び他の関係資料に基づき、奨学事業 の成立過程を解明することが目的である。

第 1節で、矢田部保吉の奨学事業に関する問題提起に対して日本外務省側がどのように 対応したのか、第 2節で、奨学事業の骨格を形成する矢田部試案と名古屋市試案について、

それぞれの試案はどのような意思や考え方に基づいていたのか、第 3節で、奨学事業のた めに設立された名古屋日暹協会がどのような特色を有していたのか、第 4節では、留学生 の選考と招致がどのように行われたのかをそれぞれ分析・検討する。

第 1 節 矢田部保吉の問題提起と日本側の対応

本節では、奨学事業に関する矢田部公使の問題提起に対して、日本外務省側がどのよう に対応したのかを考察する。

当時の日本外交は、アジアにおいては対中国が基軸であり、タイはさほど重要視されて いなかった。そのような状況下で、矢田部 公使は、タイから日本外務省に数多くの情報発 信を行ったが、奨学事業に関する問題提起は、日本の対東南アジア文化事業における先駆 的かつ重要なものであると評価し得る。

矢田部公使は、外務大臣廣田弘毅に宛てた 1934年 9月 24 日付公第 153 号信「留日暹 羅学生ノ為ニスル保護指導機関設置ノ急務 ニ関スル件」において、留学の目的をもって日 本へ渡航するため旅券査証を要求したタイ人学生が前年春以来 25 名にも上っており、日 本留学希望者は今後益々増加するものと予想されるので、本邦において至急適当な保護指 導機関を設置し、タイ人学生に宿舎、希望学校の選択、入学手続、日本語の予習等を斡旋 することが是非必要であり、至急本省当局で具体的に検討してほしいと要請している265。 また、寄宿舎を新規に建設するのは日数もかかるので、差し当たっては、海外教育協会の 施設を利用できるよう当局で折衝してほしいと要請している266。さらに、名古屋の実業家 伊藤次郎左衛門は奨学資金を設定して、タイの学生を招致する計画を持っており、来年初 め頃迄には実現したいという希望である(この件については別紙で詳細に報告の予定)。こ のような事情なので、本件指導機関設定方特別至急ご高配願う267と述べている。この書簡 の末尾部分から、すでに伊藤次郎左衛門と面談したことが明示されている。

東亜局第一課長は、外務大臣、次官、東亜局長、文化事業部長宛に、

本邦ニ留学スル暹羅学生ハ急速ニ増加シツツアリ、之カ指導監督機関設置ノ急務ナ ルコトハ論スル迄モナキ所ナリ、東亜局ニ於テモ文化 事業部等ト連絡シ種々画策シ

265 外務省記録 I-1-2-0-3-1「在本邦各国留学生関係雑件 泰国ノ部」

266 同上書。

267 同上書。

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ツツアル処、何分金銭ノ問題ヲ伴フ故オイソレトハ運ハサル現状ナルカ、然シ何ト カセネハナラヌ義ト存ス268

と解説をつけて、矢田部公使の書簡を回覧している。ここで述べられている金銭の問題云々 は、第1章で分析したように、国際文化事業費予算が極めて少なく、予算枠がないという ことを含意していると考えられる。

前述の公第 153号信に対して、1934年11月 1日に廣田外務大臣は、公第 109号電で次 のように回答している。すなわち、矢田部公使の意見には至極同感で種々画策しているが、

何分にも経費の問題を伴うため急には運ばない状況である。また、海外教育協会と協議し たが、①1935年 1月に開設予定の 90名収容可能な寄宿舎について、同協会は在外同胞子 弟の世話を第一義としており、これに属する申込者数が目下判明しないため、依頼に応じ ることができるか否か断言できない。②各般の斡旋については、同協会は在外同胞子弟の 世話を第一義としている上、当面事務員も少ないため、一般的な要請には到底応じられな い。ただし、留学生の人物、経歴、資力等確実な者を、都度前広に紹介してもらえれば、

出来る限り尽力する、ということで、タイ人学生を 同協会に宿泊させることは難しい実情 である。ついては、貴信末尾の伊藤氏が帰朝の上は同氏とも直ちに連絡を取る予定である

269と述べている。ここでいう「在外」とは、主に中国・満州を指しており、当時の外交の 基軸が対中国であったことが窺われる。

矢田部公使は、廣田外務大臣に 1934年 11月 19日付公第 212号信「留日暹羅人学生奨 学資金設定計画ニ関スル件」270を送っているが、これは当該奨学事業の成立過程において 重要な位置を占めると考えられる。

この書簡の内容は、概ね以下のとおりであるが、文中 先般印度聖跡等歴遊の途次当地に 立寄った名古屋市の伊藤次郎左衛門氏は矢田部公使を来訪の際、当国の内外情勢並びに日 タイ両国関係等について種々談話を重ねた271とあるのは、1934年9月13日のことである

272。矢田部公使は、インド仏蹟巡拝の途中タイに立寄った伊藤次郎左衛門に対して、立憲 革命後 2年以上経過したタイが依然としてイギリスの政治的・経済的な支配を受けている 状況や日本がもっとタイに経済的進出を図るべきであること等を述べた。その上で、 両国 間緊密不離の関係を樹立するためには、タイ国民の対日依存観念一層涵養することが最も 必要で、青年を日本に留学させることが極めて重要であり急務であると説明している。そ のためには、篤志家の出資を仰いで奨学資金を設定して毎年継続的に優秀な学生を日本に 送ることが極めて望ましいと所見を述べて、伊藤次郎左衛門に協力を要請している273。伊 藤次郎左衛門は、これに共感を示し、それは、国家的に意義深いことで、1年 1万円程度 の出費で足りるのであるならば何等難しいことではないと思われるので、タイ訪問の機会

268 外務省記録 I-1-2-0-3-1「在本邦各国留学生関係雑件 泰国ノ部」。

269 同上書。

270 同上書。

271 同上書。

272 長谷川伝次郎(1941)『仏蹟』目黒書店、7頁。

「旅行日誌」の 9月 13日の欄に、「夜は矢田部公使御招待 シャム留学生の事にて御話あ り」という記述がある。

273 外務省記録、前掲 I-1-2-0-3-1。

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を得た記念としてやらせていただきましょう 、と承諾している274。ここに、当該奨学事業 成立の実質的な出発点を見ることができる。この書簡では、さらに、本 件の具体的な計画 が出来たら、名古屋商工会議所会頭岡谷惣助宛送ってほしいと伊藤次郎左衛門から要請さ れたことが書かれている。矢田部公使は、試案を作成したが、計画を実現させるには、文 部当局または各学校当局と打ち合わせを必要とする点やその他検討を要する点が多いと思 われるので、前記の岡谷氏または本年末までには帰国する予定の伊藤氏と連絡をとって、

本件を至急具体化するよう配慮願うと廣田外務大臣に要請するとともに、書簡末尾で、本 件は明年 3月のタイ諸学校学年末に第 1回の選抜が行えるように進めたいので、それを考 慮に入れて進めてほしい275と早急な対応を要求している。矢田部公使の早く実施したいと いう気持ちが表現されていると考えられる。

この書簡に関連して、矢田部公使は、1935 年 2 月 2 日に廣田外務大臣宛に電報を打って いる。矢田部公使は、4 月学年初めの時期に留学生を送ろうとするためには、タイ文部省 との交渉を至急開始する必要があるので、本年度採用人数、第 2 年以後毎年採用人数見込、

被採用者の修業程度標準、学資給与額、留学年限、修業学科、本件実施に関連して特にタ イ文部省側に対し希望する事項等を至急決定してほしいと要望している276

これに対して廣田大臣は、1935 年 2 月 4 日付暗第 30 号で、

貴案ノ如キ支那人以外ノ外国人本邦留学計画ノ実施ニ付テハ種々サマザマノ困難ア リ、目下文部省ト共ニ折角研究中ニテ決定迄ニハ多少暇取ルヘキ見込ナルモ何レ具 体案確定次第電報スヘシ尚伊藤側ヘハ貴電ノ次第ニモ顧ミ当方ヨリ連絡ノ筈277

と、現在文部省と一緒に研究中であり、決定までもう少し時間がかかる見込みで、具体案 が確定次第電報すると回答している。これ一つとっても当時の外務省のアジアに対する主 要な関心事は、中国・満州であったことが推測できる。また、早く実現させたいと思う 矢 田部公使(=現地)と前例のない事例に対しては慎重に進める本省側(=中央)との間に は意識の落差があったと考えられる。

桑島東亜局長は、2 月 8 日に、伊藤次郎左衛門宛に書簡を送り、留日タイ人学生奨学資 金設定に関する矢田部試案を文部省の協力を得て検討してきたが、同案に多少の修正をす れば実施可能の見込みがたち、至急協議をして具体的に進めたいので、本省まで来訪願い たいと要請している278

4 月 8 日付文化事業部の日付印があるメモ279によれば、3 月 30 日に、伊藤次郎左衛門が 外務省を訪問し、本邦におけるタイ留学生の奨学資金 制度設定に関する名古屋市試案を東 亜局長に手交している。この名古屋市試案は、矢田部試案に修正を加えたものである。

外務省は、矢田部試案と名古屋市試案について文部省と協議し、矢田部公使、名古屋市

274 同上書。

275 同上書。

276 同上書。

277 同上書。

278 同上書

279 同上書

ドキュメント内 戦前期日本の対タイ文化事業 (ページ 91-115)

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