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128 今日の資本主義社会では,観光は個人が労働で得た収入を使い,労働とは切り離された 余暇の時間に自らの意思で選択するものだが,多くの場合その対象はメディアや関連企業 によって作り出されたものである.社会主義社会では,観光も党・政府により管理され,

必ずしも自らの意思で選択したのではなく,労働の対価として配給された.中には農業・

建設集団活動のような労働に準じるものもあり,また人々は職場の人間関係を活用して入 手を図る等,観光は労働と区別されずむしろその延長線上にあったと言っても過言ではな い.それでも人々は観光に娯楽や癒しを求めており,この点は両社会に共通した観光の基 底的な内容だと言える.

先行研究では,ソ連政府が観光を社会主義や愛国心や社会主義のイデオロギー普及のた めに使用したことが指摘されていた.これに加えて個人の観光実践にまで踏み込んだ本論 文で明らかとなったのは,ソ連は階層の無い社会であることが建前で賃金も平均化されて おり,それゆえ観光は労働の対価として配給されたが,クロールト旅行等の一部の観光は 権力のあるものから順に配給され国民を階層化する手段としても使われたことである.さ らに,社会主義体制下の観光は労働者の労働意欲を高めることにつながり,また権力上位 の者による特権意識の自己確認を促したことも明らかとなった.結果として観光は,ソ連 国民が国家や社会秩序を肯定し,国家への信頼と帰属意識を高める役割を果たしていたと 言える.一方,資本主義化後は市場経済により社会階層が明確に分化してきており,経済 力に応じた観光を行うことで,富裕な者は自己顕示的消費で他者と自身を差異化する,富 裕でない者は競争意識から他者と同化しようとしており,観光が個々人の社会的地位や他 者への存在感をある程度規定していると言える.このように観光は,政府による国民の階 層化にも,個々人の市場原理に基づいた選択による個人・社会の階層化にも使われたと言 える.

もちろん,資本主義社会も当初は労働と余暇の時間の境界が曖昧であり,19 世紀半ばの イギリスにおけるトーマスクック社の創業も労働時間内の禁酒運動と結びついた団体旅行 商品の開発の発想にあった.加えて,第5 章 4節に記した日本企業における観光の家族的 な経営への活用にもみられたように,観光が取り結ぶ生産と労働,余暇の関係は,資本主 義社会においても変化してきた.しかし,かねてより資本主義社会には明確な社会階層が 存在し,各階層の人々の様々な欲求をくすぐるようにメディアや関連企業によって観光対 象が作られてきた.つまり,市場原理に基づいた観光商品購入による個人・社会の階層化 は資本主義社会に自然発生的に生じる固有の現象だと言える.

ソ連の人々は国内旅行や農業・建設集団活動等を通して他民族との融和や他の組織・地 域との関係を構築した.このことはキルギスにおいては党・政府によるロシア化政策への 一助ともなったが,ソ連時代の個人の経験が物語るのは交流の楽しさだけでなく,身近な 友情の確認,他民族も含めた人脈の広がり,結婚相手との出会い等,観光時における人生 に必要不可欠な人間関係の存在であった.ソ連時代の観光は国によって管理され入手も困 難なことが多かったとはいえ,少数民族であるキルギスの人々にとっては人生の可能性を

129 広げうる点で資本主義化以降よりも観光の重要性は高かったと考えられる.これに対して 資本主義化後の観光には,親類・部族等身近なコミュニティ内相互扶助や,制約から解放 され外部のまなざしから喚起されたキルギス民族のアイデンティティの投影等,キルギス 社会の安定化と新秩序への再構築の役割が課されている.ソ連時代に比べれば資本主義化 以降の観光は,どちらかというと内向きの,キルギス社会内の結束を高める効用を持って いる.これらはポスト社会主義国として旧ソ連の盟主ロシアではなくキルギスを取り上げ た成果である.

本論文はキルギスにおいて社会体制転換に伴う観光の変容を人々の観光の過去の経験と 現代の実践から明らかにした.しかし,本論文には今後取り組むべきいくつかの課題も存 在する.

本論文の中心的課題は観光の動機や社会的機能,観光に与えられた意味であった.その ため,観光を供給する側である,共産党や政府,企業やメディア等への分析・考察には深 入りしなかった.また,本論文でインタビューの対象としたキルギス国民の多くは1960-80 年代のソ連時代経験者であり,社会主義時代から資本主義時代への社会体制転換に伴う彼 らの観光実践を明らかにすることができたが,ソ連時代を経験していない比較的若い世代 のキルギス国民の観光実践まで踏み入ることができなかった.キルギスでも近代化が著し く進む他,グローバルコミュニケーションシステムが社会に浸透したため若者の価値観や 観光行動はソ連時代経験者と異なると考えられる.

以上の残された課題を解明することで,ポスト社会主義国における観光の概念が総合的 に明らかとなり,資本主義国における観光研究の蓄積との間でさらなる比較が可能になる と考えられる.

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