サイモンが意思決定の理論を示して以降、これに立脚または疑問を呈する立 場から、あるいは他分野の理論・法則を転用するなどして、数多く研究が為さ れた。「経営の意思決定」は、経営環境の変化や隣接分野における研究成果な ど、様々な要素を巻き込みながら、経営学で存在感を発揮するようになってい った。
本章は「経営の意思決定」が、どのような展開を見せたのかを記述すること にあてられる。我々の目的は「経営の意思決定」の輪郭を描き出すことにある ので、ここでは、代表的な意思決定の議論をサイモンの理論と対比するという ことも同時に行う。本章には、理論の展開を体系づけて確認すること、サイモ ン理論の深い理解を進めること、サイモン理論を軸とすることの妥当性を確認 すること、という 3 つの使命がある。
4-1 何に注目すべきか?---調査対象の特定
まず、「代表的な意思決定の議論」を選定する。このために行うべきは、意 思決定研究における注目すべきテーマやキーワードの特定である。『経営行動』
以降の研究の潮流を眺め、重要項目を抜き出さなければならない。
本稿はこの「潮流」を、『経営行動』以降のサイモンの一連の業績に求める こととした。サイモンが為した膨大な著作や論文は、一見すると統一感に欠く ように見えるが、然り乍ら一人の人物の提示するコンセプトのもとに構成され てはずであり、このコンセプトこそが意思決定の理論であると考えることは妥 当であるように思える。しかも、サイモンは、経営学のみならず、多様な学術 分野からの知見を自身の研究に取り入れており、その知見においてを経営学に 大きな影響を与え続けている。よってここでサイモンの研究史を追うことは、
「サイモンの意思決定の理論」の発展の軌跡の描出と、本章で取り上げるべき テーマの特定という目的に資するものであろうし、十分な説明になると信ずる ものである。
よって本節では、まず、サイモンの業績を年代順に確認する。そしてその後 に、本稿で取り扱うテーマ等の特定を行う。
34 4-1-1 組織行動から人間行動へ
サイモンは 1930 年代から 40 年代を通じて、組織現象を意思決定過程という 視点から捉えようと試み、意思決定の理論として提示した。その後、この枠組 みを使って古典的経済理論に代わる新たな人間モデル*を構築する作業に取り掛 かるのであるが、そこで着目したのが客観的環境と主観的環境(知覚された世 界)との区別という考え方であった。
サイモンによれば、主観的環境は現実世界の単なる近似ではなく、認知上の 省略と歪みによって現実と異なる空間を構成している。故に人間の短期的行動 を理解するためには33環境についての情報と意思決定者の「知覚された環境」
の両方の理解が必要であると考えた。この「知覚された環境」とは当時「準拠 枠」「役割」「状況の定義」などの用語により理解されていたが、その意味す るところが同一ではなかったため、サイモンは彼独自の視点を通じて意思決定 前提という一つの概念に纏め、特定の意味を与えた。
意思決定前提の考え方を振り返るために、ここで一度、『経営行動』の内容 に立ち返る。意思決定前提とは、「決定のための情報」を意味しており、これ は事実前提と価値前提に分けられる。事実前提と価値前提はハイアラーキーを 構成するから、意思決定前提においてもハイアラーキーが形成される。組織に おいては、各自の決定レベルにおいて、与えられた意思決定前提を基として自 己レベルでの意思決定を行う。意思決定者は自らの決定を次の決定者へ前提と して譲り渡す。かかる過程を経て意思決定前提は一つの関係構造をつくり、組 織メンバーはその前提を媒介として組織行動を形成する。
この概念は、組織行動の解明に留まることなく、社会および人間行動の理解 においても適用できる。サイモンはこの可能性に気付き、意思決定理論を「人 間行動の一般理論」として捉え直すこととした。さらに、その研究の中心を認 知科学へとシフトさせた。人が環境を如何に知覚しているかを理解しているこ とが、人間行動を説明・予測する上で、必要不可欠の前提と考えたからである。
彼にとって認知プロセスは、人の準拠枠に従って環境の情報を選択的に抽出す る過程を意味していた。すなわち、「意思決定前提」によって構成される認知 の準拠枠が、個人と環境の間に介在し、情報の能動的淘汰をすすめると考えた のである。この認知プロセスの解明に始まった 50 年代からの意思決定前提の 議論は、やがて思考におけるコンピュータ・シミュレーションの可能性を拓き、
60 年代および 70 年代の「問題解決理論」へと結実する。そして、この中にお
* 人間モデル 人間モデルは、「各人はどのように行動するか」という問題を扱う。マクロ理 論の多くは実際の人間からかけ離れた理論的前提に立って展開される傾向があるが、サイモ ンはこれを否定し、現実に即した「人間モデル」の上に打ち立てられるべきと主張した。
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けるヒューリスティックスをめぐる認知科学的研究の成果として「人工システ ム科学」という一つの科学哲学として統合されるのである34。
4-1-2 論理的過程への傾倒
研究領域の広がりと「人工性†」への収束
『経営行動』を執筆した後のサイモンは、その研究分野ないしは活動の領 域を、経済学、政治学、認知心理学、人工知能、およびコンピュータ・サイ エンスへと広げた。一見、バラバラにも見えるこれらの研究は「人間は如何 に論理的に問題状況を把握しそれを解いていくのか」という共通の問いにお いて結ばれていた。50 年代後半には、マーチと協力して「人間モデル」のレ ベルから組織理論の再構築し、組織システムの環境適応という動態過程の描 写を行っている。60 年代に入ると、認知科学の成果に基づいて、人間の「創 造的思考」や「科学的発見」という思考のダイナミズムについて論じ始める。
組織が生存・成長のために環境に適応しようとすること、人間が与えられた 環境下で問題を解いていくこと、科学者が自然界に法則性を見出すこと、と いったテーマは、環境とシステム間の適合問題として還元される。すなわち、
環境適応を目指すシステムとしての行動は、「人工性」という一つのコンセ プトのもとに体系化できるという可能性が見いだしたのである。
これらの研究において、意思決定を分析する過程で用いた「手段-目的」
が、一貫して中心概念としての役割を担っていることは注目に値する。サイ モンは、『システムの科学』(The Sciences of Artificial, 1969)出版後の 論文において、物理的、科学的、生物学的、社会的、あるいは人工的かに関 わらず、幅広い範囲の複雑なシステムに二つの共通な性質—--「ハイアラーキ ー(hierarchy)」と「発見的探究(heuristic search)」---があることを明ら かにし、この二つの概念の重要性を世に示した。ハイアラーキーとは「手段
-目的分析」と言い換えられることを考えると、「管理の原理」からここに 至るまで、サイモン理論が DNA として生き続けていると言っても過言ではな かろう。
中心概念としてのヒューリスティックス
ヒューリスティックスとは、「必ず正解にたどりつく訳ではないにしても、
たいていの場合は正解が得られ、簡単に利用可能な、近道として使える一つ
† 人工性 あるシステムが、その置かれた環境に対し、目標や目的を通じて形成されることを 指す。
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の手段」である35。現在の状態と最終状態との差を縮めることを最優先させて いく「手段-目的分析」は、ヒューリスティックスの一つとされる36。サイモ ンは、人間の論理的思考を考察する過程で精緻化されたこの概念を中心に、
各理論に展開した。
ヒューリスティックスを問題解決のメカニズムとして記述しなおすと、
「前の情報において得られた情報を次の探索を誘導するための情報として利 用し、探索そのものを連続的に修正していくもの」であり、これは人間の思 考の中でも論理的過程を扱った一部分であるということができる。また、人 の行動も状況の多様性や変化に応じた適応過程、すなわち論理的・分析的な 過程として捉えられる。70 年代前半までのサイモンの研究は、このヒューリ スティックスな探索過程を中心に行われており、ここから照射される研究の 対象は非論理過程を捨象した論理的メカニズムに限定されたことに特徴があ る。
プログラム化しうる意思決定とプログラム化しえない意思決定
この時期の研究を振り返るにあたって、まず、プログラム化しうる意思決 定とプログラム化しえない意思決定について、再度確認する37。サイモンは、
1977 年発表の『意思決定の科学38』(The new science of management
decision (Revised edition), 1977)において、経営管理者がどのように意思 決定しているか、また将来どのように意思決定するかを議論するにあたって、
意思決定を「それが反復的で常規的である程度に応じて39」区別した。程度が 高いほど意思決定はプログラム化されやすく、程度が下がるにつれてプログ ラム化しえない方向に向かうという。
この分類を振り返るにあたって注意しなければならないのは、この区分が あくまでも程度の問題であるということ40、どちらも意思決定の論理的過程を 扱っているということである。つまり、「プログラム化しえない」という言 葉が持つ印象とは異なり41、アルゴリズムを持たないような非論理的な意思決 定は研究の対象とはされていないのである。ここの主意は、反復的・常規的 でない意思決定であっても、一般的な問題解決の手法、すなわち「手段-目 的分析」を使って意思決定を行うことができること、コンピュータ・プログ ラムと人間行動を結び付けることによって、意思決定過程研究を推進させる 可能性に言及することにあった。
現代的視点から見ると、非論理的過程を捨て置く分析は極めて不十分であ って、この区分自体の役割はもはや大きくはない42。しかし、サイモンの当時 の研究の中心が論理メカニズムの追求にあったこと、ヒューリスティックス