5.1 まとめ
ジャワ語の敬語は複雑であるため、現代のジャワの若者のジャワ敬語運用能力は低下し、
敬語離れが起きていると指摘されてきた。序章では、以下の 3 点を本論文の研究課題として 挙げた。1)若者の敬語運用能力がいかに低下しているのかその実態を明らかにすること、
2)現代ジャワ人の高齢者(78 歳以上)の敬語使用と比較すること、3)ジャワ敬語の丁寧 語化はどこまで進んでいるのか、ジャワ人の若者の間で簡素化したクロモ体やクロモルマ 体の使用はどこまで浸透をしているのかを明らかにすることである。
まず、1 点目の課題から見ていきたい。若者の敬語運用の能力がどこまで低下しているか について、これまでジャワ語の研究者は、若者の敬語使用の能力低下を指摘してきたが、徹 底的な実態調査に基づく研究を行ってこなかった。第 2 章でみたように、いくつかの先行研 究において、ジャワ語の発話レベルの複雑さ、構造や構成、意図や観念、意義などが、言語 学、社会学、社会言語学的アプローチから記述されてきた。しかし、研究対象のジャワ敬語 の使用者である若者に対して、徹底的な敬語実態調査を行う研究はなかった。また、1991~
2016 まで 5 年一度に行われているジャワ語学会においても、ジャワの若者の敬語離れの問 題が指摘され続けた。それにもかかわらず、敬語の運用実態の低下の実態について未だに調 査されていない。こうしたなか、筆者は本論文で若者に対する実態調査を行った。アンケー ト、インタビューや資料を用い、特に若者が示す様々な現象を考察することを試みた。その データを分析した結果は次の 3 点にまとめられる。
第一に、現代ジャワの若者は敬語の運用に対する知識をもっていないのではなく、知識は ある程度もっている。規範的な敬語使用に関して理解していない若者が多く、都市部の一部 の高校生の間で、尊敬語の使用が不規則になっている状況が明らかになった。尊敬語の使用 に関して、大学生と高校生の多くは、最も規範的な文体を使用しつつも、ほかの文体も用い てしまっており、自分が使用する規範的な文体に自信を持っていないことがわかる。この自 信の無さはジョグジャカルタ出身と他州出身の大学生と、都市部の高校生に多くみられた。
一方で、農村部の高校生だけがしっかりとした規範的な文体を使用する傾向があった。規範 的な文体をきちんと選択できない若者は、生活の中で敬語を身に付けなければならず、規範 的な敬語を習得していないことに理由として挙げた。つづいて、謙譲的表現の使用に関して は、規範的ではない表現を使用する若者が多いことがわかった。大学生と高校生も、地方に よって結果が大きく分けられた。大学生をみてみると、ジョグジャカルタ州出身の学生は他 州出身より謙譲的表現の使用能力は高かった。さらに、ジョグジャカルタ州の高校生をみて みると、都市部の高校生より農村部の高校生の方が、謙譲的表現の使用能力がはるかに高か った。これはシマルマタ(2014a)の一回目の認識調査で明らかにしたことと関連する。つ まり、学生は学校でジャワ語を学ぶよりも、近所の付き合いや日常生活から敬語を身に付け る。農村部では家庭で会話するとき、ジャワ語のみを用いる高校生が非常に多いが、都市部 の高校生は家庭で会話する際、インドネシア語かジャワ語の N 語のみを用いる高校生が多
156
い。この結果をみると、都市部の方が農村部よりも、ジャワ語の敬語離れが進んでいること がわかった。
第二に、地位と年齢が自分より上の者と話す際に、K 体で話そうとしている若者は多い。
その際、本来の規範的な発話レベルでは、敬意を表す最も丁寧な文体 K 体を用いるべきであ る。しかし、現代の若者は K 体の誤使用を回避するために、別の選択をしている。それは K 体より丁寧さが少し劣る、準丁寧なマディオ体を使うという方法である。この準丁寧という のは、丁寧さを少し下げることによって、親しみを表わすという若者の考えから出たもので ある。年齢が離れても、より近い距離を求める若者が増えている。使い方は、例えば、相手 の行為を指す動詞のみを K 語にすることによって、あるいは、文体を全体的に M 語にする ことによって、親しい関係をアピールしながら無礼のない準丁寧に会話するというもので ある。
第三に、簡素化したクロモ体とクロモルマ体の使用が見られることである。筆者は 2014 年に行った調査で、上記の二つを初めて耳にした。そこで、本論文では調査をさらに行い、
簡素化したクロモ体とクロモルマ体が若者の間にいかに普及しているのか調べた。ほとん どの若者と教師は、簡素化したクロモ体というのは知っていたが、クロモルマ体というのは あまり知らなかった。つまり、K 体を話そうとしている際にインドネシア語にコードスイッ チングやコードミキシングをするジャワ人は多いが、パターン化した K 体はまだ普及して いないことがわかった。このように現代ジャワの若者の間では、簡素化したクロモ体という 新しい敬語へと移行していく可能性が指摘できる。
以上三点から、若者の間では丁寧さが伝われば十分だとされており、敬意よりも丁寧さを 優先することが明らかとなった。この結果から、若者の間に丁寧語化が広がる傾向が見られ るといえるのではないだろうか。
つづいて 2 点目の課題について見ていく。大学生と高校生は、確かに高齢者に比べて敬語 運用能力が低いが、高校教師に比べると実はそれほど差がないことが明らかになった。もち ろん敬語運用能力は教師の方が高いが、誤って用いている教師が十分にいる。調査対象の若 者は 1992~1998 年に生まれで 16~22 歳、教師は 1954~1984 年生まれで 30~60 歳である。
つまり、ここからわかるのは、教師はインドネシア独立後に生まれ、小学生の教育語はすで にインドネシア語であったということである。一方、インドネシアでは、地方語の教育は 1987 年から地域科カリキュラムとして定められた。すなわち、教師は学校でジャワ語の教 育を受けたことはない可能性があり、家族や地域との関わりの中でジャワ語を学んだだけ であった。1987 年以前にも、学校によっては、生徒にジャワ語を教える学校もあったが、
これは義務科目としてではなく選択科目として行われていたため、参加する生徒も少なか った。
一方、調査を行った村の高齢者、特に 78 歳以上で、1936 年の以前に生まれている高齢者 は、オランダの占領時代に生まれたため、(オランダの宣教師学校に通っていた高齢者はい たが)通常の学校の教育はほとんど受けなかった。学校はオランダ政府に制御され、教育を
157
受けることができたのはオランダ人とごく少ないジャワ人の上流階級のみであった。学校 教育を受けられるようになったのは、日本の占領時代のときだが、高齢者の話しによると、
学校での使用言語はインドネシア語ではなく、ジャワ語であったという。このように、高齢 者がジャワ敬語を規範的に使用できたのは、親の教育のみならず、学校教育と育てる環境の 影響でもある。
次に 3 点目の課題について見ていく。本論文では、現代ジャワの若者が、敬意を表わすた めに、簡素化したクロモ体やクロモルマ体、インドネシア語へのコードスイッチングしてい ることを明らかにした。特に簡素化したクロモ体は若者だけではなく、教師たちにもすでに 知られて使用されている。このような表現は先行研究の中では論じられておらず、本論文が 注目する重要な点であるといえる。特に簡素化したクロモ体は若者が生み出した若者なり の新敬語として考えられる。一方、調査結果からは、クロモルマ体の言葉自体は、まだ普及 はしていない。しかし、調査対象の大学生、高校生、教師たちの回答をみると、少なくとも 2 割が、クロモルマ体を聞いたことあると答えており、クロモルマ体の存在は明らかだとい える。
5.2 今後の課題
本稿では、丁寧語化の現象が現代ジャワの若者の間に見られることを報告した。井上
(1999)は日本語にも同様の傾向があることを指摘している。井上(1999:120)は、謙譲語 を尊敬語として用いるのは誤りであると気付いている人は圧倒的に多く、現代敬語で最も 注目されている現象だと述べている。このことは、まさにジャワ語の敬語使用にもみられ、
都市部の高校生は、自分に対して尊敬語を用いることが極めて多い。謙譲語の丁寧語化に関 しても、井上は、テレビの司会が「どなたが出ていらっしゃいますか」と、正しい敬語を言 わずに「どなたが出てまいりますか」と言ってしまい、ゲストを迎える例を挙げている。以 前はこのような言い方は誤用であったが、現在は単に文章全体を丁寧にしようという意図 だとし、これを慣習として認めることになった(井上,1999:134-136)という。
本論文 3 章の問 4 の分析からは、敬うべき相手に敬意を表す Ki 語を使用する若者は、確 かに一定程度いるものの、準丁寧の M 語を使用する若者が少なくないことが明らかになっ た。さらに、都市部の高校生については、N 体を使用する生徒も一定程度みられた。また、
4 章の簡素化したクロモ体についての分析からは、K 体にインドネシア語を混ぜて話すとい う新しい体を、若者が十分に丁寧な話し方として好んで用いていることが明らかとなった。
筆者は、この現象をジャワ語の丁寧語化ではないかと疑問を抱いていたため、このデータは 納得の結果であった。インドネシア語では丁寧語 kata sopanと敬語kata hormatは混同さ れている。そのため、インドネシア語を頻繁に使用するジャワ人の若者たちは、ジャワ語を 話す際に、敬意を表す表現ではなく丁寧さが伝わる表現であればよいと認識するようにな っていると考えられる。このように、敬語が発達しているとされる日本語およびジャワ語に おいて、敬語の丁寧語化が広がる傾向が見られる。このことが何を意味するのかについては