• 検索結果がありません。

紛争予防と「保護する責任」

 紛争予防とは、武力紛争の発生・拡大・再発を予防または防止することである。国連の本来 の目的は国家間紛争の予防・防止だったが、冷戦終結後、国内紛争も国際社会が対処すべき問 題とみなされるようになった。そのため、紛争予防には長期的かつ一貫した取り組みが必要と され、紛争発生前の予防・防止のみならず、紛争後に国内秩序を回復し、紛争の再発を予防す る「平和構築(peace-building)」も含まれる。また、紛争予防の手段は「構造的予防(structural  prevention)」と「実践的防止(operational  prevention)」に大別できる。前者はそもそも紛争 の発生し難い環境を整える長期的取り組み、後者は紛争の差し迫った状況において紛争の発生 を防ぐ、あるいは紛争発生時にその拡大を防ぐ短期的措置である。

 紛争予防と「保護する責任(R2P)」は似て非なる概念である。R2P の対象事態は重大な人道 危機に限定されるが、紛争予防はより広く、紛争一般を対象とする。もちろん、人道危機は紛 争下で生じる場合が多いため、両者には一定の連続性があるが、人道危機は紛争下でなくても 発生しうる。他方、両者のアプローチや手段は重なる部分が大きい。例えば、介入と国家主権 に関する国際委員会(ICISS)報告書[資料 8 ]は R2P を「予防・対応・再建」という三段階 に分けたが、これは紛争の発生・拡大・再発の予防という三つの局面と概ね重なる。また、潘 基文のR2P に関する国連事務総長報告書(R2P 報告書)[資料 16,  19‑23 ]が取り上げている 様々な手段は、基本的に紛争予防の手段の焼き直しである。ただし、人道危機と国内紛争は発 生のメカニズムが異なるため、その手段の使い方については相違が生じうる。

 冷戦終結後、旧東側諸国やサハラ以南アフリカにおいて国内から生起する紛争が続発したこ とを受け、ブトロス=ガリ国連事務総長は、安保理の要請に基づいて『平和への課題』[資料 66 ]を提示した。予防外交や平和構築と並んで平和強制の実施をも勧告する同報告書は、冷戦 後の国連の役割に対する楽観的な期待を反映しており、その後のソマリアやルワンダ、ボスニ アでの失敗を受けて、『平和への課題・追補』[資料 68 ]において平和強制を事実上断念すると いう方向修正を余儀なくされる。それでも『平和への課題』が、国連の活動の大きな方向性を 示したことには大きな意義があった。初の予防的な国連平和維持活動(PKO)である国連予防 展開軍(UNPREDEP)の派遣[資料 69 ]は、例外的な事例にとどまったとはいえ、同報告書 が示した方向性の一つの帰結と呼べよう。その後、紛争予防については武力紛争の予防に関す るカーネギー委員会(CCPDC)報告書[資料 70]が構造的予防と実践的防止の区別を提示し、

またブラヒミ報告書[資料 72]が大幅な PKO の増強を提案し、『平和への課題』で提案された 諸概念は徐々に精緻化、具体化されてきている。

 2000 年のブラヒミ報告書で平和活動における平和維持と平和構築とのリンケージを重視する 必要性が指摘されたことや、ICISS 報告書[資料 8 ]で R2P が予防・対応・再建という 3 フェ

126 第 3 章 紛争予防と「保護する責任」

ーズにおよぶパッケージとして認識すべきと打ち出されたことは大きなインパクトをもった。

2001 年の紛争予防に関する報告書[資料 73 ]でアナン事務総長が述べている通り、国連が対 応の文化から予防の文化へと移行するのに伴い、R2P における予防・再建の在り方が追求され た。具体的成果は 2005 年の平和構築委員会設立決議[資料 77 ]採択である。2004 年のハイレ ベル・パネル報告書[資料 74 ]を受けてアナン事務総長がまとめた報告書[資料 75 ]で提言 されたものであり、R2P の「再建する責任」を追求するうえでもフォーカルポイントとなる組 織である。ただし、紛争予防・平和構築の追求が R2P の「構造的予防」「実践的防止」といか なる相互関連性を有するかについてはこの時期まだ検討の緒に就いた段階だったといえよう。

 2009 年に潘基文事務総長がR2P 報告書[資料 16 ]を提出して以来、R2P の具体的な実施方 法に関する議論が蓄積され、紛争予防との関連も明確化されてきている。まず、同報告書が、

2008 年のケニア危機への対処を例に、非強制的な措置(実践的防止)の重要性を指摘している 点は注目される。他のR2P 報告書[資料 86 ]でも、その対処が繰り返し言及されるなど、実 践的防止は R2P の実施上、重要な要素とされている。他方、より長期的な紛争予防(構造的予 防)という観点から、PKO と「平和構築」活動の統合[資料 84 ]や「法の支配」の確立(国 際刑事裁判など)[資料 88 ]の重要性も指摘されている。近年、紛争予防活動の多様化・長期 化が進み、包括的な戦略が求められる中、紛争予防と R2P の密接な関係は自明になりつつある が[資料 91 ]、両者の目的と手段の相違に関する議論はまだ不十分であり、両者をいかに効果 的・効率的に実施していくかという課題は残されたままである。

第一の国連 第二の国連 第三の国連

時期①

安保理決議(ICTY の創設、

ICTR の創設、国連予防展 開軍の派遣)

ICC ローマ規定

『平和への課題』

『平和への課題・追補』

CCPDC 報告書 ブラヒミ報告書

時期②

世界サミット成果文書 安保理決議(平和構築委員

会の設立)

アナン事務総長報告書 潘基文事務総長報告書 ケニアに関する声明 キャップストーン・ドクトリン

法の支配に関する覚書

ハイレベル・パネル 報告書

時期③

平和構築の見直し 総会決議(法の支配に関す

る宣言)

安保理決議(紛争予防)

潘基文事務総長報告書

『新パートナーシップ基本方針』

「扇動の予防・防止」

「分析枠組み」

IPI 報告書

第 1 節 2001 年以前

 R2P 論は、人道危機が発生した段階での介入を正当化する論理として捉えられることが少な くない。しかし、序章第 2 節および第 3 節で示されたように、人道危機が発生する前にこれを 予防することは R2P の不可欠の一部であり、ICISS 報告書[資料 8 ]が述べるように、予防は R2P の最も重要な次元ともいえる。また、紛争予防は、介入に消極的・否定的な諸国に対して R2P を受け入れやすくさせるという側面ももっており、今後も両概念は、重なり合いつつも異 なる方向性を内包する関係のまま議論がなされていくと考えられる。

 国連においては、既に 1960 年にダグ・ハマーショルド(Dag  Hammarskjöld)事務総長が南 アフリカ問題に関して予防外交(preventive  diplomacy)という語を用いており、冷戦後に多 くの紛争が国内から生起するに及んで、予防の重要性が再確認された。ブトロス=ガリ(Boutros  Boutros-Ghali)の『平和への課題』[資料 66 ]で平和構築や平和強制とともに予防外交が提唱 されたことは、この概念が注目され、また実際の取り組みが行われる重要な契機となった。た だし、続発する人道危機への対応の必要性から、ここでもより国際社会の注目が集まったのは 平和強制の面であった。予防の重要性が真に痛感されるのは、ソマリアやルワンダやボスニア で PKO が失敗し、国際社会の関与にもかかわらずジェノサイドや民族浄化という極めて深刻 な人道危機を止めることができないという事態を受けてのことである。

 他方で、旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(ICTY)およびルワンダ国際刑事裁判所(ICTR)

の設立[資料 67 ]は、人道に対する罪や戦争犯罪の容疑者を国際法廷の場で訴追することを可 能にした。これらは国際社会が止めることができなかった人道危機に対して、せめて事後的に 当事者の責任を問おうとしたものであるが、こうした実践の積み重ねによって、新たな戦争犯 罪を予防することも期待されている。さらに国際刑事裁判所(ICC)の設立[資料 71 ]は、恒 常的な国際法廷によって、人道に対する罪や戦争犯罪の訴追が確実に行われる体制を目指すも のであるが、一方で、国内法廷の補佐的な役割にとどまる点や条約方式ゆえの弱点も存在する。

この面での法の支配の確立はまだ緒に就いたばかりであるといえよう。

【資料 66 】ブトロス=ガリ国連事務総長報告書『平和への課題』UN  Doc.  A/47/277‑S/24111

(1992 年 6 月 17 日)

42.もしも平和的手段が失敗した場合には、「平和に対する脅威、平和の破壊または侵略行為」に対 抗して国際の平和と安全を維持あるいは回復するため、安全保障理事会の決定に基づいて憲章第 7 章で規定された措置を取るということが、憲章に示された集団安全保障の概念の真髄である。安 全保障理事会はこれまではまだ、そうした措置のなかでも最も強制的なもの、すなわち憲章第 42 条で想定されたような軍隊による行動は取っていない。安全保障理事会はイラク・クウェート両 国間の紛争にさいしては、理事会に代わって措置を講じる権限を加盟諸国に与えるという方法を 選んだ。しかし憲章は詳細にわたる取り組み方を規定しており、この点についてはいまやすべて

関連したドキュメント