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ドキュメント内 教化研究 No.05 (ページ 89-96)

‑一 Z

lこ う は の

「 で 准 は ( な て い ら か し と

て)党本を検ずるに︒覆肩

衣の名無し

︒ ﹂

と註をつけて

いることから思うに︑インドに於いては︑覆肩衣と言う

物があったのではなく︑皆︑僧祇支と呼ばれる物で訳語 が覆肩衣であると理解すべきであろう︒阿難尊者因縁の

覆肩の衣は︑右肩僧祇支と呼ぶべき物と思う︒これとは

別に中国に至りて覆肩衣が出来たと考えたい︒

一 一

ネタ/29 

+ +l ‑ o o 

﹃大宋僧史略﹄巻上に﹁後説の宮廷の人が︑僧の自窓

の日に偏担右肩なるを見て︑一

つの

一肩衣を施した︒

これ

を編杉と言う︒両肩に衿と袖をつけて僧祇支の体裁をな

くした︒これは親より始められた

︒ ﹂

(意

訳)

﹃翻

謬名

集﹄巻七僧祇支の項にも竺道祖の伝を引いて﹁親

の時

代︑

7 9   ‑

僧を宮廷内に請して自窓せしめた︒宮廷の人︑僧の編担

を見て好とせず︑衣を作って僧に施した︒つまり左辺祇

支上につなぎあわせて︑これを偏杉右辺と称した︒今僧

祇支の名を隠して︑しかも両袖をあわせ呼んで偏杉と言

ぅ︒作る時は後ろを開いて領(えり)をぬいととのえる

べきである︒

これは本来の方式を残すためである

︒ ﹂

(意訳)また﹃韓民要覧﹄巻上偏杉の項にも同文を載せ

﹁今脊を開いて領を接するは︑蓋し貌制の遣なり

︒ ﹂

して後競の時代に偏杉が作られたとする︒ここに言う親

は皆後貌(西貌ともいう紀元五三五

1

五五六)の事であ

り︑この王朝の諸王が仏教に帰依していたと言う事が義

註別海の﹃悌教標峨義築註﹄巻之中に詳しく述べられている︒

2

﹃ 悌

制比

六物園﹄にも﹁中国の往古は僧祇支を服してい

た︒

後親の時に至り︑始めて右袖を加えて両辺を縫い合わ

せ︑これを偏杉と言った︒領(えりくび)より載(た)ち

て裾を聞き元の形を残す︒

故に

偏杉

左肩

が本

当の

僧祇

支で

偏杉右辺が彊屑であることがわかる︒

今人

此に迷う︒

偏杉

の上にまた彊屑を加えたのである︒

律を

学ぶ

者は

︑必

す翠

するべきだと思う

︒﹂

(意訳)としている︒

以上の事から中国の習俗から片肌を脱ぎて素肌を見せ

ることが嫌われ︑右肩を隠す偏杉右辺と称する覆肩衣が

作られ︑僧祇支の上に覆肩衣を重ね合せて二衣が出来た︒

ここに両肩が隠されそれぞれに袖が付けられ僧祇支の体

裁が崩れ︑その名も偏杉と変っていった︒両袖が付いた

にも拘わらず︑その成り立ちが重視され偏杉と呼ばれた

事がわかる︒その上に︑律を学ぶ者はこれを服着せよと 言うのは︑この衣が元は仏の制聴の袈裟から起こっているからであり︑ここを重視しなければならぬとするものであると理解したい︒

一 一 一

裾 許

梧は﹃望月例教大辞典﹄裾の項の如く︑浬繋僧︑泥恒

僧と作り下棺︑内衣とも訳すとされる︒

﹃十

請律

﹄︑

﹃南海寄錦内法侍﹄︑﹃大唐西域記﹄から梧

が聴衣とされた因縁とその量︑そして布や粗末な絹の生

地を壁を作りて腰に付け︑別紐にてしばったものであろ

うことがわかる︒しかし︑中国にては壁の数︑量の大小︑

製の単複については意に任せていたと察せられる︒

詑お尼僧の梧については︑﹃南海寄館内法侍﹄に﹁唯々梧

の細かい処に僧と尼僧の違いがある︒尼僧の梧は党語で

は倶蘇浴迦と云ふ︒訳して篇(せん)衣と言う

︒﹂

(意

訳)として︑比丘と比丘尼の槍には形に違いがあるとし

﹃望月例教大辞典﹄の摺の項の如く︑この倶蘇

洛迦は阪修羅

W C E E

のことで篇(せん)衣と訳される︒ ている︒

この篇の字から竹寵の様に筒状に出来ていたものと想像

でき︑比丘のものは巻スカートの様であるのに対して比

丘尼のものはスカートのように筒状に出来ている物をは

いたのではないかと考えられる︒因みに現代中国語でも

梧子と書いてスカートを言っている︒

現在の我が国に於ける編杉・裾

偏杉という字は︑資料に使用した諸本ともにんべんの

偏を使用しているのに対し︑﹃法服格正﹄と﹃新訂浄土

宗法要集﹄は︑ころもへんの編の字を使用している︒漢

和辞典の﹃大漢語林﹄には︑ころもへんの編杉をのせ︑

﹁僧侶の衣服の

ご︒

として記載されている︒僧侶の衣

服を現わすことを考えれば︑ころもへんの編杉が適して

いるのでこの字を使用すべきではないかと思う︒

現在の仏教界に於いて編杉・梧はどのように使用され

ているのであろうか︒南都の東大寺︑薬師寺︒天台宗︒

真言宗の高野山︑豊山派︑智山派︒真言律である霊雲寺

派に問合せて見たところ︑日常的に使用している宗派は 真言律の霊雲寺派だけである︒南都の東大寺︑薬師寺︒

真言宗豊山派︑智山派に於いては使用されることは無い︒

もしくは︑個人的には使用されることであるとのことで

あった︒天台宗と真言宗の高野山では日常的には用いな

いが︑特別な折には着用されるとのことである︒

この

別の折というのは︑授戒や特別の行︑高野山ではこれに

加えて︑加行の折など受者が着用しているようである︒

まれに天台宗︑真言宗高野山では伝戒者である︑大阿闇

梨が着用することもあるとのことであった︒また︑先に

上げた︑まれに使用されことがあるとしたのは真言宗豊

81 

山脈で︑自行の折で有ると一言う︒編杉・梧は各宗とも次

第に使用されることがなくなりつつあり︑使用されると

しでも自分自身の行︑つまり︑自行の折着用されている

のが現状の様である︒天台宗では写経会の折︑着用され

ることもあるようであるが︑これも化他行というより自

行の範囲であると考えたい︒

以上の事から︑先に述べたように︑編杉・棺は仏の制

聴の衣として伝えられ︑自行の衣服として使用されてき

たので︑律家では特に重視されたのではなかろうか︒

編杉・梧は紗や木綿なと質素な生地で単衣に作られ︑

色も︑木欄︑茶︑鼠︑黒などの壊色が使われる︒

編杉の特徴は︑背が襟のみ綴られ︑襟から下は綴じら

れずに開いている︒着用の時は︑左前に着る︒

つま

り︑

右の任(おくみ)が上となる︒前左身頃の紐と後ろ左身

頃の紐を結び︑前右身頃の紐と後ろ右身頃の紐を結ぶ︒

つまり前と後ろの身ごろがそれぞれ交差する形となる︒

編杉の成立課程を考慮して︑僧祇支を先につけ︑後から

覆肩衣をつけたとすると自然と左前に着る形となり︑こ

れを守っているのであろう︒まれに︑右前の編杉も有る

とのことであるが︑これはむしろ特殊な物であると思う︒

今日の梧は簡略化されてきているのか︑両脇に折襲が

一つずつ付けられているだけの物で

︑そ

の着

用の

仕方

は︑

梧を開いて中心を背に合せ︑着物を着るがごとく身につ

け︑前中央にて組で結ぶ︒

編杉・措着用の時は︑まず梧を付けて︑その上に編杉

を着するのである︒

おわりに

編杉・樗は︑我が宗において特殊な物の扱いとされ︑

一般僧侶の白から遠のいているが︑法衣の源流を考える

時︑欠く事の出来ない法衣として伝えていかなければな

らぬ物と考えたい︒その必要性として︑用途を問われる

ならば︑仏の制聴衣の名残と︑自行のための法衣との立

場を考慮して︑僧侶の喪主としての衣体︑並びに僧侶の

往生衣として使用していったらどうかと提案してみたい︒

73 

具 P

850 1

851

浄土宗全官官第ロ巻

2

3

ω

服具叢書第

4

大日本仏教会香川服具叢書第

5大日本仏教全量百九服具歯車害第

註6大日本仏教全室田丸服具叢書第

﹃摩詞僧祇律﹄巻第お大正新修大蔵経第辺巻p問中7

P1

  p  p  p  p  210  203  165  69 

¥  ¥  ¥  ¥  253  209  190 142 

8

正蔵第幻巻

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十調律﹄巻第臼u

9﹃禰沙塞部和隆五分律﹄巻第初

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p m

上 正蔵第

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註叩緯門真早版儀﹄方量償相篇第6

正蔵第必巻

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西

域記﹄巻第2

註ロ

45巻 蔵 十 第

P 51 

901 著 中

正蔵第M

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宮 中 南 巻 法 第 得3  ... 

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註 リ日正蔵第お巻

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大日本仏教金書ね服具叢書第

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種物置便蒙紗

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服格正﹄大

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十二︑尼衣喪制

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P  73  P 469 270  P  衣 上 P P 238  法 ¥ 25  1171上 式 中 上 頁

1 下

僧史略﹄巻上正蔵第砧巻

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義集

巻第

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輝氏要覧

巻上

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律﹄巻第

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﹃南海寄館内法

巻 第

2正蔵第M

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正蔵第日巻

﹃ 大 唐西域記

巻第2

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十二︑尼衣喪制

註お図

僧祇支の図

﹃望月例教大辞典﹄より写す

正蔵第日

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註幻図﹃望月例教大辞典﹄より写す註お図﹃望月例教大辞典﹄より写す

‑ 85  ‑

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編杉後側

浄土宗法式雑考

( 九 )

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