• 検索結果がありません。

利 ‑

ドキュメント内 教化研究 No.05 (ページ 81-89)

水子地蔵和讃

平 野 孝 順 作 1.親子の 縁 は か な 〈 て

子 のう ち に こ の 世 さ り 母 の 乳 房 を さ が し つ つ り 闇 路 の 幼 霊 や

姿

ma

3

の 州

川 生

q o 

4.留 の あ や ま た ず 弥 陀浄 土へ 導 か ん 南 無 や 水子 の 地 蔵 尊 南 無 阿 弥 陀 仏 阿 弥 陀 仏

経 悔 奉

べ ぬ

今 季 精 霊 主 主 口 支 持

fi ll if

)(│ 

J RqIq

A

0 0

︑家精泡兎是正

qA t一 同

1 0 j i t ‑

‑ l i l

i l

i ‑

臨 終 も

臨終という言葉は︑私達が平素何の気なしに使ってい

る言葉ですが︑もう一度原点にもとって考えてみたいと

思います︒

辞書によりますと﹁臨終﹂

│ (生 命の 終わ る時 )

なっています︒生命の終わる時とは︑私達のこの世での

命の終わる時と考えます︒

善導大師の発願文には﹁願わくは臨終の時にのぞんで︑

心転倒せず︑心錯乱せず︑心失念せず︑:::聖衆現前し

たまい︑:::﹂とあり︑これが臨終の理想の姿という事

になると思います︒

それでは臨終即ち生命の終わる時とは︑どの時を指し

て終わったと言うのかが問題となります︒総合研究所布

教研究部から﹁脳死と臓器移植﹂についての統一見解が

中 西

久 時

出されまして︑新聞・テレビ等で大きく報道されて話題

を呼

びま

した

が︑

﹁死

﹂の

﹁時

﹂の

確定ということは︑

医学的・法律的・宗教的な諸事情を考え合わせてみると

非常に難しい問題であります︒又︑﹁死﹂とは何が死ぬ

のであるのか︑何が往生するのであるのかという︑私達

が腫れ物に触るかのようにして来た問題もあります︒現

代における臨終のありかたについては︑このような問題

を解決していかなければならないのであります︒

さて︑臨終のありかた﹁臨終行儀﹂でありますが︑

﹁臨

終行

儀﹂

(臨終のまぎわに修する念仏)となっ

ています︒﹁臨終正念﹂(臨終の時︑妄念をしずめて︑安

らかな気持ちで仏の来迎をま

つ) で︑ 臨終 行儀 をし て︑

この世との別れをするのが︑善導大師の発願文の心だと

受け取っていますが︑﹁臨終正念なるがゆえに仏来迎し

給ふにあらず︑仏来迎し給ふが由に正念なり︒﹂と申し

ます︒(真宗系では︑臨終を期待し︑来迎をたのむは真

実の信心を得ていない人︒諸行往生の人

︒ )

そこで︑四十八巻停における臨終相(別表l)︑平家

物語における臨終相(巻一

1

六・別表2︑@巻七

i

につ

いては後日の課題)を調べてきましたが︑今現在の時代

における臨終の儀式はと申しますと︑非常に難しいもの

があります︒統計によりますと約七割の方が病院で息を

引きとられると聞いております︒(都市部においては八

割以上になると思われます︒)その理由としては︑現在

の家族構成では看病が出来ない︒又︑往診の出来る医師

が少ない事(診断書の問題

) ︒

病院で充分な治療をさせ

たい等が挙げられます︒人生最後の重要な儀式としての

臨終行儀は難しくなっています︒

知り合いの住職から聞いた話によりますと︑檀家さん

から入院中の老人の臨終念仏を依頼されたとの事であり

ます︒病院のことですので和尚も遠慮して俗服にして︑ 道衣と袈裟を持参し︑病院にて着替えて︑引撃にて小聾でお念仏を始めたところ︑看護婦さんが飛んで来て中止さ町︑れたとの事でした︒このように臨終行儀を行える状

態が無くなっているのも事実です︒

一方

では

︑森田孝隆先生が研化研究恥3

に発

されま

した大日比の臨終行儀は比叡山横川に伝わる六道講式と

同じ形式の法要であり︑又法式的にも難しい法要でもあ

り︑誰にでも今すぐに出来るという法要ではありません︒

しかし︑私達の任務として︑私達が︑

73  ‑

いつでも︑誰に

でち出来るような現在における臨終行儀というものが必

要になっているのも又︑確かなことであります︒

善導大師の臨終正念訣には﹁即ち無上を念じて一

心に

死を待つべし︒須らく家族の人及び来訪の人に頼んでた

だ我が為に念仏して眼前の縁務︑長短の事を説かしめず︑

又呪願安慰の語を用ゆず︑順当に浄土に往生せしむるや

う祈願を心懸けしむべし︒又家人親族︑病者の前に来っ

て一課をたれ泣いて慎悩の替を起し︑病人の心神を惑乱し

その正念を失はざらしめよ︒ただ教って阿弥陀仏を憶念

別表1

r

四十八巻伝」における臨終

仏像 仏画 無 荘厳 磐 来迎

。 。。。

2  2 

。 。 。

I 3  12  3 

。 。。。 。

I 4  12  4 

。。 。

5 12  6 

。 。。。

6 13  4 

。 。

7 14  5 

。 。。

8 16  5 

。 。 。

9  17  5 

。 。。

丸い磐 10  19  4 

。 。。

11  20  3 

。 。

12  24  6 

。 。

13  25  3 

。 。。。

14  26 

。 。

戦場

15  26  2 

。 。

16  26  3 

。 。

17  26  4 

。 。 。

椅 子 18  27  5 

。 。 。

19  28  3 

。 。

20  35  5 

。 。

21  37  3 

。 。 。 。

法 然 上 人 五 色 糸 22  37  5 

。 。。

法然上人 23  41  3 

。 。

24  43 

。 。 。

25  43  2 

。 。

26  43  3 

。 。 。

27  43  4 

。 。 。

28  43  5  つ

。 。

29  44  4 

。 。 。

詞 、 五 色 糸 絵 、 五 色 幡 30  44  6 

。 。。

丸い磐

31  45 

。 。 。

32  45  2 

。 。。 。

33  45  3 

。 。 。

34  46  4 

。 。

五色幡 35  47  4 

。 。

36  48  4 

。 。。。

別時念仏中 37  48  5 

。 。。

38  48  6 

。 。 。

19. ? 15  10  19  27  11  5 

別表2 r平家物 語」における臨終 ( 1)岩波書庖・日本古典文学大系上 (1‑6巻) :9E 

氏 名 及宗 教 的 記 述 数 記無 刑死 その

祇王、紙氏、仏御円JI、と

l  l  4 。 。皆往生の素懐をと

げけるとぞ聞こえし

2  願 後一条関白

西光、j加賀守師高、近 3  2 西光 被 7  。 藤半JI官師経、左衛門尉師

、郎党3

4  2 大納言死去 謀殺 大納昌成親

頼蒙

5  3  一 ー ー 『 ー ー ー 一 ー ーーー ー 四 国 ー ー 『 ー ー ー ー ー ー ー 『 ー 『 ー ‑ ‑ 守 ー ー ー ー

皇子

俊寛僧都 をのづか の食事をもとどめて、偏

6  3 {普都死 去 餓 死 に弥陀の名号をとなへて

臨終正念をぞ祈らける ついにをはり給ぬ 7  3 医 師 問平重盛 。臨終正念に住

してついに失給ぬ。

8  3  流 罪 3 。 右大将兼長、左中将隆 長、範長郷師

9  3 行隆の沙汰切 腹 江戸夫判官速成、江左衛

門尉家成 10  3 法 皇 被 流 6条院 11  4 橋 合 戦 打ち死 一本法師

3  打ち死 兼綱、六条蔵人仲家、蔵

人太郎仲光

一 ー ー ー ー 一 ー ー 『 ー ー ー ー 一 『 ー ー ー ー ー ー ー 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 ー

12 4 宮 御 最 後 自害 伊豆守仲綱

ー 一 ー ーー ーー ー ーーー ー 一 一 ーーー ー ー

切 腹 三位入道 。西にむかひ、

高援に十念となへ 高倉宮、鬼佐渡、 荒土佐、

13  4  I!  7  打ち死 あら大夫、理智城坊の伊 賀公、汗JI部俊秀、金光院

14 6 新 院 崩 御 上皇

15 6  小督、一条院(六条院重複〕

17  6  I!  処刑 額入道西寂 18 6 道 死 去 平清盛 19  6 祇 園 女 御 打ち死 郷公義圃

20  6  天罰 城太郎助長

横田河原合戦権大畠JI大中臣定隆 21  6  ー ー 一 ー ー 一 一 ー ー ー 一 一 一 一 ー 一 』ー一 一 一 一 一 一 ーー ーー ー ーー ー ー ー ーー ー ー

頓 死 大阿閣梨覚算法印 合 計 46  11  18  5  7  2  3  宗教的記述(4ケ所)7

‑ 75 ‑

せし

め︑

一時高撃に念仏して称念を持続せしめ︑市して

病者の気息尽き了るを待ってまさに哀突すべし︒

或い

明了に浄土を領解する人(善知識)を請して来って策励

せしめば最も佳し︒往生せんこと必ず疑なし

︒ ﹂

又︑要集主日く﹁別慮なくば只面を西に向け︑香を焼

き撃を散じ︑心口相応して撃々絶ゆることなく決定して

往生の想をなせ等と云はれたり︒次に臨終の行儀とは堂

中に

一の立像を安置し面を西方に向け︑像の右手を挙げ︑

像の左手の中に一

の五

緑の幡をかけ︑幡脚地に引き垂る︒

病者を像の後に置き左手に幡脚を執らしめ︑仏に随って

浄土に往くの意をなさしむ

︒ ﹂

しかし︑良忠上人の﹁往生要集記﹂巻六には︑三尺の阿

弥陀立像に関して﹁故上人日く︑臨

終の

本尊は噂併を用

ふべ

﹂と先師相伝を挙ぐ︑とあります︒

ここでは宍戸栄雄先生の﹁浄土宗法儀の実際﹂

から

能化の葬儀式の一部分﹁臨終﹂の所を参照して﹁臨終行

儀の一例﹂を考察してみました︒

これ

は能

化の

みな

らず

一般在家においても充分利用出来るものだと思います︒ て臨終近く︑

臨終が近くなればよく見える所に来迎図を掛け︑

花香

等を

供・

えま

(良い香を絶やさぬように︑と言われます︒)

一︑本人の希望があれば善知識をお願いします︒自分

の気力がなくなりお念仏が称えにくくなった時︑善

知識の助声念仏の中で息を引き取るのが理想です︒

この時冴えた音色の引撃で一唱一下します︒

(人聞は聴覚が最期まで残るからです

︒ )

一︑死が近くなれば︑お念仏以外聞かせてはならない

と臨終心得に書かれています︒本人が死ぬことを知

り︑仏のお迎えを願っているのだから大声で名を呼

んだり︑手を取ったりすると心が凱れるからです︒

正念往生が大切です︒

臨終行儀の一例

先︑発願文(和文にて)

次 摂益文

11 

念仏一会(引撃にて︑

一唱

一下

)

て呼吸と脈が止まれば助念の者は発願文(音読)を読

み︑

十念

しま

す︒

仏教語大辞典

元著

浄土宗全害

平家物語()

浄土宗法儀の実際

77 

法 衣

J

ーー

Il‑‑4dql 

はじめに

浄土宗で使用される法衣は︑大きな意味から申せば直

︿

綴であり︑直綴は編杉と槍を直ちにつないだ(連綴)物

であ

︒そこで今日我が宗で日常的に見ることの出来な

い編

・棺について少し調べてみた︒

編杉

・梧

ついては了誉聖問師の﹃併像牒峨義﹄︑空

23誉義海の﹃仰像幌峨義婆註﹄︑﹃例像標轍義園説﹄︑大聖

45院盛典の﹃聖道衣料篇﹄︑亀海の﹃決正祇支編﹄︑黙室の

﹃ 法

服格正﹄等

に詳

しく

述べ

られているので︑これらの

諸本に導かれて自分なりに理解してみたい︒

: : J : : J  

隆 田 一

僧 雨 氏

支 選

初期仏教教団の出家の衣相は︑僧伽梨︑欝多羅僧︑安

陀会の三衣であった︒しかし教団の発達にともない衣相

7

三衣

ではすまなくなっ

てき

︒ ﹃

摩詞

僧祇

律﹄

︑﹃

十調

89律﹄︑﹃五分律﹄︑﹃望月例教大辞典﹄僧祇支の項︑﹃穣門

章服儀﹄

にあ

げる

如く

三衣

だけでの行動は︑時により

比丘尼の胸が肌けたり︑比丘の様相が乱れたりしたので︑

悌は︑比丘尼の為に僧祇支を制せられ︑また比丘が用う

ることを聴(

ゆる

)された︒そして︑東落に入る時には︑

僧祇支の着用を定め︑犯す者は︑罪とされた︒

又︑

﹃大

唐西域記﹄︑﹃例制六物園﹄︑﹃南海寄儒内法侍﹄から︑僧

ドキュメント内 教化研究 No.05 (ページ 81-89)

関連したドキュメント