水子地蔵和讃
平 野 孝 順 作 1.親子の 縁 は か な 〈 て
水子 のう ち に こ の 世 さ り 母 の 乳 房 を さ が し つ つ ひとり 闇 路 の 幼 霊 や
てベの
え り し 噂 か な さ 蔵 姿 日 尊 地 叫 円 献 を の 手 の 来 く み 悲 如 導
の
大 陀 て い 慈 弥 だ 救 大 阿 そ
つつる
い や を ら た し 岬 ma応 し お 念
3感と
な い て に ず ぎ
ん願
き 土 そ
一心の
浄 そ る
内命
の 州
水う
川 生
蓮
香 称 q o
4.救留 の筏 あ や ま た ず 弥 陀の浄 土へ 導 か ん 南 無 や 水子 の 地 蔵 尊 南 無 阿 弥 陀 仏 阿 弥 陀 仏
て 三 摘 て 憾 信 一
︑ 開 偲 一
︑ 読 経 一
︑ 回 向 て 聞 名 得 益 信 て 水 子 和 讃 て 摂 益 文 て 念 仏 一 会 一
︑ 総 回 向 傷
経 悔 奉
十
骨
十 念 十
念
べ ぬ
今 季 精 霊 主 主 口 支 持
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臨 終 も
よ
つ
臨終という言葉は︑私達が平素何の気なしに使ってい
る言葉ですが︑もう一度原点にもとって考えてみたいと
思います︒
辞書によりますと﹁臨終﹂
│
│ (生 命の 終わ る時 )
と
なっています︒生命の終わる時とは︑私達のこの世での
命の終わる時と考えます︒
善導大師の発願文には﹁願わくは臨終の時にのぞんで︑
心転倒せず︑心錯乱せず︑心失念せず︑:::聖衆現前し
たまい︑:::﹂とあり︑これが臨終の理想の姿という事
になると思います︒
それでは臨終即ち生命の終わる時とは︑どの時を指し
て終わったと言うのかが問題となります︒総合研究所布
教研究部から﹁脳死と臓器移植﹂についての統一見解が
中 西
久 時
出されまして︑新聞・テレビ等で大きく報道されて話題
を呼
びま
した
が︑
﹁死
﹂の
﹁時
﹂の
確定ということは︑
医学的・法律的・宗教的な諸事情を考え合わせてみると
非常に難しい問題であります︒又︑﹁死﹂とは何が死ぬ
のであるのか︑何が往生するのであるのかという︑私達
が腫れ物に触るかのようにして来た問題もあります︒現
代における臨終のありかたについては︑このような問題
を解決していかなければならないのであります︒
さて︑臨終のありかた﹁臨終行儀﹂でありますが︑
﹁臨
終行
儀﹂
│
│
(臨終のまぎわに修する念仏)となっ
ています︒﹁臨終正念﹂(臨終の時︑妄念をしずめて︑安
らかな気持ちで仏の来迎をま
つ) で︑ 臨終 行儀 をし て︑
この世との別れをするのが︑善導大師の発願文の心だと
受け取っていますが︑﹁臨終正念なるがゆえに仏来迎し
給ふにあらず︑仏来迎し給ふが由に正念なり︒﹂と申し
ます︒(真宗系では︑臨終を期待し︑来迎をたのむは真
実の信心を得ていない人︒諸行往生の人
︒ )
そこで︑四十八巻停における臨終相(別表l)︑平家
物語における臨終相(巻一
1
六・別表2︑@巻七i
につ
いては後日の課題)を調べてきましたが︑今現在の時代
における臨終の儀式はと申しますと︑非常に難しいもの
があります︒統計によりますと約七割の方が病院で息を
引きとられると聞いております︒(都市部においては八
割以上になると思われます︒)その理由としては︑現在
の家族構成では看病が出来ない︒又︑往診の出来る医師
が少ない事(診断書の問題
) ︒
病院で充分な治療をさせ
たい等が挙げられます︒人生最後の重要な儀式としての
臨終行儀は難しくなっています︒
知り合いの住職から聞いた話によりますと︑檀家さん
から入院中の老人の臨終念仏を依頼されたとの事であり
ます︒病院のことですので和尚も遠慮して俗服にして︑ 道衣と袈裟を持参し︑病院にて着替えて︑引撃にて小聾でお念仏を始めたところ︑看護婦さんが飛んで来て中止さ町︑れたとの事でした︒このように臨終行儀を行える状
態が無くなっているのも事実です︒
一方
では
︑森田孝隆先生が研化研究恥3
に発
表
されま
した大日比の臨終行儀は比叡山横川に伝わる六道講式と
同じ形式の法要であり︑又法式的にも難しい法要でもあ
り︑誰にでも今すぐに出来るという法要ではありません︒
しかし︑私達の任務として︑私達が︑
73 ‑
いつでも︑誰に
でち出来るような現在における臨終行儀というものが必
要になっているのも又︑確かなことであります︒
善導大師の臨終正念訣には﹁即ち無上を念じて一
心に
死を待つべし︒須らく家族の人及び来訪の人に頼んでた
だ我が為に念仏して眼前の縁務︑長短の事を説かしめず︑
又呪願安慰の語を用ゆず︑順当に浄土に往生せしむるや
う祈願を心懸けしむべし︒又家人親族︑病者の前に来っ
て一課をたれ泣いて慎悩の替を起し︑病人の心神を惑乱し
その正念を失はざらしめよ︒ただ教って阿弥陀仏を憶念
別表1
r
四十八巻伝」における臨終巻 段 仏像 仏画 無 荘厳 磐 坐 臥 来迎 備 考 5
。 。。。
2 2
。 。 。
I 3 12 3
。 。。。 。
I 4 12 4
。。 。
5 12 6
。 。。。
6 13 4
。 。
7 14 5
。 。。
8 16 5
。 。 。
9 17 5
。 。。
丸い磐 10 19 4。 。。
11 20 3
。 。
12 24 6
。 。
13 25 3
。 。。。
14 26
。 。
戦場15 26 2
。 。
16 26 3
。 。
17 26 4
。 。 。
椅 子 18 27 5。 。 。
19 28 3
。 。
20 35 5
。 。
21 37 3
。 。 。 。
法 然 上 人 五 色 糸 22 37 5。 。。
法然上人 23 41 3。 。
24 43
。 。 。
25 43 2
。 。
26 43 3
。 。 。
27 43 4
。 。 。
28 43 5 つ
。 。
29 44 4
。 。 。
詞 、 五 色 糸 絵 、 五 色 幡 30 44 6。 。。
丸い磐31 45
。 。 。
32 45 2
。 。。 。
33 45 3
。 。 。
34 46 4
。 。
五色幡 35 47 4。 。
36 48 4
。 。。。
別時念仏中 37 48 5。 。。
38 48 6
。 。 。
3 19. ? 15 10 19 27 11 5
別表2 r平家物 語」における臨終 ( 1)岩波書庖・日本古典文学大系上 (1‑6巻) 巻 段 人 :9E 因
氏 名 及び宗 教 的 記 述 数 記無 戦 病 刑死 捨身 その他
祇王、紙氏、仏御円JI、と
l l 祇 王 4 。 ぢ 。皆往生の素懐をと
げけるとぞ聞こえし。
2 願 立 。 後一条関白
西光、即j加賀守師高、近 3 2 西光 被斬 7 。 藤半JI官師経、左衛門尉師
平、郎党3人
4 2 大納言死去 謀殺 大納昌成親
頼 蒙 餓死 頼蒙
5 3 一 ー ー 『 ー ー ー 一 ー ーーーー ー 四 国 ー ー 『 ー ー ー ー ー ー ー 『 ー 『 ー ‑ ‑ 守 ー ー ー ー
。 皇子
俊寛僧都 。をのづから の食事をもとどめて、偏
6 3 {普都死 去 餓 死 に弥陀の名号をとなへて、
臨終正念をぞ祈らける。 ついにをはり給ぬ。 7 3 医 師 問答 。 平重盛 。臨終正念に住
してついに失給ぬ。
8 3 大 臣流 罪 3 。 右大将兼長、左中将隆 長、範長郷師
9 3 行隆の沙汰 2 切 腹 江戸夫判官速成、江左衛
門尉家成 10 3 法 皇 被 流 。 6条院 11 4 橋 合 戦 打ち死 一本法師
3 打ち死 兼綱、六条蔵人仲家、蔵
人太郎仲光
一 ー ー ー ー 一 ー ー 『 ー ー ー ー 一 『 ー ー ー ー ー ー ー 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 ー
12 4 宮 御 最 後 自害 伊豆守仲綱
ー 一 ー ー一ーーー ーー ー ーーー ー 一 一 ーーーーー ー ー
切 腹 三位入道 。西にむかひ、
高援に十念となへ 高倉宮、鬼佐渡、 荒土佐、
13 4 I! 7 打ち死 あら大夫、理智城坊の伊 賀公、汗JI部俊秀、金光院
14 6 新 院 崩 御 。 上皇
15 6 督 2 。 小督、一条院(六条院重複〕
17 6 I! 処刑 額入道西寂 18 6 人道 死 去 。 平清盛 19 6 祇 園 女 御 打ち死 郷公義圃
20 6 嘆 整 天罰 城太郎助長
横田河原合戦 。 権大畠JI大中臣定隆 21 6 ー ー 一 ー ー 一 一 ー ー ー 一 一一 一 一 ー 一 』ー一 一 一 一 一 一 ーー ーー ー ーー ー ー ー ーー ー ー
頓 死 大阿閣梨覚算法印 合 計 46 11 18 5 7 2 3 宗教的記述(4ケ所)7人
‑ 75 ‑
せし
め︑
一時高撃に念仏して称念を持続せしめ︑市して
病者の気息尽き了るを待ってまさに哀突すべし︒
或い
は
明了に浄土を領解する人(善知識)を請して来って策励
せしめば最も佳し︒往生せんこと必ず疑なし
︒ ﹂
又︑要集主日く﹁別慮なくば只面を西に向け︑香を焼
き撃を散じ︑心口相応して撃々絶ゆることなく決定して
往生の想をなせ等と云はれたり︒次に臨終の行儀とは堂
中に
一の立像を安置し面を西方に向け︑像の右手を挙げ︑
像の左手の中に一
の五
緑の幡をかけ︑幡脚地に引き垂る︒
病者を像の後に置き左手に幡脚を執らしめ︑仏に随って
浄土に往くの意をなさしむ
︒ ﹂
しかし︑良忠上人の﹁往生要集記﹂巻六には︑三尺の阿
弥陀立像に関して﹁故上人日く︑臨
終の
本尊は噂併を用
ふべ
し
﹂と先師相伝を挙ぐ︑とあります︒
ここでは宍戸栄雄先生の﹁浄土宗法儀の実際﹂
から
︑
能化の葬儀式の一部分﹁臨終﹂の所を参照して﹁臨終行
儀の一例﹂を考察してみました︒
これ
は能
化の
みな
らず
︑
一般在家においても充分利用出来るものだと思います︒ て臨終近く︑
臨終が近くなればよく見える所に来迎図を掛け︑
花香
等を
供・
えま
す
︒
(良い香を絶やさぬように︑と言われます︒)
一︑本人の希望があれば善知識をお願いします︒自分
の気力がなくなりお念仏が称えにくくなった時︑善
知識の助声念仏の中で息を引き取るのが理想です︒
この時冴えた音色の引撃で一唱一下します︒
(人聞は聴覚が最期まで残るからです
︒ )
一︑死が近くなれば︑お念仏以外聞かせてはならない
と臨終心得に書かれています︒本人が死ぬことを知
り︑仏のお迎えを願っているのだから大声で名を呼
んだり︑手を取ったりすると心が凱れるからです︒
正念往生が大切です︒
臨終行儀の一例
先︑発願文(和文にて)
次 摂益文
11
念仏一会(引撃にて︑
一唱
一下
)
て呼吸と脈が止まれば助念の者は発願文(音読)を読
み︑
十念
しま
す︒
以
上
参 考 仏教語大辞典
中 村 元著
・東 京 害 籍
浄土宗全害
平家物語(上)
岩 波 書 庖
・日 本 古 典 文 学 大 系
浄土宗法儀の実際
土ハ 戸栄 雄 監 修
・ 国 書 刊 行 会
77
法 衣
J
コ
て
ーー
編
晋伯
Il‑‑4dql
はじめに
浄土宗で使用される法衣は︑大きな意味から申せば直
へ ん さ ん
︿ ん
綴であり︑直綴は編杉と槍を直ちにつないだ(連綴)物
であ
る
︒そこで今日我が宗で日常的に見ることの出来な
い編
杉
・棺について少し調べてみた︒
編杉
・梧
に
ついては了誉聖問師の﹃併像牒峨義﹄︑空
註2註3誉義海の﹃仰像幌峨義婆註﹄︑﹃例像標轍義園説﹄︑大聖
立4証5院盛典の﹃聖道衣料篇﹄︑亀海の﹃決正祇支編﹄︑黙室の
﹃ 法
服格正﹄等
に詳
しく
述べ
られているので︑これらの
諸本に導かれて自分なりに理解してみたい︒
: : J : : J
芳
隆 田 一 、
僧 雨 氏
支 選
図
初期仏教教団の出家の衣相は︑僧伽梨︑欝多羅僧︑安
陀会の三衣であった︒しかし教団の発達にともない衣相
住7も
三衣
ではすまなくなっ
てき
た
︒ ﹃
摩詞
僧祇
律﹄
︑﹃
十調
政8註9律﹄︑﹃五分律﹄︑﹃望月例教大辞典﹄僧祇支の項︑﹃穣門
設問章服儀﹄
にあ
げる
如く
︑
三衣
だけでの行動は︑時により
比丘尼の胸が肌けたり︑比丘の様相が乱れたりしたので︑
悌は︑比丘尼の為に僧祇支を制せられ︑また比丘が用う
ることを聴(
ゆる
)された︒そして︑東落に入る時には︑
僧祇支の着用を定め︑犯す者は︑罪とされた︒
又︑
﹃大
抗日
註 ロ 註 日
唐西域記﹄︑﹃例制六物園﹄︑﹃南海寄儒内法侍﹄から︑僧