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第57回日本病院学会

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 座長:足利赤十字病院 名誉院長

奈良 昌治 

平成19年6月・茨城県つくば市

宇沢 弘文

東京大学 名誉教授  日本学士院 会員

核心に触れたお話をされ,図までつくっていただい ておりました(vol. 54,9月号『医療の実践と社会の 変革』参照)。藤原先生の後,唐澤先生が社会的共通 資本としての医療を日本の現実にどういうかたちで 実現するかと,それの行程表のようなものをお示し になりました(16ページ『国民医療と医療政策をめ ぐって―少子高齢社会の医療―』参照)。私が話そ うと思っていたことをお2人がもっと簡潔にビビッ ドにお話しになってしまって,どういうふうにした らいいかと大変困っています。それから,山本先生 からは外国との,特にアジアの国との交流について,

素晴らしいお話がありました(vol. 54,9月号『病院 医療――アジアと日本』参照)。

 その3人のお話を受けて,私が今日話そうと思っ ていたことを多少ざっくばらんに,補足的にお話し することによって役を果たしたいというふうに思い ます。

●占領下時代に出会った安倍能成先生の教え  ただいま奈良先生にご紹介いただきましたが,私 には弟がおりまして,整形外科の医師をしています。

私,旧制高校で理乙でした。太平洋戦争がいちばん 末期的な状況の頃,昭和20年の4月に旧制一高に入 りました,理科乙類です。入って間もなく8月15日,

日本の敗戦,そして占領が始まったわけです。

 私がおりました頃の校長先生は安倍能成という,

素晴らしいリベラルな思想を貫いたカントの専門の 哲学者の方でした。安倍先生は,あとでわかったの ですが,近衛さんを囲んだ極秘のグループがあって,

日本が負けるということを数年前から計算に入れて,

どういうふうに敗戦を処理するかと敗戦の準備をさ れていたという方です。戦争が終わって(8月15日 に終わったわけですが),しばらくしてマッカーサ ーが厚木に降り立って,日本占領が始まりました。

 私たちは,8月15日,日本が負けて戦争が終わっ たと,素晴らしい解放感を持ちました。そして,新 しい戦後の,いかに我々が生くべきかということを 安倍先生を中心にしていろいろ考えていた時です。

ところが,マッカーサーの日本占領というのは想像 したよりも過酷なものでした。東京をはじめ主な都 市の主な建物を片っ端から接収して占領のために使 いました。一高は,今の東大の駒場ですが,戦争中 には師団司令部に使われていましたが,ここにも接 収するために占領軍の将校団がやってきました。そ

のときに安倍先生がそれを迎えて,こういうことを 言われたのです。「一高はリベラルアーツのカレッ ジである(3年制ですが)。リベラルアーツという のは,人類が残してきた知的な遺産――芸術,文化 何でも専門を問わないで,ただひたすら吸収して,

そして1人ひとりの学生の人間的な成長を図ると同 時に,大切な遺産を次の世代に残す,人間の営みで いちばん大切なことをやっている聖なる場所,sa-cred placeである。占領という俗なvulgarな目的に は使わせない」と。それを受けて,占領軍の将校団 が黙って帰っていったという,当時としては非常に ドラマチックな事件,エピソードがありました。

 そしてその後,安倍先生は幣原内閣のもとで文部 大臣となられて,マッカーサーの命令による日本の 教育制度の改革の責任者になられました。教育制度 といっても,マッカーサーが日本の経済,文化,社 会すべての面における徹底的な改革を指令,東久邇 終戦処理内閣は即日総辞職して,そのあとを受けて 幣原喜重郎さんを首班とする内閣ができたわけです。

それは戦後の改革を実際に実行する内閣です。マッ カーサーは日本の教育制度に焦点を当てて,徹底的 な改革を考えていたわけです。本国から確か20人 にのぼる調査団を送ってきました。安倍先生がその 教育調査団に対して歓迎のあいさつをされました。

そのなかでこういうことを言われたのです。「日本 が戦争中,占領した国に対して犯したいちばん大き な罪は,その国の歴史,社会,文化を無視して日本 式の教育制度なり医療なりの改革を強行したことだ。

これが日本が戦争中犯したいちばん重い罪だ。あな た方は占領国を代表して日本の教育制度の改革に来 られた。しかし,日本が犯したと同じ罪を決して犯 さないでほしいと」と。安倍先生は非常に英語もお 上手な方でした。そのときに,団長が感激して壇に 駆け上がって,安倍先生に握手を求めました。そし て生徒たちの全員が割れるような拍手をしたという,

当時としては全く異例のエピソードがあります。

 実は,調査団の団長がジョン・デューイのお弟子 さんでした。調査団のほとんどの人たちが直接ジョ ン・デューイから教えを受けたか,あるいは日本人 の志,考えに共鳴した人たちだったのです。ジョ ン・デューイはシカゴ大学の哲学者でした。そして,

人間が人間らしく生きていくためにいちばん大切な のは医療と教育であるということを考えて,リベラ リズムの理念に立った,新しい社会のあり方を模索

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した哲学者です。人間が人間らしく,そして市民的 権利を最大限に享受することができるような社会を つくる。そのときのいちばん大事なのが教育と医療 であるという考えを持っていた哲学者です。シカゴ 大学はロックフェラーが始めた大学です。そしてロ ックフェラーと意見が合わなくて,シカゴ大学を追 われ,ニューヨークのコロンビア大学に移って,そ この教育学部を全米で最も優れた,教育学というよ りはリベラルな社会を実現するための学問的な営為 の場として展開していったわけです。

 この2つのエピソードは私たちに非常に大きな影 響を与えました。

●私が経済学へ進んだ理由

 当時の学校制度は,旧制高校は3年で大学に行く わけですが,旧制高校は40ほどしかありませんでし た。大体国立大学そのほかに入るのは旧制高校が中 心で,私立大学はそれぞれ予科,特に医科大学は非 常に優れた予科を持っていました。ただ,旧制高校 の3年,あるいは予科は2年だったと思いますが,

それは良い意味でのリベラルアーツの教育の場であ ったわけです。専門を問わない,そして人類が残し てきた遺産をひたすら学ぶ。その3年なり,2年が 終わって,それぞれの専門,一生どうして生きるか ということを考えた末,学部に進学する。理乙は生 物とドイツ語が中心でした。そういう意味では医学 部志望の人が多くて,私も医学部を志望して医者に なるということを考えて一高に入ったわけです。安 倍先生をはじめとする先生たちの影響を受けて,人 生とは何か,どうやって生きるのか,そういうこと を少し考えたり,書物を読む。そのときに,今(裕)

さんという人が訳されたヒポクラテスの全集を,確 か52冊だっと思うのですが,わりあい薄い粗末な体 裁の本を図書館で見つけて読みふけりました。ヒポ クラテスの教えというのは,紀元前5世紀,医聖と 言われたヒポクラテスの残した言葉,あるいは実際 の臨床の記録を中心にして,ギリシャ医学のエッセ ンスをまとめたもので,アレキサンドリアの図書館 で編集されたものです。

 アレキサンダー大王が,世界制覇を夢見て占領し た国々の主な都市に,アレキサンドリアという名前 をつけました。彼はおそらく,そのなかでエジプト のアレキサンドリアを帝国の首都にしようと思った に違いありません。巨大な大学をつくり,図書館を

つくって,世界中の学者をそこに集めたわけです。

それがアレキサンドリアの大学の図書館です。

 もう1人,ユークリッドという数学者がいますが,

彼もその1人で,そしてユークリッドがエジプト,

ギリシャ数学を大成したのが『原論(Elements)』と いいます。今でもそうですが,イギリスのパブリッ ク・スクールではユークリッドの『原論』の英訳を 教科書に使っています。このユークリッドの『原 論』と,それからヒポクラテスの全集というのがギ リシャが残した素晴らしい遺産です。

 いずれにせよ,ヒポクラテスの全集は非常に難解 でした。特に医学用語がたくさん出てきます。実際 の臨床,どういうシンプトンにはどういう薬を使っ たらいいといったことが大部分でしたが,そのなか に,ヒポクラテスの教えと言われるようになった

「ヒポクラテスの誓い」も入っています。

 私はそれを読んで医者になることを断念しました。

「ヒポクラテスの誓い」にありますけれど,先生を 大事にして,先生の子どもは無報酬で教え,「ヒポク ラテスの誓い」に忠実に医師として一生貫く。医者 になるということの重さ。一切私心を忘れて,そし て患者のためにひたすら尽くすという,非常に厳し いおきてです。また,医師が弟子を選ぶときのおき てのようなものがありました。それは入門したいと 思って来る若者を見て,その若者が人格高潔,能力 が優れている,私心を捨てて「ヒポクラテスの誓い」

に忠実に一生医師として貫くことができるかどうか,

それを見極めてから弟子として入門を許すという。

 当時の大学の医学部の入学試験はそういうことは 一切触れません。今でもおそらくそうだと思います。

私たちは,果たしてその基準に合うかどうかという ことを,自ら判断しなくてはいけない。人格高潔,

能力が優れていると。私はとてもこれはやってい  けないというふうになりました。そのうえ「Art is  long, life is short.」というヒポクラテスのもう1つの 言葉があります。日本語の訳で「人生は短く,芸術 は長し」というふうに訳されていました。私もその 言葉どおり受けとめました。私は特に手先が不器用 で,顕微鏡を見て絵を描いても全部ノミのようにな ってしまう。先生から大分きつく言われたのですが,

どうしてもうまくかけない。音楽もだめ,それで芸 術はむかないと思って断念しました。医学部志望を 断念したのは幾つも理由がありますが,大体その3 つくらいが主なものでした。

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