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禁止令を敷くことはできません

それ以来,彼はわたしに構わなくなり ました。

1990 年 11 月,ガーナ政府は凍結を 解除し,教会員たちは再び自由に礼拝 してよいと宣言しました。学校内には ラジオもテレビもなかったので,あの先 生がそれを知ってすぐにわたしを呼び に来てくれました。わたしを見るなり先 生はこう言いました。「君の教会の禁 止令が解除されたよ! また教会に行け るんだな。」

先生も喜んでくれました。

心の中まで凍結することはできません 凍結の間に教会にとどまって,ともに 礼拝した人たちは,とても強いきずなで 結ばれました。わたしたちはほんとうの 兄弟姉妹となりました。今では,遠くに 行ってしまった人たちもいますが,何か あればすぐに連絡が来ます。わたした ちは開拓者のように感じます。

自分 が 信じていることが 真実だと 知っていて,それに対しての証があるな ら,試練があっても信仰が揺らぐことは ないと,人々に言いたいと思います。自 分が何かが真実であることを知ってい て,それを信じているのであれば,だれ もそれを奪うことはできません。あな たの心の中にあるものまで凍結するこ とはできないのです。■

筆者はアメリカ合衆国カリフォルニア州在住で す。

ガーナにおける凍結

1989 年 6 月 14 日,ガーナ政府は末日聖徒イエス・キリスト教会の活動を禁止しました。

すべての教会堂は閉鎖されましたが,6,000 人の会員たちは,自宅で礼拝する許可を得ま した。 1990 年 11 月 29 日,ガーナ政府は禁止令を解除し,教会のすべての活動を再開 する許可を出しました。今日,ガーナには 7 万 2,000 人以上の会員がいて,宣教師訓練セ ンターと神殿があります。

ガーナで政府が 末日聖徒の教会の集会を 禁止したとき、

ブロッサムは 若い女性でした。

58 リ ア ホ ナ 七十人

マッシモ・デ・フェオ長老

関 係 神との をどのように深めるか

/GETTY IMAGES

たしは 12 歳になったとき,生活に福音をもっと取り 入れるにはどうすればよいのか,真剣に考えるよう になりました。

当時,イタリアの故郷タラントに住んでいました。わたしと兄 が宣教師と出会って,教会員になってから数年しかたっていま せんでしたが,もっと積極的になりたいと心から思うようになり ました。聖せいさんのパスをしたいと感じるようになりました。毎週 日曜日には,聖餐のパスを依頼されるようにお祈りして教会に 向かったのを覚えています。

ある日曜日,支部会長がわたしを支部会長室に呼びました。

彼は,「マッシモ,主はあなたに神権を受けて執事に聖任される ように願っておられますよ」と言いました。

そのときに聞いた「主が願っておられる」という言葉が心に 響きました。それはだれか人から何かを依頼されているのでは なく,主から個人的に責任を与えられているのだと感じました。

支部会長がわたしを見たとき,主がわたしに働きかけておられ るように感じました。

毎週日曜日に聖餐のパスを始めてから,自分の生活において 神性の力を感じることができました。責任感や積極性を感じ,

自分が主の業を行っていることが分かりました。主に仕えるこ とで,主をより近く感じることができました。

指導者と責任を通して主の御を感じることができたこの経 験は,主とのより深い個人的な関係を築く助けとなりました。

そのような生活をして,神の存在を感じるようになるにつれ,福 音をさらに生活に取り入れたいと思うようになりました。主とこ のような関係を築くことは,若いうちにできる最も大切なことの 一つです。

自分の指導者

に主を見いだす

支部会長と会ったときに,責任を与えてくだ さったのは,支部会長だけでなく,主であったと いう霊的な印象が心に深く刻まれました。自分 の指導者に主を見いだしたときに,わたしは主 をより近く感じ,主との関係が深まりました。

青少年として,自分に召しが与えられるとき や教会のクラスに出ているときは,天の御父や イエス・キリストの言葉を聞いているというこ とを理解すると,教会をもっと霊的な目で見る ことができるようになります。主の業に参加 たいと思うようになります。より深い霊的な経 験をして,毎週日曜日には主をより近く感じる ことができるようになるでしょう。

儀式

に主を見いだす

福音の儀式に参加することを通して,主の存在を認 識することで,主との個人的な関係を築くこともでき ます。聖餐のような儀式に参加するときに,「神性の 力〔が〕現れ〔る〕」ことをわたしたちは知っています

(教義と聖約 84:20)。 12 ,3 歳であっても,聖餐の パスをしたときは,ほんとうに自分が主の御の中で 使われていると感じることができました。そのような 儀式において,神の存在と力を感じ,生活において 神性の力を感じました。儀式において主の御手を見 いだすことによって,毎週そのような神聖な経験をす ることは,主との個人的な関係を深める助けとなり ました。

これは,聖餐のパスに限ったことではありません。

毎週日曜日に聖餐を取ることによっても,神性の力 を感じることができるのです。聖餐を取るときに は,決して軽々しく受けたり,時々受けるようにした り,それとなく受けたりしてはなりません。自ら望ん で,決意し,備えをして聖餐を受けるべきです。そ れによって,自分の生活において神性の力を感じる ことができるでしょう。わたしたちが神との関係を 深め,日々の生活における試練に備えるための強 力で霊的な手段として,もっと聖餐を受ける機会 を活用する必要があります。

深く

個人的な関係

主と深く個人的な関係を築こうと,今決断 してください。主を近くに感じれば感じるほ

ど,主に仕えることが容易になります。

主はわたしたち一人一人に働きかけてくだ さいます。教会に集うときに,わたしたちは 主の言葉を聞きます。聖餐を取るときには,

主の神聖な儀式を執行しているのです。わ たしたちは,指導者と儀式において,神の 存在と力を見いだし,神との関係を深める 必要があります。■

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ニノスカ・ナウラス

人のフェルナンダ(仮名)が 金曜日のクラスに欠席した ときは,どうしたのかと思い ました。「フェルは病気なの? 大丈 夫かしら?」わたしは一日の授業が終 わった後で,友人を見つけて聞きまし た。「フェルは病気じゃないわよ。精 神科に行っていたんだわ」ともう一人 の友人が答えました。わたしがその 理由を聞くと,フェルナンダはうつ病 に苦しんでいて,自傷行為があるとい うことでした。しばらくして,彼女が 治療のために入院したことを知り,そ れから数週間は彼女を見かけません でした。

わたしたちは友人でしたが,彼女は そのようなことをわたしに打ち明けた ことはありませんでした。そのことが 恥ずかしくて,だれからも隠していた わたしは自分の友人に深刻な 問題があると分かると,穏やかな 気持ちでいられなくなりました。

心配事を

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