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率直に

友達に優しくこう言えばいいと思いま す。「ちょっと,それやめない? そう してくれるとありがたいんだけど。」ま たは「そんなふうに言わないでくれる かな。失礼だよ。」詰まるところ,二つ の大いなる戒めの一つは,「自分を愛 するようにあなたの隣り人を愛〔す る〕」ことです(マタイ 22:39)。

クレイトン・P,14 歳

(アメリカ合衆国,アリゾナ州)

彼らの見方を変える

彼らがしていることは正しくないとい うこと,それと人を悲しませるのでは なく幸せにするように努力する必要が あることを簡潔に伝えるとよいと思い ます。ほかの人から思いやりのない言 葉をかけられた本人だったらどう感じ るかと聞いてみてもよいでしょう。別 の観点から状況を見るように助けま しょう。ほかの人々がもっと良くなれ るように助けることにより,もっと頻繁 に御たまを感じ,主があなたの義にか なった行いを祝福してくださることを 感じるでしょう。

ダーレン・O,15 歳(アメリカ合衆国,ユタ州)

勇気を出しましょう エステル,ジョセフ・ス ミス,エジプトのヨセ フ,聖典に登場するほ かの多くの人物のよう に,あなたも友達がほかの人々につい て不適切なことを言うのを止める勇気 をもつことができます。わたしも同じ 状況を経験したことがあるのですが,

勇気を出して,愛と理解を示しながら 友達に話すことができました。最終

言葉には力があります

「言葉には驚くべき力があります。 人を 高めることも,破壊させることもできる のです。 否定的な言葉に落ち込み,愛 ある言葉に心が浮き立った経験は,だ れの記憶にもあるのではないでしょう か。 人について,または,人に向かって 善いことだけを言うように選ぶならば,

周りの人は心が晴れ,力づけられます。

そのような言葉は,人が救い主の道を 歩めるよう助けるのです。」

ジーン・B・ビンガム 中央扶助協会会長

「わたしは福音の光を家庭にもたらします」

『リアホナ』2016 年 11 月号,7

66 リ ア ホ ナ

「イエスさまの作つくられた教きょうかいです。神かみの子どもとして教おしえ学まなぶ」

『子どもの歌しゅう』48)

ーストンがドイツで初ところです。アメリカに住はじめて出んでいたときに通た教きょうかいの集しゅうかいが終かよっていたわった

きょう

かいとはすごくちがうのかなと思おもいましたが,ほとんど同おなじ でした。ただ,ここでは,イヤフォンをして,お話はなしを英えいに 通つう

やく

してくれるのを聞かなければなりません。

お父とうさんとお母かあさんは,後うしろにすわっていた家ぞくと話はな

はじめました。その家ぞくには,イーストンと同おなじ年としくらいの男おとこ の子がいるようです。

「フィノット家ぞくよ」とお母かあさんがイーストンに言いまし た。「ジャンマルコは学がっこうであなたと同おなじクラスよ。」

「やった!」イーストンはジャンマルコに笑わらいかけました。

ジャンマルコの名まえは,英えいの「ジョン」と「マーク」を足し た名まえのように聞こえました。「君きみはどこから来たの?」と イーストンが聞くと,

き ょ う

か い

のためにかたく立

トレーシー・カーターと マリッサ・デニス

ほんとうにあったお話はなしをもとに書 かれました。

 

ジャンマルコは,ほほえみ返かえして答こたえました。「ぼくたち はイタリア出しゅっしんだよ。でも,家ぞくで中ちゅうごくから引っこして来 たばかりなんだ。」

「わあ,すごいね」とイーストン。「ぼく,中ちゅうごくに行ったこ とないよ。」

つぎ

の日,新あたらしい学がっこうに行ったとき,イーストンは少すこしきん ちょうしていました。でも,教きょうしつの向こうでジャンマルコが 手をふっているのを見て,少すくなくてもちゃんと一ひ と り人は友ともだちが いてくれると思おもえました。イーストンのクラスには,世かいじゅう中 から来ている子どもたちがいました。きっとこの学がっこうが好き になるだろうと思おもいました。

「おはようございます。」先せんせいがみんなに笑わらいかけました。

「わたしは,アルバノ先せんせいよ。まず, 自ぶんらしさがどういう 意か,教おしえてくれる人ひとはいますか?」

おんな

の子が手を挙げて「自ぶんがどういう人ひとで 何なに

をいちばん大たいせつにしているかということで す」と答こたえました。

「そのとおりね」とアルバノ先せんせい。「じゃ あ,おたがいに知り合いましょう。みん なにとって,自ぶんらしいってどんなこと ですか? みんなが持っている自ぶんら しさって何なんでしょう。」

「わたしはテレビゲームが好きです。」いち ばん前まえの列れつの女おんなの子が言いました。アルバ ノ先せんせいはにっこりしてしゅみと黒こくばんに書きま した。「ほかにはどうかしら?」

ジャンマルコが手を挙げて答こたえました。「ぼくはイタリア 出しゅっ

しんです。」アルバノ先せんせいはうなずいて国くにと書きました。

イーストンは言うことを考かんがえようとしました。「ぼくは教きょうかい に行きます」と後うしろの席せきの男おとこの子が言いました。

「それもいい答こたえね。」イーストンは,「そう言えばよかっ た」と思おもいました。

でもだれかが笑わらい,ほかのたくさんの子たちも笑わらいまし た。イーストンは,よく分からなくなり,ジャンマルコを見ま した。ジャンマルコも,こまった顔かおをしていました。なぜみ んな笑わらうのでしょう。

イーストンは家いえに帰かえると,お母かあさんに学がっこうであったことを 伝つた

えました。

お母かあさんは悲かなしそうな顔かおをしました。「なぜ教きょうかいが大たいせつ かが分からない人ひともいるのよ。ばかげていると思おもうのね。」

イーストンは「そうなんだ?」と言いました。教きょうかいがばか げているとは全ぜんぜんおもわなかったからです。

2 ,3 週しゅうかん,アルバノ先せんせいが生せいたちに,家ぞくらしさに

した。

「どんなプロジェクトにする?」夕ゆうはんのためにテーブルを用ようしているとき,お母かあさんが聞きました。

イーストンはクラスのみんなが笑わらったことについて考かんがえま した。「教きょうかいのことについて発はっぴょう表したいと思おもう」とイースト ンが言いました。

お母かあさんはにっこりしました。「それはいい考かんがえね。」

「それから,ジャンマルコとフィノット姉まいにもいっしょに 発はっぴょう表してもらえるかな。」

「すごくいいアイデアね。夕ゆうはんの後あとで電でんしてみるわ。」

つぎ

の日,ジャンマルコとフィノット姉まいが来てくれました。

まず,4 人にんで教きょうかいについていちばん大たいせつだと思おもっていること について話はなし合いました。お母かあさんが,出たアイデアを全ぜんノートに書いてくれました。それから,ポスター用ようのボー ドを見つけて,イエスや預げんしゃや神しん殿でん

しゃ

しん

や絵を見つけてのりではりました。

ついに発はっぴょう表の時ときがやって来ました。

イーストンはジャンマルコとお母かあさんた ちと,クラスのみんなの前まえに立ちました。イーストンは

ふか

く息いきをすいこむと,

「わたしたちは末まつじつせいイエス・キリスト教きょうかいの会かいいんです」と言って発はっぴょう表を始はじめました。

ひ と り人ずつ交こうたいで教きょうかいについて話はなしまし た。ジャンマルコは聖せいぶんについて話はなし ました。お母かあさんは預げんしゃについて話はな しました。フィノット姉まいは家ていの夕ゆう べについて話はなしました。イーストンはバプテスマについて話はな しました。とってもいい経けいけんになりました。

ぜん

わってから,イーストンはとても良い気ちがしま した。笑わらう人ひとはだれもいませんでした。むしろ,みんな気 に入ってくれたようでした。イーストンは,とても大たいせつなこと をクラスのみんなに伝つたえられてうれしくなってにっこりしまし た。イーストンは自ぶんが何なにものであるか知っていました。イー ストンは神かみの子です。■

このお話はなしを書いた人ひとたちは,ドイツ,バーデン・ビュルテンベルク州しゅうとア メリカ合がっしゅうこくユタ州しゅうに住んでいます。

かみ

の子ども

「みなさんは,自ぶんらしさをどのように見つ けますか。まず,自ぶんが神かみの子であること を覚おぼえてください。」

じゅう

使ていいんかい

ラッセル・M・ネルソン会かいちょう

“ Identity, Priority, and Blessings,”

Ensign, Aug. 2001, 11

わたしはイエス・キリストを 信しんじています わたしは家ぞくの一いちいんです

わたしは神

かみの子 です

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