• 検索結果がありません。

神仏混合による日本の伝統文化と和の精神

ドキュメント内 国際平和と有徳 (ページ 38-41)

第二章  日本の伝統的な平和文化と有徳国家 第一節 稲盛和夫の近代以前の伝統的な平和文化論

第二節  神仏混合による日本の伝統文化と和の精神

(1)神仏習合の文化はすべての生き物を大切にする文化と共同体の安寧

 憲法九条の平和主義文化は、世界宗教である仏教の普遍主義と日本の地域社会で生きてきた自然主義 的な共同体のもつ生活からの基層的信仰を習合した開かれた精神からきたものである。

 仏教のもつ普遍的な悟りの教典の抽象性と具体的な生活からの苦悩や恐れ、祈願という感情を信仰に 高めながら、心を鎮めるように統合したものである。宗教のもつ絶対的な価値性を生活からの苦悩、恐 れ、祈願という感情と統合して、紛争や人間のもつエゴ、欲望の増幅をコントロールしていく役割を果 たしたのである。

 仏教や神道は、人間のみを救済の対象しか考えない信仰ではなく、すべての生き物、自然を包み込む 救済の対象とする。日本では地震、台風、水害、急傾斜による自然災害の厳しさがあった。このなかで こそ自然循環、自然畏敬の文化を大切にしてきたのである。

 特別に自然の掟に付き合って、自然を観察し、自然と共に生き、自然循環を重視していく文化が醸成 されてきたのである。それゆえに、抽象的な悟りと具体的な生活感情をより深めたのである。

 さらに、神仏習合が、庶民の生活から乖離して、為政者によって権力支配を絶対化して、祈りと暴力 が結びつくことがあった。儒教の導入から人の道、善悪、慈しみの心、正義などが、為政者に強く求め られた。

 このことは、日本の伝統的な和の精神を作りだした。民の暮らしを大切にし、紛争を話し合いで解決 していくという文化である。為政者にとって、神仏習合の精神、後の祟りが恐ろしいという文化、怨霊 文化などは、権力支配欲の増幅に歯止めの役割を果たしてきたのである。日本の伝統的な文化を破壊し たのが廃仏毀釈である。

 廃仏毀釈は、日本の近代化のなかで、神仏習合文化から絶対主義的な国家神道をつくりあげたことで ある。国家神道は、決して日本の伝統的な文化ではなく、日本の国民全体を軍国主義的精神に統制して いくためのものであった。天皇の民族的なアイデンティティという権威と国家権力を結びつけたもので あり、国家の軍事的統制の役割を果たしたものである。憲法九条の平和主義を日本の伝統的な文化から 考える場合に、神仏習合の積極的な評価、廃仏毀釈の大いなる反省と日本文化の複合性、価値観の多様 性、自然主義を見直しながら平和の構築をしていくことが必要である。

 歴史宗教学者の義江彰夫は、著書「神仏習合」で日本の宗教構造の特徴について分析している。

 「8世紀から9世紀半ばに神宮寺生成過程を通して、日本各地に、多国に類例をみない神社(基層信 仰)と寺院(普遍宗教)が正面から結合し、仏になろうとして神(菩薩)のための寺というかたちの神 宮寺が生まれている」「神宮寺の出現は、普遍宗教としての仏教と基層信仰としての神祇信仰が、各々 の独自の信仰と教理の体系を維持したままで、開かれた系で結ばれている」「神宮寺を起点として、次々 に生まれてくる怨霊信仰、浄土信仰、本地垂跡説、中世日本記など、神仏習合の諸問題は、いずれも神 宮寺にみられた神仏の関係を起訴として発展的に生まれてくる問題なのである」。43

 義江彰夫氏は、神宮寺の出現の重要性を日本の宗教構造を解明していくうえで、重要性であるとして いる。神仏習合の出現の過程で、それぞれの独自の教理と信仰の体系を維持したままで正面から維持し て、開かれた系をもって習合していくことを強調しているのである。

 地方の豪族が神々を背負って支配してきたのが、8世紀後半に全国いたるところでゆきづまりに直面 し、仏教にその打開の道を求めた時代である。地方神の神宮寺化の動きは、新嘗祭等の皇祖神の霊力と いう律令国家支配体制を物的に支えるものである。地方社会の共同体祭祀を国家的規模で変容編成して いくのを認めていくのが神仏習合であると義江彰夫氏は述べている。44

 さらに、神仏習合によっても基層信仰の強い呪術的な共同体信仰の神祇信仰は、社会底辺に生き続け たのである。神々の霊力に奉ることが共同体成員のすべての安泰と繁栄が約束されるということであっ

――――――――――――――――

43 義江彰夫「神仏習合」岩波新書、26頁~27頁

44 前掲書、37頁~39頁参照

た。王朝国家の時代はもちろん中世の時代まで基層信仰の呪術的信仰とケガレ、忌避観念の信仰は継続 したと考える。

 また、キリスト教の世界では、仏教と決定的に異なるのは、最初から呪術と奇跡を認め、人間しか救 済されないということで、罪も人間だけで、人間の生物、物への罪などは問われなかったとしている。

キリスト教は、異教と基層信仰の神々の名を唱えることを禁じたのであると。日本の神仏習合の歴史は ヨーロッパと決定的に異なる普遍宗教と基層信仰の結合のしかたをみることができる。日本では、仏教 が神祇信仰を排除・抑圧することは一度もなかった。仏教が神祇信仰を吸収する際に神祇の名を唱える ことを禁ずる必要がなかった。日本の仏教と神祇信仰はヨーロッパのように、閉ざされた系でキリスト 教の吸収ではなく、開かれた系で結びあい、仏教と神祇信仰の共存の上に、競合と結合を築け上げてき たと、義江彰夫氏は強調しているのである。45

 義江彰夫氏が指摘する日本の伝統的な宗教構造の基層信仰と普遍宗教の共存性が、神仏習合というな かにみることができるという指摘は、日本の宗教文化の構造論から平和文化を考えるうえで注目するこ とである。閉ざされた系で、異教徒と基層信仰を禁じてきたことは、ぶつかり合う宗教的教理や価値に 対して、寛容性をもっていくうえで、一段と高いレベルの伝統的な宗教的な要素を超えての多様性の価 値を認め合う平和の理性が求められているのである。

(2)神仏習合での僧兵をどうみるか ―平和文化との関係で―

 神仏習合の文化のすべてが、暴力を否定しているということではない。それは、僧兵ということで、

祈りと暴力の力が結合していた歴史を直視しなければならない。古代・中世時代の神仏習合における修 験道寺には、僧兵と言われる武装集団があった。僧兵が活躍した時代は、社会が乱れるなかである。

 もうひとつの中世社会の権力というように神社勢力は、貴族社会とは別個に荘園を領有している。そ れは、摂関政治の貴族の領有に対抗し、広大な寺領・神領を有していく。巨大になった神社領有は、い ろいろな勢力から襲われる危険性をもっていた。寺社を防衛することから武力を保持する必要があっ た。自衛的手段として、武力を保持していたのである。

 中世時代になると神仏習合の神社は、宗教的な権威による地域アイデンティティという側面ばかりで なく、為政者的側面としての地域の権力者になっていく。地域の暮らしの基層的信仰と普遍的な宗教と いう神仏習合にみられた祭りの神祇信仰が大きく変化していったのである。所領を巨大化した神社勢力 は、特権化して武器をもって戦争を引き起こし、人々に恐怖を与える者たちがあらわれるようになった。

 衣川仁氏は「僧兵=祈りと暴力の力」の著書のなかで、中世社会の仏教の実践者が祈りの世界とかけ 離れた暴力をもって権力体として存在していたことを指摘している。寺院が最大限の権力基盤を寺院荘 園の経済的基盤によってそなえていた。延暦寺や興福寺の寺院では何千もの規模をほこっていたとす る。

 そこでは、僧でありながら、武器をもって暴力を行使したのである。中世で「大衆」とよばれる最大 級の巨大化した寺院はなぜ歴史上に登場し、なぜ存続できたのか。比叡山にみられるように秩序を乱す 僧の基盤は、巨大化した寺院の大衆であるとすると衣川仁氏は問題を提起する。

 寺院と民衆との間には、霊験と帰依という双方向からの依存関係が存在している。その幸福な関係が 続かなければ寺に不信が待っていた。それゆえ寺院は、人へ霊感を定着させるために帰依の持続的獲得 に奔走する。その手法は穏やかなものだけではなく、恐怖をからめることを厭わない。領主権力との集 団的な抵抗で、中世民衆の主体性は、逃散等を行った。常に厳しい現実のなかで、平穏な生活を願っ て、神仏に素朴な望みを託し、霊験が現れることを待った。同時に、それと引き替えに個々人が蒙るか もしれない恐れというリスクをのみこんで冥顕の力を受け入れたのである。幸福を求めることとセット となって神仏の恐怖が確実に入り込んでいくと著衣川仁氏はのべるのである。46

 中世の大きな寺院は、僧兵をもって為政者に対して徒党を組んで強硬に訴えることを行った。まさに

――――――――――――――――

45 前掲書、208頁~213頁参照

46 衣川仁「僧兵=祈りと暴力の力」、講談社選書、146頁~148頁参照

ドキュメント内 国際平和と有徳 (ページ 38-41)