第Ⅲ章 生命倫理を視点とした公民科の授業開発
第3節 社会問題探求的アプローチによる生命倫理発展型の 授業実践
この節では、前節で作成した3つの授業事例を元にした高等学校での実践についてのべ る。実際の授業はどのように構成され、どのように実施されたか。そして、生徒はその中 でどのように考えたのかを見る。統制群を設けて、その効果の差を見て仮説の有効性を検 証するといった厳密な教育方法的な授業評価の定量的な手法をとらなかった。あくまでも、
授業の内容がどのように受け止められ、生徒がどんな意見をのべたのか重視した。メイサ ーのテキストの特徴が授業にどのような効果を発揮するのかを見るためである。
第1項 社会問題探求的アプローチによる生命倫理発展型の 授業実践の展開
実践したのは、勤務校の神戸市立神港高等学校(2007年4月現在、生徒数740名、普通 科9学級、商業科7学級、情報処理科3学級)の3年生公民科「現代社会」(2単位)であ る。以下は、代表的なクラスの3年生情報処理科での実践内容を元にしたものである。表 18のように、2学期前半の2006年8月30日から、10月25日の12時間実施した。た だし、12時間目は、2学期中間考査であるので、授業は11時間の実践である。
表18 授業実践の展開過程
授業 段階 内容 形態
1 8/30
自殺幇 助法
記述的 生命倫理
(1)オレゴン州の自殺幇助法 【前出の資料1】
①患者の権利(1970年代アメリカで主張される)
・ナチスの人体実験の反省とパターナリズムに基づいた医 療の反省
・患者が医師と対等な立場、「十分な説明と同意」の原則
=「インフォームド・コンセント」
【感想】「死期がせまっている患者が、致死薬を求めて良 いか」
・VTR視聴 「自分らしく死にたい」
講義
感 想 記 述
VTR 視聴
2 9/4
規 範 的 生 命倫理
自主・自律 の原則
「一人で死ぬこと」と「家族の中で死ぬこと」との違いと は何か。
② (致死薬の感想)賛成意見の背後にあるもの
・いのちが自分の所有物である。
・自分が常に正しい選択ができる。(自律)
・苦痛や他者への迷惑の回避を求める。
→つまり、ただ生き続けることは、自分の生命の質
(QOL)から考えると耐えられない。
講義
(筆者作成)
授業 段階 内容 形態 資料 3
9/6 規 範 的 生 命倫理
「どんな人がどんな理由で自殺幇助を求めるのか」
【前出の資料2】
高学歴の人→自律性の喪失を恐れる。自分の死をコントロ ールしようとする。
政府→できるだけ延命治療せずに、医療費を削減したい。
アメリカの保険制度(公的保険の割合が少ない、無保険者 400万人)→「死ぬ権利」さえない貧しい階層
講義
No.10 4
9/11 規 範 的 生 命倫理
「QOLとSOLとは何か」
③ 反対意見の背後にあるもの
「QOL(生命の質)とSOL(生命の神聖さ)」 反対意見は、SOL重視の考え方。
【感想】(賛成論、反対論の根拠を学習した後で)
「自分の死を自分の決定で行うことは許されるのか?」
講義
No.10 5
9/13
相 互 作 用 的 生 命 倫 理
「自分の死を自分の決定で行うことは許されるのか?」
感想の検討
「許されるとする意見」:苦痛を除く、迷惑を掛けない →自分の価値、心のプライドを守る目的
「許されないとする意見」:
他人によって、いのちの質を判定される危険性
日本における尊厳死の現状
尊厳死法制化、国民世論、「飢える自由?」
感想の 検討 No.11
講義 No.12 6
9/20
出生前 診断
記述的 生命倫理
(2)出生前診断
「出生前診断とは何か」 【前出の資料3】
VTR『地峡法廷 生命操作を問う・生と死の新たな選択』
【視聴の感想】
「出生前診断について」VTRの感想を書く。
講義 VTR 視聴 No.13 と No.14 7
9/25 規 範 的 生 命倫理
利 益 と リ ス ク の 原 則
① 妊婦全員への「マーカー」テストの意味
【前出の資料4】
スコットランド 1970年代、障害を持つ出生
(500人→2人)政府は「知らせただけ」
→受け取る個人が中絶の「自己決定」
ねらい:政府にとって、福祉の予算など社会的費用を減 らす働きがある。
妊婦は、「産む・産まない自由」を選択させられる。
講義
No.15
授業 段階 内容 形態
8 9/27
相 互 作 用 的 生 命 倫 理
感想の検討
「障害者のいない社会とはどんな社会か?」
→障害を持つ子どもを通じて、社会のぬくもりを感じ る。つぎつぎとマイノリティを見つける社会。
② 尊厳死と出生前診断の共通点
「生命の質」が低いいのちの廃棄、「自己決定」により 選択される
→どんな社会的状況における選択か。
どんなプロセスによる選択か。
講義
No.15 9
10/2
臓器売 買 記述的 生命倫理
規 範 的 生 命倫理
公 平 さ の 原則
国際的な生命倫理問題−臓器売買
【前出の資料5】インドの臓器提供患者
【前出の資料6】日本の腎臓移植の現状
①貧しい国の臓器が豊かな国へ「輸出」される。
② 提供側も仲介者も提供される側も満足している。
【写真の感想】
臓器提供者の写真を見て、医療経済面、人権の面、
自己決定の面から感想を書く。
講義
No.16 10
10/11 相 互 作 用 的 生 命 倫 理
感想の検討
医療経済面、人権の面、自己決定の面の感想を検討。
それぞれの賛成意見、反対意見の根拠をさぐる。
(検討の結果)
売買推進側は、「自己決定・利益の獲得」を根拠とする。
売買反対側は、「公正、正義」を根拠とする。
講義
No.17 11
10/13
まとめ 全体の振り返り。
・「生命の質」の大切さと危険性(尊厳死法・出生前診断)
・臓器が商品化されル社会(国際的な臓器売買)
【前出の資料7】「腎移植ツアー」の実態
講義
12 10/25
中間考査 考査
(筆者作成)
第2項 社会問題探求的アプローチによる生命倫理発展型の評価
前項の12時間の授業で、生徒はどのような意見や感想を書いたのかを検討する。メイ サーのテキストの考え方で開発した生命倫理の授業実践が、「哲学的心理的な問題にのみ押 し込めずに、社会的な関与を保障する」「是非の二元論に陥り、相対主義的な結論に陥らな いようにする」という2つの課題を改善したものとなっているのか、生徒の評価を見るた めである。ここでは、2つの質問に関する答えを検討する。いずれも3年生情報処理科1 組の生徒の意見である。付録資料に第1問と第2問の意見をすべて掲載している。
(1)質問内容
第1問 出生前診断についての意見(授業 第6回 9月20日)
VTR「地球法定 生命操作を問う・生と死の新たな選択」した後、
VTR全体を見て、感想をどうぞ。
この第1問は、授業の中で、出生前診断の基礎知識を学んだ。VTRを通して示された出 生前診断賛成論・反対論をみて、自分がどんな意見をもっているのかを確かめさせるため に書かせた。オレゴンの自殺幇助法の学習を終えているので、自主自律の「原則」につい てはすでに学習している。
第2問 2学期中間テストの問題の中での質問(授業 第12回 10月25日)
「臓器売買」について、自分の意見を詳しくのべよ。その際に、自分が どんなことに重点を置き、意見をのべているのかを明確にしてのべよ。
臓器売買の学習後、テスト直前の第11回の授業で、単元全体をキーワード「生命の質」
によってまとめた。単元全体とまとめから、自分がどんな意見をもっているのかを確かめ させるために書かせた。テストではあるが、臓器売買の賛成論、反対論どちらを書いても 点数の差はない。
(2)生徒の意見
第1問 (出生前診断についての)VTR全体を見て、感想をどうぞ。
全体として、賛成意見、13名。反対意見、12名。どちらかわからない意見、10名。
欠席など6名、合計41名であった。
賛成反対半ばであり、わからないとする生徒も多い。しかし、賛成意見の中で、障害を 持つ子供が産まれない方がよいとする意見は、少数派である。
賛成派であって、障害を持つ子どもは生まれない方がよい。だから、出生前診断賛成と する意見は、5人の生徒(意見1、4、5、11)60だけであった。なお、引用した意見の
【 】の見出しは、筆者がつけたものである。
60 巻末の付録資料に全ての意見を収録している。
意見1 【本人も両親も苦しむ】
私は出生前診断に賛成です。障害をもって生まれてくると自分も苦しいし、両親も大変 です。みんながつらい思いをしているのはかわいそうです。もし、自分の子供が障害者だ とわかったら産まないと思います。
これに対して、障害を持つ子供が生まれる準備のために受けたらいいという意見も多い。
(意見2、6、7、8、10)
意見6 【産みたい、そのための準備として】
中絶するか決めるのはやはりお母さんだと思う。産まれてきても育てる自信がなくて放 棄したり、親が命を絶ったりすると産まれてきた子供にとても深い傷を与えてしまう。育 てる自信をまったくもてない人は産まない方がよい。でもできれば私は産んでほしいと思 うし、もし自分がそういった立場になったとしたら産みたいと思う。最初にあった事例の ように準備期間があれば心の負担も軽くなると思う。だから出生前診断という技術がある ことは良いことだと思う。
賛成派だが揺れる思いを表明しているもの(意見3)、障害を持つ子供について国によっ て考え方が違う点を指摘したもの(意見9)、検査してからさまざまな選択があってよいと するもの(意見12)がある。このように賛成派であっても、実際に障害を持つ子供を排 除しようとする意見は少数である。揺れる思いは、賛成したいが、しかし、障害を持つ子 供を排除もできないし、とする意見である。
また、ほんとうにわからない、思考が揺れているとする意見は10名(意見14〜23)
である。それぞれ真剣に出生前診断のことを考えた結果である。
意見14 【わからない】
やはり賛成反対あるが、今のところどちらとも言えない。治療ではなく安心のために受 けるのは、万が一の覚悟がなければひどく傷つく。その結果、子供をおろすかもしれない。
だが、何の情報もなしに突然、障害をもった子供が生まれてくると、用意も何もできない。
結局、どうするべきかどうかは、当事者の判断にゆだねられるだろう。また私がそのよう な立場でも今はどちらか一方に言い切ることはできない。ただ一つ言えるのは、自分の子 供が健康に生まれて来て欲しいという、当たり前で切実な願いである。
反対意見には多様な理由があげられている。多かったのは、障害があろうとなかろうと、
自分の子どもは自分の子どもだ、だから検査に反対する意見である。7名がこの意見を書 いている。(意見25、26、27、30、31、35)
意見35 【人生に意味がある】
障害がある人もない人も生まれてくるには意味があると思うから、いのちを選択すると いうことはあまり賛成ではない。障害者の親も「得られるものがたくさんあるので、この 子が産まれてきてよかった」と言っている人をたくさんみたし、障害がなければ幸せとい うことにはならないと思います。むしろ障害がない人の方が犯罪をおこしたりするのに、
その間替えはまちがっていると思います。
また、障害があるから中絶するという考え方に対して、強い反対意見がある。
意見32 【兄がダウン症】
障害者ダウン症だから産まないと言う考えはとてもひどいと思う。私もダウン症の兄が いるけれど、そんなことを思ったことはありません。こういう考えの人が増えることで、
社会は障害者、障害者のいる家族が住みづらい社会になっていく。産まれてくる子供が障