5.アイデンティティ
5.2 社会のレジリエンス
42 熊谷徹(2020,8)、『パンデミックが露わにした「国のかたち」』、NHK出版、247,255 拡大封鎖のための情報管理をし、自国も新型ウイルスの被害者であること を世界に強力に発信し続け、「ウイルスは米軍が持ち込んだものかもしれ ない」とまで公式発表している。アメリカにおける感染拡大への失敗は、
医療制度と保険機構の不都合によって起きてしまったといっても過言では ないだろう。感染症の高い知見や高度な DNA 遺伝子編集技術を持つ先進 国を誇っていても、感染拡大はコントロールできなかった。
ドイツ在住の熊谷徹は、ドイツにおける死亡率を欧州で最低に抑え込め た背景について、『パンデミックが露わにした「国のかたち」』の著書で詳 細を報告している。物理学者という経歴を持つメルケル首相のパンデミッ クへの判断や、市民への説得力、罰則付き行動制限策について、“欧米の民 主主義社会は、市民の自由と権利、透明性を守らなければならないが故に、
中国より苦戦を強いられるだろう。パンデミック対策の違いは、「自由と 市民権を犠牲にしてもウイルスの封じ込めを優先する」中国と、「自由と 市民権を守りながらウイルスを封じ込める」欧州の間で、今後も「異なる システム間の競争」が続くことを示唆している。”と感想を述べている。
資本主義の形については、アメリカ型よりもドイツ型の方がうまくいく だろうとして、“資本主義のかたちをめぐる議論では、二つのモデルがあ る。一つは、小さな政府と自由放任主義、市場メカニズムを重視する米国 型資本主義。もう一つは、政府が企業の競争の枠を決め、社会保障による 富みの分配を重視するドイツ型資本主義だ(社会的市場主義とも呼ばれ る)。少なくとも 2020 年夏の時点では、パンデミックという 100 年に一度 の危機に対して強靭性と抵抗力を示しているのは、ドイツ型資本主義であ るように見える。42”と評価し、ドイツ型の資本主義と民主主義はレジリエ ンスに富んでいるのではないか、と示唆している。
つレジリエンスを保持していた集団やコミュニティでさえ、パンデミック が起きる前の価値観を持つ社会性を維持できなくなってしまったケースが 続出した。感染拡大防止のために物理的に継続性を断絶させられてしまっ た社会性や、独裁的に個人情報を強制管理し強化したことで便益や自由が 個人から国家へと移行してしまった社会では、もとの社会性を取り戻すこ とができなくなってしまった。個人や集団のコミュニティが国家に頼らな いで済む社会的持続可能性を維持するのには、最低限でも持っているべき レジリエンスを必要としていた。
世界的なベストセラーとなった『フラット化する世界』(2006)を著し たT,フリードマンは、著書『遅刻してくれて、ありがとう』(2016)/(上)
(下)の著書の中で、社会的に回復力のある持続可能性を持つレジリエンス
(Resilience)とは何かについて考察をしている。1953 ~ 1970 年初頭を過 ごしたミネアポリスを思い出し、2010 年にミネソタに帰省し活動の拠点 をミネアポリスに移し『遅刻してくれて、ありがとう』を執筆している。
帰省地は、ミネアポリスのダウンタウンから北西部に隣接するセントルイ スパークという地域である。
パンデミックが起きる4年前であるが、今のミネアポリスが社会的持続 可能性を維持できている要因について分析し、社会的な持続可能なレジリ エンス(Resilience)とは何かについて、『遅刻してくれて、ありがとう』
(下)で200ページを割いて、「いつの日もミネソタを探して」と題した章 を独立させて、論じている。ミネソタ州ミネアポリスが維持しているレジ リエンスが、アメリカ合衆国全体が持つべき社会的持続可能性を維持でき るレジリエンスであると指摘している。
T,フリードマンが1960年代を共に過ごした同級生の友人に、『これから の「正義」の話をしよう』の著者でもあるハーバード大学の「白熱講義」
で知られる哲学者のM,サンデルがいる。著書の中で、行動を共にしていた エピソードを紹介している。T, フリードマンや M, サンデルが青春時代を 送っていた同じ時期、筆者はミネアポリスに本社があったHONYWELLと いう国際化した企業でInternational Sales and Market Assistant Manager という仕事に従事していた。家族と住んでいたのは、2020 年 5 月 25 日に
George Floyd が警察官に逮捕され死亡した現場である Chicago Ave. S と E 38th St.から南西に20kmほど離れた、Rich Fieldという地域であった。
当時の国際化していたビッグビジネスでは、組織として社長直轄の国際 事業部をスタッフ的な位置付けで置いていて、政治的な隔たりが大きい国 家間のビジネス環境の調整に権限を持っていた。一方、製品別事業部は国 内販売と製品の輸出やローカルプロダクション(海外生産:日本ではノッ クダウンと称した)の責任を持っていた。筆者は製品別事業部別組織の国 際市場担当でもあり国際事業部にも所属する立場にあった。初めて出社し た日にInternational Division 担当のVise Presidentから「ことばも宗教も 違う国々の人々を相手に仕事をするには、先ず宗教観について包容力を持 つこと、企業人である以前にミネアポリス市民であること」と申し渡され た。
ツインシティとして有名な、ミネアポリス・セントポール市民の持つ社 会性は、今でもアメリカ合衆国の典型的市民社会の環境を継承している。
市民社会や市民活動の社会性の中にあって初めて、一市民と同じ価値観や 規律を共有する「法人」という企業の経営活動が可能になる、という強い 信念とミッションを持っている。企業が従業員に組織への参加を強制する のではなく、企業が一市民として地域社会の環境に参加している、という イメージが強い。
セントポールに本社を置くスリーエム(3M)では、今でも地域社会を 企業活動の基盤として継続しているが、創業以来の組織経営に「15%カル チャー」とよばれる仕組みを持っている。仕事の時間帯の 15% は、社則 に違反しなければどのような自主活動をしてもよいという、制度化されて いない組織文化である。活動資金は会社が捻出する、という仕組みになっ ている。ポストイットが生まれた逸話は、「15%カルチャー」によるもの である。
いつの時代でも、国際的な仕事に携わる企業人としては、国の政治や社 会や文化や教育や社会的持続可能性を持つ仕組みの背景には、必ず宗教的 な基盤があることを理解しておく必要がある。製品や商品には宗教が付属 しているわけではないが、交渉や契約に際しては、経済的価値観よりも宗
教的価値観の方が優先することが多い。筆者の経験からすれば、企業人よ りもミネアポリス市民であることの方が、国際的なビジネス活動の難しさ に柔軟性を与え、異なる価値観にも合意を得ることができ、社会性を優先 するレジリエンスを身に付けているということを実感していた。
T, フリードマンは、2015 年の夏にジミー・カーター大統領時代に副大 統領であり駐日大使でもあったミネアポリス出身の W,F, モンデール(当 時87歳)との会話を思い出して、“モンデールが、私にこういった。「きみ、
それはいまも持続しているよ─連綿としてつづいている。ハンフリーは 亡くなったが、彼が唱えはじめた基本原理は、2世代あとの新世代でも生 きている」”“モンデールの言葉は正しかったと私は実感した。それだけで はない。フォーチュン 500 社のうち、17 社がミネソタに本社を置いてお り、ウエブサイトのパッチ・オブ・アースは、ツインシティーズは家族が 住まい、子供を育てるのに、「最高の都市」ランキング7種で1位だったこ とを発表した。ミネアポリスとセントポールは 1 年のうち 5 ヵ月間、凍土 になる街なのだから、なにか重要なことがいまも機能しているに違いな い。”と、社会的持続可能性の重要な何かについて、自問自答している。
5.2.2 信頼という社会関係資本
社会的持続可能性を支えているレジリエンスを継承していて、今も機能 している集合体が示す重要な要因の一つについて、T,フリードマンは“厚 い指導者層の存在と同時に、ミネソタやセントルイスパークでは、異例と もいえる高度の官民協力があり、それがいまも残っている。かなりの数の 企業が、自分たちをたんなる雇用主ではなく市民であるとみなし、地元の 社会的経済的な欠陥の是正を支援するのは企業の責任だし、企業幹部がコ ミュニティで志願してそれをやるのが当然だと考えている。これもまた、
中央政界とは対照的だ。中央では、2008年以降、大企業が国政や議論から 姿を消した─ウォール街の銀行家によってみずからの倫理が大きく傷つ いたことや、2008年以降、大企業がいわれもなく悪玉扱いにされているこ とが、その原因だろう。また、大企業は多国籍企業でもあり、海外の顧客 や社員が数多くいるので、「アメリカ市民意識」が薄らいでいるせいでも