時間軸で観察すれば、ミクロ的なあらゆる現象は、経過という連続性に 経路依存性を持っていて、事象的な同一性が確認でき復元性があるように は見えているが、物理学でいう熱力学の第二法則にあるように、エントロ ピーは拡大し続けているので、時間経過のある事象には、同一性を維持で きているわけではない。近似性が時間軸の経過で同一として継続的に見え る現象について、C,ロヴェッリは、『時間は存在しない』(2017)と題した 著書の中で、“二つの出来事の間にありそうにない関連が見られたなら、
何かありそうにもないことが起きているはずで、そのようなことが起こせ るのは、過去にエントロピーが低かったという状況しかないからだ”とし て、Diversity(多様性)の起源と現在の事象の近似性について、“過去に 共通の原因が存在するのは、過去にエントロピーが低かったことの表れで しかない”“人類は、この壮大なエントロピー増大の歴史の一つの結果で あった、これらの痕跡がもたらす記憶のおかげで一つにまとまっている。
一人一人がこの世界を反映していればこそ、まとまった存在なのだ24”と 説明している。
C, ロヴェッリは、“まとまった存在として確認できるのは、同類らしき 集合体を観察している人間の脳が、ニューロンによって確認し記憶される プロセスによって、実在していると認知しているに過ぎないのだ”とも述
べている。我々が、認識する経路依存性を持つ染色体 DNA の世代への転 写は、人類の持続可能性を実現している通時態(Diversity)を持っている が、現時点で観察できる対象は、個人が観察という作用を及ぼした結果、
そこに実在していると自覚できたと思い込んでいる共時態(Variety)を 認知して記憶しているだけの存在でしかないことを説明している。コミュ ニケーションが可能となる交換認識を通じて、ニューロンのネットワーク が過去の近似を自覚しているだけ、ということになりそうである。
結果があるから原因があると因果性があるように見える事象には、復元 性や同一性を見出せることがある。復元性があると思える事象は、ある種 の因子が経路依存性を持っているように思え、人間の脳が後つけや思い込 みで、そう判断しているのかもしれない。現在の事象は過去の事象とは同 一のものではあり得ないことは事実であるので、過去の結果を知っていれ ば、現時点から勝手に脳が判断をして、あたかも経路依存性がある事象と 結論つけてしまうことも起きていそうである。復元したかに見えている事 象は、いつもアナロジー的な近似であると認識しておく必要があるだろう。
ウイルスと人体と社会活動と国家的動態について、各々の関係性をミク ロとマクロから説明しようとすると「合成の誤謬」に陥ってしまう。「合 成の誤謬」に陥ってしまうのは、人間の脳が単純に勘違いをしているだけ なのかもしれないし、集合論的に階層性や分岐を解明していけば、近似的 な関係性は証明できるのかもしれない。科学的な知見の経過からは、当た り前といえば当たり前であるが、人間から観察できるミクロ環境とマクロ 環境は、人間が観察する媒体について、どんな主体から観察しているかで 尺度と要因が異なるので、誤謬という現象を起こしているように見えてい るだけだともいえそうである。
経済学でいう「合成の誤謬」や、ウイルスと人間社会の関係性を説明で きない理由は、時間軸が経過してしまった後で、観察者が異なる時点と異 なる観察事象からのデータを総和として合成しなければならず、誤謬を起 こしていると思うのは、人間側の観察と認識のずれが起きてしまっている からだ、と考えるべきであろう。事象としては事実しか起きていないの で、人間の脳が、単に誤謬と認識したがっているだけなのかもしれない。
ミクロ的には単純な RNA ウイルスに対し、マクロ的な存在として理解し ようとする人体は、複雑系そのものであるといってよいだろう。
ミクロ的な RNA ウイルスが個体の細胞に侵入すると、個体の細胞内で 増殖し、他の細胞に攻撃を仕掛けると考えられる。人体という集合体がウ イルスと共存している場合も考えられる。共存していれば PCR 検査をす れば陽性を示すかもしれないが、人体というマクロ的環境では発症現象を 起すかもしれないし、発症現象を示さず、RNA ウイルスは自己変異を同 一の人体という集合体の中で繰り返している可能性もあるだろう。
RNAウイルスは、個体の異なるDNA連鎖を持つ宿主の細胞に侵入する が、侵入を拒否しない人体の細胞の機能から観察してみると、人体の細胞 は RNA ウイルスを積極的に受け入れる機能をもともと持っている存在で ある、という考え方もできる。RNA ウイルスは生物ではないのに宿主を 変えることで変異をする。ウイルスが感染症を引き起こし、変異によって 拡散するという現象は、人間から見るとウイルス自身が自己進化して人体 に被害を与えている悪者であるように見えているが、もしかすると人体が ウイルスを受け入れる細胞の機能を持っているがゆえに、人類は独自に進 化できたのだという解釈も成り立つ。
人体の細胞が必要としない機能であれば、進化の過程で機能を退化させ ているはずである。退化していない細胞が持つこの機能は、新型コロナウ イルスでは人命にかかわる異常事態を発症させているが、個体の人命を維 持するのに不可欠な機能であるかもしれず、何世代も継続させるに優位な 役割を持っている機能であるかもしれない。薬を投与することで新型コロ ナウイルスが細胞内に侵入できない体内環境をつくると機能が正常に働か なくなることが起き、他の原因不明の発症を引き起こすかもしれない。
2.4.2 客観性と価値観
われわれは、新型コロナウイルスの感染拡大の防止策を考え出すに際し て、感染前にウイルスがどのように活動していたかについて想像するしか ないが、症状が現れてからしか過去の経緯について仮説を立てる以外に方 法がなく、科学的知見の手段を持っていない。未知の領域では、どんな事
25 岩田健太郎(2020,3)、『感染症は実在しない』、集英社インターナショナル新書、235 象でも同じ因果性の矛盾が起きている。再現性があり正確な復元が可能に なったと統計的な特徴量により信じられたあとでも、事象が起きた時点と 原点がどのようなものであったかについて、事実を正確に捉えることはで きない。
既知が増え続けているはずの医療現場でも医師と患者との間では、岩田 健太郎が『感染症は実在しない』(2020,4)と題した著書の中で主張して いるように、奇妙な説明しかできない現実は起きているだろう。患者と直 接向き合う医師は治療手段を選択して患者を個別最適化すべく治療方法を 決定するが、国家レベルで厚生的な健康を考えると、患者数が少なければ 国家は全体最適となるルールを優先し、結果的に少数患者に犠牲を強いる ことが起き得る。
今回のパンデミックでは、感染症が拡大してしまう可能性のリスクを最 小に抑え込みたいと考えマクロ的に全体最適を目指す場合、患者が陽性反 応を示せば、回復の最終段階にあったとしても、隔離入院するか2週間の 自宅隔離を要請するしか方法がなかった。感染拡大リスクを広げ医療崩壊 を起こす可能性があるとして強制隔離させたいと思うマクロ的な立場にあ る国家と、個々の患者をミクロ的にみて個別最適化をしたいと思う医師と 患者の関係性には、異なる基準が発生してしまう。
岩田健太郎は、医師の診断は恣意的なものであるという立場を主張して いる。感染症を含め病気は現象であるに過ぎないとして、“病気は実在し ないのです。私たちはある現象を「病気」と恣意的に呼んでいるにすぎま せん。”“医療行為とは何かというと、何のためにするかというと、それは 個人個人の価値観との交換行為のためだと私は思います。”“何を目的に捉 えるかによって、ある行為の価値は決定されます。その人の目的に照らし 合わせて意味のある行為であれば、それは意味のある医療なのです25”と 主張している。医師の治療行為は患者に健康と生存を継続させようと個別 最適化を考え治療を行うわけではなく、患者が病理症状という厄介な現象 をどの程度最小化したいと望んでいるのかによって決まるものなので、価