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石製農具の使用痕

ドキュメント内 石器使用痕からみた東アジアの初期農耕 (ページ 76-125)

本章の目的

本章では、農耕に関わる石器の使用痕について、これまでの研究史及び研究の現状を概観しつつ、

使用痕の基本的な情報と研究の課題を整理する。

まず、第1節では、穀物の収穫に関わる使用痕として古くから注目されてきたコーングロスとそ の形成機構に関する研究を整理し、西アジアの初期農耕、東アジアの日本を中心とした農耕研究の 実例をあげ、使用痕分析と農耕研究との接点を探っていく。また、筆者の実施した実験石器をもと に、植物を対象とした作業で形成される使用痕の特徴についてまとめる。

第2節では、弥生時代の集落跡愛知県朝日遺跡の出土資料から収穫に関わると目されてきた3種 類の石器を取り上げ、高倍率観察を用いた使用痕分析によって、それぞれの使用方法、作業対象を 分析し、復元石器による検証実験をとおして、その機能・用途を評価する。

第3節では、農具のなかでも、耕起など土に対する作業が想定される石器を対象とした研究の現 状を確認し、土を想定した作業とその使用痕の実験的検討、そして、縄文時代から弥生時代の出土 資料の分析をとおして、使用痕の特徴と課題を整理する。

第1節 収穫に関わる石器の使用痕

1 コーングロスの研究

西アジアからヨーロッパの先史研究では、穀物の刈り取りによってフリント製の石器の刃部に独 特な光沢が生じることが知られていた。この光沢はコーングロス(穀物光沢)あるいはシックルグ ロスと呼ばれ、農耕文化の起原と農耕技術の発達に関する研究分野において、重要な役割をはたし てきた。

カーウェンは、青銅器時代のヨーロッパから西アジアの鎌の類例から、柄に埋め込まれたフリン ト石器の刃に沿って生じる帯状の光沢に着目した(Curwen 1930)。新石器時代の遺跡から出土す る鋸歯状の剥片にみられる光沢も同様のものと考え、木・乾いた骨・とうもろこしの茎を対象とし た実験を行い、とうもろこしの茎で鎌刃と同様に広い範囲に光沢が生じたとされる。光沢の成因と しては、木や茎に含まれる有機質のシリカによるという考えを示している。

ウィットホフは、コーングロスの形成メカニズムについて、実験や民族的な事例をあげて説明し ており、摩擦熱によってフリントの表面が融解し、植物珪酸体との化学変化によって光沢層が形成 されるという理解を示している(Witthoft 1967)。また、この痕跡は植物の刈り取りのみに関係する ものだとしている。

1970年代後半には、キーリーによる高倍率分析の手法が確立された(Keeley 1980)。金属顕微 鏡による高倍率下の観察では、草本植物だけでなく、さまざまな材質の加工物においても、光沢が 形成されることが実験的に明らかにされた。角・骨、木、皮などの被加工物の違いは、それぞれ異 なる特徴をもつ光沢を形成することから、高倍率の光沢の観察は石器使用の被加工物の推定に有効 だとする。

アンダーソンは高倍率分析の推進者の一人であるが、光沢面の形成要因については、ウィットホ フの理解を発展させ、「移着説」の立場から理解しようとしている(Anderson 1980)。草本、木、

骨などの実験石器を電子顕微鏡で光沢表面の特徴を詳細に観察した。アンダーソンの説は、対象物 との接触によりフリント石器の表面が溶解し、シリカ・ゲル層が形成され、そのなかに植物や骨な どの残渣が取り込まれているとするものである。

また、後述する脱穀ソリの刃に関連した分析では、同一箇所の変化を正確に計測し、使用によっ て高低差がなくなる様子をとらえ、これを移着した物質によって凸凹が埋められたことによるもの と理解した。

一方、山田しょうは、光沢面の形成は基本的に摩耗による現象だという立場から、トライボロジ ー(註 15における「摩擦による固体表面の逐次減量現象」こそが、光沢面(微小光沢面)の最大の 形成要因だとする(山田1986)。山田は学史的な検討をふまえ、アンダーソンなどの移着説、シリ カ・ゲル説の問題点を指摘した。自身の行ったススキ、木、煮た骨、水漬けの鹿角、乾燥皮、ぬれ た皮を被加工物とする実験石器を試料として、金属顕微鏡及び走査電子顕微鏡で同一地点が作業の 進行によってどのように変化していくのかを観察することで、光沢面の形成機構について考察して いる。その結果、光沢面の形成は、石器の微細な高まりが失われながら、徐々に進行することが確 認でき、摩耗による形成が最も合理的だとしている。さらによりミクロな光沢面の形成機構につい ては、トライボロジーの「引掻き摩耗」によって形成され、線状痕を伴う切削型の損傷、ピットを 伴うぜい性破壊型(粒子・粒子塊の脱落)の2種類の損傷が作用すると説明している。光沢面のタ イプは、研磨剤として働く被加工物の硬さ、粘弾性的性質、表面の状態によって決定づけられると している。

町田勝則は、欧米でのコーングロスと収穫具との関係、栽培植物の起源に関する研究を、日本に おける稲作開始期の石器にみられる「ロー状光沢」(註 16と収穫具との関係に置き換えている(町田

2002)。町田は金属顕微鏡と走査電子顕微鏡を併用した石器表面の観察を行い、併せて走査電子顕

微鏡による光沢部分の表面の元素解析により、光沢の成因について考察している。その結果、光沢 は鉱物粒の摩耗によって生じた変化であり、10ミクロン程度の小さな鉱物粒に生じた点状の光沢面 が結合もしくは近接することで、より大きな光沢面として観察される。ただし、元素分析の所見に よると、光沢部分では一定量のシリカ(SiO2)で構成されることから、光沢形成に残滓の付着に由 来するシリカの薄層を完全に否定することはできないとしている。

コーングロスのように、肉眼でも把握できるほどの規模で光沢が形成されないまでも、顕微鏡レ ベルでは、木、角、骨、皮、肉など性質の異なる様々な材質の加工物で光沢をもつ面が形成される ので、光沢面の成因を穀物の刈り取りとだけ関連づけて考えることはできない。しかし、顕微鏡レ ベルでの微細な特徴の観察によって、穀物をはじめとする植物を同定することはより確実性をもつ ので、農耕技術の復元に有効な方法論である。

光沢が残滓等の移着によるものか、表面の摩耗によるものかという議論については、顕微鏡によ る同定作業を行ってきた経験からみて、基本的には摩耗説の立場を支持する。どのような被加工物 であれ、光沢は石器の微細な凸凹の高所から形成され、徐々に高さを減じながら広範囲に広がる(あ るいは点状の分布範囲を広げていく)、というプロセスで形成される。移着によるものであれば、谷 間などより低所に残滓が残されていくと考えられるが、そのようなものが光沢面の形成に関与して いる例はみられない。ただし、町田の元素分析の結果からすれば、より小さなレベルで表面に石材 とは異なる何らかの層が形成されている可能性は全く排除できず、摩耗による物理的な現象のほか に、石材の表面を変化させる化学的な要因が関与している可能性はある。

15 トライボロジーとは、「擦る」を意味するギリシャ語“tribos”と学問を意味する“ology”とをあわせ た造語で、摩擦を研究する学問領域のことである。作業対象と石器との摩擦によって生じる使用痕も、

その科学的な形成機構はトライボロジーによって説明される。

16 信州地域では、弥生時代の石器に観察される強く発達した光沢を俗に「ロー状光沢」と呼んでいた。

2 西アジアにおける収穫具の使用痕研究

穀物に対する作業によって生じる独特の使用痕の分析から、石製農具の機能・用途についてどの ような研究がなされているか、ここでは、穀物の収穫に用いる鎌の刃部の分析事例、脱穀ソリの刃 部として用いられた石刃の分析事例を取り上げ概観する。

(1)鎌刃の使用痕

高倍率分析を体系的に石製農具の研究に応用した代表的な研究として、アンガー・ハミルトンに よる鎌刃の実験的な研究が挙げられる(Unger-Hamilton 1989、1991)。この研究では、非常に細 かな条件を設定した多数の実験を行い、作業方法や環境が使用痕に与える影響を検討し、西アジア における農耕技術の発展過程と結びつける研究を行った。

分析はキーリーの高倍率分析の手法に基づき、金属顕微鏡を用いて、微小光沢面の観察に主眼を 置いている。刈り取りが行われた作業の場の環境の違い、刈り取られた植物の種類の違いが摩耗痕

(光沢)にどのように反映されるかを明らかにし、ナトゥーフ文化から後続する新石器文化の石器 の痕跡に当てはめる。そのために、条件を違えた多様な実験プログラムを実施していることが特筆 される。収穫実験としては、野生穀類 オオムギ、エンマーコムギ、カラスムギ、ライムギなどの 栽培穀物の他、麻、マメ類などの各種栽培植物、ススキのような野生植物も対象とされ、植物の状 態(乾燥している、水分を含むなど)、刈り取り時の他の植物の混入状況、切断する高さの違い、な どを考慮した実験となっている。

結論としては、植物の種類によって微小光沢面に違いがみられることから、ムギなどの植物種の 絞り込みに有効であるとされた。また、線状痕は耕作で緩められた土と関係づけられた。植物の熟 し方の程度は微小光沢面の盛り上がり方に反映されるとする。この実験結果をふまえ、ナトゥーフ 文化の鎌刃の使用痕は、野生種の刈り取りによるものが主である。耕作と関わる線状痕に富んだ使 用痕は、新石器時代に入って増加する傾向が見られた。南部レバント地方における本格的な農業活 動は、先土器新石器文化Bの段階だと結論づけている。

(2)脱穀ソリの刃の使用痕

西アジア地域からヨーロッパにかけて、伝統的な農具として、脱穀ソリが用いられてきた。収穫 したムギを脱穀場に敷きつめ、その上でウシやウマに牽かせたソリを走らせ、動物の踏みつけ、ソ リの荷重、ソリの底の刃によって脱穀するという方法である。このソリの底に取り付けられる刃は、

現在でもフリント製の石刃が用いられている。コーングロスの形成メカニズムでもみたように、カ ーウェンやウィットホフなど過去の研究者は、このソリ刃に残された痕跡に触発されてコーングロ スの研究が進められてきたともいえる。

先史時代の石器のなかには、鎌の刃以外にも、このような脱穀ソリに用いられた石器が含まれて いるのではないかと考えた研究者も多い。藤井純夫は、民族資料の脱穀ソリに用いられていた石刃 の観察から、ソリ刃としての同定基準について、平面形態、調整剥離、装着法や装着材の使用、使 用による光沢の特徴・分布範囲といった想定される属性を整理し、従来鎌刃として報告されている ものに、脱穀ソリの刃が含まれていないか注意を促している(藤井1986)。

アンダーソンは石器使用痕分析の視点から、積極的に脱穀ソリ刃の存在を明らかにしようとした

(Anderson 1994)。

初期青銅器時代のニネヴァⅤ文化にともなうカナン・タイプと呼ばれる石刃は、金属製のパンチ を用いて製作されたとみられ、断面が厚く、端部は折りとられている。非常に強い光沢をもつ。18 点の資料が、使用痕分析の対象となった。分析に用いられた機器は、実体顕微鏡(12~50倍)で擦

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