本章の目的
第3章では、愛知県朝日遺跡から出土した弥生時代の石器の分析を行い、草本植物の切断に関わ る石器として、磨製石庖丁、磨製大型石庖丁、粗製剥片石器の使用方法について検討してきた。こ れにより、穂摘みは磨製石庖丁、刃部を平行方向に操作する切断は磨製大型石庖丁・粗製剥片石器 という機能上のちがいがあることを確認した。
これまで、弥生時代の農具と考えられる石器は、磨製と打製といった製作技術の違い、石庖丁と 大型石庖丁といったように大きさ、形態による分類がなされてきた。なかには、打製の剥片石器な ど、形態だけでは農具として評価することが難しい石器もあるが、使用痕分析の成果に依拠するこ とで、器種による組成を機能に基づく組成としてとらえ直すことが可能となった。
また、南北に長く連なる日本列島では、同じ弥生時代であっても、石製農具の器種構成、磨製・
打製といった製作技術、使用される石材など、時期・地域によって石製農具の受容・定着のあり方 には違いが認められる。
本章では、石製農具のなかから収穫関連石器をとりあげる。地域ごとに分析を行うことで、その 地域において収穫あるいはこれに関係する石器を特定するとともに、その使用方法について明らか にしていく。器種構成、製作技術上の検討に加え、機能的組成を明らかにすることで、地域におけ る収穫関連石器の受容・定着の仕方を描き出すことを目的としている。その上で、弥生時代におけ る収穫関連石器の構成と農耕技術、農耕文化のあり方について考えていくことにしたい。
第1節 収穫関連石器の使用痕分析
1 分析の方法
(1)分析対象
本章では、東海(尾張・美濃・西三河)、北陸(加賀・能登)、中部高地(甲斐)、山陽(吉備)の 各地域の石製収穫具のあり方と使用痕からみた機能的な組成の組み合わせについて検討していく。
第2節では、東海地方を尾張地域、美濃地域、西三河地域に分けて検討する。ここでは、愛知県 及び岐阜県における埋蔵文化財調査に際して、筆者が実施してきた使用痕分析のなかから(原田 1998a・1998b・1998c・1999a・1999b・2000a・2000b・2003a・2005・2007、原田・服部2001)、 収穫関連石器に該当する事例を取り上げて、その全般的な傾向について再検討する。
第3節では、北陸の状況について、主に石川県埋蔵文化財センター、小松市教育委員会の発掘調 査資料をもとに検討していく(原田2002a・2010)。
第4節は、中部内陸地域の山梨県出土資料を対象として分析を行ったものである。この分析は、
2010年から2013年にかけて「日韓内陸地域における雑穀農耕の起源に関する研究」(科学研究費 基盤研究B・研究代表者:中山誠二)に係る日本国内の分析調査として実施したものである。この 時点において、山梨県内で収穫具あるいは関連する石器とみられているほぼすべての出土品を悉皆 的に分析することができた。分析報告は、網倉邦生との共著として発表している(原田・網倉2011)。
第5節は岡山県内の出土資料の分析報告をとりあげる(原田 2002b)。本節では分析事例の少な いサヌカイトを扱うこともあり、基礎的な実験の概要についてもふれる。また、旧報告では省略し た結晶片岩製の磨製石庖丁の分析レポートを追加している。
(2)観察と記録
分析は、金属顕微鏡を使用した高倍率法(Keeley1980)に基づき、必要に応じて実体顕微鏡等の 低倍率観察、肉眼による観察所見を加える。
高倍率の観察倍率は100倍・200倍・500倍(対物倍率10倍・20倍・50倍)で、主な観察対象 は光沢面と光沢面上に形成された線状痕である。東北大学使用痕研究チーム(梶原・阿子島1981)
による光沢分類をもとに、石器に形成された光沢面の特徴、分布範囲と光沢の強度などの記録を作 成し、必要に応じて使用痕の写真撮影を行った。観察した石器について特別な前処理や洗浄は行っ ていないが、観察前にエタノールによって脂分などの汚れを拭き取った。
観察にあたっては、第3章第1節4の基準に基づき光沢面の発達程度を実測図上に記入する光沢 強度分布図を作成した。本分析では主に200 倍観察視野中に占める光沢面の広がり方を目安とし、
強・中・弱・微弱に区分している。ただし、微弱は、磨製石庖丁など一定の広がりが認められるも のに設定し、弱の中に含めている場合もある。
また、分布図はスクリーントーンを用いて表記されることが多いが、本分析の観察位置やその精 度は資料によってかなり違っている。そこで、観察時の記録位置ごとに、強、中、弱、微弱、光沢 なし、観察不能といった記号を配置し、実線または波線の補助線でおおよその分布の境界を示して いる。
各地域の分析結果とその検討は、第2節以降順次行っていく。ただし、個々の分析報告について は、煩雑になるため、章末の観察所見一覧にまとめ、各節ではこの分析結果に基づく器種ごとの検 討を中心に記述していく。
2 光沢面の分布パターンと操作法
収穫具関連の石器に観察される特徴的な使用痕は、主にイネ科草本植物を対象とした作業によっ て形成されたものである。第3章で検討してきたように、顕微鏡下では特徴的な光沢面として観察 される。光沢面はなめらかで非常に明るく、光沢縁辺は独特の丸みをもつ。光沢表面には、ハケで なでたような微細な線状痕が形成される。発達すると非常に広範囲を覆い、肉眼でも光沢として識 別できるようになる。
実験石器の観察によれば、まずドーム状の丸みをもつBタイプが形成され、光沢部が発達し、よ り広い範囲を覆うようになめらかで流動的な外観をもつAタイプへと変化する。通常、この変化は、
ひとつの石器のなかで、発達程度の差として共存している。つまり、接触頻度の高い部分は相対的 に光沢面の発達が強く、接触頻度の低い部分は発達が弱く、それらが連続的な光沢強度の変化とし て観察される。こうした特性は、光沢の発達程度を実測図上に表記した光沢強度分布図に活かされ ている。
さて、弥生時代の収穫関連石器には、その使用方法を反映して、いくつかの使用痕分布のパター ンが知られており、斎野裕彦は、石庖丁、大型直縁刃石器、石鎌の3種類に類型化している(斎野
2002a・b)。筆者は斎野の論考をふまえ、パターン1・2a・2b・3 の使用痕の分布パターンに整理
した(原田2003b)。各パターンの特徴は次のとおりである(図60)。
①パターン1 光沢面は刃縁と主面の広い範囲に形成され、片側に偏って強い部分が観察される。
刃部の線状痕は直行ないし斜行する。
②パターン 2 刃縁に沿って光沢面が形成され、表裏対象の分布を示し、光沢範囲の中央で最も 発達する。線状痕は刃縁と平行する。この分布パターンは次のように細分される。
2a 分布が刃縁のほぼ全域にわたり、分布範囲が広い。
2b 分布が刃部の側縁側に偏り、主要な光沢分布域が比較的限定される。
③.パターン3 刃縁の表裏に光沢面が分布するが、片方が発達している場合が多い。線状痕は刃 部と直交ないし斜行する。
パターン1は主に磨製石庖丁にみられるもので、いわゆる「穂摘み」による使用方法が想定され る。この使用方法では、主面に対象物を押さえつけ、手首を内側にひねることで、刃部と直行方向 に対象物を切断する。このため右手を使用した場合は、上面の主面左側に光沢面が発達する。
パターン2は、刃部を平行方向に操作し引き切るように切断する操作方法が想定される。分布範 囲の大きなパターン 2aは、磨製大型石庖丁、打製あるいは刃部磨製の大型の石器など、斎野裕彦 の大型直縁刃石器に相当するものである。一方、分布範囲が限定されるパターン2bは、信州南部 の横刃形石庖丁などにみられるパターンで、穂刈りの使用方法が想定される。
パターン3は、石鎌の使用痕として確認されているもので、刃を直交方向に操作し、穂首を刈り 取る操作方法が想定されている。
第2節以降では、この分布パターンと操作方法に留意しつつ、各地の石製農具の実態とその機能 的組成について検討していく。
第2節 東海(尾張・三河・美濃地域)における収穫関連石器の使用痕
1 目的
第3章では、清須市・名古屋市西区朝日遺跡の出土資料について検討した。本章では、近年の朝 日遺跡出土資料を含む尾張地域の他、隣接する西三河地域及び美濃地域の資料についても検討する。
この地域が近畿以西の地域に比べ磨製石庖丁が少ないことは、すでに小林行雄によって指摘され てきた(小林1937)。近年までの調査で資料数は増加しているとはいえ、相対的な数の少なさは変 わっていない。一方、打製の剥片石器が磨製石庖丁に代わる収穫具ではないかという推測もなされ てきた(七原・加藤1982)。第3章第2節の朝日遺跡の分析により、この地域では、大陸系の磨製 収穫具の他に、パターン 2a の磨製大型石庖丁と粗製剥片石器が組み合わされていたことが明らか となった。ここでは、これらの器種が地域的にどのように構成しているのかを検討する。また、こ の地域特有の石器として、刃部にキザミを施した磨製石庖丁をとりあげ、これらの石器の切断時の 機能性についても考察する。
2 使用痕分析
(1)分析資料 a.尾張地域
分析資料は、一宮市三ツ井遺跡(田中編1999)、猫島遺跡(洲嵜編2003)、山中遺跡(服部編1992)、 門間沼遺跡(石黒編1998)、東新規道遺跡(伊藤編1998)、稲沢市一色青海遺跡(蔭山編1998)、 清須市・名古屋市西区朝日遺跡(宮腰編2000、蔭山編2007)である。いずれも濃尾平野の低湿部 に立地する遺跡である。これらの資料のうち、朝日遺跡の一部、三ツ井遺跡、山中遺跡は弥生時代 前期を中心とし、それ以外は弥生時代中期が遺跡の中心的な時期となっている。