本章の目的
「現在-過去、静態-動態という隔たった両者を架橋するために、実験によって動態である行動 とその結果生じる痕跡との相関を明らかにし、実験試料における痕跡を対比させ、過去の行動を推 定しようとするものである」(御堂島2005・8頁)。トラセオロジー(痕跡学)の基本的な考え方が 述べられたものであるが、これは石器使用痕研究の大きな目的でもある。この点において、しばし ば使用痕分析で重視あるいは期待される「何を切ったのか」という被加工物の推定は、分析・検討 対象の一部でしかない。
本章では、石器の使用痕分析によっていかにして人間行動を復元するのか、その方法論的な特質 を実際の研究・分析事例を交えて述べていく。第1節では、石器の機能を使用部位、操作方法、作 業対象物として構造的に捉える考え方を示す。第2節では、石器の道具としての成り立ちを機能部 の使用痕、装着・保持の使用痕としてみていく。第3節では、石器のライフヒストリーの観点から、
石器上の痕跡の重なりを人間行動の履歴として復元した事例をとりあげる。最後に、第4節では、
石器使用痕から復元した個々の石器使用の動作を社会的、文化的な環境によって規定される「身体 技法」として理解しようとする試みについて概述する。
第1節 石器使用をめぐる関係性
1 道具としての石器
道具は、人間の手や足といった身体器官の延長として、その役割を補い、あるいは増強する役割 をもち、身体に代わって作業対象に直接作用するものである。斧の場合であれば、斧の柄を握るこ とで手の延長としての構造をなし、これを対象の木材に振るうことで、斧の刃による物理的な衝撃 が加わり対象の木材を変形加工することになる。包丁であれば、手で包丁の柄を握り、刃を対象に あてがい操作することで、対象となる肉、野菜などを物理的に切断することになる。
現在では斧や包丁の刃は鉄などの金属でできているが、本研究の対象となる先史時代ではこの部 分が石すなわち石器によって構成されている。石器は刃部など主に利器として用いられることが多 いが、必ずしもそれ単独で用いられるとは限らず、しばしば道具を構成する一部として使用される。
例えば、石斧は石の斧身を斧に装着することで、一つの道具として意味のある構造となる。
2 石器を使用する環境
森昌家の道具と身体機能との関係性を説明する概念図には、「生命は生存のために自然に適応する 行動と身体的変化をする。人は生存するために必要に応じて自然を変える。その結果として人は自 分たちの生活基盤として社会を作る。それら一連の行動に応じて道具が利用される。道具は脳で創 作され、創作された道具は使われた自然や社会環境を変え、さらに改良がされる」(森2008・20頁)
と解説が添えられている。人間は道具を使用することで外界に働きかけるが、同時に外界からの情 報によって道具の扱いは制御されているということである。
また、道具を使用するという行為は、多分に自然環境や社会環境の影響を受け、その関係性によ って成り立っている。図14は石器の使用を想定してその関係性を模式的に表現したものであるが、
道具一般の使用に置き換えることができる。例えば、包丁で食材を切り分けるという一見単純な行 為も様々な環境との関係性のなかで行われている。まず作業対象との関係性においては、切り分け る対象が魚なのか牛や豚などの肉なのか、その種類は何かといった対象の違いは、その行為が行わ れる自然的な環境や資源環境によって異なってくるだろう。一方、包丁を使用する人については、
性別、年齢、職業など様々な社会的な属性に規定される。主婦が家庭の台所で料理をしている場合、
あるいはレストランの厨房で専門のシェフが料理をしている場合では、その振る舞いは違ってくる のだろうか。また、料理の専門家であっても、日本の寿司料理の厨房と中華料理の厨房では、道具 立てやその扱い方などに文化的な差異を見出すこともあるだろう。
現代の社会であれば、このような道具使用をめぐる関係性は、一連の行為と関連づけて観察、記 述することができる。しかし、研究の対象となる石器の場合、石器を使用した人々の行為を直接目 にすることはできない。発掘された断片的な情報も、様々な関係性をつなぐ糸は途切れてしまって いる。
石器使用痕研究の目的は、道具としての使用とこれをめぐる様々な関係性を再度復元することに ある。作業対象との関係性(図14-A)、石器を使用した人との関係性(図14-B)をそれぞれの 痕跡から読み取ることで、道具使用の具体的な内容を明らかにし、作業環境を復元していくことが 最初の目的である。また、自然環境、資源環境、社会環境、文化環境といったより高次の関係性に ついて、他の考古学的な諸情報と照らし合わせながら、途切れた糸をたぐり寄せていくことも重要 な目的なのである。
第2節 使用痕と石器の機能
1 機能の構造的理解
(1)概要
使用痕研究の直接的な目的は、石器が何に対してどのように使われたのか、といった石器の機能 を明らかにすることである。しかし、この「機能」の意味する範囲は、しばしば作業対象物の種類 や作業の個別的な内容に限定して用いられることがある。「この石器は何の動物を切ったものか」と か「イネの収穫具であることがわかった」といったやり取りがなされるが、これは分析結果をもと にした二次的な推論や解釈というべきもので、直接的な分析結果と混同しないよう注意する必要が ある。
使用痕分析によって得られる最も基礎的な情報は以下の3 点である。
①石器が作業対象物と接触した範囲(使用部位)
②石器と作業対象物との相対的な運動方向(操作方法)
③作業対象物の大別及びその状態(作業対象物・被加工物)
①は各種使用痕の形成される範囲をもとに推定される。摩滅痕、線状痕、微小光沢面など、作業 対象物との継続的な接触と摩耗によって生じるような痕跡が特に有効である。②は線状痕の方向や 各種痕跡の分布の偏りなどから推定できることが多い。図 15 は、実験石器等の基本的な操作方法 を示したものである。鋸引き(ソーイング)、切断(カッティング)、掻き取り(スクレイピング)、 削り(ホイットリング)、穿孔(ボーリング)、打ち付け(チョッピング)など、石器操作の基本的 な単位を表している。実際の石器操作はより複雑なものも想定されるが、個々の動作を復元するた めには、まず石器の運動方向を単純化して把握することが必要である。次に③被加工物の種類であ
るが、そもそも間接的な痕跡を扱う使用痕からは、種レベルでの詳細な特定や識別はかなり難しい。
実験的な成果に照らせば、低倍率の微小剥離痕であれば加工物の硬さ、高倍率の微小光沢面でも骨 や角、草本植物といったレベルでの同定が現実的である。種レベルでの使用痕の違いより、乾燥し た皮、水を加えた骨・角の加工、といった作業物の状態や付加的な条件による変異の方が大きいの で、むしろ作業に関わる条件や環境について有効な情報を得られる場合がある(註 13)。したがって、
特定の作業対象物の同定だけを目的とした場合、使用痕分析に過度の期待をよせるのは危険である。
むしろ、①→②→③のように石器の機能を構成する要素を構造的に把握しようとする方が効果的で ある。
石器には、定型的なものばかりでなく、不定型な剥片石器のように形態・機能に関する研究はあ まり進展していないものもある。使用痕分析を適用し、石器のどこが用いられたのか、どのような 方向に動かされたのか、といった基本的な情報を整理するだけでも、これらの石器に光を当てるこ とになる。
(2)分析事例
図16 は弥生時代のスクレイパーを対象とした使用痕分析の事例である。この資料を①②③の理 解に基づいて、検討してみよう。
図16-1は豊田市川原遺跡出土の弥生時代中期の石器で、ヘラのような形をしたチャート製の小 型石器である。高倍率観察での観察結果は、①腹面側の先端付近を中心に微小光沢面が分布。②光 沢面上の線状痕は縁辺に対し直交。③光沢面は明るくコントラストが強く、平坦だが縁辺に丸みを もつ。光沢面分類のDタイプに近い。
機能の推定は、①石器の腹面側を作業対象物にあて、側縁を刃部として、②刃を直交方向に動か す、ホイットリングの操作が推定される。③被加工物として可能性が高いのは、水分を含む骨・角 などである。
図16-2は、清須市・名古屋市西区朝日遺跡出土のサヌカイト製スクレイパーである。高倍率観 察での観察所見は、①実測図左辺の縁辺に微弱な光沢面が認められる。②光沢面にともなう線状痕 は縁辺と平行。③やや風化しているため光沢面のタイプは不明。
機能推定は次のとおりである。①実測図左辺を刃部とし、②刃縁を平行に操作したと推定される。
③作業対象物は不明。
2 痕跡連鎖構造と道具の成り立ち
五十嵐彰は、使用痕を「使用」と「痕跡」及び両者の相互関係として捉え、「痕跡」を媒介とした 使用(加工具)と製作(被加工物)の連鎖構造であると指摘した。「作用主体としての加工具(労働 手段)と対象物としての被加工物(労働対象)が接触して変形痕跡が生じるときに、加工具には使 用痕跡が、被加工物には製作痕跡が生成される」(五十嵐2003b・5頁)また、実際の考古資料とし ての石器は、柄などに装着して用いられることもあり、石器と柄との装着部にも使用による痕跡連 鎖は生じる。五十嵐の痕跡連鎖構造は、次のような要素から成り立っている。
①加工痕跡 加工具との接触によって制作物に生成される製作痕跡<M>
②作用痕跡 加工具として被加工物に直接作用して生じた痕跡を作用痕跡<Ul>
③装着痕跡 柄などの装着具と接触して生じた痕跡を装着痕跡<U2>
13 ブラインド・テストの結果によれば、①②③の順番で正答率が下がっていくことが指摘されている(御
堂島ほか1987)。ただし、実験プログラムに含まれる種類の全てにおいて同様な正答率だというわけでは
なく、種類を特定しやすい識別的な痕跡があったり、痕跡として表れにくいものがあることも知られて いる。また、作業量による使用痕の発達程度も正答率に影響を与える。