図 4.1 木材を原料とする主要な製品体系図4.1 木材を原料とする主要な製品体系 木材
乾留
木炭
木タール 木酢液
木ガス
酢酸石灰 メタノール
酢酸 アセトン
酢酸エステル
パルプ化
ニトロセルロース
綿火薬 セルロイド
セルロース
コロジオン ラッカー
硝化綿法レーヨン繊維 キュプラ法レーヨン繊維
ビスコース法レーヨン繊維
酢酸セルロース アセテート繊維 アセテートフィルム カルボキシメチルセルロースナトリウム メチルセルロース
乾留
セロファン ビスコース
ル、さらにホルマリンがつくられた。
オーストリア、ハンガリー、北欧、米国のような森 林資源の豊富な国では、木材乾留工業が 18 世紀に起 こり、またドイツ、イギリスには、酢酸石灰を輸入し てこれから酢酸をつくる酢酸精製工業が発展した。
日本の木材乾留工業は、日光の素封家加藤昇一郎が 加藤製薬所を設立し、1893 年に栃木県に木材乾留工 場を建設したことに始まる。その後、染色用に酢酸の 需要が増大したので、木材乾留工業は発展し、炭焼き に付設したような小規模な業者が増加した。しかし、
酢酸の需要増加には、このような小規模生産では対応 できなくなった。このため、加藤昇一郎は、1902 年 に東京本所に日本酢酸製造(資本金 10 万円)を創設 した。加藤製薬所を吸収合併して設備を移設し、輸入 酢酸石灰を主原料として、大規模に酢酸の生産を行う ことした。当時の実業界の重鎮であった馬越恭平、渋 沢栄一、大倉喜八郎、大川平三郎などが賛同し、日本 酢酸製造は 1907 年に資本金を 30 万円に増資した。新 たにドイツのマイヤー商会から酢酸製造機械一式(蒸 気加熱式減圧粗酢酸製造装置、酢酸濃縮蒸留装置、酢 酸精留装置)を輸入した。1908 年に新工場が完成し、
氷酢酸(100%酢酸)の生産を開始した。次に原料の 自給率を高めるために、日本酢酸製造は資本金を 60 万円に増資して栃木県塩原に新工場を建設した。新工 場には、ドイツのマイヤー商会から車両式木材乾留装 置一式を輸入して設置した。小規模の炭焼の副産物処 理の域を超え、近代的な木材乾留工場の出現であっ た。車両式レトルト(乾留釜)(木材仕込み量 1000 立 法尺)で木材を乾留し、揮発分からまず木タールを除 去して木酢液を得た。木酢液は、中和槽で石灰乳によ り中和した。中和液を加熱してメタノールを蒸発さ せ、さらに蒸留して粗メタノールを得た。中和液の蒸 発残液は二重効用蒸発缶で濃縮され、濃厚酢酸石灰液 となる。これをさらに円筒型乾燥器で乾燥した。80%
酢酸石灰が年産 900t、80% 粗メタノールが年産 250t 生産され、これを東京の本所工場に送って精製した。
その後、第 1 次世界大戦による酢酸石灰の輸入途 絶、市況高騰により、木材乾留工業には、多数の業者 が新規参入した。ところが、大戦中にドイツでカーバ イド・アセチレンからの合成酢酸が工業化され、大戦 後は、日本を含めて世界中にドイツから合成酢酸が輸 出された。それに追われた米国木材乾留工業からの酢 酸石灰の輸入激増もあって、日本の木材乾留業者には 倒産、吸収合併が続出した。生き残った日本酢酸製造 をはじめとする 4 社は、1925 年に大日本酢酸製造組 合を結成して生産制限を行い、市況安定を図った。し
かし、合成酢酸の登場によって、木材乾留工業が生き 残る見込みはないので、大日本酢酸製造組合では合成 酢酸の国産化を計画した。このあとの経緯は、カーバ イド・アセチレンの節で述べる。合成酢酸の国産化に 伴って、図 4.2 に示すように木材乾留工業は急速に縮 小し、1939 年には完全に消滅した。
4.1.2 ニトロセルロース
木材から生まれたもうひとつの森がセルロース化学 工業である。木材や草本類の主成分であるセルロース は天然高分子である。麻、木綿として、また紙として 古くから利用されてきた。しかし、セルロースは、熱 を加えて溶融・軟化させることも、溶剤に溶かすこと もできない。このため、天然に得られる短繊維のセル ロース材料を紡績や抄紙という物理的操作によって利 用してきた。19 世紀後半にセルロースを濃硝酸、濃 硫酸で部分ニトロ化したニトロセルロースが溶剤に溶 け、また樟脳と混合するとプラスチックの性能を持つ ことが知られるようになって化学的利用が始まった。
(1)セルロイド
最初のセルロース製品として、ニトロセルロースを エーテルとエタノールの混合液に溶解したコロジオン
(液体絆創膏)がつくられた。続いて、1870 年代には 米国でニトロセルロースと樟脳からセルロイドがつく られた。樟脳の役割は現在の用語で言えば可塑剤であ る。セルロイドは 1850 年代に英国で工業化されたと も言われるが、本格的な普及は米国での工業化以後で ある。セルロイドは最初のプラスチックである。日用 品、おもちゃに使われたほか、1889 年にはイースト マン・コダック社によって写真フィルムにも使われ、
写真感光材料工業に大きな変革をもたらした。
日本には、セルロイドが発明されて間もない 1870 年代後半にセルロイド生地が初めて輸入された。1880
図4.2 昭和前期における木材乾留酢酸から合成酢酸への切り替え 0
5,000 10,000 15,000 20,000 25,000 30,000 35,000
1926 1930 1934 1938 1942 1946 1950 1954
合成酢酸 木材乾留酢酸
生産量t
年
出典:参考文献1)
1939年消滅
39
図 4.2 昭和前期における木材乾留酢酸から 合成酢酸への切り替え
年代半ばには本格的にセルロイド生地が輸入されるよ うになり、それを加工して擬珊瑚珠、くし・かんざし、
カラーなどがつくられた。1890 年代には多くのセル ロイド加工業者、発明家・企業家によってセルロイド 生地の国産化が図られた。爆発事故など失敗を重ねな がらもセルロイド生地を小規模に生産できるように なった。1900 年代後半には三井、三菱、鈴木商店、
岩井商店などの大資本がセルロイド生地の生産に参入 し、第 1 次世界大戦前後には日本のセルロイド生地の 生産は急速に増大した。これらのセルロイド生産会社 8 社が大合同して 1919 年に大日本セルロイド(現在 のダイセル)を設立した。
日清戦争後、日本が台湾を領有し、樟脳生産の振興 を図ったことによって、1900 年代前半には、台湾が 世界の樟脳の大部分を供給するようになった。このた め、日本のセルロイド工業は競争力を強め、1937 年 には世界 1 位の生産量(12,760t)を誇るに至った。こ れは、世界のセルロイド生産量の 45% を占め、日本 からのセルロイド生地の輸出量は 7,500t になった。
日本におけるセルロイドの生産量の推移を図 4.3 に示 す。セルロイドの生産は、1937 年~1940 年がピーク であった。1915 年に国産化されたフェノール樹脂は、
最初に出現した合成高分子であった。1930 年代後半 には 70 社近くが参入して、プラスチックの地位をセ ルロイドと 2 分するようになった。セルロイドは熱可 塑性プラスチックなので、その長所を生かして熱硬化 性のフェノール樹脂と十分に競争できた。
セルロイド工業は、第 2 次世界大戦後も、いち早く 生産を回復し、玩具、日用品の輸出に貢献した。しか し、1950 年代後半には、新興してきたアセチレン工 業によるポリ塩化ビニル(熱可塑性プラスチック)に 押されるようになり、さらに石油化学工業国産化後 は、続々と提供された新たな高分子(ポリエチレン、
図 4.3 セルロイド生産量の推移 出典: 参考文献 8)
生産量t 14,000 12,000 10,000 8,000 6,000 4,000
1911 1923 1935 1947 1959 1971 1983 1995
2,000 0
年
ポリスチレンなど熱可塑性プラスチックが多い)に押 されて斜陽産業化した。とくにセルロイドの代替品と なる熱可塑性プラスチックが続出した後は、セルロイ ドの欠点である可燃性が問題とされ、玩具、日用品の ような大口需要を失う大きな原因になった。その後も 日本でのセルロイドの生産は、減少の一途をたどり、
1996 年に完全に消滅した。
(2)ラッカー
ニトロセルロースの酢酸ブチル溶液は塗料にも使 われた。ニトロセルロースラッカーである。それま での不飽和油脂を使用した塗料に比べてニトロセル ロースラッカーは速乾性であり、自動車塗装に革新を もたらした。1923 年に登場したデュポン社の商品 Duco が有名である。ニトロセルロースラッカーは、
光沢、耐久性の良さ、乾燥の速さなどの長所から現在 でも皮革、合成皮革、木工品・家具などの塗装に使わ れている。
(3)硝化綿法レーヨン繊維
ニトロセルロースのエーテル・エタノール溶液を細 いガラス管から押し出して紡糸することも可能となっ た。1892 年にフランスのシャルドンネは人造繊維(硝 化綿法レーヨン繊維)の工業生産を開始した。それま で人類が入手できる長繊維素材は絹だけだったので、
初めてつくられた長繊維の人造繊維は、人造絹糸(人 絹)と呼ばれた。ニトロセルロースは燃えやすい欠点 を持っているので、シャルドンネは糸を硫化ナトリウ ム液に浸して脱硝を行った。セルロースが銅アンモニ ア水溶液に溶けることは 1857 年にドイツのシュバイ ツァーによって発見されていたが、この溶液を硫酸浴 中で紡糸するキュプラ法レーヨン繊維もつくられ、20 世紀初め頃には欧州で硝化綿法レーヨン繊維と激しく 競合した。日本では硝化綿法レーヨンは工業化されな かった。
4.1.3 ビスコース
セルロース利用工業は、ビスコースの発明によって 大きく変わった。1904 年に英国のコートルズ社に よってビスコース法レーヨン繊維が工業化されると、
早くも 1910 年代には硝化綿法、キュプラ法を、製造 コスト、製品品質の面で圧倒してレーヨン繊維の主軸 となった。セルロースを水酸化ナトリウム水溶液で処 理後、二硫化炭素を加えると、セルロースキサントゲ ン酸ナトリウムになって溶解し、粘稠な液体(ビス コース)が生成する。これを硫酸浴中で紡糸すると、