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1:相応部経典(Saṃ

yutta-

Nikāya)とは

「相応部経典」(サンユッタ・ニカーヤ,Saṃyutta-Nikāya)は比較的短い経の集成であり,主題によっ て分類されている.また,「相応部経典」は非常に多くの経典から成っており,パーリ聖典協会版(PTS

版)では

2,889

経が収められている.しかし,ビルマ版では

2,854

経となっているように,経の数は写本

によって異なっている.そもそも諸々の注釈書には

7,762

34)もの経が存在していたとされ,現存している 写本は限られたものであると言える.「相応部経典」は

5

56

相応からなり,相応とは同じ主題の経典 が結合された一纏まりの経典群である.

1

篇の有偈篇(Sagā

th

ā

-vagga)には,全 11

相応あるがその内,第

2

相応の天子相応(デーヴァプッ タ・サンユッタ,Devaputta-Saṃyutta)第

1

章に第

9・10

経の

2

つの場面,第

7

相応のバラモン相応(ブ ラーフマナ・サンユッタ,Brāhmaṇ

a - Saṃyutta)第 1

章の第

3

経に

1

つの場面,第

11

相応の帝釈相応(サ ッカ・サンユッタ,Sakka-Saṃyutta)に第

1~10

経,第

2

章第

2・3・10

経の

13

の場面にアスラに関する 記述がある.第

2

因縁篇(ニダーナ・ヴァッガ,Nidā

na-vagga)の全 10

相応・第

3

蘊篇(カンダ・ヴァ

ッガ,

Khandha-vagga)の全 13

相応にはアスラの記述は無く,第

4

篇の六処篇(サラーヤタナ・ヴァッガ

Sa

ḷā

yatana-vagga)には,全 10

相応の内,第1相応の六処相応(サラーヤタナ・サンユッタ,

Saḷāyatana-Saṃyutta)の第 19

章毒蛇の章(アーシーヴィカ・ヴァッガ,Āsīvisa-vagga)にのみアスラの記

述がある.第

5

篇の大篇(マハー・ヴァッガ,Mahā

-vagga)には,全 12

相応があるが,第

4

相応の根相 応(インドリヤ・サンユッタ,Indriya-Saṃyutta)第

7

章菩提分(ボーディパッキヤ・ヴァッガ,

Bodhipakkhiya-vagga)の第 9

経『樹経』(タティヤルッカ・スッタ,Tatiyarukkha-sutta)第

3

品と第

12

応の諦相応(サッチャ・サンユッタ,Sacca-Saṃyutta)の深淵の章(パパータ・ヴァッガ,Papāta-vagga)

の第

1

経『思惟経』(ローカチンター・スッタ,Lokacintā-sutta)の

2

つの場面にアスラに関する記述があ る.

2:相応部経典(Saṃyutta-Nikāya)におけるアスラの表現

1

1

篇第

2

天子相応第

1

章第

9

経『月天子経』(チャンディマ・スッタ,Candima-sutta)35)は以下の通 りである.

一 〔あるとき尊師は,〕サーヴァッティー市の〔ジェータ林・<孤独な人々に食を給する長者>の園〕

に住しておられた.

そのとき,<神の子>なる月の神は,アスラ王のラーフに捕えられていた.そこで<神の子>なる月

‐46‐

の神は,尊師を想い起こして,その時に次の詩をとなえた.

二 「ブッダなる健き人よ.あなたに帰依いたします.あなたは,あらゆる点で解脱しておられます.

わたしは,苦悩に締めつけられています.

このわたしを救うよりどことなってください」と.

三 そこで,尊師は,<神の子>なる月の神について,アスラ王なるラーフに,次の詩で語りかけた.

「月の神は,如来なる<敬わるべき人>に帰依しました.

ラーフよ.月を解き放ってくれ.諸仏は,世の人々を哀れみたまう方々である」と.

四 そこでアスラ王なるラーフは,<神の子>なる月の神を解き放って,急ぎ取り乱したすがたでアスラ 王なるヴェーパチッティのもとにおもむいた.そこに近づいて,恐れおののいて,髪を逆立てて,傍 らに立った.傍らに立ったアスラの王・ラーフにアスラの王なるヴェーパチッティは次の詩を以て語 りかけた.――

五 「ラーフよ.そなたは,何故そんなに急いで月を解き放ったのか?

どうして,恐れおののいたすがたでやって来て,びくびくして立っているのか?」

六 ラーフいわく,――

「わたしの頭頂は,七つの破片に裂けてしまうであろう.生きていても,安楽になれないであろう.―

―もしも月の神を解き放たないならば.わたしはブッダに語りかけられたのです」と36)

『月天子経』を要約すると以下のようになる.

月天子はアスラの王 羅睺ラ ー フ(Rā

hu)に捕らわれ,

(障碍から解脱した)世尊に憶念し,帰依して,今障 碍に落ちたため救ってくれるように頼んだ.そして世尊は「月天子は今,如来・応供者に帰依し諸仏が 世界を憐れんでいるので,ラーフよ月を放せ」ということを偈で語ったのでラーフは恐れおののいてア スラ王ヴェーパチッティ(Vepacitti,吠波質底)のもとへ行った.するとヴェーパチッティは「ラーフよ 何を恐れて月を放し,今何を恐れているのか?」と聞くと,ラーフは「我は仏陀の偈に恐れた.もし月 を放さなければ我の頭は七つに割れ生きて安楽を得られなくなるところだった」ということを言った.

2

次の第

1

篇第

2

天子相応第

1

章第

10

経『日天子経』(スーリヤ・スッタ,Sūriya-sutta37)は以下の通り である.

一 そのとき,太陽という<神の子>は,アスラ王・ラーフに捕えられていた.そこで太陽という<神の 子>は,尊師を想い起こして,その時に次の詩をとなえた.――

二 「ブッダなる健き人よ.あなたに帰依いたします.あなたは,あらゆる点で解脱しておられます.

わたしは,苦悩に締めつけられています.

このわたしを救うよりどことなってください」と.

三 そこで,尊師は,太陽という<神の子>について,アスラ王・ラーフに,次の詩で語りかけた.

「太陽は,そなたは空中を歩んでいるが,まっ暗な闇黒の中で照らすもの,遍く輝く者,日輪,燃えた

ぎるもの,を呑み込むな.わが子孫なる太陽を解き放て.」

四 そこでアスラ王・ラーフは,太陽という<神の子>を解き放って,急ぎ取り乱したすがたで,アスラ 王・ヴェーパチッティのもとにおもむいた.そこに近づいて,恐れおののいて,髪を逆立てて,傍ら に立った.傍らに立ったアスラの王・ラーフにアスラの王・ヴェーパチッティは次の詩を以て語りか けた.――

五 「ラーフよ.そなたは,何故そんなに急いで太陽を解き放ったのか?

どうして,恐れおののいたすがたでやって来て,びくびくして立っているのか?」

六 ラーフいわく,――

「わたしの頭頂は,七つの破片に裂けてしまうであろう.生きていても,安楽になれないであろう.

――もしも太陽を解き放たないならば.わたしはブッダに語りかけられたのです」と38)

この第

10

経『日天子経』は前

9

経『月天子経』とほぼ同様の内容で,「月」が「日」になっており,

一部仏陀の偈が追加・省略されているだけで,概ね第

9

経『月天子経』と同じである.その追加されて いる部分を要約すると,次のようになる.「彼(日)は闇の中に輝くものであり,その輝きは遍照であり,

彼は円く,その周囲は熱火である」といった内容である.ここでは太陽をヴェーローチャナ(Verocana)

と表現する部分があり,注釈では,ヴァイローチャナ(Virocana)のことであるとされている.アスラ王 ヴェーローチャナと大日如来(マハー・ヴァイローチャナ,Mahā

-Vairocana)との関係もアスラの概念の

変容を考える上で重要な点である.

この二つの話を考察すると,『月天子経』で諸仏は世の人々に哀れむことが記されており,仏弟子に危 害を加えなければアスラも即身成仏することができる可能性があるが仏弟子に危害を加えるようなこと をした場合安楽を得られなくなる,換言すれば,解脱することができなくなることが言われていると言 えよう.また解脱できなくなることがラーフにとって非常に恐ろしいことのように描かれているという ことは,彼にとって解脱ができて当り前のことか,さほど難しくないことであったからに違いない.と いうことは,解脱することが難しい今現在のこの世界とは異なり,ここで描かれる世界が解脱できて当 り前の世界であったか,あるいは,アスラ王というラーフの身分ならば解脱できて当然であると考える ことができよう.そしてラーフは悪い行為をしていたのだが,その行為が悪であることを自覚するので 全くの悪しき存在として描かれているわけではないと言える.また,この第

9・第 10

2

経の物語は日 食・月食という自然現象の理由を神話に求めたため生まれた物語であると考えることができ,初期ウパ ニシャッドの流れを汲んでいることが分かる.

3

1

編第

7

バラモン相応(ブラーフマナ・サンユッタ,Brāhmaṇ

a - Sa

yutta)第 1

章「阿羅漢品」(アラ ハンタ・ヴァッガ,Arahanta-vagga)第

3

経『阿修羅王経』(アスリンダカ,スッタAsurindaka-sutta)で は次のように記される.

一 或るとき尊師は王舎城の竹林における栗鼠飼養所にとどまっておられた.

‐48‐

二 阿修羅王バーラドヴァージャ・バラモンは,「バーラドヴァージャ姓のバラモンが<道の人>ゴータ マのもとで出家して,家なき状態に入ったそうだ」ということを聞いた.

三 心に喜ばず怒って,尊師のもとにおもむいた.近づいてから,野卑な荒々しいことばで,尊師を罵り,

非難した.

四 このように言われたので,尊師は沈黙しておられた.

五 そこで阿修羅王バーラドヴァージャ・バラモンは尊師に向かって次のように言った.――「道の人よ!

あなたは負けたのだ.あなたは負けたのだ.」 六 〔尊師いわく,――〕

「愚者は,荒々しいことばを語りながら,『自分は勝っているのだ』と考える.しかし,〔真理を〕識知 する人が〔謗りを〕耐え忍ぶならば,かれにこそ勝利が存する.怒った人に対して怒り返す人は,そ れによっていっそう悪をなすことになるのである.怒った人に対して怒りを返さないならば,勝ちが たき戦にも勝つことになるのである.

他人が怒ったのを知って,気をつけて自ら静かにしているならば,その人は,自分と他人と両者のた めになることを行っているのである.

理法に通じていない人々は,『かれは愚者だ!』と考える.」

七 このように言われて阿修羅王バーラドヴァージャ・バラモンは,尊師に向かって次のように言った,

――「すばらしいことです.ゴータマさん!すばらしいことです.譬えば,倒れたものを起こすよう に,覆われたものを開くように,方角に迷ったものに道を示すように,あるいは『眼ある人々は色や かたちを見るであろう』といって暗闇の中で灯火をかかげるように,ゴータマさんは,種々のしかた で真理を明らかにされました.だからわたしは尊師ゴータマに帰依いたします.また,真理の教えと 修行僧の集いに帰依いたします.わたしはゴータマさんのもとで出家し,正式の戒律を受けたいので す」

阿修羅王バーラドヴァージャ・バラモンは,尊師のもとで出家し,正式の戒律を受けることができ た.

正式の戒律を受けてからまもなく,罵る者であったバーラドヴァージャさんは,独りで隠棲し,怠る ことなく努め励んでいたので,まもなく,立派な人々がそのために正しく家から出て家をもたぬ状態 におもむくところのその無上なる清浄行の完成を,まさにこの世において自ら知り体得し具現して住 していた.――「生存は消滅した.清らかな行いを実践しおえた.なすべきことは,なしとげた.も はやさらにこのような状態におもむくことはない」ということを理解した.

八 さてバーラドヴァージャさんは,敬われるべき人々の一人となった39

この『阿修羅王経』では,罵る者であったバラモンのアスラ王のバーラドヴァージャが釈尊の言葉を 聴き,釈尊のもとで正式な出家をし,無上の清浄行を完成させ,成すべき事を全て成し終え,六道に戻 る事がなく敬われる阿羅漢になったことが記されていると言える.元々は荒々しき愚者であったアスラ 王がここで解脱しているとするならば,後に仏法の守護者たる八部衆のアスラ王はこのアスラ王のバー ラドヴァージャ・バラモンである可能性があると言えよう.