第4章 :増支部経典(A ṅ guttara-Nik ā ya)におけるアスラ
第4部 :初期大乗仏教経典におけるアスラ
第1章:『八千頌般若経』(Aṣṭasāhasrikā-prajñāpāramitā-sūtra)におけるアスラ 1:『八千頌般若経』(Aṣṭasāhasrikā-prajñāpāramitā-sūtra)とは
本項で考察する『八千頌般若経』は初期大乗仏典の内で最も早く成立した経典である.「般若経典群」
の
1
つである.「般若経典群」の大部分は『般若波羅蜜経』の略称である「般若経」の名で呼ばれている.「般若波羅蜜」(般若波羅蜜多)はサンスクリットでプラジュニャー(prajñā,パーリ語でpaññā)パーラ ミター(-pāramitā)という語の音写で,プラジュニャーは「悟りの智慧」をパーラミターは「完成,成就,
最高の状態」「彼岸に渡る」などを意味し,prajñā-pāramitāは「完全な智慧」「智慧の完成」「智慧により 彼岸に至る」などの意として解釈される.この「般若経」は大乗仏典の先駆的な経典であり,最初期に 成立した「般若経」は現存してはいないものの一般に紀元前
100
年頃から紀元前後と考えられている.「般若経」には『大正新脩大蔵経』の般若部の中に
42
種類もの経典があり,それらは12
種類1)に分 類される.そのうちで最も古いものは,論師たちの引用などから「大品系」か「小品系」であるとされ ており,どちらがより古いかという論争が3
世紀中葉から行われていたが,1980年代に梶芳光運氏によ って「小品系」が現存している「般若経」のうち最古であると確定付けられた.そして,異論も多いが 今日では,①原始般若経(『八千頌般若経』の原型,前100~後 100
頃)②拡大般若経(『十万頌般若経』『二万五千頌般若経』『一万八千頌般若経』,後
100~300
頃)③個別的般若経(『金剛般若経』150~200 頃など異なる説あり,『善勇猛般若経』『仁王般若経』『般若心経』300~500頃)④密教的般若経(『理趣 般若経』など600~1200
頃)の4
期に分けられており,一つの目安となっている.本項で採り上げる『八千頌般若経』は,原題を“Aṣṭasāhasrikā-prajñāpāramitā-sūtra”(アシュタサーハス リカー・プラジュニャーパーラミター・スートラ)といい,漢訳には,支婁迦讖し る か せ ん(後
179)の訳である
『道行どうぎょう般若経』,支謙し け ん訳(225~257)の『大明度無極だいみょうどむきょく経』,曇摩蜱ど ん ま ひ・竺仏念じ く ぶ つ ね ん
共訳(382)の『摩訶般若 鈔経』,鳩摩羅什訳(408)の『摩訶般若波羅蜜経』,玄奘訳(660~663)の『大般若波羅蜜多経』,施護 訳(980以降)の『仏母出生三法蔵般若波羅蜜多経』と多くの異本が存在する.
この様に何度も中国において翻訳が重ねられた.この翻訳が重ねられた理由として,一般に次の
2
つ が挙げられている.①「中国の仏教徒達が古訳に満足できなくなり,より詳細なものを求めたため」
②「インドで『八千頌般若経』の増広や削除が行われた結果,旧訳と合致しなくなり,インドでの改 定が行われる度に『八千頌般若経』を漢訳したため」
上記の
2
つの理由はどちらも十分に考えられることである.筆者は,インドにおいて教義を広めるた めに,経典をより詳細で覚えやすく理解しやすく伝えやすいものにする努力・工夫が為されたと考える.より良い経典にすることを求め,改定・増広し,繰返し部分が多すぎるなど,内容の暗唱・理解の妨げ になる部分を削除し,梵文の『八千頌』が現在の形になり,その過程で度々漢訳されたため,現在内容
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が若干異なる漢訳の『八千頌』が多く存在していると推察する.
また,『八千頌般若経』を考察する上で重要に論書として,『現観荘厳論』(Abhisamayālaṃkāra)がある.
『現観荘厳論』は,諸説あるものの,
4~5
世紀に著されたアサンガ(無着)による『二万五千頌般若経』の注釈書であるとされている.『八千頌』ではなく『二万五千頌』の注釈書ではあるが,テキストそのも のにも影響を与えていると考えられており,『八千頌』の第
1
章の章題は『現観荘厳論』からとられたも のである.そして『現観荘厳論』の項目と内容を基に多くの『八千頌』の注釈書が著された.そして,ハリバドラの『八千頌』に対する注釈である『現観荘厳光明』は
800
年頃に著されており,『現観荘厳光 明』は記されている内容から現存するサンスクリットの『八千頌』に対するものであるといえる.しか し,鳩摩羅什訳や玄奘訳に存在しない内容が多々あるため,現存しているサンスクリット本は玄奘が中 国に帰国した645
年以降ハリバドラが注釈書を記した800
頃までの間に成立したことになる.また,現 存するサンスクリット本の内容は施護訳とほぼ同じ形式・内容であるが,訳語の正確さが欠けており,玄奘訳や羅什訳の方が原典を読み解く上で重要視されている.
2:『八千頌般若経』におけるアスラの研究概要
現存する『八千頌般若経』(『アシュタサーハスリカー・プラジュニャーパーラミター・スートラ』, Aṣṭasāhasrikā-prajñāpāramitā-sūtra)では全
32
章中の14
の章,23の場面に描かれている.ここに描かれ るアスラは,①六道の1つとして描かれる場合と,②八部衆の1
つとして描かれる場合に大別すること ができる.ただし,六道の
1
つと言えど,その有様はは異なり悪趣として描かれているものもあれば,善趣とし ているものもある.また,大乗の思想により,六道が菩薩と比較され,迷いの世界であることが強調さ れることもある.先述したように『八千頌般若経』には多くの漢訳が存在し,現存するサンスクリット写本はかなり新 しいものと考えられる.そして成立当初の姿ではなく,増広や削除が行われ現在の形になったと考えら れるとはいえ,アスラに関して『道行般若経』の頃から現存する『八千頌般若経』に共通して描かれて いる箇所があり,初期大乗経典成立の過程から中期大乗経典成立時期まで一貫して存在するアスラとい う概念の揺らぎを調査することができた.
以下に『道行般若経』,梵文『八千頌般若経』とのアスラに関する比較を行う.
『道行般若経』 梵文『八千頌般若経』
章 場面 個数 章 場面 個数 備考
1章:あらゆる様相に通じる仏知の追求 1 三善道 3章:功徳品 3
1 諸天人民阿須倫鬼神龍
3 3章:完成と塔との尊敬に無量の功徳があ
ること 2 2 戦いを引き起こす神
1 9 八部衆(+人,非人)
4章:漚惒拘羅勸助品 1 1 八部衆(+人or非人)
6章:随喜と廻向 3 1 1 八部衆 1
9章:讃嘆 1 1 三善道
10章:照明品 1 1 諸天阿須倫竜鬼神
11章:魔の所行 1 1 四悪趣 12章:世界の示現 1 1 三善道(+龍)
17章:守空品 1 1 17章:不退転の形状としるしと証拠 1 1 類似せず
20章:繹提桓因品 1 4 梵文23章と類似
22章:善友 1 2 三善道(-)
23章:シャクラ 1 2 三善道よりも菩薩が勝る 24章:慢心 1 2 四悪趣
25章:学習 2 1 四悪趣
25章:累教品 1 1 1 類似せず
26章:不可盡品 1 1 26章:幻のごとき 1 1 類似せず
27章:随品 1 1 八部衆(不完全)
28章:ヴァキールナ・クスマ(散華) 3
1 三善道
1 四衆・八部衆 1 三善道(-)
29章:曇無竭菩薩品 1 1 四部弟子及諸天阿須倫及鬼神
30章:嘱累品 1 1 32章:委託(嘱累) 1 1 類似せず
[表5]:漢文『道行般若経』,梵文『八千頌般若経』のアスラに関する比較(筆者作成)
3:『道行般若経』梵文『八千頌般若経』の類似部分
1
前表において,完全に一致しているわけではないが,内容的に一致している箇所は
3
つある.梵文『八 千頌』3章「完成と塔との尊敬に無量の功徳があること」ではその内2
箇所の内容に共通点がある.最初 の類似している箇所を梵文から和訳すると以下のようになる.そのとき,世尊は神々の主シャクラに仰せられた.
「カウシカよ,汝は智慧の完成を習いなさい.カウシカよ,汝は智慧の完成を覚えなさい.カウシカよ,
汝は智慧の完成を唱えなさい.カウシカよ,汝は智慧の完成を理解しなさい.カウシカよ,汝は智慧の完 成を宣布しなさい.カウシカよ,汝は智慧の完成を説きなさい.カウシカよ,汝は智慧の完成を述べなさ い.カウシカよ,汝は智慧の完成を教示しなさい.カウシカよ,汝は智慧の完成を読誦しなさい.それは なぜか.カウシカよ,アスラたちにこのような意図が生ずるであろうからである.『我々は三十三天の神々 たちと戦おう.三十三天の神々たちと戦場にまみえよう』と.そのときカウシカよ,汝はこの智慧の完成 に注意を集中しなさい.それを読誦しなさい.そうすれば,かのアスラたちのその意図はたちどころに消
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えてしまうのだ」2)
ここでは戦いの神としてアスラを描いており,三十三天に戦いを挑み争いを起こす悪神として捉えら れているといえよう.
2
同様に
3
章で梵文『八千頌』と『道行般若経』が類似している2
つ目の場面は,梵文を要約すると以 下の様になる.「智慧の完成により善男子・善女人の赴く住居(仏国土)に大きな力を持った神々,龍,夜叉,ガン ダルヴァ,アスラ,キンナラ,マホーラガ,人や人にあらざるもの達が行きたいと考える([Vaidya 1960,
No.4:44-45]
)」『道行般若経』では上記と類似した内容が一度記されるのみだが,梵文『八千頌般若経』では,表現 を変えながら,より詳細に
9
回に亘り記されている.ここでは仏国土に生まれることを願う善神として描かれていると言える.また,「人や人にあらざるも の」が含まれており,9衆であるが,現在一般化している八部衆の表記とほぼ一致している.そして『道 行』ではアスラの位置が龍の次で,全体からすると
3
番目に位置づけられており,アスラの重要性が現 在よりも高かったと考えられる.3
次に梵文『八千頌般若経』23章,『道行般若経』20章のシャクラ(繹提桓因)では,天・人・アスラ よりも菩薩の方が優れていることが記されている.ここでは「三善道」の
1
つとして,善い存在として アスラを捉えているがそれに勝る存在としての菩薩の引き立て役となっている.ただし,梵文『八千頌般若経』([Vaidya1960,No.4:204])ではसदेवमानुषासुरं(sadevamānuṣāsuraṃ)と あり「天・人・アスラ」の順であるが,『道行般若経』では「諸天阿須倫世間人民」もしくは「諸天諸阿 須倫諸世間人民」とあり,人よりもアスラを高く扱っていると考えられ,天とアスラを同等と見ていた
「五道説」の思想が現れていると考えられる.
これら
3
つの場面のアスラは,『道行』において天とアスラを同じ世界に住する同等の存在として扱わ れていると言え,「五道説」の立場に立っていると考えられる.ただし,一番初めの場面は戦いを起こす 神として,悪しき存在として描かれている.これは紀元前16~11
世紀頃に成立した『リグ・ヴェーダ』からの伝統的な解釈であると言える.
また,梵文『八千頌般若経』ではアスラを「八部衆」として扱っていても,三善道の