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第1章 :ウパニシャッド(Upani ṣ ad)におけるアスラ

第3部 :上座部仏教経典(パーリ語仏教経典, Nikāya )におけるアスラ

仏教は前

6~前 5

世紀頃に成立したと言われ,現在の上座部に伝わる「パーリ語仏教経典」は,教えの 原型が前

4~前 3

世紀に整えられ,前

3~前 2

世紀頃に現在の形になり,三蔵(ti-piṭaka)の内の経蔵

(Sutta-piṭ

aka)の「ニカーヤ」

Nikāya)と律蔵(Vinaya-piṭ

aka)の「ヴィナヤ」が成立した.また,前 1

世紀初めにスリランカにおいて注釈と共に初めて文字で写されたとされる初期経典群である.本稿では,

経蔵である「ニカーヤ」を中心として考察した.

「ニカーヤ」と「ヴィナヤ」が成立した頃アショーカ王(前

268

年~前

232

年頃)の統治下で仏教は 最盛期に入る.西暦紀元前後頃になると大乗思想が現れ,クシャーナ王朝の三世カニシカ王の統治下(130

~170年頃)に大乗仏教運動が起こり,「ニカーヤ」は小乗仏教の経典とされる.

「ニカーヤ」は収められる経の長さや内容により「長部経典」(ディーガ・ニカーヤ,Dīga-Nikāya),「中 部経典」(マッジマ・ニカーヤ,Majjima-Nikāya)「相応部経典」(サンユッタ・ニカーヤ,Saṃyutta-Nikāya

「増支部経典」(アングッタラ・ニカーヤ,Aṅguttara-Nikāya)「小部経典」(クッダカ・ニカーヤ,

Kuddaka-Nikāya)の五部経典に分類されており,中国では四部に漢訳された『阿含経』が存在する.しか

し,漢訳の『阿含経』と「ニカーヤ」では必ずしも一致しているわけではなく,食い違いもある.例え ば,「小部経典」は,同じ経蔵に分類されて入るが『雑蔵』(クシュドゥラカ,

kṣdraka)とされ,

『阿含経』

には含まれていない.更に,「ニカーヤ」の五部が完全に揃ったものであるのに対して四部の『阿含経』

1

つの部派のものではなくそれぞれ異なった部派に属するものであるため,「ニカーヤ」に見られるよ うな相互の関係や連絡もないという理由と,インドにおけるアスラの思想の変遷を追うことを主題とし ているという理由のため,此度の考察では漢訳された『阿含経』ではなく,サンスクリット同様にイン ド=アーリヤ語派のパーリ語文献を主な考察の対象とした.

第1章:長部経典(Dīga-Nikāya)におけるアスラ 1:長部経典(Dīga-Nikāya)とは

「長部経典」(ディーガ・ニカーヤ,Dīga-Nikāya)は「ニカーヤ」の五部経典の内で最も分量の多い経 典の集成であり,3篇

34

経からなり豊かな物語性を持っている.第

1

篇の戒蘊篇(Sī

lakkhandha-vagga)

には第

1~13

経が収められているが,アスラに関する記述はない.第

2

篇の大篇(Mahā-vagga)には第

14~23

経が収められており,第

18~21

経にはアスラに関する記述がある.また,漢訳の『阿含経』には,

14

経(Mahāpadāna-Sutta)に相当する『大本経』にもアスラに関する記述があるが,パーリ語写本に はその記述がない.裸行者の名が付けられている第

3

編のパーティカ篇(Pā

thika-vagga)には第 24~34

経が収められ,その内の第

24・第 30・第 33

経にアスラに関する記述がある.

‐32‐

2:長部経典(Dīga-Nikāya)におけるアスラの表現

1

2

篇「大篇」第

18

経『闍尼沙経』(ジャナヴァサヴァ・スッタ,Janavasabha-sutta)1)におけるアス ラの描かれている場面を引用する.

尊師よ,世尊のもとで梵行につとめ,三十三天身として新たに生まれかわったかれら神々は,容色によ っても,光輝によっても,他の神々を凌駕し輝きました.尊師よ,そのために三十三天の神々は喜び,満 足し,喜びに満ちあふれました.

〈ああ,実に天身の者たちは満ち,阿修羅身(asura-kāya)の者たちは欠ける〉と.

尊師よ,ときに,神々の主であるサッカは,三十三天の神々の歓喜を知り,つぎのような詩句によって,

喜びを示しました.

ああ,実に三十三天の 神々はインダと共に喜ぶ 如来をそしてまた法の 善き法性を拝しつつ

善逝のもとで梵行を 修してここへやって来た 容色そなえ光輝ある 新たな神々をまた見つつ

広大慧者の弟子として ここに勝れた境地を得ている かれらは容色,光輝によって 寿命によって他を凌ぐ

これを見,三十三天は インダと共に歓喜する 如来をそしてまた法の 善き法性を拝しつつ

尊師よ,そのために三十三天の神々は,いよいよ喜び,満足し,喜びに満ちあふれました.〈ああ,実 に天身の者たちは満ち,阿修羅身の者たちは欠ける〉と.2)

上記の箇所を要約すると,以下のようになる.

三十三天が世尊とのもとで梵行に励んだため,他の諸天を凌駕する力を得て,「実に天の実を持つ者た ちは増大しアスラの身(asura-kāya)を持つ者たちは減滅す」と三十三天とインダ(インドラ)は共に歓 喜している.

以上のことから,天とアスラは同じ世界に存在し,互いに領域を拡げようと争っていて,アスラは滅 せられるべき存在であると考えることができる.

2

2

篇「大篇」第

19

経『大典尊経』(マハーゴーヴィンダ・スッタ,Mahāgovinda

-

sutta)の第1章3) のアスラに関する記述を引用する.

尊師よ,世尊のもとで梵行につとめ,三十三天身として新たに生まれかわったかれら神々は,容色によ っても,光輝によっても,他の神々を凌駕し輝きました.尊師よ,そのために三十三天の神々は喜び,満 足し,喜びに満ちあふれました.

『ああ,実に天身の者たちは満ち,阿修羅身の者たちは欠ける』と.

尊師よ,ときに,神々の主であるサッカは,三十三天の神々の歓喜を知り,つぎのような詩句によって,

喜びを示しました.

ああ,実に三十三天の 神々はインダと共に喜ぶ 如来をそしてまた法の 善き法性を拝しつつ

善逝のもとで梵行を 修してここへやって来た 容色そなえ光輝ある 新たな神々をまた見つつ

広大慧者の弟子として ここに勝れた境地を得ている かれらは容色,光輝によって 寿命によって他を凌ぐ

これを見,三十三天は インダと共に歓喜する 如来をそしてまた法の 善き法性を拝しつつ

尊師よ,そのために三十三天の神々は,いよいよ喜び,満足し,喜びに満ちあふれました.『ああ,実 に天身の者たちは満ち,阿修羅身の者たちは欠ける』と.4)

先述した第

18

経の内容とほぼ同様のことが書かれ,引用はしていないが,世尊が様々な者の幸福や安 楽のために行動することが書かれているが,その中にアスラの名はない.この世尊の行動を口にしてい るのはインダ(インドラ)であるが,このことから,インドラたちデーヴァにとってアスラを世尊が救 う対象としていないだけでなく,消滅させるべき存在としていると言えよう.

3

2

篇「大篇」第

20

経『大会経』(マハーサマヤ・スッタ,Mahāsamaya-sutta5)の重要と思われる場 面では以下のように描かれている.

‐34‐

金剛手56)により征服されて 大海に住む阿修羅たち

かれらはヴァーサヴァ67)(Vāsava)の兄弟にして 神通そなえ名声あり

大恐怖あるカーランジャたち(Kālakañja)ダーナヴェーガサ(Dānaveghasa)なる阿修羅たち ヴェーパチッティ(Vepacitti),またスチッティ(Sucitti)

パハーラーダ(Pahārāda),共に来たナムチ(Nam

u

ci)

ヴェーローチャ78)(Veroca)と誰もが呼ばれる 一百からなるバリ(Bali)の子たちは バリの軍をよく結び ラーフバッダ89)(Rāhubhadda)に近づいた

『あなたに幸あれ,いまや集会 比丘たちの園林の集いです』910

世尊はカピラ城の大園林に阿羅漢の五百比丘と住し十方世界よりあまたの諸天が世尊と比丘衆に見え んがために集い,この引用文が入る.この前後で諸天を類似した文面で称賛している.そして仏の教え により悪魔を退け,それを聞いた彼ら衆生は諸天と共に歓喜する,という話になっている.ここで注目 すべき点は「ヴァーサヴァ」という単語である.「ヴァーサヴァ」は「アスラ王」を意味すると同時に「諸 天の王」「インドラ」を意味する語であり11,その同胞であり神通力を持ち名声があるという点から考え て,第

18・ 19

経とは異なり良いイメージが見て取れる.しかし「金剛手」という語は「金剛杵を持つ者」

つまり「インドラ」を表していると考えられるので,そう考えると「ヴァーサヴァ」はインドラでない 者と考えるべきなので,「アスラ」であると考えるのが妥当であろう.だが,([南伝

12:401]によると)

ヴェーパチッティはその妹が天帝釈(インドラ)の妻になっているので,天帝釈の義兄であると言える ので,「ヴァーサヴァ」をインドラであると考える.すると,敵でありながら義兄弟であるインドラとヴ ェーパチッティの関係を表していると言えるので,この考えに妥当性が生じるだろう.また,バリはヒ ンドゥー教において「後にインドラの位につくだろう[上村2003: 275-279]」と言われるほどの優れたア スラなので,その子らに名声があるのも当然であると言えよう.そう考えると,ここでのアスラたちの 扱いは,「悪」として扱っているとは言えず,むしろ「善」の存在のような扱いをしている.

そして,ナムチ(Namuci)は一般に「悪魔」とされる語であるが,注釈書(Aṭṭ

h

akathā)によれば,悪

魔(mā

ra)であり天子(deva-putta)であるとされており,天と悪魔が血筋的には同じ存在であることを

示していると言えよう.ここで,アスラと共にナムチが現れた理由は記されておらず,注釈書にも記さ れていないため不明であるが,この『大会経』においては,アスラと魔天子であるナムチを類似した存 在と捉えていたと考えられる.

また,宗教も成立時期も異なるが,紀元

3

世紀頃に成立したヒンドゥー経の代表的聖典『ヴィシュヌ・

プラーナ』(Viṣṇu-purāṇa)に登場する代表的なアスラのダーナヴァ(Dānava)とダーナヴェーガサ

(Dā

naveghasa)との関連も今後の課題となるだろう.