1. 序
宗教多元主義は、キリスト教神学において、他の宗教における救済可能性をどう考える かという問いから始まった1。宗教多元主義の主唱者ジョン・ヒックは、キリスト教以外の 宗教における救済を否定する立場を排他主義、キリストの十字架による救いの効果はそれ を信じない者にも及ぶとする立場を包括主義と呼び、両者を批判した上で、キリストの十 字架によらずとも救いに至る道があることを端的に認める多元主義を説く2。このような諸 宗教の関係をめぐる神学的議論―諸宗教の神学―は、20世紀後半の欧米において活発にな り、今世紀初頭の同時多発テロ事件以降、さらに大きな関心を集めている3。
キリスト教における諸宗教の神学の発展は他宗教に影響を与え、多様な宗教的背景を持 つ思想家たちが各々の立場から異教徒との関係について発言するようになった。今日、ム スリムの著作の中にも「多元主義」という言葉がしばしば登場する4。イスラームにおいて は、あらゆる民族共同体に神の使徒が一人ずつ遣わされたとされており5、ある種の多元主 義的な性格が最初から備わっていた。だが、多元主義という言葉自体は比較的新しく、そ の意味内容についてのムスリムの理解は区々である。キリスト教神学においてさえ、ヒッ クの多元主義とは異なるタイプの多元主義が提唱されていることを思えば6、ムスリムの間 に様々な理解が存在するのは当然である。しかし、ムスリムが多元主義を論じる際には、
イスラーム独自の多元主義的視点が加わるだけでなく、救済論とは別の文脈でも多元主義 という用語が使われるため、議論が混乱しやすい。神学的議論として始まった多元主義が、
その後、異教徒の市民権をどこまで認めるべきかという法学的な問題としても論じられる ようになったのである。
1 小原「宗教多元主義モデル」24-25頁。
2 John Hick, “Religious Pluralism,” in The World’s Religious Traditions: Current Perspectives in Religious Studies, ed. by Frank Whaling (New York, Crossroad, 1984), pp.150-153.
3 若林「多元主義神学」58頁。
4 あるいは、アラビア語でta‘addudiyyah、英語でpluralism。 Qaraḍāwī, al-Ḥurriyyah al-Dīniyyah, p.55ff; Ghannūshī, al-Dīmuqrāṭiyyah, pp.83-114; Kamali, “Diversity and Pluralism,” p.27ff; Ramadan, The Quest, p.xi et al.
5 クルアーン10章47節、16章36節。信憑性には問題があるが、ある伝承によれば、預 言者は124000人、そのうち使徒は315人である。Ibn Abī Ḥātim, Tafsīr al-Qur’ ān, vol.1, p.182; vol.2, p.482; vol.4, p.1118; vol.9, p.2983.
6 小原「宗教多元主義モデル」29-30頁。
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現代の「シャリーアの目的」論者が唱えるのは市民権論としての多元主義であり、本章 の主たる関心はそちらにある。だが、その検討に入る前に救済論としての多元主義を見て おきたい。それは次の二つの理由による。第一に、市民権に関する多元主義を説く者の多 くは、救済に関する多元主義に対して否定的である。それゆえ、後者を知って初めて前者 の意義を理解できる。第二に、市民権論においては、救済論と違い、どの宗教が真理かと いう議論を回避できると思われた。だが、前者においても、国家のイスラーム性をめぐっ て、イスラームの他宗教に対する優越性が問題となる。つまり、両者は根を同じくする問 題を抱えているのである。
以下、初めに、異教徒の救済可能性に関するセイエド・ホセイン・ナスルの所論と、こ れに対する他のムスリムからの異論を見る。その後、異教徒の市民権に関し、ユースフ・
カラダーウィーら現代の「シャリーアの目的」論者の所説を検討し、多元主義の意義と限 界を明らかにする。
2.救済論としての宗教多元主義
2-1.セイエド・ホセイン・ナスルの宗教多元主義
セイエド・ホセイン・ナスルは 1994 年、ジョン・ヒックと対談した際、彼我の宗教観 の違いについて次のように述べている。
あなたは、宗教的真理がそれぞれの世界で多様な形で「具象化」することを、神的存在 に対する人間の応答と見ます。一方、私はそれを、人間の置かれた多様な状況の中での 神の顕現と見ます。これが私たちの見解の相違点の一つでしょう。(中略)ちょうどあな たがキリスト教神学について言ったように、イスラーム神学のあらゆる教義が神の啓示 によるものだとは私も言いません。しかし、宗教儀礼や啓典、さらに神学上のある種の 根本教義は、各宗教において神によって定められたと信じます。それらが究極的存在に 対する人間の応答にすぎないとは私は言いません7。
このように、二人の間の決定的な違いは、諸宗教の多様性を生み出す主体が人間なのか 神(あるいは究極的存在)なのかという点にある。ヒックが個々の宗教的伝統を誤謬に満 ちた人間的な営みと見て正そうとするのに対し、ナスルは諸伝統を神の真理の現れと理解
7 Aslan, “Religions,” p.268.
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し、それを歪めることに反対する。ここで両者の念頭にあるのは、伝統的にキリスト教の 絶対性の主張を支えてきた受肉の教理である。その結果、キリスト教神学者がイエスの神 性を疑い、ムスリムの思想家がそれをたしなめるという奇妙なことが起こる。ナスルは、
「もしこれが単純に誤りであったなら、どうして神は、無限の知恵と正義を持ちながら、
何億人もの信者が救いを求める世界の主要な宗教の一つを、二千年の間、誤ったまま放置 できたのでしょうか」と言い、伝統は伝統であるがゆえに正しいとする8。
他方、キリスト教もイスラームも自宗教を唯一の真理と見なすべきではないという点に おいて二人は一致する。ナスルはヒックに同意して次のように述べる。
けれども、あなたに大いに賛成する点もあります。つまり、各宗教がそれぞれの内側で 感じる絶対性――そのせいで各宗教は、自分だけが真理であるとか、すべての真理の中 で最良のものであるといった主張を歴史上してきたわけですが――その絶対性の意味は、
私とあなたが各々の視点から表現した理論に照らし、修正されねばならないという点で す。その理論とは、真の絶対者だけが常に絶対で、真の実在のみが絶対的に実在し、そ れ以外はすべて個別の精神世界の中での現象であるというものです9。
宗教を絶対者に対する人間の応答と見なすことによって個々の宗教を相対化するヒック の論理は容易に理解できる。これに対し、宗教的伝統の維持を訴えるナスルが各宗教の絶 対性の主張を弱めようとするのは一見矛盾する。ここでナスルが説いているのは――ナス ル自身が好んで使う言葉を用いれば――「相対的絶対」の理論であり、ナスルはこれを、
「諸宗教の多様性の意義を理解する上で鍵となる概念」と位置づける10。それによれば、
各宗教において絶対とされるものは真の絶対者の個別的な現れでしかなく、それぞれの信 仰の世界の中でのみ絶対的であるにすぎない。この点、ヒックも、宗教は絶対的真理の主 張をやめるべきかという質問に対し、「絶対的真理の主張ではなく、唯一の真理の主張」が 問題であると答えており、ナスルと完全に一致する11。
8 Ibid., p.272. もっとも、この発言が三つの独立した神を認める趣旨ではないことをナス
ルは付言する。Ibid., pp.272-273.
9 Ibid., p.269.
10 Nasr, Knowledge, p.294.
11 Aslan, “Religions,” p.279.
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ナスルは、この「相対的絶対」の概念を、ペレニアリスト派12の先輩フリッチョフ・シ ュオンから受け継いでいる13。彼らによれば、諸宗教は「永遠の哲学」を共有しており、
究極的には一体である14。このようなペレニアリズムは、彼ら自身も主張するように、エ ソテリック(深遠)で凡人の理解力を超える。だが、ナスル曰く、「もし、今日喧しく議論 される諸宗教の合同が、外交の道具や、宗教の世俗化を一層推し進める近代主義の圧力の 一助となって終わるのではなく、それ以上の何かであろうとすれば、エソテリックな見方 によらねばならない」15。
ペレニアリズムはイスラーム固有の思想ではないが、ペレニアリストの考えでは、エソ テリックな視点から見る限り、両者の間に乖離はない。ナスルによれば、幾人ものムスリ ムの神秘主義者、哲学者、神智学者が永遠の哲学・知恵の存在を認めており16、特にイブ ン・アラビー(1240年没)の『フスース・ル=ヒカム(叡智の宝石)』は「相対的絶対」
の理論に相通じるという17。だが、このような見方に反対するムスリムも少なくない。そ こで、次節では、ナスルの宗教多元主義に対して批判的なムハンマド・レーゲンハウゼン とアドナン・アスランの所論を取り上げる。
2-2.ムハンマド・レーゲンハウゼンによるナスル批判
イランで教鞭を執るムハンマド・レーゲンハウゼンは、ナスルを「アメリカにおける最 も高名なムスリムの知識人」と認める一方18、ナスルの宗教多元主義については、過去の 多くの偉大なムスリムの思想家によるイスラームの解釈に合致せず、支持できないと切り 捨てる19。さらに、ナスルが伝統とスーフィズムの擁護者を自任していることに関して、「だ
12 中村廣治郎「フリッチョフ・シュオン」241頁。
13 Nasr, Religion, p.19. シュオンは多くの箇所でこの概念に言及している。例えば、
Frithjof Schuon, The Transcendent Unity, p.92; Christianity/Islam, p.127; Islam and the Perennial Philosophy, p.203.
14 中村廣治郎「フリッチョフ・シュオン」240-241 頁。なお、ナスルは、「永遠の哲学
(philosophia perennis)」が特定の哲学派の名称としても用いられることを嫌い、「永遠 の知恵(sophia perennis, perennial wisdom)」という表現を使う。ナスルによれば、「永 遠の知恵」はあらゆる宗教の中核にあり、様々な啓示を通して人間の具体的状況に応じた 形で現れる。Nasr, Knowledge, pp.68-69.
15 Schuon, The Essential Writings, p.16 (editor’s introduction) .
16 Nasr, Knowledge, p.72.
17 Ibid., p.297.
18 Legenhausen, Islam, p.121. ナスルとレーゲンハウゼンは共にシーア派に属し、アメリ
カとイランに縁が深いという点でも共通する。
19 Ibid., pp.118-119.