1.序
前章で、ラシード・リダーがイスラーム国家の枠内で非ムスリム市民の信教の自由の保 障に努めたことを見た。そして、その姿勢が今日の多元主義の主張に受け継がれているこ とにも触れた。多元主義については次章で論じるが、その前に、ムスリムは異教徒にサラ ームを言うべきか否かという問題を見ておきたい。前章で扱った人頭税が純粋に法的な問 題であるのに対し、本章で扱うのは道徳的な問題である。それが原因かどうかは分からな いが、欧米の研究者による先行研究はまったく存在しない。だが、法と道徳の峻別は近代 西洋における法実証主義の誕生以後のことであり1、シャリーアにおいて両者は区別されて いない。
サラームはムスリムにとって最も重要な言葉の一つである。それは平安を意味するアラ ビア語の単語であり、イスラームやムスリムといった名詞と同じ三語根(s, l, m)を含ん でいる。定冠詞を付けたアッサラームは、神が持つ99個の名前の一つであり2、また、ム スリムの挨拶に不可欠な要素でもある。預言者の伝承によれば、神はアダムに挨拶の交わ し方を教えた。アダムが一群の天使に向かって「あなた方の上に平安がありますように」
と言ったところ、天使たちは「あなた方の上に平安と神の慈悲がありますように」と答え たと伝えられている3。これらは単に挨拶であるというだけでなく、互いの平安を祈る言葉 でもある。
ムスリムたちは、イスラームが平和の宗教であることの証拠として、イスラームにおけ るサラームの特別な重要性にしばしば言及する。では、この平和の祈りは世界中のすべて の人々に向けられるのか4。それとも、ムスリム間に限られるのか。この問いは、預言者の 時代、マディーナ憲章の下でユダヤ教徒と対等な地位にあったムスリムたちにとって実際
1 田中『現代法理学』147頁。
2 クルアーン59章23節参照。
3 Muslim, Ṣaḥīḥ, Kitāb al-Jannah (楽園の章).
4 本章では、非ムスリムにサラームを言うべきか否かをイスラームの観点から論じる。だ が、それとは別に、イスラーム的な挨拶を受ける非ムスリムがどう感じるかという問題も ある。なお、聖書のアラビア語訳のほとんどの版は、ヨハネの福音書20章などに見られ るイエスの言葉「あなたがたに平和があるように」をal-salām ‘alay-kumではなく、
salāmun la-kumと訳している。
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的な意味を持っていた5。当初、預言者ムハンマドは、統治においても挨拶においてもムス リムとユダヤ教徒の間に優劣を付けるつもりはなかったと推測される。だが、後述のよう に、ユダヤ教徒による背信が次第に目立ち始め、ムハンマドは考え直さざるを得なくなっ た。
近代に入り、この問題は新たな文脈の中に置かれた。イスラーム世界は西欧列強の草刈 場となり、キリスト教宣教団の活動が盛んになった。また、ユダヤ教徒の間でシオニズム が高まり、パレスチナへ帰還する者が増えた。さらに、イスラーム世界の外で宗教的少数 者として生きるムスリムも急増した6。こうして、今日、異教徒に対してどのように挨拶す るべきかという問いは避けて通れないものとなっている。
挨拶は二人の間で交わされるものである。したがって、上の問いは二つの論点を含む。
第一に、ムスリムは率先して異教徒にサラームを言うべきか。第二に、もし異教徒がムス リムにサラームを言ったならば、それに対する返事としてムスリムは異教徒にサラームを 言うべきか。この二つの論点について、次節ではクルアーンとスンナの明文、つまり神と 預言者ムハンマドがどう言ったのかを整理する。その後、7世紀から21世紀までのムスリ ムの学者たちの見解、つまり彼らが明文をどのように解釈したのかを通覧する。
なお、「シャリーアの目的」論の変遷を明らかにするためには、前三章で取り上げた学者 の見解を順に見ていくことができれば理想的である。だが、彼らのすべてがサラームの問 題について発言しているわけではないため、そうすることができない。そこで、本章では、
「シャリーアの目的」論者と見なされていない学者の見解にも言及する。それでも、前章 で扱った背教の問題と同様、中世においては預言者の言葉が額面通りに受け止められ、近 代以降は普遍的な教えとそうでないものが区別されるという傾向が確認されよう。
2.クルアーンとスンナにおけるサラーム
異教徒にサラームを言うべきかという問題に直接関わる預言者の言葉がいくつか伝えら れている。スンナ派の伝承によれば、ユダヤ教徒とキリスト教徒にサラームを言うことを
5 マディーナ憲章の第16条は、イスラームの統治に服するユダヤ教徒がムスリムと対等に 扱われることを定める。小杉「「初期イスラーム」」236頁。また、マディーナ憲章がユダ ヤ教徒に信教の自由を保証したことについて、同上229頁。
6 その結果、「少数者の法学(fiqh al-aqalliyyāt)」と呼ばれる新分野の創設が提唱される ようになった。なお、ザキー・バダウィー(2006年没)は、「少数者」を数における弱者 ではなく力における弱者の意味で用いるならば、西欧の植民地となったイスラーム世界も 少数者の法学の対象となることを指摘している。Alwani, Towards a Fiqh, p.viii.
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預言者は禁止した7。また、シーア派においては、啓典の民―ユダヤ教徒やキリスト教徒な ど―にサラームを言うことを初代イマームのアリー(661 年没)が禁じたという伝承が伝 えられてきた8。また、これらの伝承に関連するものとして、預言者ムハンマドが東ローマ 帝国の皇帝ヘラクレスに対する書簡の中で「(神の)導きに従う者の上に平安がありますよ うに」と書いたという伝承も存在する9。これを「あなた方の上に平安がありますように」
と同じ意味であると解することも可能であるが、それとは逆に、ヘラクレスのために祈る ことを避けたという解釈も成り立つ。
異教徒から先にサラームを言われた場合について、預言者は「あなた(方)の上に(も)」
とのみ応えるように指示したという伝承がいくつか存在する10。それらが伝える預言者の 言葉は細部において互いに異なっており、二人称単数形で伝えられているものと二人称複 数形で伝えられているものがあり、「も」を含むものと含まないものがある。また、これら の伝承の多くは、預言者がそのように指示したときの状況を伝えている。それによれば、
数人のユダヤ教徒がサラーム(平和)をサーム(死)に置き換え、「あなた方の上に死があ りますように」とムハンマドに向かって言った11。そこで、ムハンマドは「あなた(方)
の上に(も)」と答えた。さらに、それらの伝承のいくつかによれば、預言者と一緒にいた 妻アーイシャがユダヤ教徒の挑発に乗って言い返したところ、預言者は「アーイシャよ、
神は万事において優しさを好まれる」と彼女をたしなめたという。
サラームに関する伝承としては、上記のもの以外に、「サラームを広めなさい」という預 言者の言葉が伝えられている12。この言葉を伝える伝承のいくつかは、「あなた方の間でサ ラームを広めなさい」となっている。だが、「あなた方」がムスリムだけを指すのか、全人
7 Muslim, Ṣaḥīḥ, Kitāb al-Salām (挨拶の章); Bukhārī, al-Adab al-Mufrad, Kitāb Ahl al-Kitāb (啓典の民の章).
8 Kulaynī, al-Kāfī, vol.2, Kitāb al-‘Ishrah (社交の章), Bāb al-Taslīm ‘alā Ahl al-Milal (諸宗教共同体の民にサラームを言うことに関する節).
9 Bukhārī, Ṣaḥīḥ, Kitāb al-Isti’dhān (許しを求めることに関する章). なお、これと同じ文 句がクルアーン20章47節にある。
10 これらの伝承は、ムスリム(875年没)の『サヒーフ(真正)』とクライニー(940年 没)の『カーフィー(十全)』では一つの章の中にまとめられているが、ブハーリー(870 年没)の『サヒーフ(真正)』ではあちこちに散らばっている。
11 この出来事はクルアーン58章8節でも言及されている。
12 Muslim, Ṣaḥīḥ, Kitāb al-Īmān (信仰の章); Bukhārī, al-Adab al-Mufrad, Kitāb
al-Salām (サラームの章) et al. シーア派では、初代イマームのアリーの言葉として伝えら
れている。Kulaynī, al-Kāfī, vol.2, Kitāb al-‘Ishrah (社交の章), Bāb al-Taslīm (サラーム を言うことに関する節).
112 類を指すのかは判然としない。
次に、クルアーンにはサラームを含む節が数多く存在する。その大半は、楽園に入った 者がサラームを言われることを述べるものであり13、誰もがサラームを受けられるわけで はないことを示唆している。だが、それは来世のことであり、本章で扱う問題とは関係な い。本章の関心は、現世においてムスリムが異教徒にサラームを言うべきか否かという問 題だからである。現世に関する限り、不信仰者―神が最も嫌う偶像崇拝者も含めて―にも サラームを言ってよいことを示す節が少数ながら存在する。例えば、19章47節では、イ ブラーヒーム(アブラハム)が父にサラームを言い、先祖伝来の多神教に固執する父の罪 が神によって赦されるように祈っている。また、43章89節は、偶像崇拝者たちから離れ ることを預言者ムハンマドに命じるが、別れ際にサラームを言うように指示している。こ のサラームは、いつの日か偶像崇拝者たちが真理を知ることを祈るための言葉である14。 サラームを含めた挨拶一般に関して、4章86節は、「あなた方が挨拶を受けたときは、
さらに丁寧な挨拶を返すか、同じ挨拶を返しなさい」と教える。この節はサラームという 言葉を含んでいないが、異教徒にサラームを返すべきか否かという論点と密接に関連して いる。それゆえ、次節以降で見るように、多くのクルアーン注解者が 4章 86節と関連さ せてサラームの問題を論じ、多くの法学者がサラームを論じる際に 4章 86節に言及して きた。そこで焦点となるのは、この節がムスリム間の挨拶だけを念頭に置いているのか、
それとも異教徒との間で交わされる挨拶にも適用されるのかである。
さらに、以上の伝承や章句を解釈するにあたり、異教徒に対するクルアーンの基本的な 姿勢をどう理解するかが影響する。前章で見たように、リダーは、ムスリムに友好的な異 教徒と敵対的な異教徒の区別を普遍的なものと考えた。だが、リダーとは違って、多神教 徒の殺害を命じる9章5節前段―いわゆる剣の句―などを重視し、平和志向の章句はそれ によって廃棄されたと主張する者もいる。
3.法学派形成期の諸見解
以下では、上で見たクルアーンの章句や預言者の伝承をムスリムの学者たちがどのよう に解釈したのかを順に見ていきたい。本節では、各法学派においてそれぞれの代表的な見
13 クルアーン 7章46節、10章10節、14章23節、16章32節、19章62節、36章58 節、39章73節、56章91節など。
14 このほか、25章63節と28章55節は、無明の輩に関わるのを避けるための言葉として サラームが用いられることを示している。