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ダーレンド、ルフはさらに進んで、「原則的に、この二つの変数は別々に単独に測定可能で あり、増大したり縮小したりするJ(制と言い切っている。この命題は、<ライフ・チャン ス>が基本的に定量化できるかどうかという点にかかわる問題なので、少し突っ込んだ検 討を要する。すなわち、<ライフ ・チャンス>が「拡大したjとか、「減少したjという場 とし、う本質的な問題にかか 合に、いかなる基準をもってそう言いうることが可能なのか、
わる。たとえば、近代化の過程で、「リガチュアが破壊され、オプションが拡大した」と言 明する場合、そうし、う事態を定性的には言明可能かもしれないが、定量的な形でも裏付け 可能なのかどうか、としづ問題である。それとも、われわれは、定性的な言明で満足しな
ければならないのだろうか。
ダーレンドルフは、オプションは測定可能と考えられやすいとし、いくつか例を挙げて たとえば、分業とは、定義からしてオプションの範囲と多様性を拡大するもの いる (46)
。
である。また、公民権の拡大過程とは、もともと少数者にのみ限定されていたオプション しかし、オプションの拡大を明確に定量的に をより多くの人々に推し広げるものである。
表現するには、たとえば「選択の規模や範囲を認識区分するための基準Jがあらかじめ存 在していなければならないであろう。あるいは、個人間、集団問、社会問、時代間のオプ ションの比較を可能とする、なんらかの基準があらかじめ開発、設定されている必要があ
ろう。この点について、ダーレンドルフは、これからの研究課題である、と率直に認めて いる (4710
一方、リガチュアのほうはどうであろうか。リガチュアは情緒的な要素を併せもつだけ に、オプションよりもはるかに測定が難しいことが、容易に想像される。リガチュアとは、
ある社会的地位を別の社会的地位に結び付けることで、その地位の担い手に紳を与えるパ ターンをし、う。それゆえ、リガチュアの数量および強度というこつの面から、この問題に アプローチする必要がある。
まず数量の面だけをみれば、ダーレンドルフは、社会分化の進展に伴い、想定可能なリ ガチュアの数が増大する、と述べている(必)。その例として、古代ギリシャのポリスを挙 げ、そこには工場規則も、国民感情もなかった、としている。これはやや強引な例である が、近代化が進むにつれ、社会も多様化し、紳もさまざまに分化してきた、としづ意味で、
リガチュアの数量が増大した、ともいいうるわけである。
それでは、リガチュアの強度についてはどうか。たとえば、近代の社会分化に応じてリ ガチュアの強度も強くなる、と言いうるのかどうか。「ゲマインシャフトからゲゼルシャフ トへjとか、「身分から契約へJとし、ったような一方通行的な近代化過程に、幹の強度を関 連づけて考えてみるとどうなるのか。ダーレンドルフによれば、近代化が進めば進むほど 粋の強度も強くなる、という仮定を置くことはできない。オプションの拡大により伝統的 なリガチュアが破壊される過程がいったん始まると、これに代わる新しい繋がりを社会が 用意してくれる例はそう多くなし、からである (49)。そのため、オプションの拡大が自動的 に新しいリガチュアの強度を強くする、とし、う仮定を安易に置くことはできない。
以上のように、リガチュアを定量化する試みも、オプション以上に困難なことがわかっ てくる。とくに、リガチュアの強度という面は、人の感情や情緒の問題でもあるだけに容 易な数量化を許さない、という事情をわきまえておく必要があろう。いずれにしても、 <
ライフ・チャンス>の定量的な測定問題は、今後に積み残された課題であるという点をこ こで確認しておきたい。その意味で、<ライフ ・チャンス>論はいくぶん定性的な議論に ならざるをえないが、にもかかわらず定性的なものであっても概念枠組みとして想定して おく必要がある。
さて、<ライフ ・チャンス>とはオプションとリガチュアの関数であり、オプションも リガチュアも独立変数である。それぞれ独立して増大したり減少したりする。確かにオプ ションが 0%で存在せず、リガチュア 100%の世界が存在するとするなら、それはまった
く本能的な衝動の支配する動物的世界である。逆に、オプションが 100%でリガチュアが 0%の世界なら、自分以外のことはどうでもよいロビンソン・クノレーソー的世界となる(50)。 もっとも、オプションとリガチュアの関係は、ゼロサム・ゲームというわけではない。一 方が増大したからといって、それに反比例して他方が減少するわけではない。むしろ、オ プションとリガチュアの双方を手にすることは可能であるし、紳を失わずに選択を増大す ることも可能である、という。
(4) <ライフ・チャンス>の高度化
ここまで考察してくると、<ライフ・チャンス>という概念が現代社会を分析する概念 を志向しながら、あるべき社会を示す規範的な概念をも目指す、野心的な試みであること がわかってくる。繰り返しになるが、 f<ライフ・チャンス>とは、オプションとリガチュ アの相互関係から生じてくる個人の行動機会であるJ(51)。もっとも、だからといって両者
とも、人間の意思や幻想、の偶然的な対象ではなく、あくまで社会構造の次元に設定され、
社会的役割の構成要素である。
これを踏まえたうえで、望ましい<ライフ・チャンス>は、次のような形をとる。以下 の点が、ダーレンドルフの主唱する<積極的自由主義の理論>(Theorie eines aktiven Liberalismus)にとって大きな意義を有する (52)。
① オプションとリガチュアの座標系では前進移動可能であり、それにより両者の高度 化が達成されるo
② オプションとリガチュアの最適均衡状態 (optimalesGleichgewicht)を追求するこ とで<ライフ・チャンス>が拡充される。
③ オプションとリガチュアをともに増大させることでも、<ライフ・チャンス>が拡 充される。
④ 人間のもつ潜在的可能性の成長を促進することが、積極的な自由追求の課題である。
⑤ したがって、<ライフ ・チャンス>増大の条件を探求することこそ、<自由の政治 理論>の第一の意図ということになる。
以上のような新たな自由主義理論の課題設定を通じて、<ライフ・チャンス>概念は、
測定可能な単なる分析概念から、 人類が進むべき規範概念へと架橋される。規範概念とし
ての<ライフ・チャンス>には、明らかに良し悪しの価値判断が含まれている。ここには、
<ライフ・チャンス>を拡充することは良いことであり、逆に縮減することは良くないこ とだ、という価値判断が暗に隠されている。
それでは、こういう<ライフ・チャンス>概念は、先に検討した幸福、効用、厚生とっ た概念と比較して、どういう点が優れているのだろうか。また、これらに代わる概念と し て、前述のとおり四つの要求条件(社会的、構造的、歴史的、理論的な概念の必要性)が 設定されたわけだが、はたして<ライフ・チャンス>概念はそれを満たしている、といえ
るであろうか。
まず、<ライフ・チャンス>概念の弱点は、すでに考察したようにそれを測定するのに 必要な概念操作上の正確さが十分でない、という点にあるのは明らかである。ダーレンド ルフも、真っ先にその点を認めている。たとえば、幸福研究にしても、ベンサムの効用尺 度(強度、持続性、確かさ、迅速さ、実り多さ、純度など)にしても、あるいは国民総生 産や厚生に関する社会的指標にしても、なんらかの物差しが存在している。しかし、<ラ イフ・チャンス>概念にそのような物差しを定立することは、 今後の研究に委ねざるをえ ない、というのが現時点でのダーレンドルフの基本認識である (53)。
しかし、それは技術的な欠陥で、あって、原理的な欠陥ではない、という (54)。その理由 は、第1に、個人的な体験への依存を避けるとしづ意味で、<ライフ・チャンス>概念は 社会的概念であり、第2に、望ましい目標を社会的組織のあり方に結び付けるとしづ意味 で構造的概念である。そして第 3に、その帰結としてそれは歴史的概念であり、第 4に、 所与のすべての社会やその既知の潜在的可能性を原理的に超越するという意味で理論的概 念である。先にダーレンド、ルフ自ら提示した、四つの要求条件を満たす概念こそ、<ライ フ・チャンス>概念というわけである。それどころか、 「かの禁じられた、果てしなく魅力 的な領域、すなわち歴史の意味に対しても、ある種の意義を有しているかもしれないJ(55)
とさえ、ダーレンドルフは言う。
もっとも、ここで最後まで残る問題は、 i<ライフ ・チャンス>概念はなぜ、他の概念よ りも望ましい概念であるべきなのかJ(56)としづ究極の問いであろう。つまり、なぜ幸福や 厚生など別の概念ではなく、 <ライフ ・チャンス>概念でなければならないのか。その答 えは、ダーレンド、ルフが現代社会のどういう問題と向き合い、いかなる方向で解こうとし ているかの根本にかかわる。したがって、近代化以降のダーレンドノレフの現代社会論に少
し耳を傾けておいたほうがいいようである。
ダーレンドルフの第1の基本認識は、近代社会において人間の<ライフ・チャンス>が 飛躍的に増加した、とし、う見方である。この点については、前近代社会との比較で、すで に論述したところであるが、その認識を明確に示す箇所を引用しておこう。
近現代と称される時代は、人間の<ライフ・チャンス>を飛躍的に増加させた。も しかすると、その増加ぶりは、他のいかなる歴史のテーマと比べても大きいといえよ う。自由に手にできるオプションの数量と範囲が著しく増加し、そのオプションを活 用する人の数も増加している。こういう作用は、経済成長、政治参加の増大、社会的 平等、啓蒙の文化が、同時並行的に進行した結果である。古いものと新しいものの断 絶によって制限されたり、全体主義権力によって意図的に倒錯させられた国でもなお、
こういう作用が威力を発揮した。 (57)
しかし、このような近現代の過程はあらゆる国で社会的粋、すなわちリガチュアの衰退 を引き起こした。これがダーレンドルフの第2の基本認識である。その原因として、①一 般化された交換手段としての通貨、②人の移動、③参加、④社会秩序の基本単位としての 個人の強調が挙げられている。そして、 「オプションの拡大とリガチュアの破壊というこつ の過程は、未完といえようJ(58)と述べられているように、この二つの逆ベクトルの過程は、
まさに止まることを知らない現在進行形の過程として把握されている (59) 。
<ライフ・チャンス・>の拡大はある程度まで、粋や繋がりの抗いがたい減少を意味あらが
した。近現代社会のオプションを人々が活用できるようになるには、リガチュアを解 体せざるをえなかった。……(中略)……個々人の選択決定に、意図された意味を持 たすには、そのような繋がりの強度を減らすしかなかった。しかし、繋がりの減少は、
自己加速的で、見かけ上、止まるところを知らない過程のようになった。繋がりが減 少すると最初、獲得的な社会的地位のもつ重要性が高まったものの、最後には、あり
とあらゆる生得的地位が攻撃されるようになった。 (60)
それではリガチュアの縮減が一方的に進んでいくと、し、かなる状況をもたらすのか。ダ ーレンドルフは、「繋がりが破壊されると、 一部社会の根幹部分で複雑性が低下し、それが また<ライフ・チャンス>の減少へとつながるJ(61)と述べる。つまり、リガチュアが縮減