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第 2 節 『琉球祖先宝鑑j の成立
この [琉球祖先宝鑑]も系図作成に際して参考にされたものの一つであが、 「長浜系図」
によって創造された沖縄の系譜に関する物語を支持し、補強する内容を持っている点で注 目すべきである。しかも、これは「長浜系凶jのように写本によって広がったものではな し活字化されて
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版されたので・般の人々も入手可能な参考資料であるという点で、沖 縄社会に与えた影響は大きい。ただし、後で見るように、情報は豊富であるが休系的整理 が行われていないので、この分野についてある程度の知識がないと内容的にはわかりにく い。 しかし、この本に関してはこの│凌│床さがむしろ効を奏しているように思われる。 この本は 1933年 (II{仰は)に初版が発行され、 1962年(昭和137)に再版された。著 者 :i}JI~稲 díイ1:1七の慶 f1f
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であるが、彼については現在のところ、沖縄県立農林学校の書"的経験があり、 舟交の系凶作成依頼にも!必じていたということ以外はあまりわからない。 附1[附l徳にはこの[琉球‑f
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先 宝 鑑jのほかに、沖縄の但諺、迷信、年中行事、偉人伝な どを集めたf
琉球千平之巻j (1934イド)、f
那覇占実集j (1929年 ) 、 桑 江 克 英 と 共 著の{琉球王代記イI~錐~ (1931年)などの著書がある。
度倒的
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徳は、 『琉球制l
先仁王錐jのJ[;において、彼がこの本を著した理由を次のようにIIG している。 j
!1lも行人人類は持十111の
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にして霊統的にも体統的にも祖先より継続し来りたるものなf )
(¥‑々の祖先は芯魂あることを確信し又
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孫を慈愛する父母の威霊は現界に於て其肉体 を政ふも尚ほ陣│界に伝り て共f孫を保護することを確信したり是れ祖先崇拝の大義の淵 源にして敬村lの戎が│司教たる所以なり吾々が今日あるは吾々の祖先が血統団体を建設し 維持し泣伝したゐの余慶なりイnJが放に血統相近きものの相寄って家を成し民族を成し同 を成したるか111先を崇 JI~し共戚ノJ と慈愛との下に生存の保護を全ふせんと欲する天性の で怖に外ならざるなり併して裁がI l i J
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の国民道徳、たる忠孝、友不1 1
、信愛の道も是れ皆1llj b i ; i t ‑
ドの大義にi J : r i
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す子千々は初先の生命の継続者にして子孫は又吾人生命の延長者なり 放にt l l
先を尋ねJ(n統をI E
し是れを下古に維ぎ是れを万世に伝ふるは蓋し是れ吾人 が 組 先 に対する義務たるとI I ; J
I時に父子孫への職分にあ らざるかと公にせる所以なり (7)、の序文において慶倒的jが 述 べている内容を要約すると次のようになる。
1 )人類は神の子であり、 「霊統的」にも「体統的」にも祖先から継続している存在で ある。
2)
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先は、 「現界」においては肉体を失っているが、 「幽界」に存在し、子孫を保護 している。3 )それを確信することが祖先崇作の仮本であり 、 「敬
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11リ が わ が 国 の 国 教 で あ る こ と の埋山である。4 )われわれが今日存在しうるのは祖先が「血統団体
J
を形成してきたことの余慶であ るD5 )血統によって「家
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、 「民族」、 「国」を形成するのは、祖先を崇拝し、その保護L
得ょうとする天性の心情からでたものである。7 )固有の国民道徳たる忠孝、友和、信愛も祖先崇拝にその源泉がある。(ここでいう
「同氏
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とは、日本│吋民ではなくて、r
ij'l純人」を意味していると忠われる。)8 )われわれは相先の生命の継続芥で、あり、子孫はわれわれの生命の延長者である。
。)したがって、 祖 先 を尋ね血統を正し、過去につなぎ、未来に伝えることは、我手11の1Il 先に対する義務であり、子孫に対する勤めである。
以上のように要約できるが、 ここに示されているのは、人間社会のあり方を「血統団体」
脱定した上で、十11 先の系譜を~IE しく遡及し、それに基づいた祖先崇拝を行い、それを子孫 に伝えていくことが、人間のイ子イEの 似 淑 に 関 わ る 重 要 な '
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みであるという認識である。lflL 縁原理が非常に強調されている点を係認しておきたい。当時 流 行 し 、 強 い 影 響 力 を も っ て いた1 1 :
物学的入荷論の影響を受けたものと思われる。こ の 当 時 形 成 さ れ た 血 縁 原 理 へ の 傾 倒が、今日のユタ的シジタダシ(筋IEし)にみられる極端なまで、の父系血縁原理への固執 の背民となっているよ っに忠われるからである。この序に続いて、 「本有:は 系 譜 所 持 者 以 外NfJいはゆる無系者といへども其父祖代々より
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し米れる1
1lの何人たるかをたづぬ れ ば 更 に 遡 り て 祖 先 の 祖 先 を 知 る を 得 べ し (8)J
と 記されている。これによって、この本が、 「系譜所持者(系持ち・旧士族)J
以 外 の 「 無 系( 1 1 1 n
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先 を 発 見 す る た め の 情 報 を 提 供 す る 目 的 で 著 さ れ て い る こ と が う か がえる。 IIUL統」をI E
しく遡及して、t E
し い 祖 先 祭 配 を 行 う こ と が 、 士 族 だ け で な く 、 人 間!の人間jである所以であるというわけである 。こ こ で は 、 近 世 期 に 形 成 さ れ た 士 族 的 上 位 文化としての十I I
j先祭1I1[~が将j極的地位にまで高められているのである。内科は、 「長浜系!文IJ に比べて、より復雑に成っている。そ し て 、 た ん に 系 譜 関 係 だ け をIFすのではなく、牧牌や基の所在地、あるいはそれにまつわる伝承も多く採用されてい る。暦代の史書や「長浜系凶」などからも関係箇所の抜粋が見られる。生前の慶留間知徳 は、人々からその家にまつわる伝糸を採集することを絶えず行っていたというから、その ようにして得 た 情 報 も 多 く 盛 り 込 ま れ て い る も の と 思 わ れ る。
この[琉球担
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先Ij~:鐙j で内符的に興味深い点は、 「長浜系図」においては省略されてい た神話的l
仕界と暦史│時代の系譜関係をより具体的に示そうとしている点である。そ し て そ の過れで多く の新たな創造が行われている。たとえば、 「本国世の立始め古人由来記J
と 題して、凶3・2の よ う な 系 譜 を 示 し て い る 。 そ し て 、 志 仁 礼 久 御 名 天 極 大 神 に つ い て は「日?は佐敷新山村の 10'の│峰のI1大 穴 内 に 埋 葬 し 奉 る と 伝 へ ら る
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、 阿 摩 弥 姑 御 名 地 短 大 NI については「正竹はよ~í~l~伊敷村の前取漏渓穴と云う穴内に埋葬し奉ると云う」というよ りよそれぞ、れについてそのJ4!葬地や居住地などが記されて、巧妙に具体性が与えられて いるのである。また、源為切jを 父 に 持 つ と さ れ る 舜 天 王 統 は 、 完 全 に 排 除 は き れ な い に し ろ 、 そ の 系 統 は絶えて しまうように仕組まれている。たとえば、 「北山01止譜」として紹介されている伝 取の最初の部分は次ような内容である。
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雨仁減主ノ山米ヲ尋ネ兄レパ興亡シテ五ニ根本分レリ太子f今帰仁城主、昔今帰仁城主、l
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怜 今 帰 仁 城 主 、 前 今 帰 仁 城 主 、 今 今 帰 仁 城 主 是 ナ リ 然 レ パ 其 々 ノ 根 本 ヲ 明 ニ シ テ 拝 ム ベシト云々太古今帰仁ノ城主ノ始祖ハ太古lド111思徳、樽金天孫氏ノ次男ナリ此ヨリ其五代ノ子孫ニヱミ リ太古中山王思 金 松 兼 天 孫 氏 ノ 逆 臣 利 勇 ト 云 フ 者ニ伐 チ 亡 サ レ 城 ハ 空 荒 ト 成 レ リ 此 時 太 占今帰仁城主ノ三男二大 里 之 世主虎寿金大里按司ト云フ人 ア リ 其 女 ハ 日 本 ノ 国 ノ 源 為 朝
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一大東大神力日那志 ト 天 済 大 神 加 那 志 一国頭大神加男I~ 志 十 天 続 大 神 加 那 志 仲IJJ辛弥、 ~I~御~地極大和11ー」 卜島尻大神加方I~ 志 十 天 久 大 神
一中頭天続首里加方 I~ 志 ト天願大神力UjJI~ 志
一国場大神加男I~志
一同古大君1J~1 那志 天銘大神力11那 志
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一南天大和11加方1)志 -~ヒボ大神川 }j l) よ 一!旧対大
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111}Jl l)JI~ よ 一│羽海大神力H那 志「大大市ナ刀日刃1)志
^虫:村!加那志 天 続 大 神 加 那 志 北 山 大 神 加 那 志 j勝 連 大 神 加 那 志 雨続首里大神力日那志
宜 野 湾 大 神 加 那 志 -111城大ネ1/1 力 11 万 I~ 志
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くjE 式大村山 IJ ガ I~ ぷ 久志大神加刃)1志
名 護 大 神 加 那 志 本 部 大 神 加 那 志
久 高 大 神 加 那 志 大 宜 味 大 神 加 那 志
名 大 神 加 那 志 大 里 大 神 加 那 志
時比城大神加対I~ 志 lL志 ûJl大和11加 jJI~Jむ
「長男 一二男 一男 長 女 二女
男 天 孫 子
ぷ虫;村1)]日那志 J男 北 山 按 百j
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玉城大右天済大神加那志 二男 島 尻 世 + ト百名大古4
続大神加那志 北山大神加那志 長 女 君 々 の 始 ト天久大君 j勝述大和
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1加那志 一二女 祝々の始天願大ネI~I加方I~ 志 Il~続首里大神加那志
天底大神力日那志 野同大神加那 I~' 天銘大和1I加那志 宜野湾大神力日那志
‑111城大十rll力11万)1志
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J‑)JI~ 城大ネ111方11万 I~ 志 Aミl与大神力日方 I~ 志 ーイÎ2lL\:大ネ11I川l 万 I~ 志
久志大神加那志
~l納大神加那志
名護大神加那志 本部大神加那志
大首里の大村!力n}][L志
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久高大神加那志
大宜味大神加那志
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久高大神加那志百名大神加那志
大型大神加那志
時比城大神加丹I~ 志 E ぷ ûfi大和11加 JJI~I志
ト云ヘル人ト夫婦トナリテ男子ヲ生ム之ヲ舜天ト えブ舜天成 長ニ及ンデ浦添間切ノ
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仕主 浦添按司ト成ル共l時利勇ハ中山ヲ亡シテ王トナル舜天ハ義兵三千七百ヲ率ヒテ逆山利勇 ヲ押殺シテ中山王ト成ルムとレヲ舜天王ト称ス其子ヲ舜馬1 1 )
夏照王ト云フ。舜馬)II~~照E ノ子て人アリ太子ハ千?中山義本王ナリ次男ハ昔北山世主 ト為り今帰仁城ヲ守
jレ此ヨリ 三代日ニ雫リテ男子ナキニ悶1)其二代
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ノ祖ガ外戚ノ子孫ノ内ヨリ賢ナル者ヲ 挙ゲテ共跡 t1ヲ継ガス共跡ヲ継ギタル系ヲ尋ヌレバ天孫氏の喬ナリ(9 )件天王統は 3 代~]に JJ
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が生まれず、外戚である天孫氏系の子孫がその跡目を継ぐことに よって、血統が絶えるとされている。こうして、舜天王統の家系といえども、沖縄の内部 に1 l 1
先の源泉を持‑つこ とになるのである。I
琉球{ l l
先 主 鑑jの1 ‑ 1
次 を 表 に し た の が 表3・1である。各人物の配列を見てもわかるよ うに、イnJらかの基準に必づい て 配 附 さ れ て い る よ う に は 忠 わ れ な い。最 初 の 「三山 系 譜("1111 ~旬 111 北111)
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では、 ミ111のそれぞれの系譜図や伝承が示されている。歴 代 の 琉 球lli]~とや長浜系阿などを参nちしていることはわかるが、全体の統一性に欠け、断片的であ る。しかし、1 : 1 1 1
したいのは、いずれの系譜図や伝承も共通して天孫氏に結びっく系譜で あることが強調されている点である。ここにも神話的世界と歴史時代を系譜的に結合しよ うとする若者のdtilflj性が点れている。第2項目の「ネ111米記本国世ノ立初(本文では「本国 111.の立始め占人山米記J
)を│ヌ│ボしたのが先に示した凶3‑2である。第3
項目の「天孫子」以降は、それぞ、れの人物について、父や
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父などの近祖や妻子に関すること、生前の住所、込!折、位),J¥!の安
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Vi.、あるいは簡単な伝承などが記されている。しかし、それぞれの人物IIIJの系諮問係はぶされていない。これを一つの系譜図にまとめようとしても暖昧な点が多 く、却系111に検討すると相
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に矛病する関所ざえあるので、それはできない。しかし、この 既│止さ、相l E
矛h
可が、使川f i ‑
の関心、に応じた多燥な解釈を可能にすることになるので、こ の本にとってはむしろ有利に働いているように見える。実際に、系図作成に利用する場合、flJJIj ?j‑はこのみ;からおIS令のいい断片を切り取って利用するのである。
終わりのほうの「首都 l~~え立初之事」以降は、その他の関連情報を集めたものである。こ のうち、 「背玉城按JIJ之商孫」、 「民家にある王族の位!神に付」、および「無記名石厨子 に付てjの内符を確認しておきたい。
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庁玉城按司之育孫」には表3‑2の よ う な 門 中 や 家れf列挙されていゐ。これらの門'IJや家系の系譜が昔玉城按司に結びイ
J
くと認定されてい るのである。これは、系譜に関して新たに創造された物語が沖縄の現実の門中や家系を巻 き込んで、いく検r
を映しJ l i
している ‑つの事例である。「民家にあるヒ族の位牌に付j と「無記名石厨子にイ~-て」は、 著者慶留間知徳がどのよ っな悦点に立って情報の収集を行ったかがうかがえる内容である。
「民家にある
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b.矢の位牌にイナ」f i 1 f
r日舎に遊びて民家に安置されたる位)砕を見るに往々国王或は貴族等の名の記され たるものを見受くることあり想ふに此は国王の当地行幸のみぎり或は貴族か公務其他の所川の折村落の乙交を~としてかくまひ其問に生める落)~Lか私に乃父の位牌を祭詞せる
なるべし而して
I K I E
の落胤は私かに之を登用して士族を賜ひ系図には乃父の名を記載す るを』陛りて親知らず云々とせるなるべし (10)すでに[おもろ主取家元祖由来記jや[三司官伊江朝陸日日記jの分析によって、近世期 以来、ユタ的職能者や易者の関与によって沖縄社会にさまざまな祖先が新たに創造されて
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