使 と の 漢 詩 交 流 を 中 心 に
―
はじめに 漢
詩 の詩 作 に おい て は
、そ の押 韻 法 によ っ て 創作 形 式 に変 化 が 起こ る
。 本 節 で は
、押 韻 法 に 着 目し つ つ
、 奈 良
・ 平安 前 期 に 日 本 官人 と 新 羅 使
、 渤 海 使 と の間 で 行 わ れ た漢 詩 交 流 に つ いて 考 察 し
、 そ の 实態 と 中 国 の 漢 詩 文 学 潮 流と の 関 係 性
、並 び に 日 本 の 新羅 お よ び 渤 海 と の外 交 と の 関 わ り に 新た に 光 を当 て る こと を 試 み る。 周 知 の よう に
、 東 ア ジ ア世 界 の 漢 詩 交 流に 関 し て は
、 す で に数 多 く の 研 究 成 果 が蓄 積 さ れ て きた
。 諸 先 行 研 究の 特 徴 と し て
、 第一 に
、 詩 作 の 内 容 を 主 要な 手 掛 か り とし て い る こ と
、第 二 に
、 当 時 の 東ア ジ ア 世 界 の 政 治 的 背 景と 結 び 付 け なが ら 漢 詩 交 流 の性 格 を 検 討 し て いる こ と が 挙 げ ら れ る1
。こ の二 点 を 踏ま え つ つ、 更 に次 の 二 つの 視 点 から 検 討 を加 え る
余 地 が あ ると 考 え られ る
。 一 点 目 は
、 漢詩 の 押 韻 法 と 創 作 形式 に 着 目 す る こと で あ る
。 無 論
、先 行 研 究 の 多 く がそ う で あ る よう に
、 漢 詩 の 内 容に 着 目 す る こ とは
、 詩 の 本 質 な ど を 明 らか に す る た めに 極 め て 有 効 な 方法 で あ る
。 し かし
、 漢 詩 と い う 文 学 様 式を 構 成 す る 要素 と し て は
、 内 容上 の 要 素 だ け では な く
、 形 式 上
、 音 韻 上の 要 素 も ま た非 常に 重 要 で あ る。 例 え ば
、 詩 句の 字 数 か ら 見 る と
、 亓 言詩
、 七 言 詩
、雑 言 詩 な ど の 形 式が あ る が
、 中 でも 亓 言 詩 は 前 漢 に 至 っ ては じ め て 成 立し た も の で あ る
。ま た
、 平 仄 に つい て 言 え ば
、 六 朝 時 代 から 唐 代 へ 下 り、 古 体 詩 か ら 近 体詩 へ 展 開 し て ゆく と い っ た 傾 向 が 顕 著 に見 て と れ る 一方 で
、 唐 代 に お いて は
、 意 図 的 に古 体 詩 を 詠 じ る こ と で 古典 的 作 風 を 追求 し よ う と し た 詩人 も 存 在 し た
。つ ま り
、 漢 詩 の 内 容 上 以外 の 特 徴 に 注目 する こ と は
、 詩に 秘 め ら れ て いる 時 代 色 や 詩 人 の 意図 な ど を看 取 す るこ と に 繋が る の であ る
。そ し て
、二 点 目 は、 そ れ ら 漢 詩 の 創作 形 式 と 中 国の 文学 潮 流 と の 関連 性 に 着 目 し て考 察 を 行 う こ と で あ る
。従 来 の 研 究 では
、 漢 詩 と 外 交 との 緊 密 な 関 わ りに 言 及 し て い る も の の
、奈 良 か ら 平 安前 期 に か け て の 漢詩 の 創 作 形 式 の変 化 お よ び そ の 理 由に つ い ては 未 だ に触 れ ら れて い な い。
93
そ の た め、 本 節 で は
、 押韻 法 の 視 座 か ら
、日 本 官 人 が 新 羅 使、 渤 海 使 と の 交 流 の場 で 用 い た 創作 形 式 の 変 化 に注 目 し
、 そ の 変 化の 理 由 を 明 白 に す るこ と を 試み る
。 一
、新 羅 使の 帰国 を送 った 宴会 での 分 韻詩 分
韻 詩
(探 韻 詩
) と は
、詩 人 た ち に あ ら かじ め そ れ ぞ れ の 韻字 が 当 て ら れ
、 そ の韻 字 を 用 い て作 詩 す る と い う形 式 で 詠 ま れ た 詩を 指 す
。 本 節 で は
、 奈 良時 代
、 日 本 官人 が 新 羅 使 の 帰国 を 送 る 目 的 で 催し た 宴 会 の 場 で 詠 まれ た 分 韻詩 を 扱 う。
『懐 風 藻
』に は、 新羅 使 と 関 連す る 詩 作が 十 首 あ る
。以 下 に 列挙 す る
。 52
「 亓 言
。 秋 日 於長 王 宅 宴 新 羅 実
。一 首
。 并 序
。
」 大学 頭 從 亓 位 下 山 田史 三 方 62
「 初 秋於 長 王 宅宴 新 羅 実
」皇 太 子 学士 正 六 位上 調 忌寸 古 麻 呂 60
「 亓 言。 秋 日 於長 王 宅 宴 新羅 実
。 賦得 風 字
。」 従 亓 位下 大 学 助背 奈 王 行文
6 3
「秋 日 於 長王 宅 宴 新羅 実
。 賦得 稀 字
。」 正 六 位上 刀 利 宠令 6 5
「秋 日 於 長王 宅 宴 新羅 実
。 并序
。 賦 得前 字
。
」 大 学 助 教 従亓 位 下 下毛 野 朝 臣虫 麻 呂 6 8
「亓 言
。 於宝 宅 宴 新羅 実
。 一首
。 賦 得煙 字
。 大 」 臣 正 二 位 長 屋 王 7 1
「秋 日 於 長王 宅 宴 新羅 実
。 賦得 流 字
。」 従 三位 中 納 言兼 催 造 長官 安 倍 朝臣 広 庭 7 7
「秋 日 於 長王 宅 宴 新羅 実
。 賦得 時 字
。」 正 六位 上 但 馬守 百 済 公和 麻 呂 7 9
「秋 日 於 長王 宅 宴 新羅 実
。 賦得 秋 字
。」 正 亓 位 下図 書 頭 吉田 連 宜 8 6
「秋 日 於 長王 宅 宴 新羅 実
。 賦得 難 字
。」 贈 正一 位 左 大臣 藤 原 朝臣 総 前 以
上 十 首 の うち
、 八 首 が 分 韻詩 の 形 式 で 詠 じ ら れた こ と は 明 ら かで あ る
。 こ れ ら の 八首 の 創 作 時 期に つ い て は
、 養 老三 年
、 養 老 七 年、 神 亀 三 年 と い っ た複 数 の 見解 が 存 在し て い る2
。た だ し
、創 作 時 期 が養 老 期
、神
亀 期 の い ずれ で あ っ た にせ よ
、 当 時 の 日本 は
、 天 武 朝 以 来の 律 令 国 家 と し て の 国 家形 成 が 進 め られ
、 古 代 東 ア ジア 地 域 に お け る 小帝 国 と し て の 自 己 認識 を 有 して い る 時期 に あ っ たと い え る3
。ま た 養 老 年間 以 降
、長 屋 王 の 政 治 的地 位 や 権 力 が上 昇 し て い る こと か ら
、 い わ ゆ る長 屋 王 時 代 で あ っ た4
。こ うし た 時 代の 政 治 的特 徴 は
、後 に 論じ る 分 韻詩 創 作 の成 立 と 深 く 関わ っ て いる の で ある
。 人 を 送 別す る 際 に 詠 む 詩と し て は
、 分 韻 詩以 外 に も 他 の 形 式が 存 在 す る
。 例 え ば、 唱 和 詩 は
、当 時 或 い は そ れ以 前 に
、 中 国 漢 詩文 学 に お い て も 日 本漢 詩 文 学に お い ても 存 在 し てい た
。唱 和 詩で は
、「 唱え る
」と
「 こ た え る
」 とい う 相 互 的 な交 流 が 可 能 で あり
、 送 別 す る 側 と送 別 さ れ る 側 の 思 い を 互い に 伝 え る こと が で き る た め、 送 別 の 場 に よ り相 応 し い 創 作 形 式 で あ ると 言 え よ う
。し か し な が ら
、新 羅 使 の 帰 国 を 送る 宴 会 で は
、 分 韻 詩の 創 作 形式 が 使 用さ れ た
。そ れ は 何故 な の だろ う か
。本 研 究で は
、 そ の 理 由 を、 中 国 六 朝
・初 唐
( 六 一 二
― 七一 二 年
) に お ける 分 韻 詩 創 作 の 時 代 色 と性 格
、 並 び に、 日 本 と 新 羅 との 政 治 的 関 係 に 求め る こ と が で き る と考 え る
。 六 朝 時 代の 分 韻 詩 の 創 作を 確 認 で き る 資 料は
、 極 め て 少 な い。 管 見 の
限 り
、 稀 に 歴 史書 に 記 述 が 残っ て い る 以 外 に は、 作 詩 さ れ た 分韻 詩 そ の も の し か 見当 た ら ない
。 ま ず は
、『 南 史
』
5
の列 伝
( 第 四十 亓
) 曹 景宗
( 四 亓 七― 亓
〇 八 年
)伝 か ら の 引 用を 見 て みよ う
。 景
宗 振 旅凱 入、 帝 于 華 光殿 宴 飲 連句
、令 左僕 射 沈約 賦 韻。 景 宗 不 得 韻
、 意 色 不 平
、 啓 求賦 詩
。 帝 曰
「卿 伎 能 甚 多
、 人 才英 拔
、 何 必 止 在一 詩
。
」 景 宗 已 醉
、 求 作不 已
、 詔 令 約賦 韻
。 時 韻 已 盡
、唯 余 競 病 二 字
。景 宗 便 操 筆
、 斯 須 而 成
、其 辞 曰
「 去 時兒 女悲
、 帰 来 笳 鼓競
。 借 問 行 路 人、 何 如 霍 去 病
。」 こ
の 記 述 か ら
、亓 世 紀 後 半 にす で に 梁 武 帝
( 亓〇 二
― 亓 四 九 年) を 中 心 と し た 分 韻詩 の 詩 宴が 催 さ れた こ と がわ か る
。 ま た
、『 芸 文 類 聚
』 に は
、 梁 の 庾 肩 吾
( 四 八 七
― 亓 亓 一 年
) の 一 首 が 収 め ら れ て い る
。 庾
肩 吾「 暮 遊 山水 賦 韻得 磧 應 令詩
」(
『芸 文類 聚』 遊覽 二八
)6
95
こ の 題 目 から
、 庾 肩 吾 が当 時 ま だ 皇 太 子 であ っ た 蕭 綱
( 後の 簡 文 帝
) の 山 水 遊 楽 に同 伴 し た 際 に、 皇 太 子 の 命 令 に応 じ て 分 韻 詩 を詠 進 し た こ と が 看 取で き る
。 さ ら に、
『 陳 後主 集
』7
に は 分 韻詩 の 詩 作が 多 数 発見 さ れ た。
「立 春 日 泛 舟 元 圃、 各 賦 一 字
、 六 韻 成篇
」、
「 献 歳 立 春日 泛 舟 元 圃
、 各 賦 六 韻
」、
「 上 巳元 圃 宠 猷 堂 禊 飲
、同 共 八 韻
」、
「 上巳 玄 圃 宠 猷 嘉 辰 禊 酌、 各賦 六 韻、 以 次 成 篇 詩」
「 七 夕宴 宠 猷 堂、 各 賦 一 韻。 詠 亓 物
、自 足 為十
。并 牛女 一 首 亓 韻。 物 次 第 用
、得 帳 屏 風 案 唾 壺 履
」、
「 七 夕 宴 重 詠 牛女
、 各 為 亓 韻
」、
「 七 夕宴 楽 脩 殿
、 各賦 六 韻
」、
「 七 夕 宴 玄 圃
、 各賦 亓 韻
」8
、「 初 伏 七夕 已 覚 微 涼 既 引 應 徐且 命 燕 趙 清 風 朗 月 以望 七 襄 之駕 置 酒 陳樂
、 各 賦四 韻 之 篇」 こ
れ ら の 詩作 の 題 目 か ら、 陳 後 主 が
、 立春
、 上 巳
、 七 夕 など に 折 々 詩 宴 を 開 き
、 多く の 官 人 や 文人 と 共 に そ の 場で 分 韻 詩 を 盛 ん に詠 じ た こ と が 窺 え る
。 陳後 主 を 中 心 とし た 分 韻 詩 の 創作 に 関 す る 記 述 は、 以 下 の
『 茶
香 审 叢 鈔
』四
( 巻 十三
) の
「古 人 分 韻法
」 の 条に も 見 られ る
。 又
按
、 即陳 後 主 集 考 之
、頗 得 古 人 分 韻 之 法
、如
『 立 春 日 泛 舟 元圃 各 賦 一 字
、六 韻 成 篇
』 則 所賦 之 韻 止 一 字 外
、 亓韻 任 其 自 用 者 也。 如 云
『 献 歳立 春 日 泛舟 元 圃、 各賦 六 韻
』、 則 所賦 者 有 六字
、各 人 以 所賦 韻 作 六 韻詩 一 首 也。 如 云『 上 巳 元圃 宠 猷 堂禊 飲、 同 共 八 韻』
、則 所賦 者 八 字 在坐 同 之
、人 人 以 此八 字 作 八韻 詩 一 首也
。 ま た 按 ずる に
、 陳 後 主 集に 即 し て こ れ を 考 ふれ ば
、 頗 ぶ る 古人 の 分 韻 の 法を 得 た り。
『立 春 の 日に 舟 を 元圃 に 泛 べ、 各々 一 字 を賦 し
、六 韻 に て 篇を 成 す
』 の 如 く、 則 ち 賦 す る 所 の 韻一 字 に 止 ま り
、 外の 亓 韻 そ の自 ら 用 ゐる も の に任 ず る なり
。『 献 歳
。立 春 の 日 に舟 を 元 圃に 泛 べ
、 各々 六 韻 を 賦 す
』に 云 ふ が 如 く
、 則 ち、 賦 す る 所 の 者六 字 あ り て、 各 人 賦す る 所 の韻 を 以 て六 韻 の 詩一 首 を 作す な り
。『 上 巳に 元 圃 の 宠 猷堂 に て 禊 飲 す
。同 じ く 八 韻 を 共 に す』 に 云 ふ が 如 く、 則 ち 賦 す る 所の 者 八 字 坐 に 在り て こ れ に 同 じ
、 人人 こ の 八 字 を 以て 八 韻 の 詩 一首 を 作 すな り
。9
以 上 の 資 料か ら わ か る よう に
、 次 韻 詩 の 詩宴 の 開 催 者 は
、梁 武 帝
、 陳 後 主
、簡 文 帝 と いっ た い わゆ る 最 高権 力 者 であ っ た
。こ の こ とか ら
、当 時
、 豪 華 な 詩 宴を 催 す た め の経 済 力 と
、 多 く の官 人 や 当 代 一 流の 文 人 た ち を 一 堂 に 集 める た め の 絶 対的 な 権 力 者 の 存在 が 不 可 欠 で あ った こ と が 窺 え る
。 ま た
、そ こ に は
、 梁武 帝
、 陳 後 主 など の 最 高 権 力 者 を囲 繞 し て 多 く の 官 人 や 文人 が 集 ま っ てお り
、 一 つ の 政治 的 集 団 が 存 在 して い る
。 特 に そ の 参加 者 に とっ て は、 分 韻 詩 の創 作 に 参加 す る 事は
、そ の 集 団 に属 し
、 服 従 する こ と をア ピ ー ルす る の に 好都 合 で あっ た の だろ う
。 一 方
、 初唐 に お け る 分 韻詩 の 創 作 も
、 六 朝の そ れ と 同 じ 傾 向を 有 し て い る
。 近 年発 表 さ れ た 張明 華 氏 の
「 唐 代 にお け る 分 韻 詩 の宴 集 の 変 化 の 特 徴
」と い う 論考 は
、 初唐 の 分 韻 詩に つ い て詳 し く 考察 し て いる
。 初唐
分 韵 诗的 主 要 场所 是 朝 廷 或是 近 臣 所设 的 宴 席。 以 初唐 的 63 次 分 韵诗 题 目 考 察, 其中 标 明
“ 侍宴
” 的 有 13 次 , 如许 敬 宗
《 亓 言 七夕 侍 宴得 归 衣 飞机 一 首 应诏
》、 虞世 南《 侍宴 应 诏 赋韵 得 前 字》
、许 敬宗
《 亓 言侍 宴 莎 栅宫 应 制 得情 一 首
》、 乔 知 之《 侍 宴 应 制得 分 字
》、 宋 之 问《 上 阳宫 侍 宴 应制 得 林 字( 一 题 上有 九 月 晦日 四 字)
》等, 都 是 这 样 创作 的 结
果; 标明
“ 奉 敕”
、“ 应 制” 的 有 3 次, 魏 元忠
《修 书 院 学士 奉 敕 宴梁 王 宅 赋得 门 字
》、 张 说
《修 书 院 学 士 奉 敕 宴梁 王 宅 赋 得 树 字》
、 宋 之 问《 奉敕 从 太 平公 主 游 九龙 潭 寻 安平 王 宴 别序
》、 武 三 思《 奉 和宴 小 山 池 赋 得谿 字
》 就 是 两 次创 作 留 下 的 作 品
。 如果 就 作 品 而 言
* 则共 有 四 十 一首
* 占 初唐 分 韵 诗总 数
( 81 首
) 的一 半
。 訳
文
: 初唐 の 分 韻 詩 が 行わ れ た 場 は
、 主 と して 朝 廷 か
、 或 いは 近 臣 が 設 けた 宴 席 であ っ た
。初 唐に お け る分 韻 詩 の題 目 を 考察 し た 結果
、 六 十 三 回の 分 韻 詩 の 詩 宴の 中 に
「 侍 宴
」 の 場合 が 十 三 回 あ るこ と が 明 ら かと な っ た。 例 えば
、許 敬宗
「 七夕 侍 宴 得帰 衣 飛 机 一 首 応 詔
」、
「 亓言 侍 宴莎 柵 宮 応制 得 情一 首
」、 虞 世 南「 侍宴 応 詔 賦 韻 得 前 字」
、喬 知之
「 侍 宴応 制 得分 字
」、 宋 之 問「 上 陽 宮侍 宴 応 制 得 林 字
」 な ど は そ う し た
「 侍 宴
」 の 場 で 生 ま れ た 詩 作 で あ る
。 ま た
、
「 奉 勅」
「 応 制」 の 場合 は 三 回あ り
、魏 元 中「 修 書 院 学士 奉 勅 宴梁 王 宅 賦 得門 字
」、 張 説
「 修書 院 学 士 奉 勅 宴梁 王 宅 賦 得 樹 字
」、 宋 之 問「 奉 勅従 太 平 公主 遊 九 竜潭 尋 安 平王 宴 別 序」
、武 三 思「 奉 和 宴小 山 池 賦 得谿 字
」 な ど が それ に あ た る
。 作 品 数か ら 言 え ば
、 それ ら の