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詩 を 中 心 に

第 一 節

平 安 時 代 以 前 に お け る 次 韻 詩 の 発 生

はじ めに 奈

良・ 平安 時 代 にお け る 日本 漢 詩 の特 質 を 考え る に あた り

、「 押 韻

」の 課 題 を中 心 に 行わ れ て きた 考 察 は

、当 時の 日 本 詩人 の 韻 書へ の 使 用方 法

、 押 韻 法 の 实態

、 ま た 中 国漢 詩 文 学 と の 繋が り を 明 ら か に する 上 で

、 一 つ の 有 効な 方 法 であ っ た

本 節 は、 こ うし た 押 韻の 課 題 に関 連 し

、こ れ ま で 十 分 に 重要 視 さ れ て こな か っ た

「 次 韻詩

」 の 課 題 を 取 り上 げ る も の で あ る

。 周 知 の よう に

、 次 韻 詩 は和 韻 詩 の 一 種 であ る

。 次 韻 詩 は

、 原詩 と 同 じ 脚 韻 をま た 同 じ順 序 で 用い る こ と が規 せ ら れる も の であ り

、「 歩 韻

」詩 な ど と も 呼 ばれ る

。 作 詩 には 詩 人 の 脚 韻 の運 用 へ の 強 い 工 夫が 施 さ れ て お り

、 ま た

、韻 字 の 次 元

、ひ い て は 一 首 の詩 作 の 次 元 を 超 え、 詩 と 詩 と の 往 来 に よ って 築 か れ て いる

「 座

」 の 意 識に も 緊 密 に 関 わ って い る こ と が 特 徴 とし て 挙 げら れ る

日 本 漢 詩 に 目を 向 け る と

、 原詩 と 和 詩 が 兯 に 確 認で き た 次 韻 詩 の用 例 は

、『 文 華秀 麗 雄

』に 五 組

、『 経 国 雄

』に 一 組 あ る

。し かし

、こ こ で、 勅 撰 三 雄 に お け る次 韻 詩 が

、 果た し て 日 本 で 最 も早 期 の も の で ある の か と い う 疑 問 が 浮 かび 上 が る

。 その 理 由 と し て

、 まず

、 次 韻 詩 の 発生 時 期 が 挙 げ ら れ る

。 次韻 詩 は

、 中 唐に 白居 易 や 元 稹 を中 心 と し た 文 学雄 団 に よ っ て 始 め て 流 行し

、 よ く 知 られ る よ う に な っ たも の の

、 そ の 発生 は

、 遠 く 五 世 紀 の 南 北・ 六 朝 時 代 にま で 遡 る こ と が でき る の で あ る

。つ ま り

、 次 韻 詩 は

、 中 国漢 詩 文 学 史 上比 較 的 早 い 段 階 で形 成 さ れ た も のだ と 言 え る

。 さ ら に

、 日本 古 代 漢 詩 文学 の 結 晶 で あ る

『懐 風 藻

』 を 確 認す る と

、 そ こ に は 次韻 詩 だ と思 わ れ る詩 作 も 存在 し て いる の で ある

。具 体 的 には

「 群 書 類 従 本 系」 に 掲 載 さ れて いる

「 釈 道 融 五首

」 の 二 首 目

「我 所 思 兮 在 楽 土

」(

『 懐 風藻

』 1 1 0 番 外 一

)と

、 葛 井 連 広成 の

「 奉 和 藤 太政 佳 野 之 作

。一 首

。仍 用 前韻 四 字

」(

『 懐 風藻

』1 1 9

の 二首 が そ れに あ た る。 こ の 二 点 を 踏 まえ る と

、 日 本詩 壇 に お け る 次 韻詩 の 発 生 は

、 より 早 い 時 代 ま で 遡 るこ と が 可能 で は ない か と 考え ら れ るの だ

。 た だ し

、『 懐 風藻

』の 二 首の 両 方 に つい て は、 いく つ か の疑 問 が 残っ て い る

。 前 者 の

「我 所 思 兮 在 楽土

。 欲 往 従 兮 痴 難。 行 且 老 兮 盍 黽勉

。 日 月

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逝 兮 不再 還

」は

、「 釈 道 融五 首

」の 一首 目「 我所 思 兮 在無 漏

。欲 往従 兮 貪 瞋 難

。 路 険易 子 在 由 己

。壮 士 去 兮 不 復 還」

(『 懐 風 藻

』 1 1 0) と 同 じ 脚 韻 を 踏 ん でお り

、 次 韻 詩の 形 式 を と っ てい る が

、 こ の 形 式が 見 ら れ る の は 刊 本の 群 書 類従 本 の みで あ る

。ま た

、釈 道 融 伝 記の 最 後 には

、こ の「 我 所 思 兮 在 楽土

」 が 釈 道 融の 作 で は な い と疑 わ せ る 細 注 が 尐な か ら ず 確 認 で き る。 具 体 的に は

、 脇坂 本

( 静 嘉堂 文 庫 蔵)

・ 紀州 家 本

( 南葵 文 庫 蔵) に

「 自 此 以下

、 可 有 五 首詩 云 爾

、 有 疑

」と

、 尾 張 家 本

( 蓬左 文 庫 蔵

) に

「 自 此 以 下、 可 有 五 首 詩等 歟

、 有 疑

」 と、 群 書 類 従 本 に

「自 此 以 下

、 可 有 五 首 詩 等歟

、 今 闕 焉

」と い う 細 注 が それ ぞ れ 付 さ れ て いる

。 林 古 渓 氏 は

、 内 容 など か ら 判 断 して

、 そ の 詩 が 釈道 融 で は な く

「 細注 者 か 誰 か 感 奮 し て、 自作 を か きつ け た だけ で あ らう

」と 述 べて い る

。な お

、現 存 す る

『 懐 風 藻』 の 伝 本 は すべ て 平 安 中 期 に 惟宗 孝 言 が 書 写 した も の に 起 源 が あ る と 考え ら れ て い るが

、 細 注 を 施 した 者 が 誰 な の か は不 明 で あ る

。 ゆ え に、 現存 資 料 から は

、「 我 所 思兮 在 楽 土」 が懐 風 藻 時代 の 作 であ る と 判 断 す る こと は 極 め て 難し い

。 後 者 の 葛井 連 広 成 の 詩 で ある が

、 こ れ は 詩 題 の 通 り、 当 時 す で に亡 く な っ て い た太 政 大 臣 の 藤 原 不比 等 の 詩 作 へ の 和 詩 であ り

、「 韻 を 次 ぐ

」と い う 作 詩形 式 に 従 った も の で あ る。 た だ

、 藤 原 不 比 等の 原 作 が 現 存し て い な い た め

、韻 を 次 い だ こ とを 確 認 す る 有 力 な 根拠 は 不 足し て い ると 言 わ ざる を え ない

。 と は い え、 次韻 詩 の 発生 を 可 能に し た 文学 的 要 素の 視 点 か ら考 え る に、 文 献 的 な 疑 問 はあ る も の の

、こ の 二 首 の 詩 作 が懐 風 藻 時 代 に 成立 し た 可 能 性 は 十 分 に ある と 考 え ら れる

。 本 節 で は

、 中国 の 南 北 朝 に 次韻 詩 が 発 生 し た 背 景

、 すな わ ち

「 座

」の 意 識 お よ び 脚 韻の 工 夫 を 検 討 した 上 で

、 そ れ を 懐 風 藻 時代 の 漢 詩 創 作の 背 景 と 対 照 さ せ、 両 者 の 類 似 性を 明 ら か に す る こ と を 通じ て

、 懐 風 藻時 代 に お け る 次 韻詩 発 生 の 可 能 性に つ い て 考 察 を 試 みる

。 一

、中 国の 次韻 詩の 発 生お よ び その 背景 につ い て 次

韻 詩 の 様 式を 有 す る と 考 えら れ る 最 古 の 詩 は

、宋 の 程 大 昌 の

『考 古 編

』な どで 指 摘 され て いる よ う に、 東 魏 の楊 衒 之 の『 洛 陽 伽藍 記

』( 巻 三

) に お け る 正覚 寺 の 建立 に 関 する 記 述 に見 ら れ る

。以 下 の 二 首が そ れ であ る

贈 王 肅 謝 氏 女

本為 箔 上 蚕 今 作 机上 絲 得 路遂 勝 去 頗 憶 纏 綿時

代 答 詩 陳 劉 公 主 針是 貫 線 物 目 中 恒任 絲 得 帛縫 新 去 何 能 衲 故時 右

の 一首 は

、王 肅( 四六 四

― 五

〇一 年

)が 政 治 的原 因 に より 南 朝 の斉

( 四 七 九

― 五

〇二 年

) か ら 北朝 の 北 魏

( 三 八六

― 五 三 四 年

) へ逃 れ た 後 に

、 彼 の 前 妻

(謝 氏 女

) か ら受 け と っ た 贈 詩で あ る

。 そ し て

、左 の 一 首 は

、 王 肅 が 北 魏で 再 婚 し た 継审

( 陳 劉 公 主

)が 王 肅 の 代 わ り に作 っ た 答 詩 で あ る

。 脚 韻を み る と

、 答詩 は 贈 詩 と 同 じ韻 字

「 糸

・ 時

」 を用 い

、 同 じ 順 序 で 押韻 し て おり

、 次 韻詩 の 様 式 を成 し て いる こ と がわ か る

。 こ の 用 例に つ い て は

、 偶然 の 産 物 だ と いう 見 解 も あ る

。 し かし

、 南 北 朝 時 代 の 詩壇 に お け る

「座

」 の 意 識

、 また 脚 韻 の 運 用 を 重視 し て い る 文 学 的 背 景 を踏 ま え て 考 える と

、 そ の 発 生に は 必 然 性 が 存 在し て い る と い う の が、 本 節 の述 べ よ うと す る 所 であ る

そ こ で

、当 時 の 詩 壇 に おけ る

「 座

」 の 意 識や 脚 韻 の 運 用 の 工夫 を 最 も 反 映 した 文 学 様式

、 即 ち聯 句

(「 連句

」 と も)

、 分 韻 詩(

「 探 韻」

、「 勒 韻」

と も

)、 和韻 詩 に 目を 向 けて み た い

。 ま ず

、聯 句 と は

、複 数の 者 が「 句

」を

「聯

」ね て 一 篇 の詩 を 作 るこ と で あ り

、 前漢 の

「 柏梁 詩

」 にそ の 源 流を 見 出 すこ と が でき る

。「 柏 梁 詩

」 の 押 韻 上 の特 徴 は

、「 各 人 一句

」、

「 一韻 到 底

」、

「毎 句 韻

」で あ る

。そ こ に は

、雄 団 的 な「 座

」へ の 意 識

や「 脚 韻

」の 運 用 への 関 心 がう か が える

。 南 北 朝 時 代 にお い て は

、 東 晋の 陶 淵 明

、 宋 の 鮑 照、 斉 の 謝 朓

、 梁の 武 帝 蕭 衍 な どが

、聯 句 の 展開 を 大 い に促 進 し た。 前漢 の 柏 梁 詩と 比 べ ても

「 各 人 一 句」

「毎 句 韻」 が 特徴 で あ った の に 対し

、南 北 朝 時代 の 聯 句創 作 で は

、「 一 人 で 二句 以 上

、( 特 に 四 句) を 賦 す も のが

、 大 勢 を し め るよ う に な

」 り

、偶 数 句 で韻

( 隔 句に 押 韻

)を 踏 む もの が 多 くな る

。 な か で も 实 に興 味 深 い の は、 仮 に 参 加 者 が 交替 に 四 句 ず つ

(あ る い は 四 句 以 上) 作 る 場 合、 結 果 的 には

「 和 韻

」詩 の 一 種

、「 依 韻

」詩 と 同じ 形 式 に な る こ と であ る

。 そ の 例と し て

、『 陶 淵 明雄

』( 巻 四

) に お ける

「 聯 句

」 を 見 てみ よ う

。 鳴

雁 乘風 飛 去去 當 何 極 念 彼 窮居 士 如何 不 嘆 息( 淵 明

) 雖 欲 騰九 萬 扶搖 竟 何 力 遠 招 王子 喬 雲駕 庶 可 飭( 愔 之

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顧侶 正 徘 徊 離 離 翔天 側 霜 露豈 不 切 務 從 忘 愛翼

( 循 之) 高柯 濯 條 幹 遠 眺 同天 色 思 絕慶 未 看 徒 使 生 迷惑

( 淵 明) こ

れ は

、 陶淵 明

、 愔 之

、循 之 の 三 者 が

、雁 を テ ー マ に し て一 人 四 句 二 韻 ず つ

( 隔 句に 押 韻

) 作 った も の で あ る

。そ こ に は

、 目 に 見え る 宴 席 の 座 と

、 目 に は見 え な い も のの 詩 文 に よ り 築か れ て い る

「 座

」が

、 と も に 存 在 し て い る。 無 論

、 和 韻詩 が 一 編 ご と に各 自 の 意 味 上 の 完結 性 を 有 す る の に 対 し て、 聯 句 が そ うし た 独 立 性 に 欠け る こ と は 言 う まで も な い

。 し か し

、 形 式だ け を み る と、 右 の 十 二 句 の偶 数 句 は 同 じ 韻 部の 脚 韻 を 用 い て い る た め、 实 際 に は

、前 述 し た

「 依 韻

」詩 と 同 じ 形 式 に見 え る の で あ る

。 ま た

、 分韻 詩 は

、 雄 団 的な 座 に お い て

、 各々 の 詩 人 が あ ら かじ め 一 つ 乃 至 は 複 数の 韻 字 を 与 えら れ

、 そ れ を 用い て 詩 を 作 る 形 式で あ る

。 清 の 俞 樾 は

、『 茶香 审 叢 鈔

』 四

(巻 十 三

)「 古 人 分韻 法

」 の 条 の な かで

、 南 朝

( 宋

・斉

・ 梁

・陳

) の 詩人 の 分 韻 詩を 以 下 のよ う に 分類 し て いる

。 又按

、 即 陳 後 主 雄 考之

、 頗 得 古 人 分 韻之 法

、 如

『 立 春 日泛 舟 元 圃 各

賦 一 字 六 韻 成 篇

』 則 所賦 之 韻 止 一 字 外

* 五韻 任 其 自 用 者 也。 如 云

『 献 歳立 春 日 泛舟 元 圃 各賦 六 韻

』、 則 所賦 者 有 六字

*各 人 以 所 賦韻 作 六 韻 詩一 首 也。 如云

『 上巳 元 圃 宠猷 堂 禊 飲 同 兯 八韻

』、 則 所 賦 者八 字 在 坐 同之

、 人 人 以 此 八字 作 八 韻 詩 一 首 也

。各 賦 一 字 最 寛

、 如今 詩 限 官 韻 耳、 各 賦 六 韻 較 厳、 六 韻 外 不 得 更 溢 一字

、 然 猶 一 人 有一 人 之 韻

。 同兯 八 韻

、則 人 人 用此 八 字

、竟 如 今 之次 韻 詩 矣。 ま た 按ず る に

、 陳 後 主雄 に 即 し て こ れ を 考ふ れ ば

、 頗 ぶ る古 人 の 分 韻 の 法を 得 た り

。『 立 春の 日 に 舟 を 元 圃に 泛 べ

、 各 々 一 字 を賦 し

、 六 韻 に て篇 を 成 す

』 の 如く

、 則 ち 賦 す る 所 の韻 一 字 に 止 ま り、 外 の 五 韻 その 自 ら 用ゐ る も のに 任 ず るな り

。『 献 歳

。立 春 の 日に 舟 を 元圃 に 泛 べ

、各 々 六 韻 を 賦 す』 に 云 ふ が 如 く

、 則ち

、 賦 す る 所 の者 六 字 あ り て、 各 人賦 す る 所の 韻 を 以て 六 韻 の詩 一 首 を作 す な り。

『 上巳 に 元 圃 の 宠猷 堂 に て 禊 飲 す。 同 じ く 八 韻 を 兯 にす

』 に 云 ふ が 如く

、 則 ち 賦 す る所 の 者 八 字 坐 に在 り て こ れ に 同 じ

、人 人 こ の 八 字 を以 て 八 韻 の 詩一 首 を 作す な り

。「 各 々 一 字を 賦 す

」は 最 も 寛 にし て

、今 の詩

、 官 韻 を限 る が 如き の み

。「 各 々 六 韻を 賦 す

」は 較 や 厳 しく

、六 韻 の外

、 更 に 一字 も 溢 るる こ と を得 ず

。然 れ ど も猶 一 人 に一 人 の 韻あ り

。「 同

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