• 検索結果がありません。

『洪水はわが魂に及び』論― 過渡期の「喪失」と「宗教的経験」

ドキュメント内 大江健三郎研究 (ページ 87-200)

「宗教的経験」

87

第3章『洪水はわが魂に及び』論― 過渡期の「喪失」と「宗教的経験」

はじめに

1973年に発表された『洪水はわが魂に及び』は、野間文芸賞の受賞時、大岡昇平が評し たように、発表当初からドストエフスキー小説を媒介とした<祈り>という言葉が注目さ れた小説である103。『旧約聖書』の「詩篇」69 篇 1 節から引用された題目自体が、強い宗 教性を喚起させている。引用された聖書の箇所は、溺死寸前の危機的な状態に置かれてい る者が神に訴え、救いを求める「苦しみの歌」である。一方、社会に大きな衝撃を与えた 連合赤軍による浅間山荘事件を連想させる小説の設定は、発表直後から注目を浴びた。

1972年の浅間山荘事件との関連については、しばしば指摘されてきたが、大江自身もそ の関連性を示唆している同年 6 月の「革命と死と文学―ドストエフスキー経験と現代」と いう題の評論のなかでドストエフスキーの作品から見られる宗教性が、その原文が引用さ れた『洪水はわが魂に及び』においては、現代の政治状況と関連するなかで、「ノアの方舟」

という一つの神話的なイメージを構築している。

『洪水はわが魂に及び』において日本国内の政治的な背景だけではなく、朝鮮半島の冷 戦・朴独裁政権への批判的な眼差しが見てとれる。朴正熙(1917~1979)が暗殺された1979 年まで独裁政権が続いたが、1972年の「十月維新」以後、1970年代の韓国は、知識人、学 生、労働者、新旧キリスト者とした民主化運動が盛んだった時代であった。日本の明治維 新になぞらえて維新の名をとった「十月維新」は、「一人独裁」のための一つのクーデター であったのである。日韓両国においての政治状況はそれぞれ違う様相を見せていたが、終 末論的な危機感が広がっていた時代であったことは、大木英夫の『終末論的考察』(1970)

という神学に基づいた論考や、1973年創刊された雑誌『終末から』(筑摩書房)が生まれた 現象からも推測できる。

朴正熙政権下の 1970 年代に盛んに創作活動を行った韓国の作家のなかで、1965 年にデ ビューした李清俊(イ・チョンジュン、1939~2008)という韓国の4.19(4月革命)104世 代を代表する作家がいる。現代韓国文学史において重要な位置を占める小説家である。李 は日本帝国の支配から解放されたものの、受動的立場として出発した民主主義の政治が孕 んでいる矛盾を小説のなかで鋭く追及してきた。1970年代の初頭から解放後の韓国文壇が 閉鎖的であったことの反省や、韓国における「戦後世代の西欧文学の享受」が安部公房、

太宰治、大江健三郎らに強く影響を受けていることは指摘されていた105。この時代の日韓両

103「昭和四十八年度野間文芸賞の決定-大江健三郎「洪水はわが魂に及びはわが魂に及び」受賞のことば・

選評」『群像』29(1)、1974-01

104 1960年3月、第4代大統領選挙における不正選挙に反発した学生や市民による民衆デモ。当時、第4代韓

国大統領の李承晩が大統領の座から降りた事件。革命後一年足らずで朴正煕少将らによる軍事クーデタ ー(5・16軍事クーデター)が発生し、自由が抑圧された長い軍政時代に突入したため未完の革命とも呼 ばれている。

105金允植「韓国と日本」(東亜日報:1970年6月20日日付)

88

国における政治状況に大江が意識的に言及していたことは看過できない問題であろう。

1970年代の同時代的な情勢と大江の神話的な物語の構築がうまく呼応しているこの小説 は、大江文学の系譜において学生作家として出発し、30 代後半を迎えた作者の過渡期的な 様相を見せている作品だと考えられる。20 世紀後半という混沌の時代を生きる個人として の作家の文学的営為が、現代社会とどう向き合えるのかを、考え続けてきた大江によって 写し出された1970年代の諸相が垣間見られる。中編小説「月の男(ムーン・マン)」(1971)

の冒頭で「異常な事件だらけのこの二十世紀後半」という作者の時代認識において、三島 由紀夫の存在は大きいといえる。

何かが「喪失」された時代像としての戦後社会において、人間の社会性と個人性の矛盾 する様相が、大江作品のなかで時代の行き詰まりを象徴しているが、この問題を追求し、

小説のなかで著してきたアメリカ現代作家にソール・ベロー(Saul Bellow,1915~2005)

がいる。1976 年にノーベル文学賞を受賞した彼の初期作品のなかで『宙ぶらりんの男』

(Dangling Man,1944)『犠牲者』(The Victim,1947)は、それぞれ1971年や1973年に 新潮文庫より刊行された。ソール・ベローについて安藤正瑛は、「第二次戦争大戦後の世界 文学の現実主義の潮流に棹さしながらも、前世紀の中葉、ニュー・イングランドの地にエ マソン。ソーロー、ホイットマン、ディキンソンなどの文学に開花した、アメリカ独自の 新しい理想主義と言うべき超越主義の精神を、二十世紀後半に復活させ、神を見失って久 しい混迷の時代に生きる人々に救済に通じる新しい生き方への示唆」106を提示している作家 として評価している。1970年初頭に翻訳され出版されたソール・ベローの作品と、類似す る大江作品の主題とのかかわりを分析する試みにより、この時代の大江作品における文学 的潮流や日本人小説家としての大江健三郎像を見出すことができると考えられる。

なお、大江作品の宗教性については、しばしば問題になる大江の「信仰を持たない者の 祈り」という題目の講演が重要な意味をもつ。1987 年 10月東京女子大学で行われたが、

自分自身が田舎の仏教の家の子供だったということに言及し、キリスト教や「信仰」「祈り」

について語っているものであった。しかしながら、この小説が書かれた時期を考える場合、

果たして「信仰を持たない者の祈り」という講演の内容を、『洪水はわが魂に及び』におけ る<祈り>という言葉と結びつけることの有効性という問題は再考の余地がある。『洪水は わが魂に及び』における「祈り」という言葉は、80 年代後半に行われた講演の「信仰を持 たない者の祈り」が意味しているところとはやや違う様相を帯びていると考えられる。

なぜなら、大江がメキシコでの滞在を経て70年代後半から80年代にかけて変質し続け た宗教的モチーフの傾向を踏まえて論じなければならない問題であるからである。<祈り

>という主題の解釈を試みる際に、この小説で意識的に<狂気>の様相と「終末観」から 触発された<宗教的感覚>が描かれていることはどのような意味合いを持つのかが重要な 問題になる。

宗教と神経学の関連についてW・ジェイムズは『宗教的経験の諸相』のなかで、「事実上、

106安藤正瑛「まえがき」『ソール・ベローの世界』英玉社、1984

89

宗教的なものはしばしば神経病的である」と指摘している。特にこの書には制度化された 宗教を主題としているのではなく、「個人的宗教」の問題に取り組んでいるが「宗教の特徴 は、厳粛な感情における熱狂である」と述べている。ここで「個人個人の宗教的態度にお いては、熱狂か厳粛かのいずれかが優位を占める」としている107。「熱狂か厳粛か」の宗教 的様相が『洪水はわが魂に及び』では、ドストエフスキーの小説や「旧約聖書」の引用を 通して表現されており、このような宗教性の強い文脈が、当時の時代背景と照応している 点は注目をひく。

『洪水はわが魂に及び』が発表されたこの時期は、大江独特の宗教的なイメージが浮き 彫りになった時期であるといえるが、「魂」(樹木の魂、鯨の魂)「Prayer」という言葉が登 場することになったその経緯について論を進めたい。ここで注目しなければならないのは、

作者が宗教性の強い「魂の問題」に焦点を与えているものの、核避難所に暮らす父子二人 が反社会的な集団の青年たちと連帯するという設定によって同時代的な状況を浮上させて いる点である。多くの論考のなかで「言葉への問い」という主題が、例えば「祈り」「 幻ヴィジョン

「教育」というモチーフを通して表現されているが、作者の「言葉の感覚」がどのように 生まれ、同時代的な状況に潜む喪失感と「宗教的感覚」とどう関連しているかについて改 めて考える余地があるのではないか。

大江文学の系譜において『洪水はわが魂に及び』を論者は過渡期の作品として把握し、

小説でみられる終末観と 1970 年代の国際政治的な背景が、「宗教的感覚」とどのように結 び付けられ表現されているのかを考察する。

107W・ジェイムズ・桝田啓三郎訳『宗教的経験の諸相』岩波書店、1969

90 1、過渡期の「終末の気配」

自称「鯨と樹木の代理人」主人公・勇魚は、障害児のジンと核シェルターをもつ家に住 んでいたが、国を捨て出航することを夢見る不良グループ「自由航海団」に出会う。彼ら は大地震の際に嫌われた弱者として迫害されたことに恐怖感を覚え、迫害される前に国を 捨て、不法をもっぱらとしている不良少年たちであった。大震災の際の迫害は、在日朝鮮 人の存在が連想されるのだが、『洪水はわが魂に及び』では削除された部分で、草稿『文学 ノート』「付=15 篇」の項目のなかで「朝鮮人」について書かれている。『洪水はわが魂に 及び』で黙示録的な「終末」のイメージが描かれているのは、作家個人の内面からの動機 づけがあったはずである。当時の社会情勢が決して明るいとはいえないものの、作家の「終 末観」と一般読者のそれとは確かに温度差があったかもしれない。翌年に刊行された『文 学ノート 付=15篇』を通して大江は、『洪水はわが魂に及び』には削除された文章を紹介 することによって新たな自己解釈の可能性を試みているのである。強い政治性をもつ内容 についてはほとんど省かれているが、この点こそが『洪水はわが魂に及び』の性格を明ら かにしている。しかし、作者自身がこのような小説の問題について『文学ノート』のなか でわざわざ言及していることは看過できない問題である。

この小説で非論理的に強調されているイメージは、核戦争や大地震のような「終末の気 配」である。第1章「核避難所」のなかで次のように語られている。

かつては権力に近い一保守政治家の女婿として、そのもっとも内部にある秘書であ り、つづいて、その政治家直系の建築会社で、核避難所の生産・販売にそなえて宣伝 企画を担当したかれは、ある時点をかぎって、それまでの自分の自己同一性ア イ デ ン テ ィ テ ィ

を構成す るものを可能なかぎり放棄し、息子をつれて隠遁した。その際かれは、この世界でも っとも善きもの、すなわち鯨と樹木のための代理人を自認したのである。かれは名前 も、その代理人としての本質を示威すべく、大木お お き勇魚い さ なと変えていた。

[大江健三郎「洪水はわが魂に及び」『大江健三郎小説4』10頁。

以下、『洪水はわが魂に及び』と略す。]

冒頭で主人公が隠遁生活を始めることになった経緯が語られている。「それまでの自分の

自己 同一性デンティティを構成するものを可能なかぎり放棄」するという行為は、クジラの古名である

「勇魚」という名前に改名してまで新しい自己像を作り出そうとすることであった。「鯨と 樹木のための代理人」としての自己像が、ある種の「示威」のような「大木お お き勇魚い さ な」という 名前に象徴的に表現されているのである。

1973年、新潮社の「純文学書き下ろし」シリーズの一つとして発表された『洪水はわが 魂に及び』は、従来の評価においてはその新しい文体と、1972年2月に起きた浅間山荘事 件との関わりから注目された作品である。大江文学における「性と政治」のテーマ性をも

ドキュメント内 大江健三郎研究 (ページ 87-200)

関連したドキュメント