入浴連日,これを最低1か月」が現在の筆者の治 療の基本型である。保険診療上,通常はこれらの 方法で押し通すのが原則といえよう。
これら以外の薬物の使用については,現在の日 本では個々の医師あるいは施設が(いうまでもな くインフォームドコンセントのもとに)各自の責 任において判断することになる。当然そこには
「公の使用基準」は存在しない12)。
院内(施設内)流行時あるいは集団発生時には,
これを終息させるのはオイラックス軟膏と硫黄剤 のみでは,その労力と終焉までの期間から考えて 現実的に困難17,21,22)であり,γ- BHCや安息香酸 ベンジル,あるいはスミスリンの使用が必要と考 える。
そういった場合の患者の治療法について,当科 元部長の鴻巣の一文23)を紹介する。「1%γ- BHC ワセリンを2日間,続く5日間はオイラックスを,
7日間を1クールとして毎日1回約20 gを頸部か ら下の全身に塗布する。六一〇ハップ浴を隔日に 行う。オイラックスの代わりに安息香酸ベンジル 液を使ったこともあるが,不便な面があって滅多 に使用していない。確実例は3クール,疑診例は 2クールを原則としているが,それで絶対に大丈 夫ですかと問われると,大丈夫といいきる自信が なく,さらに1〜2クール実施することもある。
これまでに副作用を生じたことはない。発疹部位 が小部分であるときなど少々大袈裟だと思うこと もあるが,感染しやすく悪化する危険がある老人 が多いので,院内伝播を防ぐためにもこれでよい と考えている」。筆者も基本的に同じ考えである。
ノルウェー疥癬の場合も,オイラックス軟膏と 硫黄剤のみでは治療困難といえよう。
さらに職員については,確診例はもとより疑診 例さらには予防的処置の場合であっても,(本人 の希望ないし同意が前提であるが)γ- BHCの使 用について,より積極的であって良いものと思う。
なぜならばγ- BHCを使用することで,「治癒した かどうか」ということに関して大きな安心感が得 られるからである。
前述の選択肢の中で,治療効果の面からだけで いえばγ- BHCと安息香酸ベンジルの併用が最も 強力である。「(1%)γ- BHC軟膏を週に1(〜2)
回を(1〜)2クール,その間の日は安息香酸ベ
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ンジルを1日1回」という手順6,19)となろうか。
刺激性の低さで選ぶならばスミスリン加尿素軟 膏/親水軟膏であろう。毒性の低さでいえば硫黄 剤かスミスリン加尿素軟膏/親水軟膏のようであ るが,正確なデータはない。
従来より疥癬1―3)は30年周期で流行を繰り返す といわれている。日本では第二次世界大戦直後に 大流行をみたが,これはわずか数年で急速に終焉 を迎えた。
その後1970年代初頭に端を発した戦後2回目の 流行は,「いつまで続くかが今後の問題24)」とい われながら連綿と続き,30年を経ようとする現在 においても一向に収束の気配をみせていない。の みならず最近の疥癬はいわゆる老人施設(老人病 院・老人ホームなど)を中心にみとめられる12)た め,社会の急速な高齢化とともに今後のますます の蔓延が危惧される。そのような状況を前にわれ われ日本の健康保険医は,「鉄器時代になってい るのに石器で戦う原始人という立場9)」におかれ ている感を禁じえない。
疥癬治療におけるγ- BHCなどの使用の有効性 を日本でも見直すべきではないか22)と言明されて からすでに15年が経過したが,われわれはいまだ にこうして文献を渉猟しながら手探りで戦ってい る。疥癬に対し著効を示しながらも安全で,なお かつイベルメクチンのように簡便な夢の新薬につ いては気を長く持ってその登場をただ待つしかな いとしても,現在実際に使われている薬物につい ては1日も早く健保適応となる,あるいはせめて
「公の使用基準」が示される12)ことを望んで止ま
8.
おわりに
ない。なによりも患者のQOLの向上のためであ る。
参考文献
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エジプト人はナイル河の流域を中心に農耕 を行ってきた。死者の平安を祈る最初の呪文 は , 第 1 王 朝 の セ メ ル ・ ヘ ト 王 (2 9 2 3〜 2915B.C.)時代にヘンヌのオシリスを祭る宮 殿から出土した。オシリスが死者の国の王と なるのは第3王朝(2686〜2613B.C.)以後で ある。はじめは太陽神ラーが死者の生前の行 為 を 審 判 し て い た が , 第1 0王 朝 (2 1 3 0〜 2040B.C.)ごろからオシリスが法廷を主宰す るようになった。第18王朝(1567〜1320B.C.)
ごろになると,後に死者の書と呼ばれる呪文 集は著しく整備されてきた。まず死後もよい 生活をおくるためには,生前に善行を積まな くてはならないという因果応報の観念がおこ り,必然的に生前の善悪の行為を審判するこ とが要求された。この段階で罰の軽重をはか る計量器として天びんが導入された。これは 後に数多くの宗教に取り入れられたが,一部 で他のはかりが使用されることはあっても,
天びんが主体であることに変りはなかった。
エジプト人は人が生きている原理は呼吸に あり,呼吸が停止して人が死ぬと,呼吸の霊 魂(バー)は人頭の鳥の形をして肉体からは なれると考えていた。したがってこの霊魂が いつでも帰れるように肉体をミイラ化して保
§ エジプト
存することを行っていた。一方,人は生前に 呪文集を作り,その中で自分は悪いことをし なかったことを強調し,オシリスから無罪に なったとしている。
図6はテーベで発見されたアニの死者の書 で,全長23.8mの極彩色の巻物の一部である。
左端は王室の書記アニとその妻で神官のツツ である。上部はエジプト42州からえらばれた 陪審の神々である。アニの前には月神トトの 助手で誕生の女神,メスケネットとレネネト がいる。その上の空中にアニの顔をした鳥の 形をした霊魂バーがいる。天びんの左の皿の 上にアニの心臓の入った壺がおいてある。右 の皿の上には,太陽神ラーの娘で正義の女神 マートを象徴する駝鳥の羽毛がおいてある。
支柱の左側に運命の神,上部に精霊カーがい る。支柱の上にトトの象徴であるヒヒがのり 監視をしている。イヌ科のジャッカルの頭を もったアヌビスは,天びんの指針の位置を調 べている。天びんの右側にはトキの頭をした トトが計量の結果を記録している。トトは知 恵と計量の月神である。
天びんが釣り合ったとき,生前に悪いこと をしなかったと判定される。これはアニが生 前に絵師に画かせたため,天びんは必ず釣り 合ったようにさせている。天びんが釣り合わ なかったときは,トトの右側にいる頭が鰐,
前足がライオン,後足がカバの怪物,アメミ ットに心臓を喰われてしまう。心臓がなくな ればミイラが生きかえることができなくなる。
天びんが平衡になったときだけ無罪となる のはわかりにくい。そこでエジプトから他の 地方へ伝播していった過程で,善悪を左右の 皿に分けてのせ,善の方に棹
さお
が傾くと生前の 行いが正しかったと判定されるようになって いった。メソポタミアで発生した死後審判思 想は,エジプトで善悪の判定に天びんが導入 され,さらに伝播の過程で善悪を左右の皿に 分けておくように改変され,世界の大部分の 日本計量史学会
岩
いわ
田
た
重
しげ
雄
お
シリーズ 計量の世界史
(4)メソポタミア
−死後審判思想 (2) −
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思想の終末論に大きな影響を与えた。
計量が終ったアニはオシリスの子で鷹の頭 を持つホルスに手を引かれ,オシリスの前に 正装して導かれる。オシリスは王座に腰をお ろし,そのうしろにはその妻で,ホルスの母 イシスと,助手でアヌビスの母ネフティスが 立っている。オシリスから無罪をいいわたさ れたアニはオシリスの王国に迎え入れられる のである。
北メソポタミアの地を中心に強大な帝国を 築いたアッシリアは,671〜655B.C. の間に エジプトを侵略した。その後ペルシアはエジ プトにペルシヤ人の第27王朝(525〜404B.C. ) を立てた。これによりエジプトとメソポタミ アの交流は急速に行われるようになった。
ゾロアスター教は世界を善神アフラ・マズ ダと悪神アーリマンの闘争と見ており,善悪 の行為を死後に審判し,最後にはアフラ・マ ズダが勝利を収める。そしてあらゆる魂は火 で清められて,新しく正義,幸福と平和に満 ちる王国が訪れるとしている。
ゾロアスター教の聖典,アヴェスタによれ ば,人間が死ぬと肉体と魂が分離し,魂は3 日後にチンヴァットの橋のそばまで来て,天 びんにかけられる。天びんの所にはミスラ(ミ トラ)がスラオシャとラシュヌを従えている。
ミスラはインド・ヨーロッパ語の語根メー ルに由来し,計量を意味する。計量という原 義から,アヴェスタの中のミスラに捧げられ
§ ペルシア
た賛歌ミフル・ヤシュトの中に出てくるこの 神の尊称によれば,正義,契約,盟約,真実 を司る神であったことも理解できる。そして さらに最強の者,主,創造者,全智者とされ,
自然界における現象として光で表されてい る。したがってかってはミスラがアクラマズ ダと並ぶ最高神であったものと考えられる。
ミスラが大乗仏教における弥
ミ
勒
ロク
(菩薩)の サンスクリット語形のマイトレーヤやパーリ 語のメッテーヤに近いところから,救済神・
未来仏としての共通面がある。中国語訳の弥 勒はコータン語のmittraやカラシャール語の mitrakの方がより近いとシルベイン・レヴィ は主張している。計量神の東西への拡がりに ついては,さらに深く研究する必要がある。
ミスラにより魂は善と悪に分けられ,それ ぞれ左右の皿の上にのせられる。棹
さお
が善の方 に傾けば,善行を擬人化した美小女が2匹の 犬を従えて迎えに来ており,広い橋を渡って ハラティ山を通り天国へ行く。悪の方へ棹
さお
が 傾くと悪行を擬人化した魔女の導きで橋を渡 る。すると橋は剣の刃のように細くなり,橋 から落ちて地獄へ行く。善悪が釣り合ったと きは,混合したものの所というミスワン・ガ ートゥへ行き,喜びも悲しみもない存在であ り続ける。
この世の終りにはすでに死んだ者も生きて いる者にも最後の審判があり,正しい者と邪 悪な者が区別され,後者は地獄の火の中で消 滅する。この終末論はのちにユダヤ教とキリ スト教に大きな影響を及ぼしている。
図6 アニの死者の書 1300B.C.