• 検索結果がありません。

沈黙の鉄器時代

ドキュメント内 鉄器時代と中世前期のアイルランド (ページ 36-56)

(Baillie and Brown 2009)。アイルランドの年輪年代を確立していく過程で、年輪の連続した データにおいて、紀元前229年から紀元前13年の間に断絶が存在していたということをさきに紹 介した。この断絶は後にコーレイなどの発掘調査によって解消されることになるが、つながっ た年輪のデータによると紀元前207年に著しく年輪の幅が狭くなっており、生育に適さない環境 が生じたと考えられている。ドイツでも紀元前200年ごろの時期に、オークの木が大量に河川に 流れ込んで堆積するという現象が生じており、それが350年間にわたって続いているという。

 ピートボグで育っていたオークが消滅したのには、いくつかの要因が考えられる(Hall 2011:

106, 107)。ピートがしだいに成長するにつれて、基盤層からオークがミネラルなどを得られな くなることや、ドーム状ボグの場合には、通常の地平面より高くなると水分がほとんど雨水か ら供給されることになり、養分が欠乏する。したがって、この時期がちょうどそのようなピー トの発達段階にあったということになるかもしれないが、引き金を引いたのはやはり環境の悪 化による湿潤化であろう。

 これが第1の環境の変化だとすると、第2の変化は紀元前40年前後に起こった。スウェーデ ンでは年輪が紀元前40年頃から紀元前25年ごろにわたって著しく狭くなっている。アイルラン ドでも紀元前40年から紀元250年までの期間は、年輪を測定できるオークの資料がほぼ皆無に近 い状態だという。同じ時期の気候の悪化は、グリーンランドの氷床コアでも確認されており、

巨大な火山の爆発などの影響が地球規模で生じたことによるものと推定されている。このよう に、オークの生育にまで大きな影響を与えるような環境の悪化がこの時期にあったとすると、

農業生産にも影響がなかったとは考えられない。実際に花粉分析の資料によっても、このころ の時期に、耕地が放棄されて森林にもどる現象がみられるという(Hall 2011:113, 114)。花粉 の資料は調査地により違いが大きいが、全体としてみると、紀元1世紀から3世紀ごろを中心 に森林の回復が進み、紀元250年ごろから再び開発が進むというのが最大公約数的な理解であろ うか。

 しかし、そのような気候の変動があったとしても、隣のブリテンがローマの影響を強く受け、

さらにはローマの支配のもとで新しい展開をみせるという激動の時代に、アイルランドはなぜ、

まるで息を殺したかのように、生活の痕跡すらとどめないような社会を継続させたのだろうか。

人びとの往来はなかったのか。ごく一部の金属製品以外に、交易は行われなかったのであろう か。だが、そのような鉄器時代の姿にも、少しずつではあるが変化が見え始めている。「ケルト の虎」と呼ばれる経済成長期(1995〜2007年)に、道路建設をはじめとする開発事業がすすめ られ、それに伴う発掘調査によって、「見えない人びと」の姿が少しずつ見え始めてきたのだ。

そうはいっても、この時代が特異であることには変わりがないと思うが、実態がわからずに特 異だと思っていた状況が、実態がわかりながらやはり特異であるという形に変わってきている ように感じられる。

2.無土器鉄器時代

 無土器新石器という言葉は使われるが、無土器鉄器時代というのは異例だろう。遊牧民など 移動を続ける人びとが、壊れやすい土器を好まないのは誰しも理解できることである。しかし、

第3章 沈黙の鉄器時代

ある程度の定住の生活を送る人びと は、普通は土器を使うのではないか。

実際、アイルランドでも、青銅器時 代にはかなり多量に土器を使用し、

骨壺としても用いていた(図 3. 1 )。

表面にはていねいな装飾が施されて おり、土器の製作や使用が社会にし っかりと根を下ろしていたことを示 している。しかし、青銅器時代後期 になると、土器の装飾が姿を消し、

やがて土器そのものが用いられなく なっていく。

 土器の使用が減るのは、調理方法 の変化と関係しているのかもしれな い。青銅器時代中期から後期にあた る紀元前1900年から1400年という比 較的短い時期を中心に、フラハタ・

フィア(Fulachta Fiadh)という調

理場が登場する。これは、水をためた桶状の施設に焼いた石を投げ込んで湯を沸かし、そこに 木の葉などに包まれた食料を投入して調理するというものである。石が急激に冷やされるため に割れやすく、残骸が周りに積み上げられ、火所のまわりに馬蹄形の高まりができる。アイル ランド南西部のカウンティー・コークやケリーなどを中心に、アイルランド北東部を除く全土 に、6000か所以上が分布している(Stout and Stout 2011:39, 40)。多量の湯を熱しなければな らないので燃料を多く要し、あまり効率的な調理方法とは思えないので、盛行する期間は比較 的短いようであるが、鉄器時代にもある程度は使用されていたらしい(McLaughlin and Conran 2008:52)。こうした調理法のせいで、土器の入り込む余地がなくなっていったのかもしれず、

あるいは、鉄器時代に入って牧畜の比重が高まり移動が多くなったので土器が用いられなくな ったとみることもできる。いずれにしても、土器の果たしていた社会的役割が、ほとんど天か ら地ほど急激に低下していったのである。

 青銅器時代後期後半のドーリス期の土器は、「平坦口縁土器」と呼ばれる粗製のもので、表面 には装飾が施されていない。「平坦口縁土器」と言いながら、かなり多様な粗製の土器を含んで いるようであり、粗製の土器であれば「平坦口縁土器」に含めてしまうような傾向も認められ る。また、筆者にはこれらの土器のなかに、ブリテンのヨークシャー地方東部にみられる「ア ラス文化」の例を思わせるものが含まれていることが気になる。これらの土器を、やや意図的 に並べてみると、ちょうど紀元前5世紀から紀元前3世紀ごろの「アラス文化」の土器とよく 似た器形の変化を示すよう感じられるのである。しかし、「平坦口縁土器」はやや大型のものが 多く、法量が異なっていることは無視できない。しかも放射性炭素年代の測定値が大きく異な

図 3.1 青銅器時代の土器(Brindley 2007)

っている例がある以上、両者を安易に結びつけることは控えなければならないであろう。それ でも、ドーリス期の土器が鉄器時代にはいっても使用されていたという可能性は、まだ排除せ ずにおいておきたいと思う。

 アイルランドに長く無土器の期間が続いており、ローマやその影響を受けたブリテンからの わずかな搬入土器の破片を別にすると、次に土器が登場するのは、アイルランド北東部を中心 に、紀元7世紀ごろから用いられる「スーテレン土器」を待たなければならない。そうである とすると、実に千年以上のあいだ、無土器文化が続くことになる。キリスト教が伝わり、ロー マの文化の影響も少しは及んでいたのであろうが、土器を拒絶するかのような生活様式は、強 固な形でしばらくの間続いていく。ただし、これは必ずしもアイルランドに限定された現象で はなく、ブリテンでも「アラス文化」の地域や、イングランド東南部などの地域を除くと、土 器の使用は非常に限られていたというのが実情であった。土器を要しない文化が広い範囲にお よんでいたのである。

3.乏しい住居と墓の資料

 集落と墓は、遺構にもとづいて考古学から社会を復元する場合に利用される、最も重要な資 料であるが、アイルランドの鉄器時代においては、この両者がほとんど欠落していると言って もよい状況にあった。「紀元前600年から紀元後の数世紀にかけての居住遺跡についての知識や、

集落、経済、および社会構造についてのわれわれの理解は依然として極端に貧弱である」

(Waddell 2010:333)と言われており、例示されている住居にかかわる遺構も、きわめて断片 的である。しかし、近年の道路建設などに伴う発掘調査によって、ようやく状況が変わり始め ている。いずれも正規の発掘調査報告書が刊行されていないために、概要報告から全貌を推測 するほかはないが、重要な内容を多く含んでいるので、ここで紹介しておきたい。

 カウンティー・コークのバリンアスピッグ・モア(Ballinaspig More)では、N22道路のバリ ンコリグバイパスの建設に伴う開発工 事で、2002年に発掘調査が実施された

(Mclaughlin and Conran 2008)。円形 住居の痕跡と思われる径7.4mの遺構 と、それに伴う納屋のような建物が出 土している。遺構の詳細は不明である が、復原図が公表されているので、そ こから推測すると円形の溝と一定間隔 の柱穴が確認されているものと思われ る(図 3. 2 )。放射性炭素年代は、紀 元前360〜60年ということで、鉄器時代 の前半にあたるものである。同じよう な円形住居と思われる遺構は、カウン テ ィ ー・コ ー ク の マ ッ ク リ ッ ジ 図 3.2 円形住居の復原図

(Mclaughlin and Conran 2008)

ドキュメント内 鉄器時代と中世前期のアイルランド (ページ 36-56)

関連したドキュメント