113 7.兵庫の治水に関する技術的評価検討
戦国大名による多彩な治水技術の系譜の中でも際だった特徴を持ち治水の祖といわれる
「武田信玄」の治水、同じ九州で独創的な治水を展開した「加藤清正」との対比を通じ、
現在の河川工法との対比、兵庫の治水法に関する技術的評価を行った。
7.1 武田信玄及び加藤清正等の治水技術との対比
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木施設を駆使したハードな治水対策が行われると共に、予報、警報、水防、避難システム、
保険等多彩なソフトな対策を組み合わせて総合的な治水対策技術時代に移ってきた。
これらの治水技術の歴史の中で甲州における武田信玄の治水、肥後における加藤清正の 治水、肥前における成富兵庫の治水は一際際立って「治水の神様」として絶大なる崇敬を 集めてきている。その治水技術の系譜を辿って見たい。
7.1.2 日本の治水技術の祖・武田信玄 (1) 甲府盆地・水との斗い 三つの宿命
甲府盆地には、洪水災害を受けやすいという自然条件があり、洪水災害に立ち向かって いかなければならないという宿命を背負っている。それは大きく分けて、以下の三つの宿 命に整理できる。
1 扇状地を流下する河川の流路が定まらない。
2 流域特性の際立って違う河川の合流点で洪水が頻繁する。
3 甲府盆地の出口が狭く洪水が排水できず、浸水被害が長期化する。
①扇状地をどう治めるか
甲府盆地はかつて大湖水であり、甲府盆地に流入する釜無川、荒川、笛吹川等が山地 崩壊土砂を流送し、山地
から大湖水に出た所に堆 積し、湖水を埋めつくし 盆地が形成された。
笛吹川扇状地、釜無川 扇状地、御勅使川扇状地 等である。扇状地を流下 する河川は、豪雨のたび に流路が定まらず、洪水 氾濫を繰り返していた。
又、扇状地では平常時 には河川水は地下に浸透 して表流水がなく、農地 にならなかった。
②合流点処理をどう治めるか
甲府盆地へ四方八方から流入する河川は集水面積、河床勾配、洪水流出特性等全く異 なる。それらの河川からの洪水が合流する所で氾濫を繰り返している。
③禹の瀬の開削をどうするか
甲府盆地からの洪水の出口である河川は富士川・一河川であり、出口の禹の瀬は狭く、
洪水のたびに排水能力不足から浸水被害を受ける。禹の瀬を広げれば下流の被害が増え 甲府盆地の扇状地
115 る。
(2) 武田信玄の甲州流防河法〜信玄の壮大な洪水処理システム
甲府盆地の宿命に立ち向かったのが武田信玄である。武田信玄のあみ出した治水工法は、
扇状地の治水に対してである。扇状地の利水対策や合流点処理そして禹の瀬の治水対策に は、手が出せなかった。笛吹川、荒川の合流点の濁川治水は松尾芭蕉の兄貴分の俳人山口 素堂が行った。
①御勅使川と釜無川の扇状地洪水対策
鳳凰三山から急勾配で流下する御勅使川は扇状地形をつくり、甲府盆地の西側を直撃 する。御勅使川の扇状地における流路を北に向けて高岩(竜王の鼻)で流勢を減殺し、
さらに釜無川の扇状地を霞堤で制御して行く壮大な洪水処理システムが甲州流防河法と いわれるものであり、その最大のシンボルが信玄堤である。
1)石積出し
流れに沿って、幾重にも連なって設置されている。御勅使川が山間から平地へと 出る扇頂部は、流れが安定せず、洪水が起きやすい地域である。この不安定で、氾 濫しやすい地域にあり、扇状部の流れを安定させ、北へと向けるのが石積出しであ る。大水のときも、水を意図する方向へ跳ねさせるという仕組みになっている。
一番堤から三番堤は現在もその姿を見ることができるが、八番堤まであったこと が確認されている。最上流部の一番堤にもっと.も大きな石が積まれていて、激流に
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ピラミッド壁のような積み重なった三層の形になっている。これは、常に上流か ら運ばれる土砂の堆積に対して、時代とともに上部が積み重ねられていったものと 考えられる。底から頂上までの高さは、二階建ての家以上もある。
2)白根将棋頭
石積み出しから3500m下流に位置し、北へと安定させた御勅使川の流れを、本流 と南側の前御勅使川との 2つに分けた。頂点からの長さは120mほどと記されてい た。その名の通り、将棋の駒に近い形をしている。
洪水時に激流の力を分散させ、本流と前御勅使川に分けるという、川の流路その ものを将棋頭でコントロールしたこうした壮大な構想を見ることができるのは、わ が国では信玄堤だけである。
3)竜岡将棋頭
白根将棋頭から分かれて来た本流をここでまた 2 つに分け、そのエネルギーを分 散させている施設。その分流地点は、はっきりと将棋の駒の形をしている。白根の 将棋頭と違い、両方の辺が同じ角度で上流を向き、流れがきれいに二分している。
二度目のエネルギー分散をされた本流は、その下流で割羽沢川という急流が合流 する。
この合流で流れの力が増す前に、あらかじめ本流のカをここで削いでいたのだ。2)
白根将棋頭・3)竜岡将棋頭ともに、川の流れによって自然にできた砂洲を石積みに よって固定させたものである。相次いで川を分散させることにとって、流水エネル ギーを効率よく減少させることができる。洪水を発生させる御勅使川の激しいエネ ルギーが、こうした複合的な流水制御システムによって巧みに減らされていく。
4)掘切
御勅使川に割羽沢川が合流した直後に存在する。南北に伸びる竜岡台地河岸段丘 の両岸岩盤を、幅33mにわたって掘り下げ、深い人工の谷を作った。流れはここに 誘導され、さらに下流へと導かれる。
当時の最先端の技術をもってしても堀切の掘削は、信玄堤の中で一番の難工事だ ったといわれる。人力のみで行う作業は困難を極め、多くの歳月がここで費やされ た。
5)十六石
4)堀切から500m下流、御勅使川が釜無川に合流する地点に配置された施設。16
個の巨大な石を積み重ねて、水勢を削ぎ、合流した流れを高岩へと導く。流れを安 定させ、南側へ向ける仕組みである。
地中に埋まっていて、現在はその姿を確認することができない。4)堀切・5)十六 石は対となった関係で、両方で6)高岩へと流れを導く大きな役割を果たしている。
117 6)竜王の鼻・高岩
洪水時の莫大な破壊エネルギーを受け止め、流水エネルギーを大きく弱める。信 玄堤最大の自然地形を活かしたメカニズムである。4)堀切と5)十六石を重ねても、
御勅使川と釜無川が合流してできた破壊エネルギーは強大で、それを確実に受け止 めることができたのは、この高岩だけである。だからこそ多くの施設を重ねること によって、ここへ流れを導いた。
竜王高岩は、釜無川左岸の赤坂台地が流れに侵食されてできた高さ40mを超える 断崖である。ここにぶつかった流れは「高岩跳ね」という流れを起こし、その力は 対岸へと向けられる。そこには、将棋頭で分流された前御勅使川の合流がぶつかり、
両者のエネルギーは相殺される。まさに「水をもって、水を制す」の原理そのもの である。
7)竜王信玄堤
竜王高岩という断崖の延長線上に築かれている、全長 630m の石積み堤防で築か れた霞堤。現在、信玄堤をいえばこの部分だけの名称と思われることも少なくない。
洪水から甲府盆地を守る最後の砦として存在する。あわせて流れのエネルギーを減 少させる遊水地の機能を果たしている。
8)聖牛・蛇籠
聖牛は、川の中に据え付けて流れ勢いを弱めるため、そして激流から信玄堤を守 るための施設である。丸太を3mの高さで組んだもの。日本で最初にこの聖牛を採用 したのは、この信玄堤である。蛇籠は、聖牛を固定し、流れから守るためにある。
竹製のかごに石を詰めたもので、数多く使われていた。
9)霞堤
竜王信玄堤に続いて、下流約2000mにわたって築かれた堤防。つながりのない短 い堤防がくいちがいながら延びる構造になっている。大洪水時には、あえて一時的 に隙間から増水した水を逆流させて受け入れ、遊水させ甲府盆地の壊滅的な被害を 避けた。
川の水位が下がったところで、あふれた水は食い違いになった霞堤の隙間から元 の流れへと戻っていく仕組みである。このような柔軟な構造が、信玄堤を象徴する 叡智でもある。
万一にも堤防が決壊して洪水が氾濫した場合は下流地点に霞堤の開口部を造って おき氾濫の水を川に戻すという構想だ。まるで戦いの陣立てのように、幾重にも箪 ねられた個性豊かな治水施設の数々である。このような治水施設群からは、事にあ たって常に柔軟に対応することを第一とした信玄の政治哲学さえも見えてくる。
信玄の驚異的な発想と技術、そしてゆるぎない意志によって信玄堤は、450年経っ た今も人々の暮らしを守っている。