以上のようにバンブーイングリッシュのあらゆる側面についての分析を行った。では ここではバンブーイングリッシュがどのようなピジンだったのか。なぜ現在はその使用 が見られないのかを文献を参照しながら分析を行う。
「ジャーゴン」に当たるバンブーイングリッシュ
バンブーイングリッシュはピジンの中でも限定的なピジンに当たるものである。ここ で少し、「ピジン」と「クレオール」の話をする。ピジンは一般に元の言語に比べて文 法が単純化し、語彙数も限定される特徴がある。そのピジンが次の世代に受け継がれ、
それを母語とする人たちが現れると、それは「クレオール」に変わる。クレオールはそ れを母語として使っている人が現れることにより、ピジンよりも文法的に複雑な構造を 持つようになり、不完全だった語の体形も母語として習得した人たちによって完全な形 になる。
ところが、バンブーイングリッシュの場合、クレオールの段階まで発展されていなか った。終戦後の日本と朝鮮戦争時の韓国、1960 年代の韓国とベトナムなどで限定的に 使用され、現在は使用されていないピジンである。
ではバンブーイングリッシュはどのようなピジンだったのか。それを明らかにするた め、ピジンの概念をわかりやすくまとめたロング(2010)の資料を参照したい。
163
⚫ 前ピジン(prepidgin)― ピジンの初期段階。
⚫ ジャーゴン(jargon)― 特定の目的のため。個人差が大きい。限定され た語彙, 表現。例えば, 命令形があるけど過去形がないなど。
⚫ 限定ピジン(limited pidgin)― 標準語から見れば,「崩れたことば」だが、
個人差がなくなり,「使われる言い方」と「使われない」がはっきりする。
言い換えれば,「規範」ができる。
⚫ 前ピジンの連続体(prepidgin continuum)― 前ピジンとその次の発展段 階にあるジャーゴンやさらに発展した限定ピジンとの違いは程度の問題 で, 実際問題としてこれらの現象は区別することが困難であり, 連続し ている事実を指している用語。
⚫ 拡張ピジン (expanded pidgin) ― 母語話者が(あまり)いないが、文法 的にも, 語彙的にもかなり高度なものへと発展している。複雑文(従属節 など)が見られる。日常的コミュニケーションのほとんどのニーズにこた えられる言語体系。
ロング(2010)(例文は省略)
上記のピジンの定義を踏まえて見ると、バンブーイングリッシュは「ジャーゴン」の 段階に止まったピジンであると思われる。バンブーイングリッシュの資料を見ても同じ 意味の語彙でも様々な発音がみられ、まだ発音が統一されていないものが多く、使用語 彙も個人差が大きい。また厳密な時制の区別もなされていない。従って、バンブーイン グリッシュはクレオールには至らず、ピジンの中でも「ジャーゴン」の段階にとどまっ たものと判断できるだろう。
164
限定的な使用に止まった理由:3次的ハイブリッド化の欠如
ここではバンブーイングリッシュが限定的なピジンに止まった理由を考えてみよう。
その理由を探るため、ロング(2010)の「3次的ハイブリッド化 (tertiary hybridization)」
を参考にしたい。これはピジンが発生する典型的な状況をせつめいしている現象である。
以下はロング(2010)に掲載している図をもとに筆者が作成したものである。
図5-4 ピジンが発生する典型的な状況 <ロング(2010)より>
この図ではそれぞれX語、Y語、Z 語を母語としている話者たちがピジンX語を話 している構図を表している。ここの矢印は双方向になっていることはお互いピジン X 語でコミュニケーションをとることを表している。さて、ここで注目すべき点はそれぞ れの立場によってピジンを使う状況が異なる点である。例えば、ピジン X 語を母語と するX語母語話者は、Y言語話者やZ言語話者に向けて分かりやすいX語で話そうと する。これをフォリナー・トークという。一方、Y言語話者とZ言語話者はX語母語 話者に向けて不完全な形のX語を使う。これを中間言語という。
しかし、X語母語話者とはなしている際は、X語の母語話者であるため、ことばの 単純化は制限されるようになる。そこで、ピジンが発展するうえで大事になるのが「X 語を母語としない人同士のコミュニケーションである。図5-4では Y言語話者と Z言 語話者が X 語を使うときである。このようにお互いのコミュニケーションをとるため に、お互いの母語ではない第2言語を使うことをリンガフランカという。つまりこのリ
X言語話者
Y言語話者 Z言語話者 ピジンX語 ピジンX語
ピジンX語
165
ンガフランカとしての言語使用こそ、起点言語にとらわれない文法体系の単純化が起こ ることでピジンになる大事な条件だと述べており、これが3次的ハイブリッド化現象と いう。
ところが、ピジンが発展するうえで典型的な条件になる3次的ハイブリッド化はバン ブーイングリッシュには見られない。図5-4のピジンの典型的な条件をバンブーイング リッシュに当てた図をみるとその差が明らかになるだろう。
図5-5 3次的ハイブリッド化の欠如
バンブーイングリッシュの状況を表した図5-5を見ると、典型的なピジンの状況と決 定的な違いが現れる。つまり、バンブーイングリッシュには「第2言語としてのバンブ ーイングリッシュの使用」が見られない。上層言語を英語としているバンブーイングリ ッシュは主に英語母語話者との関わりのなかでしか使用されなかった。3次的ハイブリ ッド化に必要な条件である。韓国語母語話者と日本語母語話者とのバンブーイングリッ シュの使用は行われず、その代わり日本語が使われた。バンブーイングリッシュの代わ りに日本語が使われた理由として韓国に対する日本の植民地支配が挙げられる。韓国語 母語話者は長期にわたる日本の植民地支配を経験し、日本語教育も受けてきた。したが って、終戦から5年後に勃発した朝鮮戦争時代にはある程度、日本語でコミュニケーシ ョンが取れたのである。
つまり、バンブーイングリッシュには母語話者である英語母語話者が含まれた形でし か使われなくなり、大幅な文法体系の単純化は行われなかった。
また、活発い使用された時期も短かった。終戦後の日本から朝鮮戦争までがバンブー 英語母語話者
韓国語母語話者 日本語母語話者
Bamboo English Bamboo English
(日本語)
166
イングリッシュが活発に使われた時期であるが、朝鮮戦争は1950年から1953年までで 3年で休戦状態になったからバンブーイングリッシュは1945年頃から発生し1953まで の約8年間でしか活発な使用が見られなかった。その後は駐韓米軍部隊や1960年代の ベトナムの戦地でも使用されたが、朝鮮戦争の時期ほどの使用ではなく、限定的な使用 しか見られなかったという。
したがって、バンブーイングリッシュはピジンの発達に必要な「3次的ハイブリッド 化」が欠如したこと。「使用時期」が短かったことで、限定的な使用に止まったと言え よう。
167