• 検索結果がありません。

栄養機能と性格との関係にっいて

 ワロンは次に栄養機能におけるシネルジーについて言及している。その際

「栄養機能」は「内部感覚からくる諸反応」の最初の例として挙げられている。

 「内部感覚」(sensibilit6 int6 roceptive)は,ワロンが「外部感覚」(sen−

sibilit6 ext6roceptive)及び「自己受容性感覚」(sensibilit6 proprioceptive)

との対照で述べている感覚である。それは,主として「内臓感覚」(sensibi−

lit6 visc6 ra1)または「臓器感覚」(sensation visc6ral)を内容とするもので,

もっぱら子どもによって内部からのみ感じとられる感受性を指している。例え ば「内臓感覚」は臓器にっいての圧迫感,膨張感などであるが,栄養機能がこ れに関係しているのは,その働きがこうした内臓の運動とその感受性を引き起

こすからである。

 一般に食欲の本態は今日なお十分に明らかにされていないと言われるので,

赤ん坊の食欲がどのようなメカニズムでおこるかを説明することは難しい。し かし,ワロンの言うように,「幼児の行動のなかで消化管の活動がいわば中心 的な位置を占めている」というのは,根源的な意味をもっていよう(ibid,同 上,40ページ)。

 ワロンは,空腹から満腹の間にどのような行動を子どもがたどるかにっいて 述べている。すなわち,子どもが食事をとる時に現われる,ひんぱんな消化活 動の表出(manif6 stations digestives),例えば,しゃっくり,吐出(r6gurgi−

tations),下痢などが起ること。それから,乳房や哺乳ビンがまずは独占的に 子どもの表情や動作に欲望や満足の表現をよびさます力をもっていること。っ

まり,空間における子どもの最初の諸運動,すなわち,乳房をまさぐる口唇の 諸運動や乳房の上に握り締められた,または哺乳ビンにむかって差し出された 手の諸運動を方向づける力をもっていること(ibid, pp.36−37,同上),など

である。

 このような諸運動を,ワロンは消化管を中心とした状態が,主導性(pr6−

pond6rance)をもっていることとして位置付けている(ibid, p.37,同上,40

ページ)。

 ここで「主導性」というのは,一種の先天的な運動のシネルジーが,存在す ることによっておそらく説明されるものだろう。ワロンはそこのところを,迷 路反射や頚部反射ほどにくわしくは説明していないようにみえる。しかし彼は,

栄養機能が睡眠に匹敵する地位をもっていると述べ,新生児が乳を飲む時の唇,

舌,口蓋膜,喉の「複雑で,厳密に調節された諸運動の完さ」を「空間におけ る手足の不規則な揺れ」と対照してとりだしている。ワロンは,さきに睡眠の ところで,栄養機能が睡眠機能と同じように,大脳両半球の下部に位置ついて おり,その機能が先天的にそなわっていることを述べている。その時ワロンは,

プライエルの認めるところを引用しながら,生まれっっある赤ん坊で頭がやっ と出てきたばかりの時でも,すでに,きわめて正確な唇の反応があることを強 調している(ibid, p.34,同上,38ページ)。

 プライエルは新生児の唇の間に船筆の端が入っただけで,喜びの表現をとも なう吸引運動が見られる事実を挙げている(ibid,同上)。しかも,口腔の反応 は実に精緻で分化しており,唇の中のさわる場所が異なると反射も違ってくる のである(ibid,同上)。

 ワロンはこうして,口腔や唇そのものが,まさに消化器官の一部であること,

そこには明かに,運動的シネルジーが形成されていることを,述べているもの と思われる。

 唇と口腔,舌,咽喉はそれぞれの機能をもちながら,すでに一連の消化機能 を連合させているのである。このアンサンブルは,普通考えられるように,消 化機能を唾液や胃液を出す分泌腺によるものと限定してしまう考え方から,私

たちを解放してくれる。唇や口腔,舌,咽喉などの運動にまっわる身体文化は,

大人になれば消化機能から分化し,独立して,消化とは一見関係のないものと なっているように見える。しかし新生児の運動的シネルジーは,栄養機能がこ

うした身体運動とかたく結びっいていることを示してうる。

 ワロンは,栄養機能にまつわる新生児の身体運動の見事なアンサンブルにっ いて次のように書いている。

 「両唇[の形]は,乳首に合わせられる。そして,嚥下は咽頭に乳が達する までは起らない。吸い込まれた液体の前進にこたえておこる。また,液体の前 進に応じて再び締められたり,再び閉じられたりするこれらの収縮は,あらゆ

る点で食道の収縮や腸の蠕動性の収縮に似ている。これらの収縮は外部と連絡 をもっている消化管の先端にふさわしいように,もっとも分化した形をとって いるにすぎない。それらが生まれながらにして,あらゆる内臓に固有な運動性 と同じ完壁さをもっているということは,したがって,何も驚くにあたらない

のである。」(ibid, p.35,同上,39ページ)。

 ここで重要なことはワロンが,唇と口腔,舌,咽頭などの先端の運動が,食 道や腸の運動と似たものとなっていることを,あらためて確認していることで

ある。これは先にも述べたように,これらの部分が独立した文化的動きをとる ようになる時期からすれば,実に不思議なことかもしれない。しかし新生児が もっている驚くべき身体的シネルジーの一部に,これらのアンサンブルがくみ こまれていることは,口唇から肛門にいたるまでの一連のシネルジーがどのよ うな人間文化の獲得のなかで,どのようにきわだった部位をっくりだすかを考 える上できわめて興味深い指摘であろう。

 口から肛門にいたる消化管は全体として動いている。口唇から順序をもって 液体が流れ込んでいけば,それが接する部位の興奮と運動が次々とおこる。し かし,この運動は上から下への一方的運動だけではない。消化管のある部位の 刺激が,液体を逆におしもどすことも普通におこる。新生児の嘔吐であるが,

これがどのようなメカニズムで起るかにっいて,ワロンは『性格』ではくわし く論じているわけではない。ただ言えることは,刺激にたいする運動のアンサ ンブルがまだ,各々の部位において興奮性(exCitabilit6)と運動性(motilit6)

とを特殊な形で密接に連合させているということである。

 ここで,「興奮性」と「運動性」とが特別に連合しているということは,や はり消化管が全体としてシネルジーをもっているといっても,大腸の下位によ る臓器的な内部感覚によってコントロールされていて,まだ大脳皮質の部分の 抑制を受けていないということである。それはまだ部分の特殊性における連合 であって,機能の縮減が行なわれていないということであろう。その点でワロ ンが,或る種の白痴において,食物を胃からロにもどす例を挙げているのは興 味深い(ibid, p.35,同上,39ページ)。これはワロンが注で述べているよう

に,ジュウル・セグラスによって「メリシズム」(m6 rycisme)と呼ばれてい るものであるが,この症状は,成人において起ればいわゆる「反劉症」という 胃の運動神経異常の一っとして扱われる。これは胃の噴門の閉鎖が不十分なた めに,食物が口腔中にまで逆流する症状であるが,この場合,噴門の閉鎖不十 分は異常として起るが,新生児の場合はおそらく,胃の運動全体のアンサンブ ルがまだ十分に形成されていないので,部分的な興奮性と運動性との固着が残 存しているためだと思われる。

 ところで,このような消化管のシネルジーのなかでも,ワロンは口のほうに

より分化発達が著しいと言う(ibid, p.36,同上,39ページ)。何故それがお こるのかは,発生的に位置付けてみなければならないが,ここでワロンが注目 しているのは,フロイトの言う「口唇一肛門段階」(une p6riode bucco−anale)

である(ibid,同上)。      ノ

 精神分析では普通,「口唇期」(stade orale)と「肛門期」(stade anale)

とを区別する。

 「口唇期」は,リビドー発達の第1段階で,この時期には性的快感は,食物 摂取にともなう口腔と口唇の興奮と結びっいているとされる(ラプランシュ/

ポンタリス『精神分析用語辞典』村上仁監訳,みすず書房,1977年,134ペー

ジ,Jean Laplanche et J,−B, Pontalis Vocabulaire de la psychanalyse 3 e 6dition, P, U, F,1976)。

 ところで,フロイトは,新生児のおしゃぶりの現象を,はじめは生命機能へ の「依託」(Anlehnung)によって充足していた性欲動が,自律性を獲得し,

自体愛的に充足するようになるとしたが(同上),ここには,明かに生理学的 なものと情動性との結びっきの最初のメカニズムにたいする仮説が示されてい る。この場合「依託」とは,二次的に自立してくるところの性欲動に生理学的 基礎を与える作用であるが(同上,10ページ),これは,性欲動が栄養欲求を 基礎に分離するということを表現している(同上)。

 「依託」というメカニズムは,フロイトのいう「自己保存欲動」から手段と 対象を「借用」するという考え方に立っている(同上)。「自己保存欲動」はあ

くまで,肉体的装置によって,その動きと対象とはあらかじめ定められている ので,これはワロンのいう身体的シネルジーの観点からしても当然のことであ る。ところがフロイトは,性欲動がこの「自己保存欲動」の働きの余白でえら れた「利得」(Lustnebengewinn)でしかない充足形式によって決められてい

くというのである(同上)。

 フロイトのいう,このような新しい自己欲動の発生は,ワロンのいう肉体的 シネルジーから精神的シネルジーの転換に相当するが,ワロンはこのような発 生をそれ自身の肉体的論理にしたがって分析的にとらえたのであった。それが,

すでに『多動児』を紹介しっっ触れた姿勢と情動発生の関係なのであるが,フ

関連したドキュメント