さてワロンは最後に,呼吸機能にっいて触れている。そして,この機能と関 連して新生児の泣き声にっいて論じている。泣き声にっいては,『性格」では この部分のほかにも,「第3章情動の本性,2原始的情動,笑うことと泣くこ
と」(OCE, pp.71−78,『性格』,66−70ページ)のところで触れられているが,
ワロンは,そのほかでは『精神発達』の「第2章感情性」の最初のところで,
ほぼ同じ取り扱いをしている(EPE, pp.120−123.『精神発達』146−9ページ)。
新生児の泣き声にっいてワロンは,ルクチレチウスやフロイトなどによる象 徴的な解釈を批判的に取り扱っている。ここでも,さきにフロイトにっいて述 べたように,フロイトにおける拡大解釈の批判が見られるのであるが,ひとく ちに言えば,新生児の泣き声は最初の呼吸反射にともなう声門の痙攣以外のな にものでもないとするものである(OCE, p.38,『性格』,14ページ)。
ワロンは,しかし,泣き声を単純に生理学的なものとだけは見ていない。そ こに,生理学的なものと心理的なもの,とりわけ情動の発生と結びっいたもの を見ようとするワロンの立場が現われている。ワロンは,泣き声をたんなる筋 肉の專実に還元せず(EPE, p.120『精神発達』146ページ),泣き声を生命の 複雑な仕組み全体に属するものととらえている。泣き声は,痙攣において表現
されている同時的な条件と印象のアンサンブルと結びついている。泣き声を引
スパスム
き起こしている痙攣は明かに反応ではあるが,しかしそこには,印象とそこで の感受性がとけ合っている(ibid,同上)。痙攣は全身の筋または筋群の発作 性収縮である(南山堂『医学大辞典』1978年,第16版,551ページ)。呼吸器の 痙攣がはじめておこるのは,新生児が胎内から出て,血液の酸化を必要とする からだとワロンは述べている(OCE, p.38,『性格』,41ページ)。血液の酸化 を研究とするために,呼吸器はその中枢(延髄にある)の統制及び一連の筋,
筋群,横隔膜が働くが,おそらくワロンのいうように,新生児が胎内から出た 時の周囲の温度の変化によってこれらの筋肉が突然の収縮を引き起こすのだと 思われる。だから,ワロンは泣き声ではなくて,くしゃみが起こることもある と述べている。くしゃみはワロンのいうように,気管の爆発的反射である(OC
E,p.38,『性格』,41ページ)。
いずれにしても,泣き声が呼吸器にかかわる筋の突然の収縮から発生してい ることは,ほぼまちがいないものと思われる。
ところで,ワロンもいうように,痙攣のなかに運動と感受性を区別すること はできない(EPE, p.120,『精神発達』146ページ)。呼吸器にかかわる痙攣は,
新生児の機能が未分化であるために,さまざまな部位の痙攣が他の部位に移る ことによっておこり得る。例えば,最初の泣き声は,さきに述べたように,胎
内と胎外とのおそらく温度の差異によって引き起こされる。その後の泣き声は,
強い光による虹彩の痙攣,空腹や食物消化にともなう腸の痙攣が呼吸器の痙 攣におよぶことによっておこる(ibid, pp.120−121,同上,147ページ)。これ
は痙攣をおこす一連の筋の動きが局所化されず,「機能の類縁性」(affinit6 s d une fonction)をもっているためである(この点にっいては拙稿「ワロン
『子どもの性格の諸起源を読む一研究ノート(1)」『人文学報』第201号,1998年,
3月,218ページ参照)。
しかし,ワロンによれば,泣き声はいったんおこると,このような痙攣を和 らげる働きをする(OCE, p.40,『性格』,42ページ)。この場合の泣き声は,
後に痙攣と分化して,情動的な色彩を帯びるようになるものとは違うけれども,
いわゆる原初的な叫び(cri primal)(ヤノブ)だと考えてよい(Dr, Janov Le cri primal,1975, Flammarion,アーサー・ヤノブ『原初からの叫び』中山善 之訳,講談社,1975年)。何故このような叫びにようて,痙攣にともなう苦痛 がやわらげられるのかのメカニズムにっいて,ワロンは次のような仮説をたて ている。ワロンによれば,この仮説は感情生活の研究と情動の説明にとってき わめて重要な事実とされる(OCE, p。40,『性格』,42ページ)。
まず第1に痙攣は不快な感覚や苦しみと結びっいているとワロンは言う
(ibid,,同上,及びEPE, pp.120−121,『精神発達』,147ページ)。その場合,
痙攣が不快感や苦しみとどのように結びっいているかにっいて,ワロンはくわ しくは述べていない。おそらくそれは苦悩が筋緊張の一定の程度を越えた時に おこるからであろう。それは筋肉が外部の刺激にたいして,それに反応する側 面と対抗する側面とをもっていることによって説明されよう。刺激はおそらく 反射のメカニズムから言えば,一方で筋の収縮をひきおこすと同時に,筋の収 縮に抵抗し,それを和らげようとするからである。苦痛は,筋肉の状態をもと
のままにおこうとする傾向が収縮への傾向と同時に高まり,最後に前者が後者 によって圧倒されてしまう状態をさしていると思われる。苦痛はこのような抵 抗と収縮との対立の大きさそのものを示すものであろう。
しかし,第2にワロンによれば,痙攣はすでにそれを解消しようとする動作 とむすびっいており,泣き声はそのことをすでに含んでいる。その場合,泣き
声は(そして笑い声も同時に)くすぐりと関係している。すなわち,皮膚のく すぐり刺激にたいして一定の抵抗が起り,刺激を解消しようとする動作が生
じるが,その動作は一定程度を過ぎると痙攣にとってかわられ,その効果が,
収縮反応の波とともにひろがり,緊張が快感と結びっいて笑いの爆発になる
(OCE, p.74,『性格』,68ページ)。さらに刺激が強まると,緊張はますます高 まって,それを静めるための抵抗の程度をこえて,痙攣は内臓とりわけ呼吸器 をとらえる。この時,泣くことが始まるのである(ibid, p.75,同上,69ペー ジ)。こうして,泣き声は痙攣の結果ではあるが,同時に筋肉が過度の緊張に たえられなくなったことを示している。だから,泣くことは,筋肉の緊張,さ らには内臓の痙攣と,それらの解消との対立が過度の状態から平常の状態にま でいたる過程でおこる。っまり,泣くことはワロンによれば,緊張過剰を解放
しようとする働きである(ibid,同上)。このことはワロンが後に述べるよう に,すすり泣き(sanglots)にもっとも典型的にあらわれる(EPE, p.121,
『精神発達』,147ページ)。
こうして,泣くという行為は過度の緊張を和らげ,心身の苦しみを解放する ことによって,身体の生理的作用と情動とを媒介する。その場合情動は,筋緊 張の緩和の表出によって,をの本質をあらわにする。ワロンはすすり泣きにっ
いて次のように述べているが,これは,後にワロンが展開する理論の橋わたし となっている(後の展開にっいては,『性格』66および76ページを参照)。
「泣くことをとおして,苦痛がやわらぎ,緊張がゆるむことは日常経験する ことである。これは,胸をさすような苦しみの場合,その到来がかすかに分か るような有益な発作である。泣くことだけで,食道をしめっけるような,なに も通らないようにしている,かたまりのようなものを,和らげることができ,
胸をかきむしるような,そして,心臓の脈をどきどきさせるような痛みを和ら げることができ,息を止めるような痙攣を和らげることができる。すすり泣き とともに,あたかも内に閉じこめられた力が揺られるように解け,っいで,手 足の機能がじょじょに緊張を静めていく。内臓の過度の緊張が痙攣状態にまで なるにっれて,血管は膨張し,もういちど血液が末端に流れ込み,呼吸は深く なり,やがて静かにそって涙が流れ,分泌線が開く,口は潤い,咽は開き,飲