仕〔 }理
4 条坊復原 と建物配置計 画
今回の調査では、東西方向の条坊 として二条大路 と三条々間北小路、南北方向の条坊 として 東二坊々間路 と東二坊々間西小路の、計4条の条坊 を検出 した。 また、平城宮の東南隅 を確認 す る目的で行 った1966年度 の第32次調査で は、二条大路 と東一方大路 の交差点 を確認 してい る。 そして、 これ らの条坊で区画 された敷地 内部 か らは、7期に分かれ る計237棟の建物 と86 条の塀 を検 出 した。
本節で は、 はじめに条坊遺構 とこれに関連す る周辺地区の条坊発掘成果 を総合 し、三条二坊
―・ 三・七・ 八坪お よび二条二坊五坪四周の条坊の位置 と規模 を復原す る。そして、この成果 に 基づ き各条坊 の国上方眼方位 に対す る振れ、規格性、お よび基準尺長 を明かにしたい。
つぎに、条坊 と敷地 内部の建物や塀 な どの配置 にどのような計画性が存在 したかを各時期 ご とに検討 し、大規模 な宅地 における空間分割、主要建物の配置計画 を明 らかにしたい。
こうした検討作業の もととなる遺構 の計測座標値 は、今回の調査 にかか る遺構 については航 空写真測量 によって作成 した50分の1実測図か ら
lcm単
位 で計測 し、関連す る既往 の発掘成 果 については報告書記載の数値があるものはこれを採用 し、ない ものについては報告書 にある 実測図、 もし くは20分の1実測図か らおなじ くlcm単
位で計測 した(Fig.96、 Tab.74)。 なお、座標系 はすべて国土座標系 に統一 した。 また、尺 に換算す る場合 は1小尺=0.295〜0。296m、
1大尺 はこの1.2倍、0。354〜0.355mと して検討 を進 めるが、本節 で単 に「尺」 とした場合 は 令小尺 を表 し、令大尺 は「大尺」 と表す こととす る。
A条 坊 復 原
二条大路
一坪西北隅で南側清、八坪北側で南北両側溝 を検出 した。両側溝の心々距離 は39.8
〜40.6mであ り、平城宮南面地区における36.8〜 38.Om、 東隣接池である二条二坊十二坪南面 における32.6mな どの既往の数値 よ りかな り大 きい。溝心々距離が場所 によって異 なる要因 と しては、場所 によ り濤幅 に広狭 あることが考 えられ る。南北両側溝の幅 は多少の差 はあるが、
平城宮南面地区ではそれぞれ3.6〜 3.8m、 今回の八坪北側 で は2〜3m、 二条二坊十二坪南面 では7.6〜8。7mである。一方、両側溝の外肩間の距離、つ まり北狽1溝北肩 と南側溝南肩間の距 離 を測 ると、宮南面では40〜42m、 八坪北側では41.8m前後、二条二坊十二坪南面では40.5m、
と比較的近い数値 となる。つ まり、両側清の宅地側 の肩線 はほぼ同位置 にあ り、溝 を広 げる場 合 は路面側 になされている (小沢説)。 これは、結果 として同 じ道路であって も、場所 によって 路面幅が一定 しない ことになる。ちなみに、路面幅 は宮南面で は32〜 35m、 八坪北側 で は36.4
m前
後、二条二坊十二坪南面では29.3mである。ところで、二条大路 の側溝心々距離 と条坊計画線 については、平城宮南面地区の成果 をもと に側溝心々距離が105大尺 (=126尺=37。17m)で あ り、条坊計 画線 は これ を北 か ら
1:2に
内 分す る線 として復原 した (井上説)。 ところが、上記 のように側溝心々距離 は場所 によって差が1)小沢
毅「東院南方遺跡の調査」『1991年度平城 宮概報』1992
2)井上和人「古代都城制地割再考」『奈文研研究論 集Ⅶ』1985
側溝外肩間 距離 が一定
̲一二条々関路∵…
⁚東坊々間路1︲
唯 ‐96●条
"遺
構位置園
︲1東一坊大路
鯨 種 別
X座
標Y座
標 典 拠本 調 査 1/50tull図
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第諺及調査案測図
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薙
34‑'蜘
図 北躙 ヒ厨および鵬 南鳳体ら1算出 第冊真謝期華ツ烹醸 小勝苫よツ熱2橋の申点 小沢推定値―r泰
文研年報1994d 1
2 3 4 5 6 7 3 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 イ
三条大蕗
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東勤 々間路
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東‐坊大路
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″ 二条大路 凍 二妨々間路
.東■妨大路
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北側溝心
〃
″ 芦朝則渾│い
″
北側溝心
″
南側濤心
〃
路'酸点 西側溝心
″
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東側濤心
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鵬 い
″ 茸す喝ィい 東橋心―
匹赫争
b
適頑備争苫 条坊計画線―
BaJb 瞬争静 小子部門心
‑146,004.82
‑146004̀B4
‑146・004.85
‑146,,43.T8
‑146,043.28
‑140147.00
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‑146ぅ 15缶00
‑1469 2.67
‑146j!1501B0
‑14G;.04住00
■146.205.00
‑116)250100
‑14α19751.00
‑14o1250.00
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‑‑14缶‑250.00
‑‑146チ046145 二14傷039149
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‑145,729.60
‐1■ 81猛40
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‑17,799.00
‑17,95∝00
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‑17,924.05
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‑189064.45
‑17,800。 00 il■780.50
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‐18,054.90
Tal.74 条
"遺
構計測摩擦値―賞
第V章
考
あることか ら、条坊計画線 を求 めるに際 し、一率 に側溝心々距離 を北か ら
1:2に
内分す る線として復原するのが妥当か、否か とい う問題が生ず る。 この方法で条坊計画線 を求 めるとす る と、両側溝 の外肩間の距離が一定である場合 には、側溝幅の広い道路 ほ ど条坊計画線 は南 に偏 す ることとなる。 したがって、三条大路 の条坊計画線 を一率 に側溝心々 を北か ら
1:2に
内分 す る線 として復原す るのは妥当 とはいえない。そ こで、 ここでは小沢説 と井上説 を総合 し、二条大路の規格 を以下 のように考 えた。
条坊計画線の35大尺北 に北側濤心があ り、70大尺南 に南側溝心が くる (井上説)。側溝幅 は南 北 とも10大尺 を標準規模 とす る (井上説では宮南面位置における北側溝 を10大尺、南側溝を6大 尺 としていた)。 とす る と、両側溝外肩間 の距離 は115大尺 (40。71m、 小沢説の外肩間の距離が一定 との見方)となる。側溝幅 を変 える場合 は、両側溝外肩の位置 を変 えず、内肩の位置 を変 えて 行 な う。 したが って、側溝位置か ら条坊計画線 を求めるには北側溝北肩か ら40大尺南、 もしく
は南側清南肩か ら75大尺北の点を測定すればよい。
この ようにして南北両側溝 の外肩が明確 な八坪東北隅において、二条大路の条坊計画線が通 る位置 としてX=‑146,017.65、 Y=‑17,800.00の点 をおさえた。
つぎに、二条大路の国上方眼方位 に対す る振れ を計測す る。北側溝 は約20mの短 い区間での 計測値であるが、この間はほ とん ど振れていない。一方、南側清 は150m離れた区間で計測 し、
東で北 に11/28〃 とい う数値 を得た。 ここでは平城京の条坊 の平均的振れに近 い南側溝 の振れ を採用 してお く。以上が三条大路 の復原位置である。規模 は前述 の ごとく両側溝外肩間115大 尺 (40。
71m)で
ある。東二坊 々間路
西側溝 は二条二坊五坪 か ら三条二坊七坪 の東辺 にか けて延長310mにわたって 検 出 したが、東側溝 は幅
2mの
トレンチで西肩 を一 カ所確認 したにす ぎない。 したが って、今 回の発掘遺構 のみか ら両側溝心々距離 を確定で きないが、1973年度の第83次調査で検 出 した東 二坊々間東小路の位置か ら推定で きる。第83次調査では、十・十五坪間の小路 を延長35mにわ た つて検 出 してお り、小路心 (X=‑146,205.00 Y=‑17,653.75)が わか る。 この点か ら375 大尺 (132.75m)西の点 を求 めて東二坊 々間路心 (Y=‑17,786.50m)と し、 これ と今調査 区 西側溝心 との距離 を求 める と5.24mと なる。 これ を東 に折 り返 した10。48mが両側溝心々距離 となる。10。 48mは29.6大尺であ り、本来 の心々距離 を30大尺 とみ ることがで きる。なお、西 側溝 は6〜 8大尺、東側溝 は20〜 22大尺、路面幅 は16大尺前後 の規模 に復原で きる。調査区内における西側溝 の振れ は北で西 に12ア56〃 であ り、 これ を東二坊々間路 の振れ とみ てお く。つ まり、東二坊々間路 の条坊計画線 はX=‑146,205.00、 Y=‑17,786。50をとお り、
北で西 に12ア56″ 振れ る。
三条 々間北小路
―・ 二坪間お よび七・ 八坪間で南北両側清 をそれぞれ延長210mにわたって 検 出 した。側溝心々距離 は
6m前
後 (20尺)、振れ は東で北 に8/15〃 である。なお、東二坊々 間西小路 との交点心座標 はX=‑146,150,30、 Y=‑17,920,05で ある。東二坊 々間西小路
東西両側清 を途 中切れ切 れで はあるが延長210mにわたって検 出 した。側 溝心々距離 は7。lm(20大尺
)で
あ り、振 れ は北で西へ16/18〃 である。三条々間北小路 との交 点心 は前述の とお りである。東一坊大路
第32次調査で東西両側溝 を、第
234‑9次
調査で西側溝 を、第248‑13調査で東側二条大路の 規
格
二条大路の 方位 の振 れ
喬 翻
溝西肩総 1出.した.。 また、第39次調査 住
9664Elで
―は東!=坊大路の北端と―なる平城営東院八 隔確開―くJ壻帯I門を確認している。
東■
"大
願 側濤心々距離は東―力大路が二条大路と交きする部分に葉けられた二つの橋の 申心位置から確定できる。二つの橋の東西距離lk23.96血 181尺
)で
ある.。 振れは二うの橋の 申心 (X=‑14島 030.46 Y=―18,053.5011と,小子部門心 C/Jヽ沢による復原磨礫餞X―=‑145,729おYと ‐18ヴ054,9、 隣載期準義1994よ )を結ボと、北で茜本1,′1ば で―あるが
t西
側溝に螂 ・る 橋の,いと第234‑‑9次調査で確認した西側博心を結ぶと、剛堅31イ となり、通常の振れに比べ1過大とな―る.。 よつて、とこでは前者│の独値lF 16イ を東‐第大路の振れ―とみてお く。
以上の結果が発据遺構から直接復庶できた条
"の
位置と親攘である菊残るのは三粂二妨三・
七坪の育辺を腹る三条々問蕗と、二条二方五蝉訛辺の二条衆肺 11鶴であiる.。 いずれも東西方 向の条
"で
ある。東西方向の条方の振れは二条大路のi東
で北に■'28イ と、三条々聞北小路の同34‑ls″ という二つの数値を確認してい―る。ことでは1南北方向の期 の振れ (lT IΥ 、1げ
le'.12′夢
r)に
より近ぃ数値であり、かつ大路の振れである.こ とを優先し、二条大路の振れ lr2γ を採用することとした。それぞれの位置は、三条斎聞路は三粂々聞北小路の南3お大尺(1記 75m)、二条々間商小路は二条大路の北375大尺としたぃなお
(二
条二労五坪西辺ゆ東二 妨々画1西小路は南で確識された条妨をそのまま北へ延長した。このようにして復原した欝 ・、FigⅢ 97とTab.75で ある。条坊計画線で画され旋各坪の一 辺の長さのうち、1鶏掘遵構から直接得ら│れた0区間の長さは1螂ふ
4〜
増工.48mのFElに│め り、こ れを450Rで割つた1点 の長さは■294‑0.29れであり、平城京における1‑尺ゆ長.さとして1過去の成果とも合致する。また、目上方眼方位に対する条防の振れは、甫北方向の平均甘 3ば に対してヽ東西方向の平均は
94ヮ
″とな,、 東西方向の振れが若千小さヤゝ呻 原
東復
坪 ― 辺 の 長
さ
等 ―条―― 坊 の 打色 の振れ
A B C D E F G H
I
J
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‑1塙ぅ01駐49
‐14比150,62
‑146・283.49
‑1459885.e0
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‑14iお0.40 i1469283,05
‑コ陽884.86
‑14699171ol
―1469‐望0手98
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‑1缶 ―説.Ⅲ!90
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‑1竹 動 .05 与1491銭42
‑lT,7監70
‑179787.211
‑1■獲墟71
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一驚
F控.9T 三条二労・二条ニカの条務復原1図 Tれ