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6316EoG ▲ 6710C △
Fig。91 E・e期(第Ⅲ‑2期)の軒瓦分布 図
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第V章 考
A 平城宮土器編年の細分 一
sD5100・ 5300・ 5310出土土器をめぐって一
平城宮出上 の奈良時代 の上器編年 とその年代観 は、
F平
城宮報告Ⅶ』で平城宮土器I〜Vの 大綱が示 され、平城宮土器IIIについては、天平末年の紀年木簡 を伴 った平城宮内裏北方官衛の 上坑SK820を基準 とし、750年 を略年代 の一点 とす る年代が与 え られて きた。平城宮土器 Ⅲの 大 きな特徴 は、土師器食器類 の連弧暗文が消失 し、新たな器種 として土師器椀Aが
出現するこ とであったが、略年代 の1点である750年とい う年代が中心年代 とい う誤解 を与 え、全般的に平 城宮土器 Ⅲの年代が新 しい部分 に下 げて考 えられ る傾向があった。 そのため、平城宮土器Hと の間 に編年上 の空 白が生 じるきらいが あ り、特 にこの間 には、天平12年 (740)に平城京か ら恭仁 宮への遷都、 そ して天平17年(745)の平城京への還都 とい う古代史上 の重要 な事件 が起 こったことか ら、発掘調査で検 出 した遺構 の年代 を考 える上 な どで大 きな障害 となっていた。
しか し、
F平
城宮報告Ⅶ』 の刊行後、発掘調査 の進展 によりこの時期 の多 くの良好 な一括資 料 を得 ることがで き、従来の平城宮土器 Ⅲには古・ 中 。新 の3段階の変遷 が あ り、SK820出土 土器 はその中で最新段階の ものであることが明 らか とな り、既 に細分案 と年代観 の一部 を提示 してある。 ここで は、平城宮土器 Ⅲの古段階の基準資料 であるSD5100・ 5300・ 5310出土土器 を報告 した ことを受 けて、平城宮土器 Ⅲの細分 を改めて詳細 に論 じることとしたい。なお、各 段階の細分で は様式的 に見て画期が大 きな区分内に認 め られ る場合 もあ り、将来的 には時期 区 分 も含 めて見直 しをす る必要 もあろうが、 それ は土器の編年が常 に内包す る問題 であ り、 ここ で はこれ までの研究史 に立脚 す る立場で論 じてい きたい。i SD5100・
5300・ 5310出土 土 器 の構 成 と特 徴二条大路上 の南北 に掘 られ た濠状遺構SD5100と SD5300・ 5310か らは、 それ ぞれ天平4年
(732)〜■年(739)、 天平4年〜8年の紀年木簡 とともに、大量の土器が出上 した。また、SD5100 か らは天平12年の紀年のある塁書土器 も出土 している。SD5100・ 5300・ 5310は、遺物 の出土 状況や花粉分析 の結果か らみて も短期間の内に埋没 した ことが知 られ、 これ らの上器や木簡が どこか らもた らされ、 どの様 な性格 を持つ ものかに関 しては様々な議論があるに して も、出土 した土器 は恭仁宮への遷都以前の天平年間前半の年代が確実に与 え られ る一括資料 として極 め て重要な価値 を持 っている。 これ らの上器 は、後述す るように平城宮土器 Ⅲの古 い段階の特徴 を示 し、編年上の基準資料 とす ることがで きるのである。
SD5100とSD5300・ 5310か らは、 それぞれ土輛器、須恵器、黒色土器、奈良三彩、製塩土器 が総計数千点以上 出土 し、その内訳 は別表13・ 14・ 16・ 17、 Tab。 34。 35に示 した。出上 した 器種 は、土肺器が杯 A・ B、 杯
B蓋
、杯CoE・
X、 皿 A・ B、 皿B蓋
、皿CoX、
椀C・ X、鉢B・ E・ X、 高杯、盤 A・ B、 壷A、 壼
A蓋
、壼B・ D、 把手付双孔大型蓋 、蓋X、 甕A・B・ C・
DoX、
鍋、竃で、須恵器 は杯 A・ B、 杯B蓋、杯C・ E・ L、 杯L蓋
、皿 A・ B、3
平城 宮土器
Ⅲ の 特 徴
3段階 区分
間
群
料鱗
天 前
1)F平
城宮報告X III』 1991,pp 370〜383土
師
器
須
恵 器
紫 香 楽 宮
Ⅲ古段階の 上
器
皿
B蓋
、皿C・ D、 椀 A・ B、 鉢 A・ E・FoX、
高杯、盤A、 壷A、 壼A蓋
、壷B・ K・ Q、双耳瓶、水瓶、平瓶、横瓶、甕A・
BoCと
な る。出土 した土器 の特徴 をみ る と、まず、土師器食器類 で暗文 を持 つ個体 が多 い こ とが あ げ られ る。暗文 の種類 は、運弧暗文 をもつ もの と、 もた ない ものの両者がある。放射暗文 の間隔 は平城 宮土器IIに比較 して粗 くな り、放射暗文 を欠 くもの もみ られ る。調整手法 は、平城宮土器
Hで
は 杯AI、 杯CIの
ほ とん どがb手法 によるのに対 し、群 により多少の差異 はあるが、a手
法 を採用す るものが多 くな り、b手法の比率が減少す る。外面の磨 きは、平城宮土器
Hで
はほぼ例外 な く施 すが、平城宮土器 Ⅲで は特 に杯 A・ Cの a手法で調整するものに磨 きを省略す る例 が増 力日す る。 この段階では椀Aはまだ出現 していない。須恵器 では、各器種 の法量 による分化 が著 し く、杯Aで
はA11〜 AVl、 A12〜 AV2、
杯Bで
はB11〜 BVl、 B12〜 BV2の
そ れぞれ10種類 に分化する。杯B蓋
の口縁端部 の形態 は、笠形のB形
態が ほとん どを占め、端部が 弯 曲す るA形
態が若千量 み られ る。また、鉢Aは
尖底の ものが中心で、平底 の ものが一部残 る。器種構成で特筆すべ き点では、平城宮土器 Ⅳで出現 す る とされていた口径24cm、 器 高
8cm
を越 える大型の上師器杯Bがこの段階 に も存在 す るのが判 明 した こと、須恵器
V群
土器 の水瓶 と双耳瓶 を確認 し、猿投窯 の編年 に貴重 な資料 を提供 した こと、底部が糸切 りで、重Gに
似 た形 態 の須恵器壺Xが
出上 した ことが あげ られ、それぞれの器種 の系譜関係が今後 の課題 とな ろう。平 城 宮 土 器 Ⅲ 中段 階 の 上 器
前節で平城宮土器 古段階の上器 について概観 したが、 ここでは比較のため、平城宮土器 Ⅲ 中段階の上器 をみてみることとしたい。
Fig。93は滋賀 県甲賀郡信楽町宮町遺跡 出土土器である。宮町遺跡で は大規模 な掘立 柱建物 を多数検 出 し、出上 した木簡 の記載 内容 と柱根 の年輪年代 か ら、天平14年 (742)とこ造 営 が は じまった紫香楽宮跡であることが ほぼ確定 している。図示 したのは1986年度調査 のSK6116や SD13122(SD6117)他か ら出上 した もので、
1〜
18が土師器、19〜 45が須恵器で ある。土 師器は 杯
A(1〜
9)、杯B(10・ 17)、杯C(11・ 12)、皿A(13)、鉢D(14)、椀C(15)、鉢X(16)、高 杯(18)、須恵器 には杯A(31〜36)、杯B(27〜30)、杯
B蓋
(19〜26)、杯C(37〜39)、皿C(40〜42)、椀 A(43〜45)がある。土師器では、杯A・
BoC、
皿Aに暗文 をもつ ものが少な くな り、連弧暗文 は消滅す る。 ま た、杯 A・ B・ Cでは外面の磨 きを省略す る ものが増加す る。須恵器で は、杯 A・Bは
法量 に よってそれぞれI〜 Vまで分化す るが、器高の高い もの と低 い ものの区分 はそれほ ど明確 で は ない。 また、杯B蓋の口縁端部 は弯 曲す るA形
態が増加す る。 この様 に、平城宮土器 Шの古段 階か ら中段階 にかけては、土師器 の調整手法、内面の暗文、外面の磨 きの有無、土師器 や須恵 器 の法量分化の面 において変化が生 じ、SK820出土土器 を標式 とする新段階の上器 に連 なって い くのである。一方、宮町遺跡で は、土師器杯 B(17)と 高杯(18)に古段階の特徴 を残 す もの も 見 られ、1992年度調査で検 出 した溝SD6116からは平城宮土器 Ⅲ古段階の資料が まとまって出 土 している。 こうした ことか らも、紫香楽宮へ遷都 した時点が、平城宮土器 Ⅲの古段 階 か ら中1)信楽町教育委員会F宮町遺跡発掘調査報告』I,1989 古代の上器研究会 F都城の上器集成』HI,1994
2)未公表資料であるが、信楽町教育委会の好意 によ り、実見させて頂いた。
第V章 考
崇
―
物
〔 ̲̲̲匡 玩
00 20om
9・ 10。 13・ 14・ 36・ 43‑SK6116 17‑SV13258 18‑― SD62 30‑― SD6103 他 一SD6117
Fig。93 宮町遺跡 出土土器実測 図
1:4
土 師器椀 A の
出
現
口径 の 拡 大
土器 変化 の 背
景 的 式
﹁︿ 絲 律 土
段階へ変化す る時期であることが傍証 され るであろう。
Fig。94は平城京前川遺跡 と、右京八条一方十四坪 の土坑SK2001出土土器 で あ る。
1〜
31が土師器、32〜 54が須恵器で、土師器 は杯
A(1〜
9)、杯B蓋
(10)、杯C(11〜15)、皿A(16〜19)、皿B(21)、皿C(20)、椀A(22〜24)、椀C(25。 26)、鉢(27・ 28)、高杯(29〜31)、須恵器 には杯A(46
〜52)、杯B(42〜50)、杯B蓋(32〜39)、杯C(53)、杯L(41)、杯L蓋(40)、皿C(54)があ り、土 師 器 椀
Aが
確実 に出現す る。上師器、須恵器 ともに宮町遺跡出土土器 と同様 の特徴 を示すが、土師 器 の杯や皿では暗文 をもつ個体 の'ヒ
率がやや高 く、外面の磨 きをほ とん ど省略す る点 に差がみ られ る。 また、土師器杯
B蓋
内面 の螺旋暗文 はこの段階 まで残 るようである。法 量 か らみ た 平 城 宮 土 器III古段 階 の特 質
まず、SD5100出土土器 の法量 を、平城宮土器Hの資料 であるSD4750出土土器 と比較 してみ よう(Fig.54・ 56・ 95)。SD4750出土土器 は、第V章
3Bで
後述する様 に、器種構成 の上 で は長 屋王家の土器 として特殊 な性格 を持 ってい るが、法量的には平城宮土器 Ⅱの例 として問題 はな い。土師器 で は、SD5100出土土器 の杯AIと
杯CIに
深 い器形 と浅 い器形 が み られ、同一 口 径での深 さによる器種分化があ り、平城宮出土土器 と同 じ構成であることが まず特徴 としてあ げ られ る。 口径 は、SD4750で は杯AIが
約19cm、 杯CIが
約18cm、 皿AIが
約22cmに中心 を もつの に対 して、SD5100では杯AIが
約20.5cm、 杯CIが
約19cm、 皿AIが
約23cmにあ り、 回径が拡大化す る傾 向が認 め られ る。 また、須恵器 も杯A、 杯Bと もに深 い器形、浅 い器 形 に分化 してお り、法量的 には土師器 ほ ど明確で はない ものの、SD5100出土土器 はSD4750出 土土器 に比べて口径の拡大化 の傾 向がや は り認 め られ る。奈良時代 の上器 の法量 は、平城宮土 器 Ⅲ以降縮小 してい くが、 それ以前 は異 なった変化 をた どる。 これ は、た とえば土師器杯Aに 顕著 な ように、飛鳥Ⅳで出現 した時点 で は杯AIの
口径 は約17.5cmであるが、 それが次第 に 拡大化 して平城宮土器 Ⅲ古段階で頂点 に達 し、以後、縮小化 してい くのである。 この法量の変 化 の流れ は、従来平城宮土器 Ⅲ古段 階の資料 を提示 していなか ったた めに明確 で はなか った が、今回の分析の結果、新た に指摘 で きる手ととなった。これ らの ことか ら、SD5100・ 5300出土土器 を代表 とす る平城宮土器III古段 階 は、法量 によ る器種分化が著 しく、法量 も大 きい とい う面で、西弘海の言 う律令的土器様式の最 も整備 され た姿だ とす ることがで きる。奈良時代 の上器 は、様式的には平城宮土器 Ⅲ と平城宮土器 Ⅳの間 に最 も大 きな画期があ り、土師器 の調整 でC手法の採用による量産化の指向、同一器種 内での 法量分化 の減少、法量の縮小化 な ど、平安時代 の上器 に連 なってい く要素が出現す る。 この様 な傾向は既 に平城宮土器 Ⅲの古段 階か ら中段階への変化の中で一部発生 している ことであ り、
平城宮土器 Ⅲの細分 により、 それが明確 になったのである。 こうした土器 の変化 は、実年代 を 考 え合わせ ると、平城宮土器III古段階 は聖武朝前半期の古代律令国家 の整備 された時期、平城 宮土器 Ⅲ中段階は恭仁宮、紫香楽宮、難波宮への遷都 とそれに続 く平城還都 とい う政治的混乱 を経て、朝廷での政治が形骸化 してい く時期 とい う、政治的変化 と無縁で はないであろう。
1)奈良市 『平城京朱雀大路発掘調査報告』1974
2)奈文研 『平城京右京八条一坊十三・ 十 四坪発掘調 査報告』1989
3)西弘海「土 器様 式 の成 立 とそ の背 景」『考 古 学 論 考』1/Jヽ林行雄博士古稀記念論文集)1982,pp.447
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