第四章 被疑者の留め置きの適法性
被告人が取調室に入室してから強制採尿令状を呈示されるまでの約 3 時間半 の間、取調室の出入り口ドアは開放されていたが、1、2 名の警察官が常時そ
の付近に待機していた。被告人は、取調室内で、弁護士と携帯電話で通話する ことを許されており、同弁護士から、①公務執行妨害罪で検挙されないよう注 意すべきこと、②退出する際には携帯電話で状況を撮影すべきことなどの助言 を得、午後 6 時 31 分ころから午後 8 時 37 分ころまでの間、多数回、退出の意 思を表明し、携帯電話で取調室や出入口付近の状況を撮影しながら退出しよう
94)東京高判平成 21 年 7 月 1 日判タ 1314 号 302 頁。
とする行動を取った。他方、その都度、取調室の出入口付近で監視していた警 察官が集まり、退出しようとする被告人の前に立ち塞がったり、被告人の身体 を手で払うなどして退出を阻止していた。被告人は、取調室から退出すること はできなかったが、出入口付近にいた警察官に身体をぶつけた際、殊更「痛い、
痛い」などと言ったり、取調室の壁などに自ら頭をぶつけ、それにより負傷し たなどと訴えたり、退出を妨げられてよろめいた振りをして床に仰向けに転倒 するなどした状況を携帯電話で撮影し、「おまえにやられてけがをしたと言っ てやるからな。これでおれは 20 日でパイだよ。4 連勝だよ。」などと言っていた。
被告人は入室後、強制採尿令状を示されるまで、警察官から充電器を借用する などした上、50 回以上も外部と携帯電話で通話し、その合計時間は約 80 分に 及んでいる。また、被告人は、長女を警察署に呼び寄せ、希望する飲み物や筆 記用具を取調室内に持ち込ませるなどもしていた。
東京高裁は、本件留め置きの適否について、以下のような判断を示した。
「本件留め置きの任意捜査としての適法性を判断するに当たっては、本件留 め置きが、純粋に任意捜査として行われている段階と、強制採尿令状の執行に 向けて行われた段階(以下、便宜「強制手続への移行段階」という。)とから なっていることに留意する必要があり、両者を一括して判断するのは相当でな いと解される」とした。そのうえで、「純粋に任意捜査として行われている段階」
の留め置きについては、「被告人が本件取調室に入室して強制採尿令状の請求 準備が開始されるまでに要した時間は 30 分程度であり、しかも・・・被告人は、
当初、任意提出に応じるかのような言動もしたり、長女や呼び寄せた妻の到着 を待つような言動を取ったりしていたから、そのような事情があった一定時間 内は、被告人が本件取調室内に滞留することが、その意思に反するものではな かったといえる。また、その間やその直後に、警察官らが被告人の意思を制圧 するような有形力を行使するなどしたことはうかがわれない」とし、「したがっ て、上記の間の留め置き行為については、違法な点はなかった」と結論づけた。
また、「強制手続への移行段階」の留め置きについては、まず、「強制採尿令
状を請求することと留め置きとの関連性」に言及し、「覚せい剤の体内残留期 間は・・・せいぜい 2 週間前後であり、被告人に有利に見ても 1 か月を超える ことはないと考えて良いから、この程度の期間であれば、被告人が捜査官との 関係で所在をくらますことは・・・可能と見られるのであって・・・当然に強 制採尿令状を請求することと留め置きとの関連性が否定されることにはならな い」とした。そのうえで、「強制採尿令状を請求するためには、対象者に対す る取調べ等の捜査と並行して、予め受入れ先の採尿担当医師を確保しておくこ とが前提となるため、①当該令状請求には、他の令状請求にくらべても長い準 備期間を要することがあり得、②当該令状の発付を受ければ、当該医師の所へ 所定の時間内に連行していく必要が生じ得る」ことを前提に、「強制採尿令状 の請求手続が開始されてから同令状が執行されるまでには相当程度の時間を必 要とすることがあり得、それに伴って留め置き期間が長引くこともあり得る」
とした。そして、「強制採尿令状の請求が検討されるほどに嫌疑が濃い対象者 については、強制採尿令状発付後、速やかに同令状が執行されなければ、捜査 上著しい支障が生じることも予想され得ることといえるから、対象者の所在確 保の必要性は高く、令状請求によって留め置きの必要性・緊急性が当然に失わ れることにはならない」とした。
そのうえで、「本件では、警察官が、強制採尿令状請求の準備に着手した約 2 時間後の午後 8 時 20 分ころ同令状請求のためK署を出発して東京簡易裁判 所に向けて出発し、午後 9 時 10 分に同令状の発付を受け、午後 9 時 28 分には 被告人に対して同令状が呈示されており、上記準備行為から強制採尿令状が発 付されるまでの留め置きは約 2 時間 40 分であり、同令状執行までは約 2 時間 58 分かかっているが、これらの手続の所要時間として、特に著しく長いとま では見られない」とした。この間の留め置きの態様については、「警察官らは、
令状請求準備開始後も並行して任意採尿を促したが、被告人は、言を左右にし て任意採尿に応じようとしておらず、再三、退出しようとし、他方、警察官らが、
被告人を本件取調室内に留め置くために行使した有形力は、退出を試みる被告
人に対応して、その都度、被告人の前に立ち塞がったり、背中で被告人を押し 返したり、被告人の身体を手で払う等といった受動的なものに留まり、積極的 に、被告人の意思を抑圧するような行為等はされていない。・・・また、警察 官らは本件取調室内で、被告人と長女や妻との面会や、飲食物やその他必要と される物品の授受、携帯電話による外部との通話も認めるなど、被告人の所在 確保に向けた措置以外の点では、被告人の自由が相当程度確保されており、留 め置きが対象者の所在確保のために必要最小限度のものにとどまっていた」と した。
以上を踏まえて、「本件では、強制採尿令状請求に伴って被告人を留め置く 必要性・緊急性は解消されていなかったのであり、他方、留め置いた時間も前 記の程度にとどまっていた上、被告人を留め置くために警察官が行使した有形 力の態様も前記の程度にとどまっていて、同時に、場所的な行動の自由が制約 されている以外では、被告人の自由の制約は最小限度にとどまっていたと見る ことができる」などと述べ、「本件における強制手続への移行段階における留 め置きも、強制採尿令状の執行に向けて対象者の所在確保を主たる目的として 行われたものであって、いまだ任意捜査として許容される範囲を逸脱したもの とまでは見られないものであったと認めるのが相当である」と結論づけた。
第二款 その分析・検討
一 東京高裁平成 21 年 7 月 1 日判決は、留め置きの適否を論じるにあたり、
純粋に任意捜査として行われている段階と、強制手続への移行段階とに区別し て検討すべきであるとの立場を明確に示している
95)。
それでは、本判決が、このような区別を採用したことの意味ないし趣旨は、
どのように理解されるべきであろうか。
95) なお、東京高判平成 22 年 11 月 8 日高刑集 63 巻 3 号 4 頁においても、同様の立場が踏 襲されている。
この点については、令状請求準備着手以前の段階と令状請求準備着手以後の 段階とでは
96)、その留め置きは、目的を異にするのであって
97)、したがって、
その留め置き行為は、その性格を異にする以上、明確に区別して論じられるべ きであるとの立場が前提とされているものというべきであろう
98)。そのうえ で、令状請求準備着手以前の留め置き行為に関しては、尿の任意提出に応じる よう説得するためのものであるが、そもそも、被告人が留め置きに同意してい たものといえるのであって、任意処分として適法と評価されたのに対し、他方 で、令状請求準備着手以後の段階における留め置き行為に関しては、移動・行 動の自由という重要な権利利益の制約を伴うものの、その目的は、迅速・円滑 な令状の執行に備えた被疑者の所在確保を目的とするものであって
99)、逮捕 という強制処分には当たらず、当該行為を任意処分と位置づけたうえで、最高 裁昭和 51 年 3 月 16 日決定が示した任意処分の適否の判断枠組みに従い、適法 との結論を導いたものと思われる。
二 このように、東京高裁平成 21 年判決は、留め置きの目的の違いに着目 して、留め置きを、純粋に任意捜査として行われている段階と強制手続への移 行段階、すなわち、令状請求準備着手以前と令状請求準備着手以後とに段階を 区別したうえで、それぞれの段階に応じて、留め置きの適否を判断しようとす る枠組みを採用したものと理解されるのであるが、このような理解の有り様は、
本稿のように、強制処分性の判断にあたって、その行為の目的という点に(も)
着目する立場からすれば、充分に了解可能なものであり、むしろ、そのような
96) 大澤・前掲注 1)7、11 頁、小川・前掲注 89)7 頁、小川・前掲注 1)7 頁、椎橋隆幸=
柳川重規編『刑事訴訟法基本判例解説(第 2 版)』(2018 年)9 頁〔檀上弘文〕。
97)大澤・前掲注 1)11 頁。
98) なお、本判決における「純粋に任意捜査として行われている段階」との表現は、「強制 手続への移行段階」との対比において、段階を示す表現としては必ずしも適当とは思わ れない。大澤・前掲注 1)16 頁も参照。
99)大澤・前掲注 1)11 頁。
ドキュメント内
<論説>被疑者の留め置きについて─その適法性判断のあり方に焦点をあてて─
(ページ 42-49)