3-1.はじめに
内湾における貧酸素水塊は,一般に,海面の加熱によって水温成層が発達し,
底層が酸素豊富な上層と隔絶されるために形成される.大村湾においても夏季に 第二躍層によって,躍層下の冷たく重い水塊(冷水塊)が上層と隔絶されるため に貧酸素化が進行することが知られている(福本,1997 ; 野上,2001).この第 二躍層および冷水塊は湾口部水が湾内中層へと進入することによって維持され る.湾口部水の進入深度は季節によって変化することが知られており,夏季には 湾内中層,冬季には湾内底層へと進入する.そのため,前述の冷水塊は湾口部水 の進入深度の変化に伴って冬季から春季にかけて形成され,夏季まで湾内底層に 滞留し,貧酸素化に関与するものと考えられる.湾内底層に滞留した冷水塊の水 温は,海面からの熱の供給や水平的な移流による海水の交換あるいは混合によっ て徐々に上昇し,湾口部に比べて低密度となるまで湾中央部に滞留し続ける.す なわち,冷水塊の形成時期および形成時の水温や塩分などの物理的性質によって 貧酸素水塊の解消時期が決定されるものと考えられる.しかしながら,これまで 大村湾の冷水塊が形成される時期やその過程に関する知見は全く得られていな い.
そこで本章では,秋季から翌年の春季に大村湾で実施した現場観測の結果に基 づき,春季季節遷移期の大村湾内の海況変化の実態を把握するとともに,冷水塊 の形成過程を解明することを目的とした.
3-2.資料と方法
2011年11月~2012年6月に実施した大村湾中央部および大村湾北西部にお ける流向流速・水温の係留観測データ,多項目水質計(AAQ125,JFEアドバン テック株式会社製)による大村湾内の水温・塩分の定点観測データを解析に用い た.また,長崎空港の風向風速・気温・降水量データ,長崎地方気象台の海面気 圧・蒸気圧・日射量・雲量・月降水量の平年値データを併せて用いた.
3-3.結果
3-3-1.大村湾中央部の水温変動
2011年11月1日から2012年6月30日の大村湾中央部における鉛直 5層の 水温の変化を図3-1に示した.11月から2月中旬までは水温下降期であり,基 本的には全層の水温はほぼ同じであった.ただし,底層水温が1~7日間連続で 表層水温に比べて1℃前後高くなる水温の逆転現象がしばしば見られた.水温が 高いほど密度は低くなるので,この水温の逆転現象は高塩分・高水温の湾口部水 が流入したことによるものと考えられる.2月下旬以降は水温上昇期となったが,
3月上旬までは水温の逆転現象が出現しており,夏季に見られるような表層高 温・底層低温の水温成層はすぐには形成されなかった.その後,3月中旬に水温 の逆転現象は解消されたものの,3月13日から4月13日までの表底層水温差の
平均値は0.63℃であり,この期間にも成層は発達しなかった.4月14日以降,
水温成層が急速に発達し,成層状態は夏季まで続いていた.
大村湾中央部における海面熱収支の変化を図3-2に示した.海面熱収支の変 動は見られるものの,大村湾中央部の水温が上昇期となった2月下旬ごろから海 面は加熱され始めたことが分かる.また,大村湾中央部で水温成層が形成された 時期(4月14日以降)には,海面は継続的に加熱されていた.
3-3-2.T-Sダイアグラムによる大村湾中央部底層の水塊変動
底層冷水塊の形成時期を検討するために,2011年11月から2012年6月まで の大村湾中央部底層水のT-Sダイアグラムを図3-3に示した.前述の通り水温
3-3-3.大村湾北西部と大村湾中央部の流れ
2011年11月から2012年6月までの大村湾北西部底層(海底面上2.5m)および 中央部底層(海底面上2.5m)における流向流速の25時間移動平均値の変化を図3
-4に示した.まず,湾北西部の底層では11月から12月に南向きの流れが卓越 しており,流速は徐々に減少した.1月から3月中旬までは弱い北向きの流れが 続いたが,3月下旬から4月中旬までは流向が南北に数日単位で変動し,流速は 速かった.4月下旬以降は主に北向きの流れが続いた.次に,湾中央部の底層を 見ると,11月から3月中旬までは南西向きに流れることが多く,12月中旬など 一部の期間で北~北西の流れが見られた.期間全体を通して強い流れは見られな かった.3月下旬から5月中旬までは変動が激しく流れも強かった.5月下旬以 降は流れが弱まり主に北向きの流れであった.
より明確に流れの変動傾向を捉えるために大村湾北西部底層(海底面上2.5 m) における流れの進行ベクトルを図3-5,大村湾中央部底層(海底面上2.5 m)に おける流れの進行ベクトルを図3-6にそれぞれ示した.なお,作図には調和解 析を施した残差流を用いた.まず,湾北西部底層の流れの進行ベクトルを見ると,
11月から12月下旬までは南へ流れる傾向が強く,1月から2月末までは北北東 へ,3月中旬から7月までは北へ流れる傾向が強かった.なお,1月から4月下 旬までは流速が他の月に比べて弱く,ゆっくりと湾口へ向かって流れる傾向があ ったことが分かる.次に,湾中央部底層の流れの進行ベクトルを見ると,11月か ら3月中旬までは前述の通り主に南西向きに流れていた.3月下旬から4月中旬 までは西向きに流れており,特に3月下旬から4月上旬にかけては強い流れが見 られた.4月下旬から5月上旬までは北向きに流れており,その後1カ月ほど西 南西向きに流れ,6月中旬以降再び北向きに流れたことが分かる.
3-3-4.冬季から春季の大村湾底層における塩分の水平分布
2011年11月から2012年4月の大村湾底層(水深18m)における月ごとの塩 分の水平分布を,3-3-3項で述べた湾北西部および湾中央部の流向の変化と
合わせて図3-7に示した.また,大村湾内における高塩分水は湾口部を通じて 供給されることを考慮し,湾内の高塩分水の水平分布から推察される高塩分水の 動きを図3-7に破線矢印で描き加えた.月ごとにみると,まず11月には高塩 分水は湾北東部や湾西部に分布しており,第二湾口部の水塊は湾西岸沿いや湾北 東岸沿いに湾内へ流入していたと推察された.一方,湾中央部の塩分は比較的低 かった.12月は湾北西部が高塩分となっており,第二湾口の水塊は湾西岸沿いお よび第二湾口から東南東向きに流入していたと推察された.湾中央部は11月に 比べると高塩分となったが,湾口の塩分ほど高い値ではなかった.1月は湾北部 および中央部が高塩分となっていた.第二湾口の水塊は湾口から南東向きに流入 した後,南下したものと推察される.また,湾北西部と湾中央部の流向を見ると,
湾中央部から北西部にかけて時計回りの循環流が形成されていた可能性がある.
3月は湾内底層全体が高塩分となっており水平方向の塩分差はほとんど存在して いなかった.また,1月と同様の循環流が生じていた可能性がある.4月は湾北 西部および湾南西部に高塩分水が分布していた.第二湾口の水塊は湾西岸沿いに 南下した後,湾中央部南寄りにおいて北東向きに流れていたと推察される.
3-3-5.冬季から春季への海洋構造の変化とその要因
2011年12月19日(冬季)と2012年4月12日(春季)の大村湾湾口から湾 奥までの鉛直断面における水温,塩分,密度(σt)の分布を図3-8に示した(観 測線は図2-1を参照のこと).まず,冬季について見ると,水温の分布は湾口 部で高水温,湾奥部で低水温となっていた.これは湾奥部の水深が湾口部に比べ て浅く,水柱の体積が小さいために海面冷却の効果を強く受けたためと考えられ
部表層で低密度となっていた.ここで,図3-9上段に示した2011年12月1日 から2012年4月30日までの長崎空港における日降水量の時間変化を見ると,
12月から1月まで少なかった降水量が2月以降増加していたことが分かる.こ の降水量の増加に伴い河川流量が増大し,湾奥部から流入することで表層が低塩 分化し,それに対応して湾口部と湾奥部に密度勾配が形成されたため,湾口部水 が湾中央部底層へ進入したと考えられる.ここで,図3-9下段に示した長崎地 方気象台における月降水量の平年値(1981~2010年の平均値)を見ると,12月 が61mm,1月が64mmであるのに対して,3月が132mm,4月が151mmで あり,冬季の降水量に比べて春季の降水量は2倍以上であることが分かる.この ことから2012年に見られた春季の降水量の増加およびそれに伴う表層の低塩分 化や湾口部と湾奥部の密度勾配の形成,さらには湾口部水の湾内底層への進入は この年に限ったものでは無く,冬季から春季の季節遷移期の大村湾において例年 見られる現象であると推察される.
3-4.考察
本研究の結果から,2012年の大村湾における底層冷水塊の形成過程が明らか になった.すなわち,2月下旬ごろから海面が加熱され始め,それに伴い大村湾 中央部の水温は上昇し始めたが,この時期には水温成層はまだ形成されていなか った.この時期の湾中央部底層の水塊は塩分の変動が大きかったが,これは湾北 部において1~3月に見られた時計回りの循環流により,塩分が湾口部から湾内 底層へ供給されていたことによるものと考えられる.4月14日以降,湾中央部底 層の塩分はほとんど変動せずに安定していた.その直前の4月12日には,高塩 分・高密度の湾口部水が湾内底層へ進入しており,これ以降,この水塊が底層に 留まっていたと考えられる.同時期に海面加熱の本格化に伴い水温成層が形成さ れたことにより水柱の安定度が増したことも底層冷水塊の形成に寄与したと考 えられる.また,この水塊は夏まで維持されており,夏季に貧酸素水塊になった ものと推測される.