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1. はじめに

19 世紀後半から 20 世紀前半にかけて、日本語においては漢字を使用するかどうかが

「国語国字問題」の主たる論点として議論されてきた。野村(2008)や安田(2016)な どにまとめられているように、この問題は 1866 年に前島密が漢字廃止論を建議したこと に 始 ま る 。 前 島 密 は 漢 字 廃 止 を 実 践 す る た め 、1873 年 に ひ ら が な だ け で 書 か れ た 新 聞

『まいにちひらがなし んぶんし』を創刊した1。『まいにちひらがな しんぶんし』の紙面 上で第 11 号まで掲載された発行の趣旨には、以下のように新聞を発行する目的が 2 つ記 されている2

この しんぶんし を すり いだす に は そもそも ふたつの おもむき あ り 。 ( 中 略 ) く に う ち は ま う す ま で も な く 、 ひ ろ く せ か い ぢ う の に ち に ち う つ り か わ る あ り さ ま ま で か き つ づ り 、 あ ま ね く を んな こども に も みせて、 くに の ひらけ すすむ を たすくる ため。 ふ たつ に は (中略) かず おほく して まなび かたき からのもじ(漢字の こと─引用者注) は なく て も ひらがな 五十じ さへ あれ ば よろづ の こと に すこし も さしつかへ なき こと を あまねく ひとびと に しら せ、 この のち おほひ に わが くにことば の がくもん を おこ す ため

上の趣旨をまとめると、1 つは、世界中の出来事を「女・こども」にも知らせて国を発 展させること、もう 1 つは、日本語をひらがなだけで書いても少しも差し支えないこと を人々に知らせること、である。

この年には、ほかに『東京假名書新聞』『四十八字新聞誌』というひらがな新聞も相次 いで創刊され、新聞における漢字廃止が積極的に試みら れた。しかし、いずれの新聞も読 者が増えることなく、間もなく廃刊となっている。『まいにちひらがなしんぶんし』につ

1 ただし、記事は前島密自身が書いたわけではないとされている。進藤、1961、35 ページを 参照。

2 北根・鈴木監修(1997)に収録された『まいにち ひらがな しんぶんし』第 10 号より引 用、わかちがきは原文のまま。

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いては約 1 年間、300 号あまりで終刊した。一方、翌年 1874 年 11 月 2 日に創刊された

『読売新聞』は、総ふりがな・口語体を採用したことで多くの読者を獲得し、成功を収め ることとなった。『読売新聞』第 1 号には、「禀告」の欄に以下のように「誰にでもわ かるように書くつもり」という記述がある。

こ のし んぶん 紙は 女おんなこども童のおし へに とて 為た めになる 事柄こ と が らを 誰れだ(ママ)にで も 分わ かるやうに 書か いて だ す 旨趣つ も りでござります3

先述のようにすべての漢字に振りがなが付けられているほか、文末を「でござります」

とするなど会話のような文体で書かれていることが大きな特徴である。

『まいにちひらがなしんぶんし』について、前島密の伝記である『鴻爪痕』には 、「当 時はまだ新聞をまだ( マ マ )読む習慣も起らず、文字あるものは仮名ばかりでは読み悪いなど云う て、購読するものは幾んど無かつた。そこで無代で進呈することにしたが、何分資本が続 かず、終に明治六年の 某月廃刊した」と記さ れている4。前者の「新 聞を読む習慣」に関 しては、確かに一般に広まっているとは言いがたい状況ではあったが、日本では 1868 年 にすでに「第一期新聞 隆盛時代ともいうべき 時期」を迎えており5、この年に柳河春三が 創 刊 し た 『 中 外 新 聞 』 は 「 当 時 と し て は 驚 異 的 な 売 行 き 」 を 示 し た と い わ れ て い る6

『まいにちひらがなしんぶんし』の翌年に創刊された『読売新聞』が大きく成功している ことからも、当時まだ新聞を読む習慣がなかったことが直接的に大きく影響したとは考え にくい。一方、後者の「仮名ばかりで読みにくい」ことについては、漢字を使って成功し た『読売新聞』の例をみても、成否の要因と考えるのは自然なことともいえる。

このように、漢字を使わなかった新聞が失敗し、振りがなを活用しながら漢字を使った 新聞が成功したことは、日本語表記における漢字の機能を考える上で一つの資料となるか もしれない。しかしながら、『まいにちひらがなしんぶんし』の試みが失敗に終わったこ とは、必ずしも表記のみの問題とされているわけではない。次節で詳しく述べるように、

先行研究においては、語彙・文体はほかの新聞と同様に難解でありながら、それをただ単

3 読 売 新 聞 社 デ ー タ ベ ー ス 「 ヨ ミ ダ ス 歴 史 館 」 収 録 の 紙 面 よ り 引 用 し た 。 な お 、 引 用 の 際 、 旧字は新字に、変体仮名は現行の仮名に改めた。振りがなは原文どおりに付した。以下、新 聞記事の引用についてはすべて同じ。また、句読点や濁点・半濁点も適宜補うこととする。

4 前島著・市島編、1955、328-329ページ。

5 秋山、2002、144-145ページ。

6 秋山、2002、143ページ。

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にひらがなだけで書いたために読みにくいということが失敗の大きな要因と捉えられてい る。つまり、語彙・文体の問題でもあったとされているのである。

本 章 で は 、 『 ま い に ち ひ ら が な し ん ぶ ん し 』 に つ い て 、 と く に 語 彙 を 中 心 に 『 読 売新 聞』と対照させながら分析することによって記事文の特徴を実証的に示し、『まいにちひ らがなしんぶんし』の記事文が実際にはどのようなものだったのか再評価を行なっていく こととする。

2. 先行研究

『まいにちひらがなしんぶんし』をはじめとする、ひらがな新聞の記事文を評価したも のとして、津金沢(1965)、土屋(2002)および土屋(2014)がある。津金沢(1965)

は、ひらがなだけで書かれた新聞について「漢語を主体とする文語文を単にひらがなに置 きかえたところで、それが民衆にとって開かれた言語となること はできない」と述べてお り、語彙・語法面の配慮に欠けていたことを指摘している7。土屋(2002)も同様に「知 識人向けの文中の漢字をひらがなにしただけ」と指摘し、「文字だけが問題なのではなく、

語彙と文体が問題の中 心にあるという認識が 教訓として残された」 と記している8。さら に土 屋(2014) でも 、 「漢 字を 廃し ても 漢語 を排 除し きれ ない とい う日 本語 の文 体の 問 題」をひらがな新聞失敗の理由の一つとしている9

以上のように、ひらがな新聞は従来の新聞から漢字をなくしただけという見解がある一 方で 、進 藤(1961) に よる 『ま いに ちひ らが なし んぶ んし 』に つい ての 調査 は、 これ に 反す る結 果と なっ てい る。 進藤 (1961)は 、 『ま いに ちひ らが なし んぶ んし 』の 用字 ・ 用語、文体などをまとめた上で、わかちがきの特徴を調査・考察した論考である。その中 で語彙について、「漢語(混種語を含む)と和語との割合を任意の一日分について調査し たところ、固有名詞、数詞を除いて、二対八」であり、「漢語の使用が少ないのは、漢語 をなるべく避けようという方針があったのではなかろうかと思われ」、「和語を多く用い ることによって表現が、やわらかいものになっている」と述べてい る10。その一方で、接 続詞については、「しかるに、ならびに、あるいは、よって、および、ただし などが多 用されて」おり、「インテリ向きの新聞」である「郵便報知新聞で多用される接続詞と同

7 津金沢、1965、94ページ。

8 土屋、2002、64ページ。

9 土屋、2014、82ページ。

10 進藤、1961、36-37ページ。

91 じ傾向を持っている」と記述している11

このように見解がわかれる要因としては、津金沢(1965)や土屋(2002)などの論で は、いくつかの新聞を「ひらがな新聞」という一つのジャンルとしてまとめて述べている ため、『まいにちひらがなしんぶんし』には当てはまらない部分もあるものと考えられる。

また 、進 藤(1961) に おい ては 任意 の一 日分 の調 査で あり 、そ の後 『ま いに ちひ らが な しんぶんし』の記事文を実証的に調査した研究は見あたらない。新聞記事という性格上、

掲載欄や掲載日によって内容は異なり、内容が文章の特徴に影響を与えることもある。ま た、新聞の講読者が増えない中で、記事文の書き方を工夫した可能性もある。

一方、明治期の『読売新聞』については、鈴木(2001)は創刊号から 282 号の「解説 記事」(布告類の記事をかみくだいて説明したもの)を調査し、内容や使用されている語、

ふり がな など につ いて 用例 を挙 げな がら 考察 して いる 。鈴 木(2006)で は、 創刊 号で あ

る明治 7(1874)年 11 月 2 日の紙面および明治 8(1875)年~明治 10(1877)年、明

治 20(1887)年の各年 11 月 2 日の紙面を対象とし、ふりがなの性質について二字の漢

字 表 記 を 中 心 に 論 じ て い る 。 ま た 、 北 澤 ・ 宮 澤 (2004) は 創 刊 号 か ら 第 282 号 の 「 新 聞 」 欄 を 対 象 に 、 断 定 の 助 動 詞 の 使 用 状 況 に つ い て 論 じ て い る 。 こ の よ う に 創 刊 当 初の

『読売新聞』の言語的特徴を論じたものはいくつか見られるが、同時期に同じく「誰でも 読める」ことをめざした『まいにちひらがなしんぶんし』と対照させることで、『読売新 聞』の特徴もより明確になると考える。

そこで本章においては、『まいにちひらがなしんぶんし』の創刊年の紙面とその翌年の 紙面、および『読売新聞』の創刊年の紙面をいくつか選定して調査を行ない、記事文の特 徴について計量的に明らかにしたい。

3. 調査について 3.1 調査項目

まず、先行研究で争点となっていた「語種比率」があげられる。

次に、「品詞比率」を調査する。土屋(1999)は、1880 年代の新聞の語彙について、

知識人向けの新聞である大新聞 2 紙(『東京日日新聞』『郵便報知新聞』)と大衆向け の 新 聞 で あ る 小 新 聞 4 紙 ( 『 い ろ は 新 聞 』 『 東 京 絵 入 新 聞 』 『 読 売 新 聞 』 『 朝 日 新 聞』)を対照させた分析を行なっているが、その結果、「全体的に見て、大新聞では体言

11 進藤、1961、37ページ。