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日韓歴史教科書問題をめぐるメディア言説の編制

1.問題の所在

本章は、1982年に生じた日韓間の歴史教科書問題(以下、歴史教科書問題)を事例に、外交 政策とメディア、世論の相互作用を分析することを通じて、過去を「反省」するという観点 から日韓関係が語られ、表象されるようになっていく過程を示す。

歴史教科書問題は当初「教育の中立性」の観点から国内問題として報道されていたが、

1982年に争点化した際には、日韓間の歴史認識問題という外交問題として報道されるよう になった。こうした報道の変化に関して相互作用モデルの観点からは、報道の変化を促すよ うな価値観が1982年当時すでに構築されており、その価値観が歴史教科書問題と連関する ことによって歴史教科書問題は外交問題として意味付けられるようになったと考えられる。

本章では、「過去を反省する」という視点の構築、すなわち争点文化の構築を示す。そして、

その視点を反映したメディア・フレームが、歴史教科書問題を「教育の中立性」として提示 するフレームと競合し、支配的になる過程を分析する。本章を通じて、日本社会で広く共有 された価値観をもとに、政治エリートとは異なる見解からメディアが報道していたこと、そ してそうした報道を通じて世論が「過去を反省する」という視点からの歴史認識を共有して いたことを示す。

歴史教科書問題は、今日の日韓間の歴史認識問題を方向付けた重要な出来事である。第3 章で述べたように、日本の歴史認識は日韓国交正常化交渉時から韓国によって問題視され てきた。例えば、1953年、日本側の久保田貫一郎首席代表の韓国の植民地化を正当化する 発言が韓国から問題視され、それにより国交正常化交渉は一時中断された。最終的に日本政 府は政府見解ではないとしてその発言を否定したが、日本の新聞は当初、韓国側の批判を

「感情論」と見なし、発言内容そのものを「問題」と意味付けることはなかった(『朝日』

1953年10月22日、『読売』1953年10月22日参照)。こうした状況が変化し、日本の歴 史認識が「問題」として認識され外交問題化したのが歴史教科書問題である。これを契機に、

日本のメディアと社会で、「教育の中立性」という観点から議論されていた歴史教科書問題 が、戦時の東アジアでの日本の行為を反省するという見解からも議論されるようになった。

換言すると、歴史教科書問題をめぐる言説に「被害者」としての視点のみならず、「加害者」

「東アジア」といった多様な視点が組み込まれたと言える。

本章では、1982年に生じた日韓間の歴史教科書問題に関する『読売』『朝日』『毎日』『産 経』の報道の分析を行う。この四紙において、歴史教科書問題の意味付けの変化を追うこと

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を通じて、歴史教科書問題を歴史認識問題として意味付けるフレームが支配的となる過程 を検証する。

2.分析枠組み

(1)歴史教科書問題についての先行研究

歴史教科書問題は1982年に初めて外交問題として争点化されたが、教育のあり方をめぐ る国内問題としては1950年代から議論されていた。当時、マルクス・レーニン主義を児童 に植え付けようとしているとして教科書の「偏向」が保守派から指摘されるなど、「教育の 中立性」が議論されていた(波多野 2011: 131)。1965年に家永三郎東京教育大学教授が起こ した教科書訴訟(家永教科書裁判)はこうした論争を象徴する出来事であった。そこでは、教 科書検定は教育への政治的介入であり憲法違反だとする見解と、既存の教科書の「偏向」を 修正するために必要であるとする見解が対立し、互いの主張の正当性が訴えられた。当時の 文部省がマス・メディアに見解を伝えるなど、この議論はマス・メディアを巻き込んで日本 社会で論争されていた(家永 1998: 187; 村尾 1969: 218; 波多野 2011: 133-134)。このよ うに、マス・メディアは歴史教科書問題の展開に深く関与していたのである。

1982年の歴史教科書問題に関する先行研究においても、マス・メディアの重要性は指摘 されている。そこでは、歴史教科書問題が外交的な争点へと発展した背景には1982年6月 26日の新聞各紙の報道があったと指摘し、歴史教科書問題の外交問題化にマス・メディア が大きな役割を果たしたと論じられている(服部 2010: 258-259; 波多野 2011: 136-137)。

しかしそこでは、国内問題としての歴史教科書問題がいかなる過程を経て外交問題として 報道されていったのか、また、マス・メディアのどのような報道が外交問題化に影響を及ぼ したのかという点が検証されているとは言いがたい。つまり、当初、国内問題であった歴史 教科書問題がいかなる過程を経て、日本の歴史認識を問う問題としてマス・メディアにおい て意味付けられたのか、またそうした意味付けが日本のメディアにおいてどのような過程 を経て支配的となったのかという点が十分に検証されてきたとは言いがたい。この問いに 答えるためには、歴史教科書問題が東アジア諸国で行った日本の行為を反省的に捉える価 値観や信念とどのような過程を経て連関し、それが支配的になったのかという点を考察す る必要がある。本章は歴史教科書問題をそのように意味付ける価値観や信念を明示し、その 意味付けが支配的になる過程をフレームの競合の観点から分析する。

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(2)歴史教科書問題におけるメディア・フレーム

第一部で示したように、社会で共有されているフレームはある争点と連関することによ って、その争点をめぐる言説が編制される。メディア・フレームは、争点に対して一つだけ 存在するのではない。社会で複数存在するフレームが争点の意味付けをめぐって競合して いる。フレーム競合を通じて特定のメディア・フレームが支配的になる場合、他のメディア・

フレームは社会の中で潜在化していく。本章で取り上げる歴史教科書問題をめぐっては以 下で見るように、国内問題と意味付けるフレームと外交問題と意味付けるフレームとの競 合が短期間で生じている。このフレーム競合の過程でメディア・フレームの優位性が後者へ と変わった背景には、第一に社会で共有されている価値観が、そして第二に特定の国際環境 から意味付ける争点文化があったと考えられる。こうした相互作用モデルの観点から歴史 教科書問題を捉えると、以下のような分析視座になる。

まず、歴史教科書問題と連関したメディア・フレームは以下の三つが挙げられる(表 2)。

第一に、「反省」フレームである。「反省」フレームが歴史教科書問題と連関すると、アジア の国々に侵略したという点に焦点を当てた言説が編制される。そこでは、日本は諸外国の批 判の声に傾け、侵略戦争であるという点を教科書に書くべきだとする論調が提示される。こ のフレームにおいては、歴史教科書問題とは日韓間の「外交問題」として捉えられることに なる。それは、東アジアの中に日本を位置付け、過去の戦争における韓国に対する日本軍の 行為を「反省」「謝罪」するという観点から、外交上の問題として歴史教科書問題を捉える ことを意味する。このフレームで選択される言葉は、「アジア諸国」やそうした国々との「信 頼関係」、また「加害」「侵略」といったものが挙げられる。このフレームは『読売』『朝日』

『毎日』の報道から析出可能であった。

第二は、「正当化」フレームである。「正当化」フレームが、歴史教科書問題と連関すると、

以下のような言説が編制される。それは、日本は列強の植民地支配からアジアを解放するた めに戦ったのであり、そうした点は教科書に記述すべきであるというものである。この「正 当化」フレームを通じて、アジア諸国を「解放」したというものや、日本の意図を「誤解」

しているということ、また侵略戦争であったとして反省を促すような記述を「自虐」である と批判し、日本は「誇り」を抱くべきであるといった言説が編制される。このフレームは第 3章で事例として取り上げた日韓国交正常化交渉の報道とは異なり、本章の分析で取り上 げている四紙からは析出されなかった。当時、「正当化」フレームが適用された言説は『正 論』『諸君!』などの一部論壇誌で見られた。しかし、それもすべての記事に反映されてい

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表 2 歴史教科書問題をめぐるメディア・フレーム

フレーム フレームの内容 立場 キーワード メディア

反省

日本は、アジアの国々に侵略した のであり、そうした侵略は反省す べきである。侵略戦争であること は教科書に書くべきである。

日本は、諸外国の批判の声 に耳を傾け、反省すべきで ある。

「 ア ジ ア 諸 国 と の信頼」「侵略」

「加害」など

『 読売』『朝 日』『毎日』

正当化

日本は列強の植民地支配からアジ アを解放するために闘った。当時 の人たちはそう信じて闘ったのだ から、それに即して記述すべきで ある。

いつまでも罪の意識を持ち 続けることは問題である。

当時の出来事を現代の価値 観から判断することは誤っ ているのではないか。

「誤解」「解放」

「自虐」「誇り」な

『 正論』『諸 君!』など一 部論壇誌

国内問題

歴史教科書の中立性は担保される べきである。そのため、教科書の内 容は日本が決めるべきである。

日本の教科書問題は、国内 の問題であり、諸外国が口 を出すものではない。

「教育の中立性」

「過敏」「外圧」な

『 読売』『朝 日』『毎日』

『産経』

出典:筆者作成

たわけではなく、それぞれの雑誌の一部の記事において見られた(上丸 2011: 339, 360)。こ うした点から判断すると、「正当化」フレームから編制された歴史教科書問題の言説は当時 の日本社会において広く受け入れられていたとは言えない。

第三は、先述したように歴史教科書問題は、家永裁判などを通じて日本社会で長く注目さ れてきた争点でもある。そのため、歴史教科書問題のフレームは、1982年以前にすでに存 在していた。それを本論では「国内問題」フレームと名付ける。「国内問題」フレームでは、

歴史教科書問題とは、教科書の中立性を問う問題であり、左右いずれにせよ偏向すべきでは ないとする言説が編制される。そのため、このフレームを通じては「教育の中立性」といっ た言葉や、諸外国の反応を「過敏」とするもの、そして一部の人々がこうした諸外国の「外 圧」を通じて歴史教科書の中立性を失わせようとしている、といった言葉が選択される83。 このフレームは、『読売』『朝日』『毎日』『産経』の新聞から析出された。

83 「反省」フレームと「正当化」フレームという対立軸とは異なる、別のフレームとして存在して いた「国内問題」フレームだったが、この日韓間の歴史教科書問題が収束して以降、「正当化」フレ ームと結び付きが生じてくる(脚注88参考、p.91)。そうした結び付きは、特に90年代後半以降に 表面化していく。結び付きが生じてから編制された言説としては、以下のようなものが例として挙 げられる。

「そもそも、検定に提出される白表紙本は不公表のはずである。それが、中国、韓国に流出し て批判の対象となっていること自体が、おかしな現象である。これは、外国に迎合して“ご注 進”することにより、外圧を利用する形で日本国内の世論を操作しようとする一部マスコミが常 用する手法の結果だろう。……歴史を捏造してまで、日本を比類のない悪の権化に貶(おとし)

めようなどというのは、「自虐史観」の極みである。中韓両国は、こうした特定マスコミの報道に 便乗して対日外交カードとするようなことがあってはなるまい。」(『読売』2001年3月2日)