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日本版「階級帰属意識」

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神  林  博  史

1.  問題の所在

2.2.2  日本版「階級帰属意識」

 [Middle, Lower, Working, Upper, Don’t know]

(Centers 1949 : 232)

 以上のように,1940年代以前のアメリカにおける階級帰属意識測定の試みは,いずれも マルクス主義的階級論に依拠するものではない。マルクス主義の影響が強かった当時の日本 の研究者にとっては,この点は不満であったろう。また素朴に考えても,1940年代のアメ リカ社会を想定した質問を,そのまま1950年代の日本で使用するのは無理がある。そこで,

アメリカ流の階級帰属意識を,日本社会に適合するように修正する必要が生じる。その結果 生まれたのが,階級帰属意識と階層帰属意識である。

応した結果らしい6

 階級の名称を日本語に翻訳する場合,middle class をどう扱うかは重要な問題である。中 間階級,中産階級,中流階級,中間層などの訳が考えられ,それぞれの語が喚起するイメー ジやニュアンスは異なる(尾高[1961]1995)。本稿では「中産階級」が最終的に選択され た経緯については立ち入らないが,同様の問題は階層帰属意識でも重要となる。

2.2.3 「階層帰属意識」とその意味

 階層帰属意識について検討する前に,六大都市調査における社会階層(社会成層)の定義 について確認しておこう。「社会的成層(social stratification)とは,その成員の社会的地位 の差異にもとづく一全体社会の段階的構造を指し,そしてこの場合,各成員の社会的地位は,

本人ならびにその近親者の職業,学歴,収入,財産,生活程度等によって規定されるものと 考える」(尾高・西平1953 : 3)。当然のことながら,この社会階層観が階層帰属意識の設計 に影響している。階層帰属意識の質問文は,以下の通りである。

・六大都市調査

 仮に現在の日本の社会を,上流,中流,下流の三つの層に分けるとすれば,あなたはその どれにはいると思いますか。

 [上流,中流 ,下流]

:「中流」と答えた場合は,以下のどれにあたるかを質問する[中の上,中の中,中の下]

(尾高・西平1953 : 49)

・1955年SSM調査

 それでは,仮に現在の日本の社会全体を,やはりこの五つの層にわけるとすれば,あなた ご自身は,そのどれにはいると思いますか。

 [上(上流階層),中の上(中流階層の上のほう),中の下(中流階層の下のほう)

 下の上(下流階層の上のほう),下の下(下流階層の下のほう)]

: 選択肢の( )内の語は,質問の際に対象者に示す回答票(調査票リスト)にのみ記載されている。

(日本社会学会調査委員会1958 : 386)

 六大都市調査の選択肢はアメリカの世論調査に,1955年SSM 調査の選択肢はウォーナー

6 六大都市調査の階級帰属意識の単純集計表における階級カテゴリーは,調査票に準じた「資本・労働・

その他」ではなく,「資本家・中間・労働者」になっている(尾高・西平1953 : 20)。

の階級分類に,それぞれ準じたものになっている。注目すべきは,どちらの調査でも,選択 肢に「流」がついている点である。

 階層帰属意識がそうであったように,階層帰属意識でも選択肢のupper, middle, lower をど う訳すが重要な問題となる。階層の場合,階級のmiddle classほど翻訳の幅はなく,単に「上・

中・下」とするか「上流・中流・下流」とするかの二択になるだろうが,当時の研究者たち は後者を選んだ。

 では,「流」をつけることとつけないことの違いは何だろうか。安田三郎によれば,六大 都市調査当時のSSM研究会は,階層帰属意識(の「流」をつけた選択肢)を「プレスティー ジュの差を伴った生活様式の差を表すと考えていた」(安田[1967]2008 : 242)らしい。

 尾高邦雄も,同様の記述を残している。「わたくしがこれまでに参加した調査から得た経 験によると,(中略)『中流階級』とか『中流階層』とかいうことばをきいたときには,主と して人びとが占めている社会的な地位の高さ,人びとに与えられている社会的な尊敬の度合,

プレスティージ(威信)の大きさなどと結びつけて判断する傾向がある」(尾高[1961]

1995 : 207)。

 安田および尾高の発言はいずれも調査後の回顧なので注意が必要だが,基本的な見解は共 通している。すなわち,威信のニュアンスが強い序列構造のイメージを喚起することが,選 択肢に「流」をつけた意図だったと思われる。六大都市調査および1955年SSM調査では,

社会的地位の「格付け」(職業威信スコアや社会経済指標の作成)による階層構造の把握が 重要課題となっていたことも,このことと関係していると考えられる。

 一方,「流」を外した場合はどうか。安田は以下のような興味深い指摘を行っている。彼 自身の面接経験によれば,階層帰属意識の選択肢を単に上・中・下とすると「生活程度を意 味することになってしまって,プレスティージュのニュアンスはきわめて薄くなっている」

(安田[1967]2008 : 242.)。安田は「生活程度」の意味を明確に述べていないが,収入や財 産所有などの経済的要因と強く結びついたものを想定していると推測される。もちろん,こ れらはあくまでも「回答者の反応に対する調査者側の印象」であって,実際に回答者がこう した言葉の違いをどのようにとらえていたのか,今となってはわからないのだが。

 ところで,六大都市調査では中流を3分割する形式だった選択肢が,1955年SSM調査で は中流と下流をそれぞれ2分割する形式に変更されている。これは六大都市調査における階 層帰属意識の分布の偏りが大きかったことが,その原因ではないかと考えられる7

7 六大都市調査については「サンプルの社会的地位を決定する基本的方法である職業の格付けや,そ の所属階層に関する自己判定の方法が,かならずしも完全なものとはいえなかった」(日本社会学会 調査委員会1958 : 3)との反省があった。ただし,具体的にどのような点が不十分であったのかは詳 しく述べられていない。

 6大都市調査の階層帰属意識の分布は,「上流」と「中流の上」の合計比率が4.5%,「中 流 の 中 」 が25.3%,「 中 流 の 下 」 が28.9%,「 下 流 」 が41.3%で あ っ た( 尾 高・ 西 平 1953 : 21)。この結果は,先に触れたアメリカにおける同タイプの調査結果と比較して,大 きく下方に偏ったものになっている。下流は回答者の約4割を占めるが,これだけの人びと が下流と回答するのであれば,この層をさらに細分してその特徴を詳しく調べたくなるのが 人情である。他方,中流の3カテゴリーを見ると,中流の上と回答する人は少なく,この層 は実質的に中流の中と中流の下に2分されていることがわかる。

 こうした結果を踏まえると,ほとんど回答者のいない上流はともかくとして,中流と下流 はそれぞれ2つの下位カテゴリーを設定すれば,もっとバランスの取れた分布を得られるの ではないか,と考えるのが自然であろう。1955年SSM 調査の階層帰属意識がウォーナー流 の選択肢に変更されたのは,こうした事情が背景にあったのかもしれない8

 ところで,すでに触れたようにウォーナーの階級概念は地域コミュニティを想定しており,

全国レベルの社会を想定したものではない。しかし,六大都市調査およびSSM調査におけ る社会階層は「一全体社会の段階的構造」を想定していた。このため,測定しようとする対 象の範囲に齟齬が生じてしまう。1955年SSM調査では,「日本の社会全体」の階層帰属の 直前に,回答者が住む地域(行政市町村)の階層帰属を質問しているが,それはこの点を考 慮した結果だろう。

 以上のように検討してみると,ウォーナーの階級概念を階層帰属意識の質問文へと転用す るのは,良く言えば創造的な読み替え,悪く言えば怪しげな論理の飛躍を伴う強引な借用,

ということになるだろうか。

 なお,1955年SSM調査における階層帰属意識の選択肢は,調査員が記入する調査票では 単に「上・中の上・中の下・下の上・下の下」となっており,調査対象者が回答する際に提 示される「調査票リスト」(回答票)には「流」がつけられていた。この方式は,尾高([1967]

2008)によると1965年SSM調査でも踏襲されたようだが,実際のところはよくわからな

9。1975年調査以降は,調査票,回答票とも「流」が外れることになるが,このことは佐 藤(2009)が指摘するように1970年代以降の(そして1950年代と60年代の)階層帰属意

8 SSM調査の階層帰属意識項目については,平松貞実が以下のように回想している。「私は尾高邦雄か ら大学の講義で『SSM調査』の質問・回答の出来るいきさつを聞いた。『上の上』『上の下』『中の上』

『中の下』『下の上』『下の下』の六段階でプリテストを行ったところ,『上の下』と『中の上』とは あまり差が見られなかった。『上』と回答する人が少ないということもあり,『上の上』と『上の下』

は『上』一つに統合して五段階とした,という」(平松 1998 : 196)。

9 現行の1965年調査コードブック(SSMトレンド分析研究会 1994)には当時の回答票が掲載されて いないため,尾高の発言の真偽は不明である。1965SSM調査データの再コーディング作業に関わっ た佐藤俊樹も,1965年調査で「流」が用いられていたかどうは確認できていないとしている(佐藤 2009)。

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