第 4 章 「市民性教育」と「子どものための哲学」 51
4.2.2 日本における「市民性教育」の現状とその課題
以上においては、現代社会の変容とそれに対応しようとする新しい市民性教育の動向を概観したが、
それらが日本の現状に即したものであるのかを検討しておく必要がある。なるほど一方において、日本 における市民性教育は4.1節において見たような従来の市民性教育の限界を抱えており、その意味では、
新しい状況に対応できていないと見ることもできる。しかし他方において、以下において見るように、
日本における市民性教育は、上述の新しい市民性教育を先取りするような点も含んでいる。したがって、
新しい市民性教育を導入するにしても、どのような観点を受容するべきなのかということを検討してお く必要がある。
日本においては、「公民的資質の基礎を養う」という目標を掲げた社会科が市民性教育の中心を担って きた。そこにおいては、社会認識の形成を通して、主体的な判断力を育成することが目ざされていた。
その意味では、社会科は、決して、知識偏重ではなく、知識、技能、気質の総体の育成に関わろうとし てきたということができる。
まず、「教育基本法」はその第一条において、「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及 び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならな い」と規定し、教育の目的を「公民的資質の育成」にあるとしている。そして、それを教科の目標とし て掲げているのが、社会科・公民科である34。その意味では、学校教育の中で「市民性教育」を主題的に 担っている教科であるということができる。また、道徳の時間も「学校の教育活動全体を通じて、道徳 的な心情、判断力、実践意欲と態度などの道徳性を養う」とされ35、「公民的資質」の育成と深く関わっ ている。さらに、日本の学校教育に特徴的である特別活動においても、集団活動を通して、集団との関 わり方、自己のあり方を育成することが目標であるとされる36。
そして、今回の「学習指導要領」の改訂は、「知識基盤社会化やグローバル化」という社会変動を考慮 に入れ、PISA調査などによる学力調査の結果をふまえたものであることがうたわれている。そして、
教育の課題として、1)思考力・判断力・表現力の課題、2)読解力の課題、3)自己の課題をあげて いる37。これらの課題は、新しい市民性教育が目指すものでもあり、その意味では、その意図を意識し たものとなっている。そもそも、従来からの「総合的な学習の時間」はこれらの課題に対応しようとす るものであった38。
34「小学校指導要領」によれば「社会」の目標は、「社会生活についての理解を図り、我が国の国土と歴史に対する理解と愛 情を育て、国際社会に生きる平和で民主的な国家・社会の形成者として必要な公民的資質の基礎を養う」ことである。「中学校 指導要領」によれば「社会」の目標は、「広い視野に立って、社会に対する関心を高め、諸資料に基づいて多面的・多角的に考 察し、我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を深め、公民としての基礎的教養を培い、国際社会に生きる平和で民主的な国 家・社会の形成者として必要な公民的資質の基礎を養う」ことである。「高等学校指導要領」によれば、「公民」の目標は「広 い視野に立って、現代の社会について主体的に考察させ、理解を深めさせるとともに、人間としての在り方生き方についての 自覚を育て、平和で民主的な国家・社会の有為な形成者として必要な公民としての資質を養う」ことである。
35「指導要領」によれば「道徳」の目標は、小学校においても中学校においても「学校の教育活動全体を通じて、道徳的な 心情、判断力、実践意欲と態度などの道徳性を養うこと」である。
36「指導要領」によれば「特別活動」の「目標」は「望ましい集団活動を通して,心身の調和のとれた発達と個性の伸長を図 り,集団の一員としてよりよい生活や人間関係を築こうとする自主的,実践的な態度を 育てるとともに,自己の生き方について の考えを深め,自己を生かす能力を養う」ことである。
37「21世紀は、新しい知識・情報・技術が政治・経済・文化をはじめ社会のあらゆる領域での活動の 基盤として飛躍的に 重要性を増す、いわゆる「知識基盤社会」の時代であると言われている。この ような知識基盤社会化やグローバル化は、アイ ディアなど知識そのものや人材をめぐる国際競争を 加速させる一方で、異なる文化や文明との共存や国際協力の必要性を増大 させている。このような 状況において、確かな学力、豊かな心、健やかな体の調和を重視する「生きる力」をはぐくむことが ますます重要になっている。 他方、OECD(経済協力開発機構)のPISA調査など各種の調査からは、我が国の児童生徒につ いては、例えば、
1思考力・判断力・表現力等を問う読解力や記述式問題、知識・技能を活用する問題に課題、
2読解力で成績分布の分散が拡大しており、その背景には家庭での学習時間などの学習意欲、学習習慣・生活習慣に課題、
3自分への自信の欠如や自らの将来への不安、体力の低下といった課題、
が見られるところである」(文部科学省『中学校学習指導要領解説社会編』2008、第一章総説)。
38「横断的・総合的な学習や探究的な学習を通して、自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく
4.2. 「市民性教育」における試行錯誤とその課題 59 このように、「学習指導要領」を見る限り、形式的には新しい市民性教育の意図にも対応しようと意識 していることがうかがえるが、その実質的な内容はどうか。社会科・公民科の目標は、各段階において、
文言の差異は見られるものの、三つの部分からなる同様な構造を共有している。
校種
小学校 社会生活についての理解を図 り、
我が国の国土と歴史に対する 理解と愛情を育て、
国際社会に生きる平和で民主 的な国家・社会の形成者とし て必要な公民的資質の基礎を 養う。
中学校 広い視野に立って、社会に対 する関心を高め、諸資料に基 づいて多面的・多角的に考察 し、
我が国の国土と歴史に対する 理解と愛情を深め、
公民としての基礎的教養を培 い、国際社会に生きる平和で 民主的な国家・社会の形成者 として必要な公民的資質の基 礎を養う。
高校 広い視野に立って、 現代の社会について主体的に 考察させ、理解を深めさせる とともに、人間としての在り 方生き方についての自覚を育 て、
平和で民主的な国家・社会の 有為な形成者として必要な公 民としての資質を養う。
すなわち、社会に対する客観的な認識を形成するとともに、社会への主体的な関わりを形成すること によって、社会へと参加できる公民的資質を形成することが社会科に共通する目標とされている。ここ には、社会参加においては社会に関する客観的な認識に依拠すべきであるという着想と、自らの国家の 歴史や現状の理解に基づく国家への「愛情」の育成が社会への参加の動機となるという着想とを読み取 ることができる 。
同様の着想は、社会科・公民科の内容からも読み取ることができる。まず、『小学校指導用要領解説』
によれば、「公民的資質は、平和で民主的な国家・社会の形成者としての自覚をもち、自他の人格を互い に尊重し合うこと、社会的義務や責任を果たそうとすること、社会生活の様々な場面で多面的に考えた り、公正に判断したりすることなどの態度や能力であると考えられる。こうした公民的資質は、日本人 としての自覚をもって国際社会で主体的に生きるとともに、持続可能な社会の実現を目指すなど、より よい社会の形成に参画する資質や能力の基礎をも含むものであると考えられる」。ここでは、「公民的資 質」の内容が「平和で民主的な国家・社会の形成者としての自覚」、「自他の人格を互いに尊重し合うこ と」、「社会的義務や責任を果たそうとすること」、「社会生活の様々な場面で多面的に考えたり、公正に 判断したりすること」に分析されるとともに、それが単なる「理解」にとどまるのではなく「能力」や
「態度」になるべきことを説いている。このことに照応して、小学校においては、発達段階に応じて、身 近な地域社会から出発して、国の産業や経済(国際的な関係や協力も含む)、「政治の働き」と「政治の 考え方」(民主主義、憲法、政治制度)について学ぶこととなっている39。
問題を解決する資質や能力を育成するとともに、学び方やものの考え方を身につけ、問題の解決や探究活動に主体的、創造的、
協働的に取り組む態度を育て、自己の生き方を考えることができるようにする」(文部科学省『小学校学習指導要領』2008、第 五章 総合的な学習の時間 第一目標)。
39「小学校学習指導要領」は第6学年の目標の一つを「日常生活における政治の働きと我が国の政治の考え方及び我が国と 関係 の深い国の生活や国際社会における我が国の役割を理解できるようにし、 平和を願う日本人として世界の国々の人々と 共に生きていくことが大切で あることを自覚できるようにする」と規定している。また、その内容について「我が国の政治の 働きについて,次のことを調査したり資料を活用したり して調べ,国民主権と関連付けて政治は国民生活の安定と向上を図る ため に大切な働きをしていること,現在の我が国の民主政治は日本国憲法の基 本的な考え方に基づいていることを考えるよう にする。ア 国民生活には地方公共団体や国の政治の働きが反映していること。 イ 日本国憲法は,国家の理想,天皇の地位,国 民としての権利及び義務など国家や国民生活の基本を定めていること」と述べている。