1.はじめに
本章では 、「ダ/φ 」1) 、「 カモシレ ナイ」、「 ニチガイ ナイ」、 「ヨウダ 」、「ラ シ イ」、「ダロウ」の違いについて分析する。たとえば、例文(1)の各表現は「明日は雨が 降 る」という事態の成立可能性 について、その真偽に関する 話し手のさまざまな判断を述 べ たものである。
(1)a. 明日は雨が降るφ。
b. 明日は雨が降るカモシレナイ。
c. 明日は雨が降るニチガイナイ。
d. 明日は雨が降るヨウダ。
e. 明日は雨が降るラシイ。
f. 明日は雨が降るダロウ。
例文(1a)は「明日は 雨が降る」と いう事態の成 立が確実で、 他の事態の成 立する可能性 の ないことを表し、例文(1b)〜(1f)は「明日は雨が降る」という事態の成立が確実ではなく 、 他の事態の成立する可能性も 残っていることを表している 。前者のように当該の命題と 矛 盾対立する命題の成立可能性 が否定されているものを「確 言」と呼び、後者のように当 該 の命題と矛盾対立する命題の成立可能性が否定されていないものを「概言」と呼ぶ。2) 例文(2)のような矛盾対立する命題の成立を許す文脈において、「確言」を表す表現は 使 えないが、「慨言」を表す表現は使える。
1) 「ダ」と 「φ」は交 替形の関 係にある。 名詞(雨-ダ)や形容 動詞型活 用の語(静 か-ダ)に は
「ダ」がつき 、動詞型活用 の語(降る-φ )や形容詞型 活用の語(う れしい-φ)に は「φ」が つ く。
2) 益岡(1991) はこれらの 表現を既 定真偽判断 (Palmer(1986)の epistemic modality)を表 す ものとして位置付け、「 根本的には、対象とな る事柄が真であることを 無条件に認める「断定 」 と、真であること を限定を加えた上 で認める「断定 保留」とに二分さ れる」(益岡1991:110) と説明している。
(2)a. *明日は雨が降るφ。しかし、晴れるかもしれない。
b. 明日は雨が降る{カモシレナイ/ニチガイナイ/ヨウダ/ラシイ/ダロウ}。しかし、
晴れるかもしれない。
本研究では、「ニチガイナ イ」、「ヨウダ」、「ラシイ 」が第一義的に「推量判断」 を 表すのに対 し、「ダ/φ 」と「カモ シレナイ 」は第一義 的に「認識 」を表すこ とを主張 す る。後者は、推論の帰結を述べる文脈に使われたとき派生的に推量の意味を帯びる。一方、
「ダロウ」は証拠不足のため 当該の認識や推量判断が確証 できないことを表す。以下、 こ れらの表現が次の意味を表すことを指摘する。
「ダ/φ」 :当該の事態の成立が確実であると認識したことを表す
「カモシレナイ」:当該 の事態の成立が不確実で、他 の事態の成立する可能性もあ る と認識したことを表す
「ニチガイナイ」:話し 手の確信により、当該の事態 の成立が確実であると推量し た ことを表す
「ヨウダ」 :二つ の事態に共通の属性があるこ とを根拠に、当該の事態が成 立 すると推量したことを表す
「ラシイ」 :他者 からの情報や外界の現象を根 拠に、当該の事態が成立する と 推量したことを表す
「ダロウ」 :証拠不足のため当該の認識や推量判断が確証できないことを表す
2.認識と推量判断
2 . 1 話し手の判断と文の類型
話し手 の判断と 文の類型 に関して 論じた先 行研究に 田野村(1990)がある 。田野村 は 次の二つの例文を比較して、 文には推量判断の関わるもの と、推量判断の関わらないも の とがあることを指摘した。
(3)a. (君ハ知ラナイダロウガ)あの男はヤクザだ。(田野村1990の例文)
b. (アノ風体カラスルト)あの男はヤクザだ。(田野村1990の例文)
田野村は例文(3a)のような文を 「知識表明文 」と呼び、「 話者が知識と してもってい る 情報が 表明さ れてい るにす ぎない 。発話 の時点 におい て判断 が下さ れるわ けでは ない 」
(田野村1990:786)と説明 し、例文(3b)のような 文を「推量判断実 践文」と呼び、「 こ の文の話者はいままさに判断 ──この場合、推量的判断─ ─をくだした、もしくは、く だ しつつあるといえる」(田野村1990:785)と説明している。このように、同じ真偽判 断 を表す表現の中にも、客体世 界における事態の真偽を見た ままに「認識」するものと、 話 し手の頭の中で事態の真偽を「推量判断」するものとがある。
2 . 2 認識や推量判断の関わる文
文には、話し手の「真偽判 断」(「認識」あるいは「推 量判断」)の関わるものと関 わ らないもの とがある 。第1章2.4節に示し た各種の 文をこれ によって 分類する と次のよ う になる。このうち、本章と関わるのは「真偽判断のモダリティ」の関与する文である。
●「真偽判断のモダリティ」の関与する文
…眼前描写文、想起文、認識文、推量文、知識伝達文、推量伝達文、質問文 ●「真偽判断のモダリティ」の関与しない文
・「伝聞のモダリティ」の関与する文…伝聞文
・「願望のモダリティ」の関与する文…願望文、願望伝達文
・「意志のモダリティ」の関与する文…意志文、意志伝達文、申し出文、勧誘文 ・「命題態度のモダリティ」の関与しない文
…感情表出文、感情伝達文、(広義)命令文、挨拶文
はじめに、「認識」 と「推量判断」の関係 について説明する。1) 話し手がある事態の 成 立を見たままに捉えたり、記 憶のままに捉えるのが「認識 」、事態の認識が不確定でそ の 成立可能性について推論するのが「推量判断」である。これを図式化すると図3-1(第1
章2.2.1節の図1-4の再掲)のようになる。
事態 → 認識 → 推量判断 図3-1 認識と推量判断
たとえば、ある人物の性別に ついて、見たままや記憶のま まに「あれは男だ」と捉える の が「認識」である。「認識」の場合、事態の成立可能性は発話時点において確定している。
1) 宮崎(1991、1992)は、判断系のモダリティを「 事態把握(認識)」と「判断成立(判断) 」 の階層として捉えている 。しかし、認識を「φ 」(確定)と「ダロウ」 (推量)の対立とし、 判 断を「ニチガイナイ、カ モシレナイ」等(断定 )と「カ、カナ等」(疑 い)の対立としている な ど、その内容は本研究とは異なる。
一方、ある人物の性別につい て、見ただけでは分からなか ったり記憶が不確かであった 場 合に、推論の結果「あれは男だ」と捉えるのが「推量判断」である。「推量判断」の場合、
事態の成立可能性は発話時点 において確定していない。こ のように、「真偽判断のモダ リ ティ」の関与する文は「推量判断」の有無によって大きく二つに分類される。
先に挙げた「真偽判断のモ ダリティ」の関与する文のう ち、「認識」のみ関わり「推 量 判断」の関わらない文は、「 眼前描写文」、「想起文」、 「認識文」、「知識伝達文」 、
「質問文」である。「眼前描 写文」は話し手の見たままの 眼前の情景、「想起文」は話 し 手の思い出したとおりの記憶 、「認識文」は話し手の認識 したとおりの事態を描写した も の、「知識伝達文」は話し手 の既知の知識を聞き手に伝達 したもの、「質問文」は聞き 手 の持つ情報の提供を要求した文である。
(4)a. あ、雨が降ってきた。(眼前描写文)
b. そういえば、昨日は雨が降った。(想起文)
c. 寝ている間に一雨降ったな。(認識文)
d. 富士山が笠をかぶると雨が降るよ。1) (知識伝達文)
e. 富士山が笠をかぶると雨が降るんですか。(質問文)
一方、「推量判断」の関わ る文は、「推量文」と「推量 伝達文」である。「推量文」 は 事態の認識が不確定でその成 立可能性について推論を加え たもの、「推量伝達文」はそ う した推論による判断を聞き手に伝えたものである。
(5)a. 富士山が笠をかぶっているから雨が降るニチガイナイ。(推量文)
b. 富士山が笠をかぶっているから雨が降るデショウ。(推量伝達文)
ところ で、木下 (1999)は「 確言性」 (確言形 )と「蓋 然性」( ヨウダ、 ラシイ、 カ モシレナイ、ニチガイナイ、 ハズダ、ダロウ)を次のよう に定義し、「本稿は、真偽に つ いての判断には、「推論」過程があると仮定する」(木下1999:19)と説明した。
「確言性」:命題と矛盾対立する「推論」の帰結成立の可能性が否定されている 「蓋然性」:命題と矛盾対立する「推論」の帰結成立の可能性が否定されていない
木下のいう「真偽判断」は、 「推論」過程のあることから 察して、本研究の「推量判断 」
1) 富士山が笠をかぶったとき実際に雨の降る確率は60パーセント程度である。
に相当すると思われる 。1) しかし、これらの 文末形式は必ずしも「 推論」過程のある場 面 で使われるとは限らない。その証拠に、例文(6a) (6b)は一般的事実を述べた文、例文(7c)は 確認要求の文であり、話し手の「推論」は加わらない。
(6)a. 宝くじというものはまず当たらないφ。
b. 宝くじというものは当たるカモシレナイし、当たらないカモシレナイものだ。
c. ほら、言ったダロウ。宝くじなんてそうそう当たらないダロウ。
こうした表現も事態の成立可 能性について述べたものであ るため、真偽判断の中に位置 付 けて考える必要がある。
3.カモシレナイ、ニチガイナイ、ダ/φ
従来、「カモシレナイ」は 蓋然性の高いことを表し、「 ニチガイナイ」は蓋然性の低 い ことを表すとされてきた。し かし、両者には単なる蓋然性 の違いでは説明の仕切れない 違 いがある。そこで、本研究では「カモシレナイ」は話し手の認識を表し、「ニチガイナイ」
は話し手の推量判断を表すと 考える。すなわち、「カモシ レナイ」は当該の事態の成立 が 不確実で、他の事態の成立す る可能性もあると認識したこ とを表し、「ニチガイナイ」 は 当該の事態の成立が確実であ ると推量したことを表すと考 えるのである。認識の場合、 発 話時点において事態成立の確実・不確実がすでに決まっているのに対し、推量判断の場合、
発話時点ではそれがまだ決ま っていない。「カモシレナイ 」と「ニチガイナイ」はこう し た質的な違いによって区別さ れるのであり、蓋然性の高さ という量的な違いで区別され る のではない。量的な違いによ って「カモシレナイ」と対に なる表現は、当該の事態の成 立 が確実であると認識したことを表す「ダ/φ」である。
3 . 1 カモシレナイとニチガイナイの異質性
一般に先行研究では、「カ モシレナイ」は蓋然性の低い ことを表し、「ニチガイナイ 」
1) 木下は「真偽 判断のモダリテ ィ」がモダリテ ィの体系の中で どこに位置付け られるのかを説 明 しておらず、「ヨウダ、 ラシイ、カモシレナイ 、ニチガイナイ、ハズダ 、ダロウは、主に文末 に 位置し、命題が真か、真に近似するものか、などの真偽に関する態度(「真偽判断のモダリティ」)
を表わしている と言うことが できる」(木下1999:1)という大 まかな定義をす るにとどまっ て いる。したがって、明確 に「真偽判断のモダリ ティ」と「推量判断」の 関係について記述して い るわけではない。