第 1節 建 造 物
1 本蓮 寺本′選 一拙 lrl・電文
桁rJ五問(ll.I SM ) 梁行 五m (116 67'L)
‑晶
奇相造 本瓦苛 正 面に一 間 の向拝 軒は二霞疎垂 木(1) 棉 .Ji(2j 杵 は総 仰 Eで柱頭 に抑 Tt(郭をのせ る。f h腹
① の上 に7:ら鮒 き。Pq面の社IL‑は 繭 wl桟唐戸⑤ で,軽 快な軒 をもつ。 外 観は素朴 で あるが, FLl部には美 しい装 飾 が なされてい る。
室町時代 明応 元年 (1492年 ) 建 止
W].和 17年 6月 指定 耶称 31‑
33
年
に解 体掻BB。‑LIL9‑
写 8‑ ユー 2 本笹 寺本堂
(内部 )
2. 本蓮等中門 ‑横 国 ・重文 関 町 本蓮 寺
桁行2.437n 梁 間1.7 2m
軒の出
(枝美 よ り破風⑥外 面意で )0.7 7 5TTZ 軒高2 40m,秘話
3 9 81TZ
構造形式は四蜘門⑦ 本瓦打 切要道 軒は 疎垂 木で化粧木舞 を みせ ,本望 とよく似 た手法.。
柱 間は蹴粛 ) 知 日⑨ ,桟唐戸 0,]幽) 姿飾は破風 ,懸 魚
(曲付 )
昭和45年6月指
定 昭,ftj4 9‑ 5 1年解体修理 。
写8‑ 1‑ 3 本 逢 寺 中 門
3 本遵 寺番神堂 (東 .中 ・西岡 ) 国 ・軍文 関町 木蓮寺
中岡 方 」調 (1.5 日 Tl) 入母屋造 平入 こけ ら茸 前面に向拝
向拝正 面の毒腺⑪に ザク ロの彫刻 がみ られ ることか ら,鬼子母神の両堂 であ った らしい。現在 , 鬼 子母神は別の堂 に祭 られ,申両 には 三十番 神が安懲 されている。 また,建立位伍 も,創建 以来 か
わっていない ようであるc
鋼 一間社流造⑫ こけ ら諜
浜紐⑬付
阿和3 9年 の併理 の際 ,応仁二年 (1 4 6 8年 )の 重野銘 を発見載股の 彫刻が栃 の花 を図案化 した ものであることか ら, もとの祭神は天神 であった可能 性があ るO 西岡 一 間社流造 こけ らir 昭和3 9年 の修理 の際発見 された天井板 の豊田錐 か ら明応 九年 に 住持 日濃 と実兄石原 伊俊 とが願主 とな り建 立 したことがわか った。
内部 の崇敬の構造 か ら,この建物 こそが三十番神 を璃 りしていた蕃神堂 であった と考 え られ る が, もとの位置は よくわか らない。
三椀 とも室町時代 の建築 で,番神堂 と してほ全国的に古 い。
‑一・120‑
昭和3 3年5月指 定 DP(和39年修鞄
巧 8‑ 1‑ .1 番 神 童 中 両
写8‑ 1‑ 5 西 南l
写
8‑ 1‑ 6東 南
‑42l二一一
図 巷 股 (中岡 )
4 千手山大門 一棟 町 ・盃文 千手 二琵伺 木造 瓦if
江戸時代 (学保 八年 九月再建 ) 昭和3 5年1 1月折定 昭和 37年 修理。
(註 )
① 疎垂 木 あ らい開 胸 に した垂 木の配 布様式。
② 木舞』 垂 木 の̲いこ細 い横 木(木琴) を打 った僻鮎。
(餌 肘木 川 爪 o)よ う7.1・曲線 形 の肘 木。
斗 をJT]い ないで仕 上にtELl'接 お いて桁 1.il どを うけ る。
①
山腹 建物 の).⊆礎に(i・る部分 をし っ くいな どで阿 めT=もの, まん じゅ う形 。⑤ 横倍 戸 板 (pA,節 子 T.l・どの周囲の わ く )と桟 を組 ん で骨組 を つ く り, そ の間 に汚板 を入 れ て羽 Lは した扉 。
⑥ 破風 入母屋 出損 や切‑1髄 根 の端に
屋根 の流 れに沿 って打 った幅 の狭 い板o
⑦ 四蜘 門
」
nl一戸 の門 で,二本 の本写8‑ 1‑ 7 千 手 山 大 門 柱 と四本 の蜘柾 が あ る。
⑧ 蹴 放 取 りは す しの で きるし くみ。
⑨細目
敷居 や鴨居 の よ うであるが灘 の ない もの をい う.⑬懸 魚 破風 の拝 み下に憶 けた装飾彫刻。
‑422
‑
⑬ 事股 梁 や東食 な どの上 に 紅 く装飾的な彫刻. 輪郭 が カ エルの後足 を張 っ た形に似 て い る。
⑫ 流造 陳 .よI)前
J J
'の鮎 根 が 後方 よ り長 く反 ってい る造 り 方。⑬折線
一段低 く地 血に接近 して設 けTこ繕O第
2
節 彫 亥り'
写 8‑ 1‑ 8本 尊 寺 中 門 懸 魚
1 木造 阿弥陀 如来 立 像 (付 像内約 人文ぷ )
国 t正文 千手 蘇芳 院
像/L.・J'9 77C7n 寄木造
左J t
柄に次の軌 I‡銘か あ る。「巧 匠 法眼快慶 建 聯 J‑I:年 三月二 十 八 日」 胎 内の 納 入文 番か らも,開元 は承元 五年 (l尖 は 妊 暦元年 )五月二 十九 日. また. その時 の蔀 師 は,
r
吉水宮 大僧正i'=L件御誘J
(後 白河天皇 孫以「 E之 子 ,天台 座主 六 トヒ批 )で あ ることが わか っすら この 像は ,火部に あわれ た らし く.疎 の ほかは , 軒 も耳 も目も,の らの時 代 の もの であ る。
昭和3 4年6月指定 脚和35年 佐郡
2, 木像 五智 如来 坐 腹 囲 ・Fl‑
文
千手
i
豆明院F
層 とは ,法界 体 性田,大 円鏡掛 ,平等 性押 , 妙観察 官 ,成所 作智 の称 で,仏な らすへ て これ を 具 有す るの であ るが ,密 教 では 五Tlqに五仏 (法界 休 性抑 こ大 日如来 ,大円 車智 に阿即 如米 ,平等 性 常に宝生如来 ,妙観察掛 こ阿弥陀 如来 成所 作円 くこ不空成就 如来 )を配 当 し,か つ各 々,
中央 ,求 方 ,南方 , 西方 ,北方 に配 す るのであ る。写 8‑ 2‑ 1
阿 弥 陀 如 来 立 像 ー L123‑
写8‑ 2‑ 2 五 智 如 来 座 像
左 よ り不空如来像 ,宝 生如来 像 ,大 日如来像 .阿弥陀 如来像 ,阿闇 如来像 大 日如来 像岳 91.2cht 研拳印 を結 ぶ
阿邸 如来 像高5 1・8Cれ 左 手に
宝瓶
右手は施無袋 田 宝 生如来 像応 53 5C爪 左手 に宝珠 右手は施撫畏印 阿弥陀 如来 像応 5 1L4cnl 説法印不空成就如来 像高5 2・Oc7n 右手は施耕具印 左 手は与願印
いずれ も左足外に結 軌飲 坐 ,桧 の寄木造 漆箔像 五躯 と も後背は周掛 こ雪 輝 を浮彫 した二五円 光 古座 l埴 準 四正座 (近世 の後補 ) 作風 か ら藤原仏
※ 参 考 図
f
・ ET]・tLI,.,・軋jt
超 し
。11.i.::‑42ノ1‑
=蚕 二
説 法 印 (上品上生 )
第 3 節 絵 画
1. 納本若色仏産繋 図 一 相 同・琵 二文
千手
遍明院 (東都 博物館保管 ) 縦 1,62 77花 描 1,6 6 7m時代 様式 ,筆致 か ら鎌倉時 代 中期 のYFときれ る。
浸集図の図柄 は一般 に中 央 の八本の沙樺樹 の間の宝台上 に頭北面西右脇 下に安臥す る 釈迦 を中心 に諸菩薩 ,諸天 , 国王,大 臣,鬼神 ,劫物等 の, いわゆる浸集衆の嘆 き悲 しノむ と ころ を描 いた もので ある。
遍明院の ものは ,浬集 のほ かに上部 と左右 に茶伊比(‑火 罪 )の後の舎利 (‑池 倍 )杏 わかつところ,再生説法 ,釈 迦の金棺を力士が動か そうと
したが軸かrlかった話 ,金柑 が 自然 に飛 びゆ く光嶺 ,その 他の入浸集後の七 .」押トを もあ わせて描い てい る。
明治3 4
年
8月指娃ti〝Ir可 QEJFiqJf ̲ ,I.,‑,I‑ .」
'F.i8‑ 3‑ 1 仏 渥 輿 図
〔岡山文
岬
l岡山県 の文化財 Jよ り )2. 絹本着色弥陀 二 十五首蘭来迎l'4 ‑ 帆 国 ・重 文 題明院 (京都博物館保管 ) 縦 1.0 83m 描 5 4lcれ
藤原時代 は,弥陀は正 面向 き坐像 の もの で,それが やがて斜め向 きの もの とな り,鎌愈時代 にな ると立像の斜 めlrJjさにな る。 その,if‑ズその他 か らみ て,銀白時代中期頃 の作 品 とみ られ てい る。
3▲ 納本若色不動三十六金子像 一幅
国 ・正文 鹿忍 宝光 等 (岡Lll県立 博物軒保管 ) 縦l̲3 63m 横 6 0.5亡尻
‑ 4 25‑
It・I.I・
r
この図は,鯨石上に立 つ不動 を中央 に,頭 上に倶利迦薙奄 王を糞 わし,左右 か ら下 にか けて不動 掛 こ出 てくる脊 振三 十六藍子を揃 いTこものである。
明治34年8
月指定
J
ll'8‑ 3‑ 2阿 弥 陀 二 十 五 菩 酵 来 迎
写8‑ 3‑ 3
不 劫 三 十 六 京 子 像
図 (岡 山 文
相r
岡 山 Ll話の 文 化 財 J よ り )‑426‑
Ll 納本若 色左 右両界典 雅 図 二昭 一
国 ・重文 鹿忍 ;去光寺 (岡LLJ抱立 脚物
餌代管 )
ともに縦 2 2 3m 肪1.5 9m 塵芥秤 とは,密教 の修法
の T:め ,多 くの潜像 を一定 の方式に並 づいて毅 然 と揃 いた図像のこ とであ るQ 両界 とは金剛界 と胎動界 の
ことで.前者は差別 の世界 を説 く金剛頂経 に韮 づいて 構成 され ,後者は:lF等 のLLr 界 を説 く大 El経 に韻づいて 構成 されている。 すなわ ち, 両界鼻茶樫 は,差別 と平等 の見地 か ら密教 の世界観 を 表 示 した ものである とい え
るo
宝光寺の両界臭茶棒図 の 箱には, 「巨勢金 岡 十七車 釆女之諏」 とあった とい う。
明治34