• 検索結果がありません。

Ll 納本若 色左 右両界典 雅 図 二昭 一

国 ・重文 鹿忍 ;去光寺 (岡LLJ抱立 脚物

餌代管 )

ともに縦 2 2 3m 肪1.5 9m 塵芥秤 とは,密教 の修法

の T:め ,多 くの潜像 を一定 の方式に並 づいて毅 然 と揃 いた図像のこ とであ るQ 両界 とは金剛界 と胎動界 の

ことで.前者は差別 の世界 を説 く金剛頂経 に韮 づいて 構成 され ,後者は:lF等 のLLr 界 を説 く大 El経 に韻づいて 構成 されている。 すなわ ち, 両界鼻茶樫 は,差別 と平等 の見地 か ら密教 の世界観 を 表 示 した ものである とい え

るo

宝光寺の両界臭茶棒図 の 箱には, 「巨勢金 岡 十七車 釆女之諏」 とあった とい う。

明治34

8月指定O

、̲ 1

(写出は と もに蘭LLl文畑 r岡 山県 の文化財 Jによる もの。 )

第 4

節 工 芸 考 古

1. 大在 刀銘感 光 大 正11 年国指定 重要文化 財 。=下手 山の弘法 等遍明院 に保管 さ れてい る。

刃の長 さ

り了8‑ 3‑ 5 両 界 塵 芥 揮 図 (金 剛 界 )

(難波勢沖子 )

11 8‑ 4‑ 1 人 額 刀 銘 感 光

‑428‑

は1 07 6cm,反 りは3 1cno鍛 えは柾 目交 じT)の板 El肌で ,匂 出来 の直 刃 であ る。 壷町

代 の作

で,寺伝 に よると,Jrl利姓氏 の もの であった とい うこ とであ る。 この時代 には ,

剣の

I

W要 が急増 したため全国に刀 工の発 句二をみ たが ,特 に備前

は名刀 亡が多か っ T:o 威 光 は その うちの1人 であ るQ

2.

乾草肩日蝕巻

明治34年 国指定 ‡圧密文化財。

巻 と錐 の一都 で,

背後

に引合 わせが あ り,胴腹部の み を保超 して冊経 の 防備 を考 えていないため この名 があ る。 この腹 掛 土.

室町時代,竹氏 が大帝刀 と共に弘法 寺へ奉納 した ものO といわれてい る。 耶和38年 度 に鰍 きれ た。

3. 木造 彩色菊牡丹 透衝 撃

昭和 L14年 国府定式夢文化財。 仏iJL寺ikJ 明院 に保管 されてい る。

帯電 とは ,仏前の荘厳展 で.仏 道内帥 oj 梁 に下げ られ ている。岡崎来 由記に

,

「花 蔓 +二流有衷 掛 こきく丹 線金牌 彫 者挺」 と

あるが一詳 しい ことは不 明。

逓か し彫 りが施 され た2両が1枚に合 わ されているが, 2面の換様 は熊な ってお l), それ ぞれ菊 と牡丹 で ある。旧知 5 3年腔 に 修理 された。

I‑ ー ̲JJ ̲・.ー̲ー̲一一・,. ̲

雷 iコ r v Jt■

‑Jl21KJトー

写 8‑ 4‑ 3 木造 彩色菊牡丹 速筆蔓

4. 磐

努 とは,小国の 楽器 か らと った仏 具 の一 つ で,勤行 の際 ,導師 が これ を鳴 らして 合Itxt

用いる もの である。

脚称 3 4年 収拒止 重野文化財で ,滋 ごて 明院lこ伽阿され て

い る。

この掛 よ鉄魁 で 襲 面に研か れてい る孔 経の模 様の羽 のEi'な りf土合か ら, かな り古 い もので ある こ とが わか る。

写8 1 4‑ 4 磐

5 足利 iyj氏 御教J.!f r 昭和3 4

県配 蒐蟹文 化財。弘法

崩明院保管O 観音元年 ( 1350年 ) 鴇 氏の子 で上壱 P,J探題 であっ た足利 Jlti冬が 九 州で反訴Lを 塩 こし,

l L氏

はI百冬追 討の ため,7711岡 ‑ 赴い た。 1行

目に

F凶徒討

治 折耐

」 と 写8‑ 4‑ 5 足 利 tMj 氏 御 激 苦

ある ように,

れは弼勝 を折節 して弘法 苛に搾 げ た願 文 である。 この際 .腹巻 と大帝 刀 を挿糾 した といわれてい る。

‑430

5

節 無形 民俗 文 化 財 I. 唐 子 踊

昭和35年 臨指 定重塵 文化 財O所在地 は

紺浦

O 江戸時代 ,将節 の交 代の庵 に 日本 を訪 れ ていた朝 鮮使 節の 一行 は ,必ず年額 で一 泊す る習 わ しが あった。記鍬 こよると,江戸時 代に 1 2回春蕗 して い るQ 唐子蹄は ,この ような歴 史的背封 の もとで生 まれ た民俗 芸能 である。 その昔 ,神功 皇后 が三 韓征 伐の帰途 ,紺 輔 でお休 みに な

た時 に,三蹄 か ら連 れ て きた童子2人 が踊 って皇 后 をお慰 め し た とい うことが溜 重油 rTl家 の支 出

仏説に よってO‑え られて お り, これが唐子冊 の起源 であ ると考 え られてい るo その時 ,皇后がお休 みにな った とい う岩は腰掛 岩 と呼 ばれ ,現 在 も保存 されている。

吊 りが行 なわれ るのは幅年 10月第 4円職 (脚 抑 49年 までは1 0月2 4日 )で ,午後2時 か ら 索義 昭神祉 ,天 神社 .

#P

.巾堪 前,腰掛岩前 のI蜘

こI I 魂

勺され るo 節子は, 6‑ 7才の男子 2人 であ る が,条件 が あ り,代 々地【に 住 んで いて両親が組在 でな けれ ばな らない. この踊子2人 に太鼓 1人 横笛3人 ,臥 /方6‑ 7人 が加 わ るo ll!E)の蹄r)は7分 く らいで,場所 を移赦 す る時は ,稲子は

車 に乗 る。

蹄 t)は ,まず ,蹄子 が破 んでお じざを

L

, 如 、きつ の よ うli一文句 を唱 えたあ とで始 ま るO ゆ っ く りしたテ ンポで2人はF'.Jじ動 作をす るO この師 r)の特 徴は ,他の 日本 の踊 りには見 られない果

匡‖超

緒 が衣装 ,敬 ,手足 の弛 さに見 られ るこ とであ る。 ます衣掛 ま,相子 のつ ば と上智の彬がそ り返 り, 全体 の配色

,金 色 と朱色 の上郡・,折を絞 った九色の スボ ン, 太い ピン クの相 と.非常 に あでやか であ る。 そ して蹄 りは とい うと,j又対側 の事 と

j L

!を血 かすのが皆通 の踊 りであ るが,この踊 りでは.

同 じ側の手足 を同時に励 かす軌作 が多 くみ られる。 捕 ってい る時 ,手の ひ らを外 に そ らせて い るの もいか に も大陸 風 である。 ま TL

‑ ,

軟の文句は朝軒 款 のな まった よ うな ものが多 く, これ らの ことか ら考 えて.厨子蹄 の もとの踊 りは朝鮮 の岡 であ った とい える。

4年 くらいT:つ と,麻 子は交 代 するが .その

代の 年 だけは,先師 といって今 まで踊 って いた者 が紋 付袴 で次 の冊子 の前 に立 って一緒に肺 る ことに な ってい る0

枚雷賓

コンネン,ハ ジメテ,二ホ ンエ ワタ リ,二 ホ ンノ ミカ ドワ, トウリマセ ン, マセ ンコ コロ, ヨカ ンココ ロ.シ ョガン,オン レイモウス

・歌

サーチ ャー ア, ワー ン,エー,ハ ‑/‑ エ‑ヤノ ヤワ.シ̲1‑ ンテェ‑ ,サ ーチャー ア.ワー ン, エー ,′、ァーエー ,ヤンヤワ ,シュ ーン デェ‑ .ニ ィー モォー オ.シ ュンデー ,ハ 7エー,ヤ ンヤ ワシ 3̲ンデー ,ハ‑, オーカ ンエー ,エイ ソーエ イエイ, オン トー?‑ オ‑ ,ロンチ ‑, アアソ

‑ モー

ツ ンテ ン,テ レッツ, チッ, テソ,チ ッ トン, ツ ノテ ン,テ レツ ツ,チ,チ ッ・テ ッ トン, チ

‑ ,チ一 ,チッ ト

テ レツツ, トントン.テーチーエ イサ ンエー ,ハア ーエーエーエ ーj'‑ モ‑ テー ヤ‑ ソー, テー チ‑ エイサ ンユー,ハ アーエー エーユ ーゴ ーモーデー ヤ ー ソ‑ 1ハ ァ‑Jユ ーズ ーマ ・ ツマ ヒー ヤ

1 .I:Il‑

‑,(ホ イ )ッ ンテン,テ レツツ, チ ッ, テッ,テ ン, ツ L, ソ ンテン,テレツソ,チッ,デソテン,ツト ソリャ‑ ,チ チー テン, チ リツン ト, イヤー , テ レツツ, トントンハ 7‑, コン ヒ‑. コンヒ‑, ハ アー イ‑ ,ヤ ンヤッコ ンヒ‑ .コ ンヒ一 ,′、7‑ イ ー,ヤ ンヤ ツコ ン ヒ‑,ハ 7‑ . リンツー ,

リンツー ,ハ 7 ウ‑ , ハヤ, ワンヤワ リー リ:,ツー , カクカクテ ンニ ョガ, .)‑ ヤァ, リー, ア ーソー モー

写 8‑ 5‑ 1 唐 子 踊

2. 太 刀 踊

昭和

3 5年 県重要 文化財 に指定。綾 浦 で厨子肝 と同 じ日に奉納 され る。 由来 は明 らか では ないが 神功 皇 后を お魁 めす るた めに踊 った とい う言 い伝 えが あり.帝 王池田家文串 に も配職 が ある こ とか

らかな り古 くか ら行 なわ れていた よ うである。

太刀桶は10才前後の̲FJJ.子5人 で行 なわ れ る. そ の うちの 】人は 陣掛 こ梓 を つけ ,残 りの4人は 2人ずっ男装 ,女装 をする。男装 の2人は .蛇紋 付にた すきを掛 け .裾をは し より,頭 には鉢巻 き を して手甲助杵 ,女延 の2人は あで やかTi長 補禅 に たす きを掛 け. やは り鉢巻 きをするO氏神 であ る御g社へ隅 を奉納 した後 ,区長宅 な ど数 か所 で締 るo楽器 の概実 と踊 りの2つの部 分 に分か れ て い るo まず,陣許 の 1人 が神 社の本殿 を背 に して盤 t).その前 に残 りの4人が2観 に向 かい合 っ て 座 って楽器 を葵 す る。 陣笠は太鼓 ,男装は小軌 女装 の2人は打鉦 とか っこで ある。 この浪 葵 の あ

と,男装は 太刀 ,女装は薙 刀 を持 って ,陣笠 の太鼓 と保存会員 た ちの笛 と歌に合 わせて 「エ イ」

「ヤー」 な どのか け声 をか けなが ら太刀 を打 ち合 わせ た り扇にか けた りとい うよ うな動作 を足 踏 み LTiが ら行な う。 構築 と陶 f)で約2 0分 で あ る。軟 はやは り異 国風 で厨 子蹄 と同 じ系統 の よ うであ

ー432‑

る。

また, 昭和4 9年町折匙 . 粟利郷 に も太刀蹄が あ り,やは り同 じr‑]に正 八幡宮に奉納 きれ るO ここでの太刀楠 については次の ようTi一言 い伝 えが あるo 約 1.20 0年前.土地 の人 々が神社建 立 を計画 し,宇佐八幡宮 を勧進 す るこ

とに して神宮 や氏子怒 代が宇佐へ参拝 した。 ところが その帰途.大 あ らしに 会い ,命か らが らで帰 りrJいた畔 に紫 利紙に伝わっていた太刀を持 って踊 る 蹄 を奉納 して御神体 をお勉 め した とい うことであ る。綾楠 の太刀断に対 して ここでは女子に よって断 られ る ことが 特 徴 である。

3

弘法寺

練 供養

昭和3 2年,県指定重要文 化財

練供養

に使用す る面が室町時代 の作 であることか ら,かな り古 くか ら子fTL

われていた ようであ るO 近年では5

5日に行 Ti‑わ れてい たが,

弘法寺の

3院

の うらの

1つ, 香典 院が焼失

して以来 ,行 なわれてい

い。嫡 明院 に 保管されてい る6菩薩, 2

天童

, 2地故 の合計10個 の木造 の面を それ ぞれ人が

写 8‑ 5‑ 2 太 刀 踊

写8‑ 5‑ 3 坪 43:31

供 凝

か ぶ り,中将姫 の木像 を阿弥陀 如来の安離 した常行堂 まで轟持 して導 いてい く。博行堂 には阿弥

如来立像 が もう1つある。 これは迎 え仏 とい って木造 で中は空 洞にな ってお り,これを侍従が かぶ って行 列 を迎 え

,

「よくこ こまで

Jfで来 て くれた」 と感謝 して何度 もおじぎをす るので ある。 し かし,この像を挫f′Iするのは

1人では知叩t!TJrので緬価か ら 介鰐する。 また ,江戸時 代に はこの挟供養の 版木 を作 って

「般信 省の求 めに応 じていた こともあ った とい うこ とであ る。

8‑ 5 ‑Jl 練 供 塵 の 面 第

6 節

有形 民俗 文化 財

I. 絵 馬 おかげ参 りの図

m和4 7年県宙定正賓 文化財。 年寄神社 に掲 げ られ てい たが,現在 では取 りはずされ て.町教育 委fl会が保管

している。縦 60

c h I ,

描 20 4mの絵 馬で.‑1曲に おかげ参 りの 人々の行 列が 描 かれている。

おかげ参 りと は ,江戸時代.

伊勢神宮 の奇 餅が突如 とし

て人 々の口に 上 り,大aiEFl の伊勢参 りが 行 なわれ る1

写 8‑ 61 1 絵 馬おかげ参 りの図 (部分 )

‑434

関連したドキュメント