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「改革」農政と農業'111題

ドキュメント内 中国経済の新局面 : 改革の軌跡と展望 (ページ 84-120)

I「改jYf」農政下の食粗''111辺

1978~84イドの食)W1i/l【j韮の発腔はめざましく,イli率49%のjWIl率をフパした。

この食糧iVMfのテンポは政策11山村の予想をはるかに超えるものだったよう で、ある。

1982年木の全|]il股村=l:作合繊において,ノjllLは,ll1l1il共i雅党第1lj0l3「'1全 会(1978イ|え12)])後の食)W,tllj(錐について,政府は農LLを休ませるために食粘i の輸入を決めた,と柵」了している(「人氏llflul982イlil21l2311)。

1979年91三|のll1Ul4ll1今会では「今後比11咬(I<」踵い)011111にわたって今'五|の食 )Mi買い付け指標を1971~75イliの水i((iに安定させる」(「人l」kLll報」1979ゴド10)]

611)ことを決定していた。政府の1Mい付け食)MIiはiiにIilliljijilXiへの供給食 )M,iである。都Tlj人||は,71~75イliの平均の約1イ意5323ノJ人から1980年には1 億9140〃人へと24.9%1Wえている。4111余会では,政府が必要とする食粗は

ざっと25%噌えているはずなのだが,買い付け鼓はjiliやさないことに決めて いる。その代わりに,大力(:の食)lMIijliiiii人をその後しばらくの||Ⅱ続けることを政 府は決めたのである。3lMr会の改jIIEによっても食)WMミ歴が人''1冊に11ウえると は予想していなかったのであろう。節6次5カk年iillllilでは,85年の食粘i生産 '二|標は3イな6000万トンであI),これは80イ'1からの↑''1ぴ率としてはイIミ平均 2.5%である。経済を幌iIiLさせたと言われた'1柳l,つま|)改〕'Imiiの65~78年 における食)|<M:産のイli平14」」(リカ'1率は3.5%であった。だから,3lll全会直後 の食糧4M:の兄j、しは机めて控えめだったのである。

3111全会後の食lWlミ11ifの」杣'1率はWli述のようにil1jかつた。食粗のlB(府買い 付け量のjWⅡ1率Mi脳itの11杣Ⅱ率を逐年」そ''11るようになった。「''1|正|統計イ|え 鑑」によると,食)Nil【jliiii入は1982イ|〈の16007Jトン余をピークに減少し,85イ|そに

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は5807Jトン余に|、、がった゜

3''1今会I〔後から1984イ|えまでの食W1t`|i産の114人,とくに82~84年の大IW1名

を背景として,将来の食)|《Mi厳に対する兄jI]qしはlil1iめて楽観的になった。81 年121]に設立ざれ後に|玉|務院農業発llⅧ|:究センターへとケト格し,「政iYj:」10 年(3「|'全会後のl()〈|:)の農業政莱をリードした''1|]il農村発展l1Il題研究グ ループ(以~「「(i1l:先グループ」とII1h称する)は,84イ|〈の人lHl作のⅡ!〔後に2000年 にlhlけての食)WitlIl1liを次のように丁illllしていた。「1984イ|:の食枇ポM搬最を JIL数として年率2.5%の;|;||谷でWIlIするならば,2()()()イトの我が'正|の食WMZ産 品は6億435ノJトンに達する。そのときの人|]を12.5億とすると1人当たり 488kgである。極イリⅡ,醗造111およびその他」:業)'1食)Wilt54357jトンを差しり|

いてもなお5億5()0()ノノトン残I),lルIノiたり440kgをiIIill1iすることができる。

こうして,1人111たI)250kgの飯米と50kgのMIiのWif典をiiMiたすことができ る。これは,アメリカ,ソ迎などのlJilが1人」↑た')llill」kと総Llミ産額1000ドルで あった頃の食物ilIiH1iノM(iにノ'11当する」と。(1)

ところが,Iのような楽机(I<」を二rillllが行われたそのイli(1985イIi)に食紐生 )藍は人ll1i7iな減少をフパし,その後机亭11%を続けている。この悴11W|;が始まるとす ぐに,それまでの農業政策に対して批判iMM\がりilれり(f}めた。’''心('り論点は,

農業投査のi),iIii少にともなう農業2MiノノノiL盤の低1,.という点である。1980イ'三以 降,|正|家!'イ政からの農業」i(本姓設投riiは減少し,水利処設への労'1111ノノIiノノ員メ カニズムはⅡ|壊し,化朧ノjJl蝋は弱体化しつつあったが,それでも3''1全会 後の数frllI1は食)W1tノMiは11杣|Iした。この点についてMx又は「過去の建設の基 礎がなかったならば,このような成采は得られなかったであろう。……この 数年農地の水利1「'iについては,ノ川良(|<」に古い安本を食い潰してきたのである。

農家経`尚IlilI(1);〔文では「家族ルミ包Ili'|」)の実施以来,人('1分の地力で農地の水 利建設を」|こめてしまった。他ブJでは,少なからざる水利施設が壊れ,uリトi存の

(2)

施設も久しく修l111されていない。……水利施設の効来は人lIlFiに低下した」と 指摘している。また,「農lXL「|報』の評論貝も「岐近あるM1I1家は,農地恭 本建設投資が少なくなり,農業は新たな停滞の||棚1に入っている,と警告し ている。’'1央のlTiljlL《もこの意兄が注I|に伍することだと認めている」(1986 イド7)122[I)と述べていた。

j1M章「改iIl'':」農政と股業'111題75 1985年以降のLlil龍の(州|:とは)l(illl(!(|<」に,食)Miilili1Iiは8()イト代の半ば頃から急 哨し始めた。「改IYi」l()イliの食粗のLMiとiiliYYの推移を|ヌ'1にフパした。LIi産 品と食川消費鼠の数111[はi''1|](|統計イ|主鑑」から,総iiIiYIihtの数(inは農牧漁業 部経済政策li1l:究センター食)Wi川究グループがまとめた論文から得られたもの で、ある。

1979~83年の5イ|Ⅲの食)W,(総ii1j伽Tこの」1ウノノ'1は6050ノノトン,イ'二|z均1210万ト ンであった。その後84~88イliの5イ|Ⅲはイli平均1520ノノトンずつhMIえたことに なる。食)Mii研究グループによれば,84イドまでは生藤がilliilliをI」iill),6イl2llIl の衆横で余剰は7425ノjトンであったが,85イ|i以降はi''1Yllが'M1をIjⅡ|るよう

(3)

にな'),85~87イドの3イlillllでイ〈足は5530ノJトンだったという。

総iM1i品のうち食Ⅲii'iYlilitのjWIl1率が1984イ「以降鈍化し,86イ|ミ以降停滞し ているところに注||したい。総iiLi費11tと食I11ii1jY1i」itとの雄は,極イリⅡ,]。業 111(「''1|玉|統計fM劃によれば,箙造1Ⅱ・製jlll1J11食糊は食)||食)W,(にfiirまれる),飼料 111の食)M,{,そしてllIliEであるが,その大冊'1分はiiil料111の食)Mil〔て、ある。した がって,84イ'三以降の食)M,i総i1ljYliのlWIllは飼料)'1食Witの忠jililによってもたらさ れているのである。liiil料11棚を急hl1させた要|人|は,所1(トの」2ケ1に伴う食化iiIi 水準の|(,112,よ'川↓体「|<」に旨えば|AI類iiljY」jの」村大である。

図によれば,飼料111食)W,iのiiljYYは198()イド代の半ばIJ1から忠」M1しているが,

肉の4Mk量,ii州こ''1tがこの'|制01かMiiil料)'1食柵iljYIiの」柳川率と対応して1Mえ たわけではない。この矛1i7iは,’'1|]《|における家畜のI式統(l<」飼養形態(Ilhl々の 農家がl~2頭の豚を身近にある雑多な飼料で飼育するWI給(|<ル態)と近代(|<」

飼養形態(商IWMiとしての錐11氷)とのiiil料)Ⅱ食)W,tlliZ<換率(lMミ産砒/iiil料111 食柵I1iY1侃)の違いによって税lリIすることができよう。イパ統的飼養形態のも とでの飼料DII云換率はJltflliに低い。しかし,この飼養形態のもとでは」(#大する 都TIi需要に対応することはできない。illi,1,1I,経済の発股によって,80年代の半 ば頃になってようやく家flfの近代(1<」iTil強形態が1M(しり(f1め,飼料濡要を急速 にjMI川させた,と。

1978イ|ミ木の11期3''1今会からちょうど10イ'三を経た88イ|え木の今'五|農村兀作会 議では,農業が|玉llXi絲済の』,L礎であること,食糊''1題が絲済発展の死命を柵'I

する'''1題であることが|リびりjiTJH1された。

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図1食枇のLMiとillY1i

(×)食鮒総i11jY』l趾

(×)

(億|、

‘1.0

食鮒総生産品

3.5

1食撒 iYH丘

3.0

'

'

'

2.5

' '

' '

2.0

'78,79,80,81,82,83,84’85,86,87,88,89(年)

挑)食111食柵I1iY1lfitはl人当たり食111食WlWjY1iiikに人|]を杜トけ た仙食枇総41三雌』itとともに「''1|通|統iil・年鑑1989年」より.

食枇総11111111itは「農業経済|I111uj」l988HlA5J01,3r〔よ|),

87,88年は推定(lh.

節4章「政i1IIi」農政と農業'111胆77 111紀雲は次のように述べている(「人Ⅸ「1級」l988flil2)11711)。

「当而の農村'''1腿あるいは農業'''''四とは,主として食)Wii'''''四である。……

'''1題は,我がlKlの食粗,綿花のLMfが1984年に大台に采って以降11Jぴ停滞し ているところにある。この状態が改神されずに続くならば,改ilIrに対して,

|正lLk1j経済の発展や国lXj(lliiiliの安定と改善に対して深刻な形郷を1J-えるであろ う。」

「人'二|のjMI力||,|正lLIIjの/li1iI1「水準の|(,112,食物柵迭の変化にしたがって,食 )M,iに対する濡要はますます'1W火するであろう。……食)l<1,柵要のWⅡ1は不可逆 (1<」を傾lnlである。リilイピ我がlJilの人'二1は毎年二「数1'「ノノの速さでjiウカl1してお'),

食枇の消費は征イド1000~1500ノjトンの速さでjll1ノノ||しているのであるが,耕地 は毎イ1120~27ノJヘクタールの速さで減少しているのである。」

「兄落としてはならないことは,農業'''1題は決して川)部「1<」なI''1題なのでは なく,全局に|IIJわる'''1題だということである。一般(l<」な絲済]I:作この'''1題な のではなく,総i流|zの1M【な11m11片'''1題であ'),政WLiIlIl1辺でもある。」

3''1全会後の経済発腔によってllillXiの姓iiIi7M(iも急速に|(,l」したが,一度 リ|き'さげられた(|(11M.((《は,社会(|<jiliLi1iしなしにはり|き「げられないであろう。

まさに,111紀雲が述べているように,食樋諾要の11ウ人は不111逆「l<Jを傾|イilで、あ '),食糧問題は政洲''1題なのである。_上のり'111からわれわれは,4Mビノj基盤 の弱化を背景とした食)M,ilMiの停洲;と人'二lのjlウノlⅡ1,生iiliノM(iの|(T1Lにともな う食粘伽費のj14人によって,食)WIillll題が深刻な'''1腿として浮かび上がってき たことを知り1Mしる。

」孟述の農村二11件会議に,'''11,IiVした企l1il各地からの代表とのl`K談会において,

趙紫腸は「これからさき農業を発股させるには,次の三つの条件に頼らねば ならない。一つは,政莱にIlil(って農lXjの彼極|/liをリ|き}''1すことである。……

二つは,科学技術に虹(ることである。……三つは,役ifMjWⅡ1に噸ることで ある」と述べている。発トリ<11然のことが述べられたに過ぎぬように兄えるが,(1)

三つ'三|の「投rW)」脚力||にliliる」というのが孟要な慾'1ノkをもっている。3''1全 会後の農業政策は,趙氏|(|らがMiL案した「政策と科学にlIHる」方針のもとで 進められてきたからで、ある。

1980年9)ごIにγIIjl5Iil鋒に代わって剛;||の座に就いた趙紫|場は農業基zML設に

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おける水利重点主義に批判「1りであった。趙氏は1980イli初の「紅旗」誌に掲救

した論文の'11で「今後の数年'''1,農業のji4産はjZiとして政策と科学に頼るべ

(5)

きだ」と提案していたが,「政策に)|U((る」とは,農家経営IIillの導入によって

農IXjの生産に対する積極性をリ|きI11,すということである。「科学に頼る」と は,農業化産を」11カ人させる技術「|りな|#慨として,優良種子の辨及,iW1i慨の工 夫,家畜飼料の谷li1l1i1りな配合など科料1りな栽培,科学(l<ノな飼養に''1点が置か れるべきだということである。さらに,従来の水利雄設に触れて次のように 言う。

「'二l己の力量に合わせて段IlriI<」に農業雑木雄設を続けて行かなければなら ない。私がここで言うのは,農地ルM上設ではなくて農業基本建設である。

……というのは,これまで言われてきた農地基本姓設では内容が少し狭すぎ る。|]を|;Mけば水利,農地改良,」:壌改良では狭すぎる。農業ノル本建設は もっと内雰が胆い。水利,二k壌改」iLも含まれるし,交Iliil施設,極イセンター,

乾燥施設,倉lIliなどの建設も含まれる。」

「今後はむしろ水利建設投資を少なくして,資金をその他の急を要する事 業に使わなければならない。milイ|ミわれわれは農業科学技術曲の基>M些設が非 粥に遅れている。」

1981年11月に|汁|かれた第519l全人代節41JTl会誠で『経済建設に|)Mする10大 方針jが趙首イⅡによって報告され,農業は政筑と科学に頼るという力針が確 認された。他力では,|玉|の財政文Ⅱ1,については,今後は''1央財政の投資範lIl を次第に縮小し,j■ミにエネルギー,交j、,新興]_:業にIhil)向けるという方針 が示された(「人hlJl1報j1981年121111-|)。

lFlの農業投査政策における|リⅢIiなノノ針転換であった。1980年代に人って|玉|

家財政における農業投査は大|偏に減少した。趙紫陽の言う農業基本処設投資 もhi4えなかった。|正|の財政投資政策において農業投盗が重視されていたとき には,地力11イ政もまたその大半が農業投資にl辰I)lfilけられていた。しかし,

'五|の11イ政投資政莱のlliZi換は,1980イ'2代初からの財政Ilill度の改革とあいまって,

地力財政における農業投資をも急辿にiliili少させる力|h]へと導いたようである。

この''11の事情は,「地ブノの財政諸IiIli'|度が実施されてからは,地力各級政府 は財Ⅶi(を拡大し11イ政収入を1W)やすために競って二Mi業に投資した。……農業

ドキュメント内 中国経済の新局面 : 改革の軌跡と展望 (ページ 84-120)

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