第4章 署名時声明をめぐる問題と変化 第 1 節 署名時声明をめぐる問題
2 当該署名時声明をめぐる批判と対立
ブッシュ大統領によるこの一連の署名時声明の使用に対しての議論では、ブッシュ大統 領の憲法的署名時声明に批判的な見解が多くを占めていた。ここでは批判の急先鋒であっ たアメリカ法曹協会の報告書と、上院の司法委員会の公聴会での肯定的見解の証言から当 該署名時声明をめぐる対立を検討していく。
(1) アメリカ法曹協会の特別委員会報告書
批判の急先鋒であった American Bar Association (アメリカ法曹協会、ABA)は、ABA Task Force on Presidential Signing Statements and the Separation of Powers Doctrine
(大統領署名時声明と権力分立についての ABA 特別委員会、以下タスクフォース)を立 ち上げ、ブッシュ大統領による署名時声明の使用を非難する報告書を公表した15。この報 告書ではブッシュ大統領の憲法上の異議をのべる署名時声明の使用方法に対し、強く非難 している。ABA は、「法案の重要性、目的、意味に従った大統領の見解を述べる署名時声 明に限定されるべき16」であるとし、大統領の署名時声明はアメリカ市民に対する説明と
対話であるため、修辞的署名時声明以外の署名時声明の使用について違憲であるとした。
ABA はこのような憲法的声明の使用について、法の支配と憲法制定者の意図する権力分 立に反するものであること、そして署名時声明の使用が事実上の項目別拒否権に相当する こと、そして司法による判断の機会を奪うことを問題としている。大統領は憲法制定者の 意図する権力分立、すなわち厳格分離に基づく古典的権力分立に基づいてその権限を使用 しなければならず、憲法上の権力分立と法の支配は君主による恣意的支配を防ぐものであ り、自由を守るための最良の方法である。憲法は、大統領の立法過程における意思表明を、
必要かつ適当と判断する政策を勧告することと、拒否権を行使することのみに限定してい るため、憲法上の異議を示す、すなわち立法過程に関与する署名時声明の使用は憲法 1 条 7節で規定されている立法過程に反するとし、法の支配と権力分立による憲法構造に反す るものとした。
また声明を拒否権の不備を補完するという点についても、両者の関連は「署名時声明は 大統領の拒否権とはなりえない17」と否定される。憲法的署名時声明によって、特定の条 文を不執行とする場合、それは Clinton v. City of New York 判決で否定された項目別拒 否権そのものであるという。声明を肯定する見解で根拠とされている拒否権の不備、つま り包括的法案に対して大統領が事実上、拒否権を行使しえない状況であることは認めるが、
このような状況は「きわめて稀な可能性」であるとし、そのような状況においては、司法 審査に委ねるべきであるとしている。このように署名時声明を用いて大統領の憲法解釈や、
憲法上の異議を表明することは「拒否権」と同様であるとされ、重ねてその使用が否定さ れている。
ABA の勧告書では、実質的に法律を変更する可能性のある署名時声明の使用を、全て否 定しているが、大統領が(疑いを持ちつつも)署名した法律によって、即時に不利益を受 ける状況になることを避けることができるとしている。これについては、署名時声明によ る司法審査の機会を奪うもので権力分立に反するとしている。
(2) 上院の司法委員会の公聴会における肯定的見解
2006 年 6 月 27 日には、ブッシュ大統領の署名時声明について上院の司法委員会の公聴 会18が開かれた。この司法委員会の委員長はアーレン・スペクター、証人として司法省法 律顧問室司法副補佐官であったミシェル・ボードマン、アメリカ法律協会の弁護士ブルー ス・フェイン、ハーバード大学ロースクールのチャールズ・オグレトリー教授、ヴァンダ ービルト大学クリストファー・ユー教授、ジョージタウン大学ニクラス・ローゼンクラン ツ准教授の5名が証人として証言した。これらの証人のうち、ブルース・フェイン、オグ レトリー教授は先の ABA のタスクフォースのメンバーであった。このうちミシェル・ボ ードマン副補佐官が政府側として、署名時声明を肯定的に捉える見解から証言を行った。
冒頭、ボードマン副補佐官は署名時声明について、署名時声明が立法過程において重要 な機能を有する点、そしてこのような声明の利用について議会への理解を求めている。後 者については、「議会は署名時声明を不安視するのではなく、声明がもたらすものを大らか に受け入れるべき19」と述べ、コミュニケーション手段としての声明を理解するよう求め ているものと言える。これについては署名時声明が大統領の公式見解である性質からも、
大統領の法律に関する見解を明らかにする一助となる点から、コミュニケーションの手段
であるともしている20。
署名時声明の機能としてボードマン副補佐官は、声明には権力分立に基づく大統領の「執 行権限」を保護する機能があるとした。大統領は自身の権限を、法律による議会の侵害か ら防護しなければならず、多くの憲法的署名時声明はこのような意図を持つものであると 主張し、声明が単に大統領自身が署名し、成立した法律を執行しないことを意味するもの ではないという。
また声明には、大統領の憲法擁護義務を果たすための機能があるという。この点につい ては大統領の憲法上の二つの義務、憲法2条1節8の大統領の就任時の宣誓21による憲法 擁護義務と、憲法 2 条3節の誠実に法律を執行する義務の関係が問題となる。それぞれの 義務は憲法に根拠づけられているものの、両者の優越について憲法は沈黙している。ボー ドマン副補佐官は両者の優越について、「大統領は法律を誠実に執行しなければならないが、
憲法は最上位の法であって、国家における最高法である。もし憲法と制定法の間で対立が ある場合、大統領の義務として、憲法に合致するように制定法の解釈を選ばなくてはなら ない22」とし、憲法擁護義務に基づいて、法律の誠実な執行義務があるとする。この点に ついてさらに、「判例に基づいて違憲であると大統領が考える、以前の議会を通過し、先の 大統領によって署名された法律の執行が課された場合、大統領の責任は明らかになるだろ う23」と例示し、さらにはまだ司法判断がなされていない法律が憲法に反することを大統 領が発見した場合と同様であるとした。このように署名時声明が大統領の義務を履行する ための「道具」であると位置付ける24。またこのような署名時声明の使用の背景には、9.11 テロを契機とした議会と大統領の国防の働きの活発化によるものであると説明している25。
そしてボードマンは、声明には拒否権の不備を補完する機能があるとした。憲法で規定 されている大統領の法案承認の手段は、承認か拒否権の行使に限られており、署名し承認 した場合に署名した法案の問題を裁判所やその他の機関に示す手段はないこと、そのため 署名時声明の使用には大統領による立法の敬譲が認められる。つまり議会を通過したほと んど憲法上の問題がない法案に対して、大統領が「大部分が合憲である精巧な法案に対し て、国家に役立つ法案全体を無効にする反対ではなく、特定の条文の憲法適合解釈を大統 領が選択することで立法府への尊重が示される26」といい、このような「大統領の署名時 声明は、法律が誠実に執行される配慮をする大統領の責務の一部をなすものとして、確立 したものである27」という。つまり、拒否権を行使せず署名時声明を用いることは、むし ろ立法機関への敬譲であるとされる。
最後に署名時声明が大統領のコミュニケーションの手段として機能している点がある。
これは声明が、大統領の公式見解である性質から、その法律に関する大統領の見解を明ら かにするものである。このように署名した法律に内包される問題点を司法や他の機関に指 摘することは、大統領による情報発信でありコミュニケーションの手段であるとする28。
ボードマン副補佐官の証言の後、スペクター司法委員長の質疑応答の中で問題となった のは、署名時声明と拒否権との関係である29。ボードマン副補佐官は声明の使用と拒否権 を関連づけて、声明を拒否権の不備を補うよりソフトな手段として論じようとしているの に対して、スペクター委員長は、声明を大統領の手段として位置付けることそのものに否 定的であり、憲法上の権限にない声明の使用を否定している30。